願いが叶う生きもの

 

(今日のコトバ)

 

地球という願いが叶う星に

生まれたことは、

人間いちばんの幸運である。

 

 

 

人には、

夢や希望がある。

その願いを叶えることができる。

もっというと、願いを叶えることで

幸せになれる生きものでもある。

他の生きものになったことがないから

わからないが、

常に願いが叶う状況にある生きものは

稀有だと思う。

ただ、普通に生きていると、

願いが叶うことが

あたりまえになっている。

大きな願いでなくても、

小さな願いなら毎日のように

叶っているといっていい。

それを幸せといわずして、

それを幸運といわずして

何というのだろう。

けして、願いが叶うことは

あたりまえではない。

だからこそ、

このいま生きている状況を感謝する。

幸せであること、

幸運であることを意識して生きる。

忘れてはいけないことだ。

幸せは、小さなものに宿る

 

(今日のコトバ)

 

小さなものをもらったら、

大きくして返してあげよう。

 

 

 

幸せは、小さなものに宿る。

日々生きることは、

小さなことの積み重ね。

その一つ一つに幸せの種がある。

もし、

自分が誰かから小さな何かをもらったら、

もらったものを自分なりに

大きくして返す。

このやりとりの繰り返しが、

幸せを生み出すといってもいい。

「幸せになりたい。

幸せにしてあげたい」

そう思ったら、

小さいことを大切にする。

そこに幸せになるすべてがある。

そう思って生きていきたい。

 

いまがゴールではない

 

(今日のコトバ)

 

人生にゴールはない。

だから、ゆっくり歩いてもいい。

勝者や成功者だって、

ちょっと先に行っただけ。

歩みを止めなければ、

また、追いつき

追い越すことができる。

 

 

 

いつも大なり小なり目標を

持って生きているが、

人生で考えるとゴールではない。

ゴールがあるとすれば、

命が果てた時かもしれない。

否、命は果てずこの世から

あの世に場所が変わるだけ

という人もいるから、

命は永遠かもしれない。

ともかく、人生の失敗や敗北を

ゴールだと思って生きる必要はない。

人生が続く限りゴールはない。

速く走ろうが、

ゆっくり歩こうが人生は続いていく。

そう思えば、

いま成功している人も、

いつかは失敗するかもしれない。

いま勝者になっている人も、

いつかは敗者になるかもしれない。

肝心なのは自分の考え方。

自分が目標に向かって、

前進しているならそれでいい。

いまがゴールではない。

そのことを忘れず

生きていけばいいのだ。

その陰に努力あり

 

 

(今日のコトバ)

 

努力は絶対主役にならないからこそ、

目標が達成した時は、

大きく賞賛してあげよう。

 

 

成功した。

勝利した。

結果が出た、、、、。

その陰には、努力があった。

ほとんどの場合、

努力なくして望む成果は

得られない。

そして、成果を得た時、

努力はそっと姿を消す。

人間として付き合ったら

何と良い奴だろう。

信頼を築くのに申し分ないと思う。

だが、たいがいの場合、

成果が出ると努力のことを忘れてしまう。

自分を努力から解放して、

スイッチをオフにしてしまうことさえある。

だが、本当の戦いはここからだ。

次のテーマに進む時、

いちばん戦力になるのが、

やっぱり努力。

絶対に忘れてはいけない。

努力を休ませることはいいが、

なぜ、成果を出したかを思い返す。

その陰に努力あり。

絶対的に自分の武器になり、

自分の味方になる。

努力を常に自分のものにするのだ。

人生のすべては出会いから始まる

 

(今日のコトバ)

 

自分の人生の観客にはなれない。

出会った人が観客になる。

そして、その人たちによって、

人生は素晴らしいものになる。

 

 

 

人生は出会い。

すべてが出会いにかかっていると

いっても過言ではない。

夢や目標を叶えようと思った時、

人との出会い、

人脈がなければ、

どうしようもないことになる。

もちろん、自分の不断の努力は必要だ。

ただ、むやみやたらに努力しても、

努力が裏切らないとは限らない。

だが、導いてくれる人、

パートナーとなってくれる人、

助けてくれる人など、

人脈が揃えば、

夢や目標は叶えやすくなる。

絶対に人脈は必要だ。

その人脈は、

すべて出会いから始まっている。

反対にいえば、

出会いがなければ人脈はつくれない。

人脈がなければ、

何事も達成するのが難しくなる。

だからこそ、出会いを大切に、

人脈を大切に生きる。

そのために力を尽くす。

人生は出会から始まるのだ。

 

 

身の丈サイズの幸せ

 

(今日のコトバ)

 

大きくなりすぎると、

つかむことができなくなんだ、

なにごとも。

 

 

 

大は小を兼ねるという。

昔は「大きいことはいいことだ」という

CMもあった。

大きさの良さが強調される時代は

たしかにあった。

だが、現代はどうだろう。

決して

「大きいことばかりがいい」

とはいえないだろうか。

特に、大きすぎて

身にそぐわないこともある。

重すぎること。

手に負えないこと。

持ち切ることができないこと、、、。

大きいから困ることたくさんある。

だからこそわかることは、

自分の身の丈サイズがいいということ。

無理せず持てる。

自分にフィットする。

いつも自分で持てる、、、、、。

そして、その身の丈サイズに幸せが

一番たくさんあると思う。

そう思うと、

ワルいことは大きくなると

大変になるし、

良いことも大きくなりすぎると

手に余る。

身の丈サイズが幸せをつくる。

人生を自分のペースで生きていくなら、

そんな幸せを意識してもいいと思う。

トップには敵がいる

 

(今日のコトバ)

 

トップを走るということは、

すべての追手から逃げるということ。

 

 

 

トップは孤独だという。

確かに、自分より上の人間はいないものの

誰にでもヘルプできず

一人で解決しなければならないこともある。

もっといえば、いちばん大変なのは、

最終的な決断を一人で

下さなければならないこともある。

何でも自分で決められることや

能力を自在に発揮できるという

メリットの裏ではつらいことも多々ある。

さらに、

自分より下のポジションにいる人間から

常に追われてるという緊張感もある。

よくいえば、行動のすべてを

手本にしようと思われている。

ワルくいえば、

寝首を掻こうと狙われている。

「トップに立つ」

言葉はかっこよくて、

誰もが夢見ることの一つ。

だが、それ以上に

さまざまな角度からの

プレッシャーと戦わなくてはいけない。

そのことを理解しておきたい。

 

言葉は、もっとも簡単な表現術。言葉は、もっとも難解な心模様

 

(今日のコトバ)

 

口に出した言葉より、

口に出さなかった言葉の方が、

本音を背負っている。

 

 

いつも思うことががある。

心の奥にある本音は、

いつも最後まで言葉にできない、と。

恋愛なんかわかりやすい。

好きでもない人に

「好きだ」と心にもなくいうことは

たやすいが、本当に好きな人に

「好き」というのは難しい。

親友に冗談はいくらでもいえても、

ワルい部分を指摘することは、

最後までできないでいる。

だが、好きな人も、親友も、

最後になって、

どうしようもなくなると、

やっと本音をいえる。

つまり、心にもない言葉は

簡単にいえるが、

本音の言葉を伝えるのは難しい。

言葉は、人間のもっとも簡単な表現術。

言葉は、人間のもっとも難解な心模様。

だが、言葉あるからこそ人間は進化した。

そして、どんなに時代が変わっても、

言葉は人間の理想に導いてくれるのだ。

 

願いは幸せに変わる

 

(今日のコトバ)

 

明日が来るのは、

生きている者の特権だ。

 

 

未来にいろいろな願いをこめて

生きている。

あれもしたい、これもしたいと

願っている。

そして、その願いを叶えることが

生きるためのモチベーションになっている。

醍醐味であるといってもいい。

考えてみれば、

小さなことから大きなことまで、

なんと願いがあることか。

「あれを食べたい」から

「あれに挑戦しよう」まで、

数えればきりがない。

その願いが

すべて幸せに変わっている。

願いが幸せに変わる。

それこそが人生。

いま、生きていてモチベーションが

上がらない人は、

明日への願いの数を数えてみよう。

きっと、たくさんあると思う。

そして、

そのすべてが幸せになるとしたら、

生きることもワルくない。

人生にとって明日への願いは、

もっとも大切なことなのだ。

 

才能を宝の持ち腐れにしないために

 

(今日のコトバ)

 

たかが才能を

100%使っただけじゃないか。

勇気も、努力も、

まだ100%使ってないじゃないか。

 

 

才能はあるといわれる。

ある分野では何もしなくても、

まわりの人よりよくできる。

評価もされる。

ただ、

人より飲み込みが早いという程度で、

おわってしまう。

才能で圧倒するまではいかない。

そんな人をたくさん見てきた。

なぜだろう。

それは単純に努力が足りなかったり、

まい進する気持ちがなかったり、

もっと挑戦しようとする

勇気がなかったり、

才能以外のものが足りなかったのだ。

才能があるといわれる人が、

他の能力をおろそかにすることが多い。

人は自分の能力は高く評価しがち。

それが才能である場合、

そこに胡坐をかく場合がある。

だからこそ、才能があると思った時は、

努力や勇気がまだ足りないと設定する。

才能を本物にするためには、

努力や勇気は必須。

才能を宝の持ち腐れにしないために

そのことを忘れてはいけない。