射程距離に目標がある

 

(今日のコトバ)

 

もっとの力が湧く標的を持て。

 

 

 

どうしても勝ちたい。

どうしても超えたい。

そんな敵がいると、力が湧いてくる。

無限の力が湧いてくるような気がする時さえある。

それは、ひとえに標的となる敵が現れたということ。

さらにいえば、自分の力を最大限に発揮すれば、

勝てる、超えられると思える敵が現れたということ。

これが、「まったく勝てないけど勝ちたい」とか、

「できれば超えたいぐらい」だと、

無限の力は湧いてこない。

つまり、敵が射程距離にいる場合、

人の力は最大になる。

目標設定として、最高の設定ができるのだ。

いま、自分の力が湧いてこないと思っている人は、

自分の射程距離に入る敵を見つけよう。

その距離を埋めようとする時、

人は最大の力が湧く。

人は、目標が標的になった時、

途轍もない力を発揮する生き物なのだ。

目標を持って進化する

 

(今日のコトバ)

 

目標を設定した場所と、

目標を達成した場所の間で、

人間は進化する。

 

 

 

 

人は、目標を見つけて行動する。

日常の中にある小さな目標もあれば、

非日常といってもいい壮大な目標もある。

それらの様々な目標があるから、

生きていけるといえる。

まったく目標のない自分を想像すると、

とても怖いことになる。

生きる価値すらないような気がする。

反対に、目標を設定すれば、

人生の方向性を決めることができる。

人生の方向性が頭に構築できれば、

後は、目標達成に向けて行動すればいい。

進化は、もうそこから始まっている。

目に見えること、

目に見えないことはあるけれど、

あきらかに進化している。

そう考えると、

目標は人生にとっていいものだ。

目標がなければ、

どうにもならないただの生き物が、

目標を持つだけで、

進化の過程にシフトできる。

目標に向かってスタートすれば、

そこからは前進あるのみ。

知らず知らずのうちに、

進化していくはずだ。

 

基礎の上に、努力

 

 

(今日のコトバ)

 

光りがあたらない季節は、

光り方を覚える季節なんだ。

 

 

 

誰にでも修行期間はある。

はじめからキャリアのある人と同じ能力を

発揮できるわけではない。

才能があっても、将来性豊かでも、

基礎といわれる技を身に着けるまで

時間はかかる。

言葉ではわかっている。

だが、この基礎を身に着ける期間が、

人の能力を開花させるか、

させないかの大きな分岐点になる。

ガマンできなくてあきらてしまえば、それまで。

才能的には劣っても、

ガマン強く基礎を習得すると、

その後、大輪の花を咲かせることもある。

圧倒的な才能で、

教えなくてもできてしまう人もいる。

一度教えると、すぐにできてしまう人もいる。

ただ、才能だけでクリアできるのは、

意外に少ない。

そこから自分の伸びしろを最大限に発揮するには、

基礎の上に、どれだけ自分を磨き続けるかが勝負になる。

才能は使わなければ、それまでだが、

努力は無限にできる。

いい方を変えれば、

努力できれば、どこまでも磨くことができる。

人生には、自分を輝かせるために

いろいろな方法がある。

その中で、本気で自分を輝かせたいものが

見つかったなら、

努力をどこまで続けられるかを

自問自答してみるといい。

どん困難があっても、努力を続られるという

気持ちになったら、

それが自分の得意分野になる。

そこを懸命に磨き続けることが

人生を有意義にする方法だ。

 

 

 

 

ガマンが未来を舗装する

 

 

(今日のコトバ)

 

ガマンすることは、人生をまとめること。

 

 

 

 

生きていく様々な場面で、

人はガマンをしいられる。

ちょっとガマンしてすむものと、

じっと長くガマンし続けなければ

ならないものとがある。

ただ、どんなガマンも、

人生がより良くなるように、

もっというと、散らからないように、

まとめているものといえる。

ガマンすることをやめてしまうと、

人生はどうなるかわからない。

わるい方へ向かう公算が高い。

そう思うと、人はガマンする。

このガマンという機能があるから、

それこそ人生が丸く収まっているともいえる。

もちろん、ガマンは楽なものではないから、

自分に負担をかけることも多い。

だが、このガマンがするからこそ、

人生というデコボコの未来を

舗装して生きてこれたのだ。

だからこそ、人生においてガマンは大切。

どこかで息を抜くことも忘れずに、

ガマンすることを覚えておく。

人生をいい道に舗装するために

必要なことだ。

 

記憶は、人生最高の相棒になる

 

(今日のコトバ)

 

時間は、止まることを教えられず生きる疾走者。

記憶だけが時間を止めて、歴史に変えていく。

 

 

 

日々、生きていると、

時間は止められない速さで

過ぎていく。

年齢を重ねれば重なるほど、

その速さが増しているようにも思う。

本当は、一秒、一分、一時間という同じ速さを

続けて進んでいるだけなのに、

感じる速さは、まったく違って感じる。

年齢だけでなく、

楽しい時間は短く感じられるし、

苦しい時間は長く感じられる。

同じ速さで時間を刻んでいても、

人が体感すると、違った長さになった気がするのだ。

そう思うと、

自分の中で信じられるものは何だろう。

それは、それまでに築いてきた自分の歴史。

自分が、人々が納得する

記憶という歴史しかないだろうと思う。

時間は、振り向かず走り過ぎていってしまう。

そこで自分のより所になるのは、

記憶という歴史。

記憶こそが、

この先の人生のペースメーカーになる。

記憶は、人生最高の相棒になるのだ。

 

ルールと行動

 

(今日のコトバ)

 

規則違反するバカがいるから、

もっと重い規則をつくられてしまうのだ。

 

 

 

どこにでも最低限のルールがある。

たぶん、はじめはたいたことのなかったルール。

言葉にすると、ゆるいルールだったような気がする。

誰もが遵守でき、罪にならない最低限のルール。

だが、一度このルールを破ってしまうと、

お上から、それ以上の重いルールがつくられてしまう。

より面倒臭く、より厳密なルールをつくられてしまう。

最低限のルールを守っていれば、

ある程度の自由も許され、

ほぼ快適に過ごせたはずだ。

その自由、その快適を、捨てることになるのが、

ルールを破るということ。

それも、場合によっては、

たった一人のバカ者のせいで、

ルールを変えられてしまうこともある。

そして、ネット社会になって、

情報過多の時代になって、

神経質にルールをつくりたがるのことが、

加速度的に広がっている。

特に、企業はコンプライアンスの名を借りて、

大きな顔でルールをづくりをする。

どんどん息苦しくなっていく。

若い人は、ある程度、コンプライアンスを

はじめから教育されているから、

順応できるかもしれないが、

もっと厳しくなれば、

人々すべてを息苦していく。

その時、人が伸び伸び生きていけるだろうか。

とても疑問に思う。

一人ひとりの人間が、

ルールとどう向き合うか、

しっかり考えて行動すべき時代のような気がする。

軌跡を途絶えさせない

 

(今日のコトバ)

 

夢の架け橋は、奇跡でつくられていない。

軌跡でつくられているのだ。

 

 

 

自分には、自分の偉業がある。

夢と呼ばれる人生の目標を達成すれば、

自分の中では偉業になる。

その人の人生、その人の生きるサイズによって、

達成までの困難さは違う。

ただ、一ついえることは、

その偉業を達成するための道程で、

奇跡はほぼ起こらない。

もちろん、一つや二つの奇跡と呼ばれる

想定外の凄いことが起こることはある。

だが、それを期待していても、

結果はついてこない。

それより確実なのは、

コツコツと一つ一つの課題を解決して

前へ進むこと。

着実に軌跡をつくり続けること。

軌跡が途絶えず続いていけば、

それが偉業を達成する道になる。

奇跡を願うのではなく、

軌跡をつくり続ける。

それこそが人生の夢という偉業を達成する

いちばんの近道なのだ。

 

 

生き抜く最低限の能力

 

(今日のコトバ)

 

生き抜く技を持っていない人から、

危ない場所へ走っていく。

 

 

 

人は、様々な技を身に着けて

人生という大河を生き抜いていく。

誰でもできるようなことから、

自分にしかできないことまで多岐な技がある。

誰にでもできるようなことと書いたが、

この誰にでもも、個人差がある。

例えば、スマホの操作ですら、

世代によって誰にでもが違ってくる。

ただ、問題は生きる上で大切な技を

身に着けているかということ。

できなければいけないことが、

できているかということ。

できないで生きていると、どんどん人からはぐれていく。

はぐれていくと、

そこには、はぐれ者専門の業者がいて、

はぐれ者に仕事を提供する。

犯罪という名の仕事を発注するのだ。

そこに手を出してしまうと、

取返しのつかないことになる。

では、どう生きればいいのか。

難しいことではない。

正しく働いて、正しく生活すればいい。

先日、逮捕されたモノマネタレントは、

父が手を差し伸べたてくれたとはいえ、

モノマネという才能があったはずだ。

それは、ほとんどの人がマネできない

優れた才能だったはず。

だが、その才能があっても、

生きるための最低限の能力は欠けていた。

そのことによって失うものは、

あまりにも多い。

それまでの積み重ねたものを、

すべてぶち壊してしまう。

だからこそ、生き抜く最低限の能力は持つべきだ。

この世の中で、普通に生きるとはどういうことか。

理性を働かせて生きることはどういうことか。

生き抜く間に、自問自答する。

何かの出来事がある度に自問自答する。

それが、生き抜く能力になるのだ。

 

 

 

 

 

 

やんちゃが礎

 

 

(今日のコトバ)

 

無謀をやったから、予防ができるんだ。

 

 

 

「昔、やんちゃをやったヤツが、

いま、結構、落ち着いた人生をおくっている」

幼なじみに会うと、

そんな話になることがある。

限度にもよるが、

この話が社会のどの分野でも通じる気がする。

言葉通り、子供のころ、

やんちゃで先生に怒られてばかりいた子供が

いい親父になっている。

若手社員の頃、上司に怒られてばかりいたのに、

管理職になると、見本のようなリーダーになる等。

若気の至りか、若さの暴走かわからない。

ただ、若き時代から小さくまとまっている人より、

少々、やんちゃである方が社会に役立っている。

それは、何も大人になったからだけではなく、

やんちゃした時代に、失敗、ミスをした経験値が

年をとって生きているからではないかと思う。

もちろん、やんちゃが過ぎて、

取返しのつかない人もいる。

だが、少なくても、

世の中でいい働きをしている人は、

やんちゃだった時代もあったように思う。

そう考えると、

やんちゃもそれほどわるくない。

そこで経験したかことが、

その後の人生にとって、

大きな予防線になる。

人は、経験を財産にして生きていく。

経験していないことは対処に困る。

やんちゃしたことは、

その時、大きな経験値になる。

しっかりした大人になるための

礎になるのだ。

心は、もう決まっている

 

(今日のコトバ)

 

心は、もう決めている。

どこへ行くのか。

どこへ行きたいのか。

あとは一歩踏み出す勇気だけだ。

 

 

 

迷っている。

誰かに意見を求める。

あらゆる角度から情報をとる。

様々な状況を調べてみる。

試しに体験してみる。

ジタバタしてみる、、、、。

ただ、迷っているといっても、

本当は心のどこかで答えが出いている。

「自分はこうしたい」

「自分はこうして行きたい」と思っている。

その答えに向かって、

エールが欲しかったり、

いい情報が欲しかったしているだけなのだ。

自分の心は決まっている。

そして、足りないものは、決断だけ。

状況が良ければ、すぐに答えを出すし、

わるければ様子を見て時期を変える。

それだけの違いだと思う。

だとしたら、ほんとうにやりたいことがあるなら、

勇気を出して一歩踏み出す。とにかく前へ出る。

そこに答えがあるのだから、

もうあとはスタートするだけなのだ。

このスタートが遅いために、

失敗することもたくさんある。

もちろん、スタートが早すぎたための失敗もある。

ただ、どうしていもやりたいことがあるなら、

思い切ってスタートをきる。

それこそが迷う時間を減らせるいちばん早い方法。

人生に、生きた時間を増やすための方法なのだ。