覚醒して新しい道

(今日のコトバ)

 

できることをやれ。

その延長線上にできないことをやれる道がある。

 

 

 

得意なものを極める。

すべてはそこから始まる。

できないことは無視してでも、できるものだけやる。

これでもか、これでもかとやり続ける。

そこで、自分なりにできるものの方程式をマスターする。

できるからこその自信をつける。

できないことへのモチベーションがあがる。

つまり、できる、自信を持つということが、

自分の中のいろいろなものを覚醒させる。

この覚醒が新しい道をつくる。

簡単ではない。極めたのかの問題もある。

ただ、できると自信を持ったものは強い。

強さとは気持ちが揺らがない状態でもある。

そこで、できないことに取り組む。

一度きりの人生だ。

できると思って人生を生きられることは、

素晴らしいこと。

まず、できることを着実にクリアして、

できないことに取り組むのだ。

 

 

 

 

 

 

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人生の答えあわせは難しい

(今日のコトバ)

 

 

人生は、答えあわせができない。

 

 

 

人生の正しい答えなんて、

どこまでいっても見つからない。

その時は正解だったと思っても、

今日は間違えと思うこともある。

ifという仮定の想像をしてみたりもする。

難しい。クリアできないゲームのようでもある。

昨日の立川談春の自伝的ドラマ「赤めだか」で、

立川談志役のビートたけしが「現実が正解なんだ」

というセリフがあった。

そうかもしれない。

いまの自分が何をしている。

いまの自分が何ができる。

いまの自分がどれぐらいのもの。

過去、何をしてきたかではない。

未来、何ができるかではない。

いま、なのだ。

いましか自分を証明することはできない。

いましかないけれど、

過去に実績のある人は過去にすがる。

いままでいけてない人は、

将来のオレを見てろとうそぶく。

いまが大成功していれば、

正解と思えるかもしれない。

だが、この先、それが失敗の要因になることもある。

つまり、人生の答えは難しい。

ひとついえるのは、いまの現実は嘘ではない。

だとしたら、人生の正解など求めない。

いま目の前にあることに全力を尽くす。

いま目の前にあることを楽しむ。

その繰り返しでいいのではないだろうか。

人生の答えを出すなんて、

大きなテーマは人生が終わった時、

誰かにしてもらえばいい。

きっと、人生の答えあわせは自分ではできないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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距離を縮めた先にある

(今日のコトバ)

 

待ってるだけでは、近づけないよ。

 

 

大きかったり、怖かったり、

もしかすると恋してしまったり、、、、。

こちら側が躊躇する気持ちがあると、

距離をおいてしまうことがある。

足が止まってしまう。

心も止まってしまう。

ヘタをすれば遠ざかることもある。

ただ、コミュニケーションをとらなければ

ならない場合、

待っていたり、後ずさりしてはダメだ。

とにかく距離を縮める。

なんとかして縮める。

できれば、懐に飛び込む気持ちをもってのぞむ。

初めは、ビビッてしまうかもしれないが、

距離は縮めてしまうと、意外と打ち解けることもある。

相手も距離を感じていたから、

怖い顔をしていた場合もある。

また、距離が近づけば慣れることもある。

嫌いな人もそう。

距離を縮める。懐に飛び込んでみる。

そこから相手の見方、相手の人物像も変わる。

とにかく距離を縮める。

コミュニケーションは距離を縮めた先にあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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正体の証明

(今日のコトバ)

 

自分の正体は、生きるということだ。

 

 

 

正体って何だろう。

どこまでいっても明かせないもの。

どこまでいっても見えないもの。

もしかすると、自分でもわからないものかもしれない。

ただ、自分のまわりの人は、

名前というアイデンティティを中心に

「そういう人」だと思って認知する。

いい人、わるい人、

不動心、優柔不断、面白い、つまらない、

汚い、きれい、いろいろな分け方をする。

だが、それは正体ではない。

表面的な場合もあるし、一面的な場合もある。

だとすれば、正体は何か。

答えはでないけれど、

生き続けることではないだろうか。

生きることに対して、

どう対応するかが正体の証明。

生きる。感じたまま生きる。

その生きている自分を見てもらう。

それが自分の正体。もっといえば、

正体の証明なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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グッドタイミングの人

(今日のコトバ)

 

運は、ちょうどいい人に持っていかれる。

 

 

 

バランス感覚とか、勘の良さとか、

時に調子の良さも含めて、

速すぎず、遅すぎず、

グッドタイミングを知っている人がいる。

そういう人が、だいたい運というか、

機をとらえている。

特に、尖がっているでもなく、

鋭いわけでもなく、

思慮深いわけでもない。

しいていえば、ちょうどいいのはどこか

わかっている人。

ただ、よくよくそういう人を観察していると、

やっぱり状況判断を大切にしている。

機をとらえようとしている。

もしかすると、

平凡な人、普通の人なのかもしれない。

頭の中が頭脳明晰かわからないが、

特段、達人感はない。

だが、だからこそ機を見ることにたけている。

人はいろいろな生き方があっていい。

ただ、自分が平凡な人間だと思ったら、

その平凡な力で状況を見る。

案外、状況分析には

優れた才能を持っているかもしれない。

幸運をとらえる才能を持っているかもしれない。

もし、その才能があれば、

人生は多くのチャンスに恵まれる。

素晴らしい生き方ができるかもしれないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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二人なら、できる

(今日のコトバ)

 

 

ふたりなら、無敵。

 

 

何かの目標を達成したり、

一番の発想力を発揮するのは二人が

最小ユニットだとテレビで見た記憶がある。

たしかに、一人で初めても、

一人だけではどうにもならないことがある。

二人になれば解決するといった場面が

多々あった気もする。

もっというと、二人ならいいが、

これが五人、十人に増えていくと、

まとまらなくなって、

結果、よくないことになったり、

つまらないことになったりすることもある。

人数がいればいいというわけではない。

ただ、コンプライアンスが問われる社会。

やたらリスクヘッジなのか、

人数をかけて対応するケースが増えている。

もちろん、たくさんの眼があれば、

いろいろな危険性を未然に防ぐ可能性はアップする。

ただ、発想のような創造、想像の領域になると、

大勢の人がかかわると、

全員で引き算を初めてしまうこともある。

結局、一人、二人で考えていたことが、

一番よかったりする。

大勢が悪いというわけではないが、

どれだけの人数をかければいいか、

最高最小ユニットはどのぐらいかというと、

二人という答えが出てくる。

そういう考え方で自分のプロジェクトを

もう一度見直してみよう。

無駄なこと、自分たちで引き算ばかりしていることが

たくさんあることに気づくかもしれない。

二人でできることがあまりにも大きいことに

気づくはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

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あたたかい言葉を贈ろう

(今日のコトバ)

 

おなじ言葉なら、あたためて届けてあげよう。

 

 

寒い日が続いている。

少し長い時間を歩くと、

体がしんしんと冷えてくる。

あたたまりたい。

体も、心も。

体は暖房であたためることができる。

では、心はどうだろう。

心をあたためるにはいろいろあるが、

まずは、あたたかい言葉が心に届くことが

いちばん嬉しい。

褒めてもらうこと。感謝されること。

そして、愛を告白されること等。

何気ない一言も、時と場合によっては

心をあたためることはできる。

そう考えると言葉のできることは、

たくさんある。

いま、何かを伝えなければならない人がいるなら、

言葉をギフトにして届けよう。

何も難しいことではない。

ちょっと気を使って、

相手を意識してあげて、丁寧に、優しく。

それだけでいい。

せっかく言葉を届けるなら、

あたためた言葉を届けよう。

 

 

 

 

 

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不良品だから面白い

(今日のコトバ)

 

不良品をちょっと着飾らせて世の中で売る。

その不良品を人間という。

 

 

 

完璧な人間に出会ったことがない。

何が完璧かという定義の問題はあるが、

すべて整った人間に出会ったことがない。

学習能力は優れていても、勘がものすごく悪い。

容姿はいいのだが、性格的に問題がある。

面白い人間なのだが、場の空気は読めない等々。

製品にしたら、きっと、みな不良品だ。

その人間が社会を牛耳っている。

何かが足らない。何かが多すぎる。

何かが軽い。何かが重い。

何かが強い。何かが弱い。

ウィークポイントをかかえながら人間は生きている。

ただ、人間は不良品だから魅力があるともいえる。

そのウイークポイントが魅力になることもある。

そのウィークポイントが

ストロングポイントになることもある。

人間が人間社会で生きる以上、

そこを見極めなければもったいない。

すべてが人間の魅力になりうるのだ。

そして、そのウイークポイントを持った

不良品だから人間の社会が面白いことも

忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

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魂を譲らない

(今日のコトバ)

 

大事に持っているものは何だ?

そいつを渡してしまうと一大事になる。

 

 

 

自分のこだわりとか、自分の譲れないものとか、

どうしてもそれだけは大事にしたいもの。

人にはひとつやふたつあるはずだ。

それを簡単に渡してしまうと、

取り返しのつかないことにつながる。

長く大切にしたもの。愛し続けたもの。

癖。習得したもの。

保管しているものだけでなく、

自分の中で大事にしているもの。

実は、大事なものの中には、

自分の魂が宿っている。

つまり、それを渡してしまうと

魂を売り渡してしまうと同じになる。

だから、時に自問自答する。

これは大事なものなのか。

そうでないものなのか。

そして、譲れないほど大事なものは、

絶対に自分から離さない。

それは、自分を離さない。

自分の魂を離さないということと

同じことだということを忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

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チャンスは戦う場所に

(今日のコトバ)

 

戦うことは、チャンスをつくり出すことだ。

 

 

 

意味もなく戦うことは好きになれないけど、

戦いのあるところにチャンスはある。

入札、競合、試合、試験、、、、、。

そこで勝つすることによって、

チャンスは広がるし、新しい世界が開ける。

自分にいま、チャンスがない、チャンスが少ないと

思っている人がいるなら、

戦いのある場所へ自分もエントリーすること。

戦いとは戦争を意味するものではない。

資本主義の社会なら、戦い競って、

手にするものばかりだ。

何も行動を起こさなくて手に入れるものはない。

だから、社会は戦いの場をたくさん提供している。

勝ち残れば、人生にいろいろな

オプションがついてくる。

新しい世界への扉を開くことも可能だ。

まずはその場にエントリーすること。

戦ってみて自分の能力、

自分の向き不向きがわかることもある。

成長するために必要なことが

戦いの場所にはセットで組み込まれている。

一言で頑張れといわれてもわからなかったことが、

どう頑張ればいいかわかるようになることもある。

とにかく、戦う場所にエントリーする。

そこから始める。

人生を変えるキッカケをつくるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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