耳の痛い話を聞け

 

(今日のコトバ)

 

 

耳が痛い話をするガイドに、

人生の道案内をさせなさい。

 

 

 

 

自分にとって

耳の痛い話をする人がいる。

その瞬間は、

腹が立ち頭にくる。

「何いっているんだ」と思うことも多い。

だが、時間が経って振り返ってみると、

「なかなか的を得たこといっていた」と

思うようになる。

むしろ、腹が立ったのは、

正しいことストレートにいわれたから

だったりする。

ほとんどの人は

人間関係を壊さないように、

あたりさわりのないことしかいわない。

仲が良くなると、

その気持ちがより大きくなる。

仮に間違った方向に進んでも、

何もいわないことも多くなる。

そんな中で、

耳の痛いことをいっくれる

存在は、貴重でありがたい。

付き合い方、いい方はある。

だが、それでも本人にとって、

グサッと耳の痛い言葉を

伝えてくる人は、

遠ざかるより

近くにいてもらった方がいい。

必ずどこかに自分にとって

戒めになることをいっている。

生きていく上で、

大切なアドバイザーだと思えば、

こちらも素直に話を聞ける。

人生には様々な道が用意されている。

楽で優しそうな道を知らず知らずのうちに

選んでしまう時、

「そっちの道は間違っている」と

いってくれる人がいることは、

自分を危ない道から遠ざけるためにも

必要なのだ。

過去を超える現在

 

(今日のコトバ)

 

今日の1時間は、

昨日の24時間より

価値を生むことがある。

 

 

 

 

どんなに素晴らしい

パフォーマンスをしても、

昨日になってしまえば、

もうそれ以上のものに

することはできない。

過去になってしまったものを、

「あの時は、凄かった」と

振り返ることはできても、

それは過去のこと。

現在進行形ではない。

もっというと、

現在なら

過去を超えるパフォーマンスが

できるかもしれない。

過去の経験が土台になり、

現在はその上のものを

つくり上げられるはずだ。

過去を超えられる現在。

そう考えると、

現在に生きるということは、

大きく成長できるということ。

「もっと成長したい」と

思ったら、

過去に引きずられずに、

現在を大切にする。

現在のパフォーマンスは、

人生のスキルを懸けて発揮できる。

現在を全力で生きるのだ。

才能を使いきる人生を

 

(今日のコトバ)

読むばかりでなく、書け。

聴くばかりでなく、歌え。

観るばかりでなく、描け。

才能は発揮しなければ、

すぐに全盛期は過ぎてしまう。

 

 

 

「才能があるない」というけれど。

やっぱり個々人によって、

才能の違いはあるし、

才能の旬もある。

「昔はすごかったんだよな、あいつ」

「若い時は天才だったのに、、、」

「ちゃんとやっていれば今頃彼は、、、」等々。

旬を逃した時にいわれる言葉がある。

そんな言葉をいわれる人たちに

共通していえるのは、

持って生まれた才能は凄いのに、

磨くことを怠り

たいしたことなく人生を

過ごしているということ。

才能の片鱗を見せた瞬間、

切磋琢磨していけば、

才能を武器にして違う景色を

見る人生があった。

そう思う人が自分のまわりにも

必ずいると思う。

もったいない。

ほんとうにもったいない人生だと思う。

才能があるのに、

その才能を使いきらない人生。

もちろん、才能を使いきらないでも

幸せな人生はある。

才能を使ったからこそ、

しんどい人生になることもある。

ただ、人生を振り返った時、

「もっといい人生があったはずだ」と

後悔するのは、

もったいないし、

寂しいことでもある。

人生は短い。

人生は一度きり。

自分の思い通りに生きていける方が

絶対に有意義だ。

自分の能力の高いもので

生きていけたら、

きっと、満足できる領域が広がる。

だからこそ、才能を磨いて生きることは

大切なのだ。

 

ベストの言葉遣いで伝えよう

 

(今日のコトバ)

 

コトバ遣いに、

ココロ遣いも、

すこしだけ。

 

 

 

言葉遣いを意識する。

日頃、知らず知らすのうちに

やっていることではある。

目上の人には敬語を使うように、

日本人は意識して

言葉を使てっいる気がする。

ただ、すべての人が

自分の思い通り機能しているかというと、

そうでもない気がする。

「自分はこう伝えたい」

「自分はこう思われたい」

「自分はこうしてほしい」と思った時、

スムーズに言葉が届かない時が

よく見受けられる。

では、スムーズに言葉を届けるには、

どうするべきか。

それには、ちょっとしたことだが、

言葉遣いに

気をつければいいのではないかと思う。

「美しい言葉を伝えれば、

美しい言葉が返ってくる」

「優しい言葉を伝えれば、

優しい言葉が返ってくる」

もちろん、

「汚い言葉を伝えれば、

汚い言葉が返ってくる」

言葉とは、伝えた感情で変わるもの。

どうしてほしいかを考えて、

ベストの言葉遣いをする。

まずは、そこからはじめるべきだ。

 

ステキなことは、一人占めできない

 

(今日のコトバ)

 

「幸せ」は

一人歩きしたがるけど、

しっかり手をつないでいないと、

どこかでころんで離れていってしまう。

 

 

 

ステキなことに

一人占めは似合わない。

もっというと、

一人占めすると、

離れたり、

壊れたり、

消えたりする。

その最たるものが「幸せ」

「幸せ」を一人占めしようとしても、

分かち合う誰かがいないと、

「幸せ」にはなれない。

一人で「幸せ」にはなれないのだ。

夢や希望などのステキなことも同じ。

はじめは一人で願いはじめても、

ほんとうに叶える時は、

決して一人で叶えてはいない。

つまり、ステキなことはすべて

一人占めはできないのだ。

そう考えると、

「幸せ」になりたいと思った時、

自分だけでなく誰が「幸せ」に

なるかを想像して行動すると、

「幸せ」になる可能性が高まるともいえる。

そのことを、

「幸せ」を含めたステキなことは

教えてくれているのだ。

 

努力は、少しのろまだが着実に前進している

 

(今日のコトバ)

 

努力はあらゆる力のうちで

いちばん鈍足だが、

一度も振り向くことなく

前進していく。

 

 

 

いろいろな力のうちで、

いちばん成果がゆっくりあらわれるのが、

「努力」のような気がする。

一日や一カ月では何も変わらないような

気がすることも多い。

力がついているのか

疑問に思うこともある。

しんどくなると、

「努力」を止めてしまいたくなることもある。

だが、「努力」をしている間は、

決して後退していない。

たった1mmかもしれないが、

ミクロの世界かもしれないが、

着実に成長している。

自分が成果を感じるまで

至っていないだけなのだ。

その「努力」の着実性を見逃してしまうと、

あせってしまうことも多い。

あきらめてしまうことも多い。

だからこそ、

「努力」をおろそかにしてはいけない。

「努力」が少しずつ少しずつ

進んでいることを信じる。

「努力」は着実に歩みを進めていることを

信じるのだ。

自分の心の中でこうつぶけばいい。

「成果が少し遅くなる傾向にあるだけだ」と。

いま、何かの目標を設定したら、

誰に何をいわれても、

「努力」を続けていこう。

「努力」している間は

間違いなく前進している。

成果が少しのろまなだけ。

「努力」を信じて生きていけばいいのだ。

夢からの特別ギフト

 

(今日のコトバ)

 

奇跡は、夢の配当だ。

 

 

 

人生で何度か奇跡と呼べる状況に遭遇する。

想像を超えた成功を手に入れる。

ジャイアントキリングのような

勝利をものにする。

まったく信じられないほど

素晴らしい事が起こる等、、、、。

期待はするが、

計算して起こるものではない。

自分の夢の延長線で突然、

自分が体験する。

それは、自分の計画に組みこむことでは

ないのかもしれない。

だが、どこかに奇跡を期待する気持ちは

残ってしまう。

もし、そうなら奇跡が起こるように、

できる限り努力する。

ちょっとやそっとではない。

ほんとうに命懸けになるかもしれない。

ただ、挑戦してみる価値はある。

歴史的にみても、

奇跡を何度も起こしている人物はいる。

そこまで行けるかわからないが、

挑戦はあきらめない。

そこに、夢から特別なギフトが贈られる。

それが奇跡なのだ。

一緒に失敗してくれる人が必要

 

(今日のコトバ)

 

ともに転ぶ。

ともに負ける。

ともに失敗する。

「ともに」であれば何も怖くない。

 

 

 

一緒に行動してくれる人がいる。

それが、いい結果でなくても、

否、いい結果ではないから

絆が深まることが多い。

一緒に転んだ記憶。

一緒に負けた記憶。

一緒に失敗した記憶。

その記憶を

積み重ねれば重ねるほど、

気持ちと気持ちの絆は深まっていく。

もちろん、成功体験を

積み重ねていくことで、

絆が深まることもある。

ただ、成功体験より

上手くいかなかったことで、

絆は深く結びついていくような気がする。

負けたり、

失敗したりの体験は、

かっこつける必要ない関係になれる。

成功していると、

どこかにポーズをつくる自分がいる。

仮に、その後、負けたり、

失敗したりすると、

違う人間関係になって、

絆がとぎれることもある。

だからこそ、一緒に

上手くいかなかった体験は大切。

上手くいかなかった体験が

素直な関係を築ける。

人生で一緒に失敗できる人をつくろう。

 

自分の意見は、はっきり伝えよう

 

(今日のコトバ)

 

誰かの声に相乗りするのではなく、

自分の声は自分で届けよう。

 

 

 

人の意見にのる。

自分でも正しいと思っているのなら、

それもいい。

だが、自分の意見は反対の意見。

あるいは少数派の意見の時、

はっきり意見を主張しているだろうか。

どうしても譲れない意見がある時、

その意見を主張しているだろうか。

意外に、人の意見に流されて、

自分の意見を明快にしないことが

誰にでもあるだろう。だが、

「自分の意見をいっておけば良かった」と

後々後悔することがある。

その後悔が一番不快感になる。

はっきりと自分意見を、

声を、伝えなかった不快感。

その不快感は、

長く引きずる。

そんなことがないように、

自分が正しいと思った意見は

少数派であっても伝える。

伝えないで不快感を

ためることのない人生を

生きる。

自分の意見は、自分の声は、

自分ではっきり伝えることが

不快感を無くす生き方につながるのだ。

数字を冷静に受け止める

 

(今日のコトバ)

 

数字は事実ばかり突きつけるから、

嫌われ者になる時がある。

 

 

 

数字ほど冷酷なものはないと思う。

1円でも足りなければ

予算達成ではないし、

1秒でも過ぎてしまえば、

記録は更新されない。

たかが1という数字が、

その後の人生を

大きく変えてしまうこともある。

0においてもそう。

結果が0であると、

人は評価されない。

0点はお話しにならない

ということにもなる。

もちろん、100点満点のように、

達成感、高揚感のある数字もあるが、

社会に出ると、

数字には痛い目にあった

記憶の方が多い。

ただ、数字ほど事実と直結している

情報もない。

嫌おうが、好きであろうが、

事実は事実。

冷たく事実を語っている。

もっといえば、

正しく事実を語っているともいえる。

その数字という事実を

自分も冷静に受け止める。

一喜一憂するのではなく、

あくまでも冷静に受け止めて、

次の行動の指針にする。

その気持ちが大切なのだ。