迷いは、未来のための思考のトレーニング

 

 

(今日のコトバ)

 

今日という迷路は、明日への進路になる。

 

 

 

「遅々として進まない。

まっすぐに前進しない。

迷路にはまったようだ」

そんな時が誰にでもある。

特に、難題をかかえた時は、

前進しているか半信半疑で、

もしかしたら、

後退しているかもしれないとも思う。

だが、一生懸命、試行錯誤している人は、

目に見えない道を前へ進んでいる。

いままで迷っていたものが、

何かのキッカケで解決したり、

今日までの努力が実ったり、

徐々にではあるが、

進化していたり、

迷うことは、決して、

後退ではなく前進しているのだ。

だが人は、

目に見えた成果が見えないと、

後退しているかもと疑心暗鬼になる。

それはそれでいい。

ただ、迷っている時は、

必ず進化している時だと思っていい。

決めつけてしまってもいい。

迷いは、未来のための思考の

トレーニング。

迷いが消えた時、

思考の筋肉は強化されているのだ。

 

普通とは幸せの正体である

 

(今日のコトバ)

 

年齢を重ねると、最高でもなく、最低でもなく、

普通の中にたくさん幸せがあることを知る。

 

 

 

 

若い頃は、なんでも最高がいいと思った。

敗者よりは勝者。失敗よりは成功。下よりは上など。

単純に人より認められるポジションを求めた。

ただ、長く生きていると、

最高ばかりが最高ではないことに気づく。

例えば、誰よりも成功し続け、

出世街道を驀進した人間が、

そのかかえる問題の大きさに

つぶされそうになると訊くことがある。

経営者などに多くある

トップがゆえの孤独。

トップがゆえのプレッシャー。

人に見せないようにしているが、

本当に苦しんでいる姿を見ることもある。

また、青年時代は、どん底にいても、

いずれ中年になれば

なんとかなるだろうという

根拠のない展望を支柱にして

生きていられたが、

中年になってみると、

最低ランクにある課題は、

ことごとく人生を苦しめていく。

長く生きてきた仲間をみていると、

最高も最低もしんどそうだ。

その中で、いちばん平和そう、

いちばん幸せそうなのは、

普通というポジションを手に入れた人々。

トップに立って、

火の粉をかぶるのではなく、

どん底をさまよって、

火の車で生きるのでもない。

普通に生きる。

もちろん、普通には普通の大変さはあるだろう。

ただ、その普通は、最高より、最低より、

居心地のいい世界であるはずだ。

いま、普通を手に入れていると思っている人は、

その普通を大切にした方がいい。

普通とは、幸せの正体なのだ。

いまやる主義

 

(今日のコトバ)

 

いつもできることは、いま、やってしまおう。

 

 

 

「そんなこと、いつでもできる」

そういいながら何もしないことがある。

簡単だし、たいして手間もかからないのだが、

ついついやらずにいる。

誰にでも経験はあるはずだ。

このいつでもできることは、

ほっておかずに、

その場でやってしまった方が

いいことが多い。

最初は簡単で手間のかからないことが、

ほっておくと、

大変な作業になってしまうことがある。

例えば、掃除。

新築や新居はキレイだが、

掃除をしなければ、日に日に汚くなる。

何ヵ月も放置すれば、汚いだけでなく、

部屋の隅々が痛んでくる。

同じように、

初めはたいしたことがない案件だが、

寝かせておくと

大変なことになることがある。

だからこそ、いつでもできることは、

いま、やってしまおう。

それを意識するだけで、

後々面倒臭くなる問題は回避できる。

見晴らしのいい人生がおくれるはずだ。

 

未到に先乗り

(今日のコトバ)

 

人生は時間制限がないうちに勝負をつけないと、

時間制限がある勝負に変わる。

 

 

 

発想したばかりのものを

つくりあげる時。

最初のうちは自由にやらせている。

好きにやらせて状況をみる。

ただ、その進行状況がわるいと、

スケジュールを組まれ、

時間を決められて作業を

しなければならなくなる。

新しい領域ができた時も、

環境が整備される前は、

時間も、コストも、制限があまりないが、

環境がきっちり決められてしまうと、

人も、時間も、コストも決められてしまう。

あたりまえの社会の流れだが、

ルールがつくられる前には、

大きな自由があるということを

忘れていけない。

前人未到、新しい領域、

まだトライされていない仕事等、

未着手の分野に先乗りすれば、

自分でつくることのできる部分が多い。

さらには、時間が決められる前より、

時間を自由に使える。

すべてが決められてからでは、

息苦しくなると思う人は、

未到に先乗りは選択すべき方法だ。

 

 

いまが、あなたの答え

 

(今日のコトバ)

 

今日のあなたが、あなたという人間の答えです。

 

 

 

 

 

いろいろ、未来に向けて宣言する。

「いつか見ていろ」

「三年後には、結果を出してやる」

「オレは、こんなもんじゃない、

もっとでかい夢を叶えてやる」等々。

ただ、まわりから見ると、

いい訳にしか思えないことが多い。

いろいろいっているわりには、

いまの自分はどうなの?

と問いたくなる。

もめたくないから、

他人は、「そうだね」といいながら、

話を流したりする。

だが、本音は、

「いまのあなたは、いうほどのことはない」

と思っている。

正しくいえば、

「いまのあなたが、あなたの答えだ」

と思っている。

いまができていないのに、

これからの話をされても、

聞く耳は持てない。

自戒も含めて、

未来に凄いことをするんだという時は、

いまがイケてない証拠だったりする。

だから、未来に向けて宣言する時は、

その宣言を認めさせるためにも、

いまの自分で結果を出す。

そのことを忘れてはならない。

未来のために、今日までを裏切らない

 

(今日のコトバ)

 

明日を傷つけないために、今日を誠実に生きる。

 

 

 

未来はなにもない。

自由に生きられる。

何もない不安もあるが、

何もないから期待も大きい。

だが、その未来に

足枷をつくってしまうことがある。

それは、今日までの行いが、

未来に縛りを入れてしまうということ。

いちばんわかりやすいのは、

罪を犯して、自由がきかなくなる。

罪がつくった足枷が

人生の様々な場面で自由を奪う。

同じように、人を裏切って、

思い通りに

人と付き合うことができなくなると、

生きてくことが苦しいし、寂しくなる。

そう考えると、

未来を明るいものにできないのは、

コミュニケーションができなくなることに

等しいと思うのだ。

未来という膨大な時間があるのに、

コミュニケーションができないのは、

想像するたげでも辛いこと。

できれば、そんな状況は避けて生きていきたい。

そのためには、今日までの一日一日を

誠実に生きる。

できるだけ、

人に迷惑をかけないことを意識する。

人生には、

辛いことや悲しいことがたくさんあると思う。

人を裏切ってしまいそうな状況に陥ることもある。

ただ、それら一つ一つを誠実に対処して

人は裏切らないよう努力していく。

それが、未来を明るくにする方法。

自由に一歩を踏み出す生き方なのだ。

 

 

期待されたら自分を見つめる

 

 

(今日のコトバ)

 

期待は、無責任な追い風だ。

 

 

 

先程、8時より大谷翔平の

エンゼルス入団記者会見が終わった。

ファンのみならず、

日本人が、アメリカ人が、

メジャーを愛するすべての人が

注目する選手だ。

最大級に期待され、

これからの一挙手一投足が

マスコミの報道の的になる。

素晴らしいことだ。

本人のファンの熱気を感じることは、

大きなモチベーションになる。

ただ、そのモチベーションの源になる

期待を必要以上にかかえることはない。

誰にでもいえることだが、

期待は背負ってしまうと、とても重い。

人によっては、

押しつぶされてしまうこともある。

もちろん、大谷のような規格外の

アスリートは、

期待を簡単にクリアしてしまかもしれない。

だが、それでも、スランプもあるだろう。

思い通りの結果に

むすびつかないこともあるだろう。

その時、期待と戦うのではなく、

あくまでも、自分の力を発揮することだけに

専念すべきだ。

期待は何も約束してくれない。

無責任に吹く追い風だ。

それぐらいの気持ちで臨めばいい。

そして、誰の人生にでも、

期待という現象を起こりうる。

その時、冷静に自分を見つめる。

文字通り自分を見失なわないように

着実に生きる。

そのことを忘れないことが大切だ。

 

 

 

小さな目標をクリアして、自分を好きになる

 

(今日のコトバ)

 

毎日のことだから、

生きることを嫌いにならない方がいい。

 

 

苦しくなった時、

悲しくなった時、

辛くなった時、

人は生きることが嫌になることがある。

なぜ、こんな境遇にあるのだろうか?

なぜ、こんなに事態が起こるのだろうか?

なぜ、生きているのだろうか?

生きていく意味を考えすぎて、

くたびれてしまうのだ。

誰でも一度ぐらいは、

感じたことがあると思う。

人生は、山あり谷ありだから、

誰もが遭遇するものでもある。

ただ、この苦しみや悲しみが慢性的になって、

生きることが嫌になり続ける人生は

選択したくない。

では、どうしたら生きることが

嫌にならずに生きていけるだろうか。

それには、やはり自分が能動的になる

目標をもつことが一番だと思う。

なんでもいい。

いま、良くない状況を打開してくれる

目標をもつ。

壮大な目標でなくていい。

身のまわりにある実現可能な

小さな目標でいい。

それをクリアすることを生きる目標にする。

少しずつでいいから、

ゆっくりでいいから、

目標をクリアしていく。

クリアした先にいる自分を想像すれば、

少しずつ元気になることができると思う。

小さく、ゆっくり、着実にクリアできる

目標をもつ。

そこに、生きることが嫌いにならない

ヒントがある。

これから、

今日から、はじめてもいいと思う。

 

思い出には、「いま」がない

 

(今日のコトバ)

 

過去は、

どんなに美しくても

サプライズは起こせない。

 

 

 

 

人間の記憶は、

頭に残る映像として、

美しくなる傾向にあるらしい。

辛い出来事、苦しい出来事、

悲しい出来事さえも、

時間が経って記憶になると、

いい思い出という映像になる。

なぜ、すべてがいい思い出になり、

美しい映像になるのだろう。

それは、一言でいえば、

「いま」でないからだと思う。

「いま」という

現在進行形であれば、

痛みや辛さに直面している。

苦しくて悲鳴を上げているのに、

その体験が美しいわけがない。

いい気持ちのわけがない。

記憶になると、

いちばんきつかった「いま」がない。

当然、痛みや苦しみも

過去のものになっている。

映画のように、

殴られても、裏切られても、

ほんとうの痛みは感じずにすむ。

それこそ、いい映画を見たように、

いい思い出を見てしまうのだ。

だからこそ、

過去の話題ばかりを話す状態は、

現実逃避の一つなのだと思う。

「いま」が辛くて、苦しいから、

イケてないから、

過去ばかりに戻ろうとする。

いつも、いい思い出として迎えてくれる

過去に戻る。

痛くも、辛くもない昔に戻る。

いけないといっているわけではない。

人生が上手くいかない時は誰でもある。

過去を振り返って、

元気になることもある。

それはそれでいい。

だが、過去ばかり自分が振り返っている時、

確実に「いま」の自分はイケてない。

そのことだけは忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

熱量は裏切らない

 

(今日のコトバ)

 

同じ体温の人と、

同じ距離にある夢を

つかみにいけ。

 

 

 

ある一つの夢があって、

そこへ向かって走っていく。

一人ではなく、

同じ夢を目指す仲間と走っていく。

ただ、途中でスピードが遅くなったり、

関係が上手くいかなくなったり、

空中分解することもある。

目指す夢は同じだけれど、

一人一人の熱量が違う時、

夢実現までの距離は遠いものになる。

生きていると、何度が、

そんな体験をしてきたと思う。

では、その時、

なぜ夢実現は厳しかったのかと

考えてみると、

一人一人の情熱、熱量が違うと

どうにもならないことに気がつく。

能力の差は、その能力に合わせた

ポジションを用意すれば解決できる。

お金のことも、全員で知恵をしぼれば、

なんとかなる問題だ。

だが、熱量が違ってしまうと、

意思統一するたけでも至難の業。

必ずケンカの元になる。

ケンカした結果、

いい方にまとまればいいのだが、

熱量が違うと、

ケンカの傷口を広げるだけということもある。

修復をはかっても、

どうにもならないことが多い。

その元凶はすべて、熱量の差にあるのだ。

熱量は、やる気になってあらわれる。

どこまでやるかの覚悟が同じであれば、

お互いを信頼して前進できる。

失敗しても、同じ熱量だから、

また、立ち上がることもできる。

だから、一つの夢を実現するために

運命共同体をつくるなら、

同じ熱量のある人を集めることに

全力を尽くそう。

走り出して、この人の熱量が違うと思うと、

叶う夢も叶わない。

熱量というやる気は、

絶対に夢への道で裏切ることはないのだ。