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傍観者は加害者の側に

(今日のコトバ)

 

 

加害者でもなく、被害者でもなく、傍観者なのに、

人は都合よく、加害者と被害者を使い分ける。

 

 

 

 

 

いじめの報道があるだびに、

コメンテーターという人たちが

「酷いことしますね」

「まったく人間とは思えない」等々という。

加害者に批判を浴びせ続ける。

報道番組はいじめ事件に対して、

被害者の立場に立って番組を進行しているから、

仕方ない部分もある。

ただ、コメントをしている人は、

どの立場で話しているのだろうと思う時がある。

あくまでも被害者に寄り添っているように話しているが、

自分は被害者のような立場だったのだろうか。

むしろ加害者に近い生き方をしていないか。

「いじめを見つけたら声をあげよう」

といっても、加害者でないほとんどの人は、

傍観者であって「知らない」と背を向けた人だったはずだ。

ただ、報道番組になると、

みな正義の味方ばかりになる。

もちろん番組としては、

被害者の立場でつくらなければならない。

だが、コメントしている人が、

加害者もしくは傍観者であることが

透けて見えてしまうと白けてしまう。

それが何も報道番組ばかりではない。

社会の中でも、

都合よく傍観者になっていることがある。

加害者なのに知らないふりをする。

被害者に対して「知らなかった」と驚いてみせる。

傍観者も同じような行動をとる。

自分においても、自戒をこめて、

加害者はともかく傍観者になっていることがある。

そのことを改めるためには、まず、加害者であること、

傍観者であることを認めることが大切。

そして、傍観者も加害者に属することがあることを

認識する社会にする。

そうならないと、解決しないことがたくさんある。

人はなるべく痛い目にあいたくない。

そこからどう逃げるかを考える。

その時の選択が、自分がしたことから逃げたり、

知らん顔することでは何も解決しない。

いじめ社会の問題先送りであることを

理解しておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

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