人間は、もっと進化する

 

(今日のコトバ)

 

人間は、まだ、限界に到達していない。

 

 

 

人間の能力は、

どこまで凄くなるのだろう。

身体的能力もそうだし、

知的能力もそう。

AIが進化していくとはいえ、

人間の進化も終わってはいない。

身体的能力でいえば、

身体的能力に

科学的トレーニングを加えて、

どこまで人間が進化するか。

ウサイン・ボルトも現代人だし、

大谷翔平も進化系の人間だと思う。

知的能力でも、

落合陽一のような人が出てきたり、

デジタルを、AIを駆使して、

自分の能力を向上していく人も

これからたくさん出てくるだろう。

そう考えると、

人間もまだまだ進化は終わっていない。

だとすれば、

人間全体がもっと進化してもいいと思う。

人間すべてが情報端末を駆使し、

基礎知識を簡単にクリアする。

そして、自分の能力をかけ算して、

何か新しいものをつくる。

人間の進化にワクワクしてくるはずだ。

一番得意な競技にエントリーする

 

(今日のコトバ)

 

人生は高くのぼるだけではない。

深くのぼる。遠くへのぼる。

そして、ゆっくりのぼることも大切なのだ。

 

 

 

人生は高さを競う競技ばかりではない。

深さが大切な競技もあるし、

どれだけ遠くへ行けるかの競技もある。

さらには、速さではなく、

ゆっくり時間をかける競技もある。

競技種目はたくさんあるのだ。

ただ、生き方が近視眼的になると、

一番競技人口の多い高さだの、速さだのの

競技に自分をエントリーさせてしまう。

そうではない競技があることを

忘れてしまう。

自分の生き方にあった競技があることを

忘れてしまう。

そんな時は、

少し立ち止まって

自分を見つめ直してみる。

なにもみんなと同じ競技に

参加しなくていい。

自分が一番参加したい競技は何だ?

自分が一番得意な競技はなんだ?

そこをじっくり考えて

一歩を踏み出せばいい。

人は、何か特別な能力を備えている。

その能力を発揮できる人生を歩むのだ。

守るべきものがあるだけ強くなる

 

(今日のコトバ)

 

守ることは、

救うべき者のために攻めることでもある。

 

 

 

攻撃は最大の防御という。

では、防御することは、

守ることは何なのだろう。

守る。

つまり、守るべき対象があるから、

そのために行動する。

守るべきものがなければ、

守る行動をしなくてもいい。

守るというのは、

守るべきものために、

攻撃的になることともいえる。

反対にいえば、

防御は最大の攻撃ともいえる。

そして、

攻撃と防御どちらが強いかというと、

状況にもよるが、

防御が強い方が、

攻撃に強いより強い気がする。

その差は、守るべきものが

あるかないかの差。

守るべきものがある分だけ

強くならざる負えない。

そう思うと、

人生のどんな場面でも、

守りを固めることは大切。

そう思えてならない。

何かを守ることで、

人は何倍も強くなれるのだ。

幸せは自分の考え方にある

 

(今日のコトバ)

 

いいことは足元にある。

それを見つけられる人を幸せ者という。

 

 

 

まず、自分に起こっている出来事を

幸せと思えるか。

そこで大きな差がついてしまう。

なんでも幸せだと思える人は、

あたりまえだが幸せ度数が高い。

反対に、

なんでも不幸だと思っている人は、

幸せ度数が低い。

要は考え方次第。

もっというと、自分のまわりの幸せを

見つけることができるか。

見つけることができる人も

幸せ度数が高いといえる。

要は見つけ方次第。

つまり幸せは、

自分の中にある。

そう考えると、

幸せは自分次第で

自分のものにできる。

日々生きてく時、

幸せは自分にあると思っていれば、

幸せは手に入る。

毎日の習慣のように自分の幸せを探せば、

自分のものになる。

幸せ度数を高くするのは、

難しい問題ではないのかもしれない。

 

「あと一歩」は、エールの言葉

 

(今日のコトバ)

 

上手くいかなかったのではない。

上手くいくところまで近づいたのだ。

 

 

 

 

あと一歩だった、という。

そのあと一歩の一歩は、

どのぐらいの歩幅だったのだろう。

ほんの数センチぐらいの一歩もあれば、

何年もかからなければならない

一歩もあるだろう。

その時、

あと一歩足りず

上手くいかなかったと思う。

だが、ほんとうにそうだろうか。

少なくとも、

あと一歩まで近づいたのではないか。

自分は頑張って、

そこまで追いこんだのではないか。

研鑽して、自分も成長したのではないか。

そう考えると、

あと一歩まで追いこんだのは失敗ではない。

成功へ近づいたのだ。

だからこそ、次への意欲を持つべきだ。

あと一歩なら、

次に越えられる壁かもしれない。

少なくとも、上手くいく、成功するところを

射程距離にした。

そういう気持ちになると、

あと一歩という状況が

決して残念なものではなくなる。

成長への意欲をあらわす

エールの言葉に変わるのだ。

壁は夢中で前進する人に弱い

 

(今日のコトバ)

 

目に見えない壁を越えるために、

目に見える行動を続けるのだ。

 

 

 

 

壁。

心の中につくってしまった壁は、

どう越えていけばいいかわからない。

いくら挑んでも

越えられない場合もあるし、

気づかぬうちに

越えてしまうこともある。

何が正しいかわからないが、

とにかく前進する。

躊躇なく前進する。

自分なりの目標をつくって

前進する人は、

壁をどこかで越えてしまう。

壁は夢中で前進していく人に弱い。

もちろん、壁の高さにもよるので、

時間の差はあるし、

高過ぎて

どうにもならないこともある。

だが、壁は前進し続けると、

いつか越えてしまうもの。

越えるというよりは

消えてしまうものかもしれない。

そう思って

行動できるかできないかも大きい。

もし、いま、

自分に壁が立ちふさがっているなら、

前進、前進、また前進の行動で挑んでみよう。

きっと、壁が低く見える、

壁が消える時がくる。

人は自分がつくった壁を

乗り越える力が備わっている生き物なのだ。

 

そこまでもを、どこまでも

 

(今日のコトバ)

 

「それだけか?」といわれて、

信頼を失う。

「そこまでも!」といわれて、

信頼を生む。

 

 

 

信頼が生まれる時って、

どんな時だろう。

それは、「そこまでもしてくれる!」と

思った時ではないだろうか。

自分の想像を超えて良くやってくれる。

かゆい所に手が届くほど、

何かをしてくれる。

とにかく、自分が思うより

何かをしてくれると、

信頼は生まれる。

反対に、信頼を失う時って、

どんな時だろう。

それは、「それだけしかしないの?」と

思った時、一気に信頼を失う。

これぐらいはやって欲しいと思ったことの

これぐらいに達しないと、

信頼の気持ちは失ってしまう。

ただそれだけのことかもしれない。

だが、それだけのことで、

信頼は生まれ、信頼は失われる。

そう考えると、

一つの頼み事、一つの頼まれ事は、

信頼を得るチャンス。

力を抜かず「そこまでも」をやれば、

信頼が得られる。

人生の大きなチャンスなのだ。

憎むという感情は、熱くなった敗北感

 

(今日のコトバ)

 

憎んでいる間は、敗北に支配されている。

 

 

 

人を憎んでいる時、

嫌な感情が自分を支配する。

嫌な感情をもって

憎むというのであれば、

そうかもしれない。

だが、どうもそれとも違う気持ちが

湧き上がる。

何かと似ているこの感情。

それは、敗北した時の気持ちに

似ている気がする。

敗北した時の屈辱感が、

より熱くなっている。

熱くなっているといっても、

敗北感には変わりない。

どこかに負けた気持ちがある。

その気持ちに支配されている。

より熱く支配されている。

自分の気持ちがいいわけがない。

荒んだ気分になってしまう。

だからこそ、

少し強引だが、

憎むという感情が起こったら、

自分は敗北感を感じていると

決めてしまう。

そう思えば、

なるべく早く敗北感から

逃れたいと思うはず。

この感情のままでは

いけないと思うはず。

憎むという感情は、

熱くなった敗北感。

そう思うことで、

憎むという感情を

自分の心から追放するのだ。

それでも人生は続いていく

 

(今日のコトバ)

 

人生のレースは、勝利も、敗北も、

成功も、失敗も、途中経過。

時間が経過するとまた、

集団の中でレースは続いている。

 

 

 

 

勝利も、

敗北も、

その一瞬を過ぎれば、

また新しい戦いが始まる。

サッカーワールドカップを見てわかるように、

勝ったチームは、

勝ち抜かなければならない戦いに

挑み続けなければならない。

負けたチームは、

チームを立て直し、

勝てるチームに変えようと

新しい体制を模索する。

サッカーだけではない、

人生も同じこと。

勝利も、敗北も、

そして、成功も、失敗も、

一瞬の出来事。

どんな出来事が起こっても、

人生は続いていく。

だからこそ、しんどい。

だからこそ、面白い。

忘れていけないのは、

いまの状況は、すべて途中経過。

この先状況は変わっていく。

人生のレースは

命果てるまで続いていくのだ。

 

 

プロフェッショナルと認定できるもの

 

(今日のコトバ)

 

人は舞台を見て称賛する。

決して、舞台裏を見て称賛することはない。

 

 

 

出来上がったもので人は評価する。

過程が良かろうが、

困難な作業であろうが関係ない。

ただ、人は難問をかかえて、

出来上がりの納期や品質が

保証できなくなると、

何かといい訳をしたがる。

「なんとかレベルを下げて

許してくれないか」と。

ただ、何とか

許してもらえるレベルのものしか

できないのであれば、

それはアマチュアの領域。

楽しければ何でもいい。

出来ようが、出来まいが関係ない。

とすると、

その反対がプロフェッショナルの領域。

出来上がりの納期を守り、

品質を約束する。

その一線を引けるか、引けないか。

自分の大切なもの、

特に仕事において、

出来上がりを担保できるか。

出来るものを自分の

プロフェッショナルに認定しよう。

そして、そのプロフェッショナルの力が

自分の人生をしっかり支えていく。

そのことを忘れてはならない。