変化のために人を変える

 

(今日のコトバ)

 

手を変え、品を変えても、

人を変えなければ、何も変わらない。

 

 

 

いろいろ策を巡らす。

知恵をしぼって考える。

あれやこれやトライする。

ただ、同じ人間が生み出すものは、

まわりから見て

想定外にならないケースが多い。

ある程度、その人間を知っていれば、

その人間の発想は想定の範疇にある。

手を変え、品を変えて、

トライさせても、想定内のものになる。

それがオリジナルで、

それが匠だというこもできる。

だが、まったく違うものを求めた時、

同じ人間に要求するのは酷だ。

その違ったテーマに向かうために

新しい人間に発想してもらう方が

変わったものができるはず。

そう思うと、

解決できない問題を同じ人間だけで、

頭をかかえているより、

新しい人間を入れて考えてみることは

有効な手段になる。

もちろん、いつもの人間だダメだというのではない。

何かを変えなければいけない時は、

人間を変えてみる。

それが変化に対応する一つの方法だ。

 

自分のための、いま

 

 

(今日のコトバ)

 

ここで、ちゃんと生きていることを証明しないで、

どこで、ちゃんと生きていることを証明するんだ。

 

 

 

 

過去がどうあれ、

未来がどうあれ、

いま、ここでできることが、

自分という人間の証明だ。

「昔、オレは凄かったんだ」という

武勇伝もどきを語る者がいれば、

「この先、オレは凄いことをする」という

夢物語もどきを語る者もいる。

だが、過去も、未来も、いまではない。

ほんとうに過去が凄くても、

いま結果がでなければ、

「ここで、その力を証明してみろ」と

思われる。

素晴らしい未来像をもっていても、

「ここで、その力を証明してみろ」と

思われる。

だからこそ、

過去を大切にしたければ、

過去の財産を使った上で、いまを頑張る。

未来を大切にしたければ、

未来の構想を描いた上で、いまを頑張る。

いまを大事にすることが、

過去も、未来も、大切にすることになり、

肝心の自分を大切にすることになる。

自分のための、いまなのだ。

情熱という熱が生まれる場所

 

(今日のコトバ)

 

熱なきところで、人は育たない。

 

 

 

人が育つ時とはどんな時だろう。

いろいろ考えてみると、

いちばん早く人が育つのは

現場教育だと思う。

いい現場、わるい現場、

いい先輩、わるい先輩、

トレーナーがいる、トレーナーがいないなど、

ケースバイケースだが、

それでも現場がいちばん早く人が育つ。

もちろん、技術を持った人、

教えることに長けた人、

ライバルの存在等、

様々な要因がある。

ただ、大切なポイントは、

現場には熱があるということ。

そこでしか発せられない熱量に

体験できることがポイントになるのだと思う。

教えるための熱。伝えるための熱。

競うための熱。

そして、いちばん大切な解決するための熱。

どこにでも熱が発散されている。

人は、その熱に集まって、

自分の熱にも火をつける。

情熱といい換えてもいい。

だからこそ、現場が大事。

自分がもし成長したいなら、

現場に出て貪欲に体験する。

それこそが最高の教育なのだ。

 

はじめの一歩が人生を変える

 

 

(今日のコトバ)

 

はじめの一歩は、

それ以後のどの一歩より歩幅が大きい。

 

 

 

とにかく、はじめる。

一歩を踏み出す。

そこがいちばん労力を使う。

準備もあるだろう。

勉強も必要かもしれない。

はじめるためには、

気持ちを盛り上げることも

労力を使う作業だ。

その後に使う労力の何倍もの力を

使って自分を起動しなければならない。

もっというと、起動してしまえば、

後は何とかなることもたくさんある。

だからこそ、

はじめの一歩、スタートは大切。

俗にフットワークのいい人は、

わりに何でもうまくいく。

それは、はじめの一歩を踏み出すことが早く、

最初の壁を越えてしまうのが

早いからかもしれない。

もし、いま何かに

躊躇していることがあるなら、

とにかく一歩踏み出してみよう。

それから判断しても遅くない。

そして、一歩を踏み出せば、

できるか、できないかの判断もつく。

意外にできそうなことが多いのもわかる。

まずは一歩踏み出すのだ。

 

 

 

 

 

人の評価は様々

 

 

(今日のコトバ)

 

高さで競わなくてもいい。

長さで競ってもいい。

そして、深さで競ってもいいのだ。

 

 

 

業績を評価されるのは、

人生においていちばん嬉しいことの

ひとつだ。

記録として、記憶として、

人に評価される。

その評価が自分の矜持の源になる。

ただこの業績、

数字の高さだけが判断の基準ではなく、

優れた結果だけがすべてではない。

たとえば、あるポジションの業績を

何十年に渡って同じように記録し続ける。

職人のように、誰もが簡単にできないことを

きっちりと仕事し続ける。

それも、素晴らしい評価だ。

また、その道のスペシャリストになって、

深い知識で仕事を着実にすることも、

大きな評価だ。

高さだけでなく、

長さだけでも、深さでもいい。

人の評価基準はいろいろある。

自分にどれが向いているか。

向いてるもので勝負することが大切だ。

嘘は変貌していく

 

 

 

(今日のコトバ)

 

嘘は、遠くに行くほど

真実の顔をするのがうまくなる。

 

 

 

誰かが、どこかでついた嘘が、

人に伝わって、伝わって、伝わって、

さも真実のような話になることがある。

確信犯としての嘘の場合もあれば、

間違った情報をいいかげんに伝えた嘘が

人に伝播することもある。

特に、面白い嘘だと、

尾ひれがついて、より面白い嘘になる。

そもそもは、伝えた相手だけについた嘘が

まったく知らない人まで伝わって、

知らない人は、

ほぼ真実として理解することもある。

嘘の怖さが、そこにある。

知らなくていい人までに伝わってまう。

それも真実として。

そして、大ごとになると、

必ず嘘の正体がばれる。

そうなると、嘘の犯人捜しが始まる。

誰がこの嘘をついたのか?

突き止められた人は、

嘘つきとして評判を落とす。

まわりにも嘘つきとして、

認知されてしまう。

そう考えると、ひとつの嘘も怖くなる。

もちろん、

どうでもいい冗談のような話なら、

コミュニケーションの潤滑油になるし、

相手を傷つけないための嘘もあるだろう。

ただ、真剣な場で、仕事の場で、

ファクトが大切な時、

嘘をついてしまうと、

それからの評判は最悪になる。

あいつは嘘をつく人間だといわれた瞬間、

信頼はされなくなる。

大切な場面での話には、

参加できなくなることもある。

だからこそ、嘘をついてはいけない。

正確にいうと、人生の大切な場面では、

嘘をついてはいけない。

必ず嘘はばれて、

相手を不愉快にする。

それ以上に自分の評判を落とす。

そのこと忘れてはいけない。

 

 

後味のいい人

 

(今日のコトバ)

 

人間味も、後味よく。

 

 

 

信頼できる関係を築ける。

この仲の良さを続けていきたい。

そう思わせる人は、

どこかに人間的魅力がある。

どこかは人それぞれ。

頼もしいと思う人もいるし、

愛しいと思う人もいるし、

面白いと思う人もいるだろう。

ただ、そのすべての人に共通するのは、

会った時に、

いい気持ちにしてくれる人のような気がする。

もう一度会いたい。

なんとなく気になる。

できれば、一緒にいたい等、、、。

言葉として適切かわからないが、

人間味として、後味のいい人。

そんな人がまわりにいると、

人生は楽しくなる。

生きることがポジティブになる。

だとしたら、

そういう人がまわりにいる環境をつくればいい。

自分の基準で、自分の判断で、

後味のいい人と付き合う。

もちろん、自分にとって、

嫌な気持ちにさせる人が

人生に大切なこともある。

だが、少なくても、

普通に生きる毎日には、

できるだけ後味のいい人と付き合う。

精神衛生上にいい生き方の

基本のような気がしてならない。

 

 

 

誰でもない自分というオリジナル

 

 

(今日のコトバ)

 

生み出したものは、一生、自分のものである。

 

 

 

大切なのは、「自分で」ということ。

自分で生み出したもの、

自分でつくったもの、

すべて自分のもの。

メイド・イン・ジブンである。

もちろん、自己責任も背負うから、

自分という看板も重くなる。

ただ、自分で生み出した、

自分でつくったといえるものは、

一生、ついてまわる。

傑作を生み出せば、

傑作の制作者として生きていける。

反対の可能性がないわけではないが、

とにかく、オリジナルであり、

誰に気兼ねすることもない自分のものだ。

この自分のものをもっていることほど、

強いものはない。

自分の看板になるし、

自分のアイデンティティにもなる。

誰でもない自分というオリジナルを

世の中に発信できる。

だからこそ、自分で生み出したものを

大切にしたい。

生み出したものが、

自分の人生もつくり上げていく。

優れたものをつくれば、

自分の人生も輝き出すはずだ。

 

一生一度の大事業

 

(今日のコトバ)

 

どうせ一生一度なら、

おとぎ話を建設的な話に変えてやろう。

 

 

 

人は、一度きりの人生を生きる。

誰もない自分という名前を持って、

人生を生きる。

長いかもしれない。

短いかもしれない。

だが、人生は一度きり。

自分という人間を生きるのも一度きり。

そう考えると、

やりたいことをやってしまう人生の方が、

すべてをガマンする人生より楽しいと思う。

ガマンばかりではないが、

人生をほぼガイドライン通り、

マニュアル通りで生きているなら、

どこかで、アクセルを踏んで、

人生の勝負に出てみてもいいのではないか。

夢や理想、もっといえばおとぎ話と思えるようなことに

果敢にチャレンジしていいと思うのだ。

やらなかった後悔という言葉を訊く。

人生において、

なんでもかんでもやれないことはわかっている。

ただ、「この夢だけは、どうしても叶えたい」

そう思う夢は絶対あるはずだ。

その夢は、チャレンジする。

後悔のないようにチャレンジしてみる。

困難な状況であっても、

あらゆる角度から何度でも試みる。

何も無謀に、無計画にチャレンジするのではない。

叶えたい夢ほど、

着実に、建設的に築いていく。

一生一度の大事業なのだから、

簡単に結果が出なくていい。

ただし、少しずつでも前進していく。

人生に、そんな夢をもって生きていいと思う。

まちがいを矯正する人生

 

 

(今日のコトバ)

 

まちがいだらけの毎日でも、

まちがいない人生にできるのが、

人間の才能。

 

 

人は、あらゆる場面で

ミスを犯している。

小さなもの、大きなものを数えれば、

膨大な数になる。

また、傷つくまちがい、

傷つかないまちがい、

覚えているまちがえ、

覚えていないまちがい等、、、。

まちがいに対する自分の気持ちも、

いろいろある。

ただ、そのまちがいをたくさん犯しても、

人生としてはまちがいではない、

ちゃんと立派に生きている。

それが人間であり、

生きていく才能。

自分を振り返ってみるといい。

相当なまちがいをしている。

だけど、自分のポジションを築き生きている。

ほとんどの人が社会のルールを守り、

自分の人生を確立している。

そう考えると、

まちがいが人生を

わるい方いかないように、

警告を与えてくれているともいえる。

だから、まちがいは人生にとって、

必要不可欠なもの。

そこで、人生を矯正できれば、

人生はうまくいく。

忘れてはいけない。