(今日のコトバ)
「みんな」は、
主語として責任がとれません。
「みんなが言ってるよ」と、
話の中で言うことがある。
「みんな」を
すべての人と言う
意味だとすると、
すべての人に
確認したはずもないのに、
「みんな」と言う。
大雑把に、
大げさにいっているのだ。
言った本人は、
「概ね、みんながそう思っている」
といいたいのだ。
だが、本当にそうだろうか。
「みんなが思っている」などと
確信して話す根拠などほぼない。
それでも「みんな」という。
それは自分の主張が正論だと
言いたいからに他ならない。
今風にいうと、
マウントを
とりたいと思っているのだ。
それだけで「みんな」という
言葉のご威光を使ってしまう。
だからこそ、
「みんなが言っている」と
言葉を使うのは
気をつけた方がいい。
言葉の威光は、
言葉の圧力になり、
人への圧力にもなる。
「みんな」という一言が、
意味もなく人への圧力になる。
そのことを忘れてはいけない。