自分の好きな方向で生きる

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

誰にも想像できない

一生という傑作を仕上げる。

 

 

誰一人、同じ人生はない。

人の数だけ人生がある。

だからこそ、面白いと思う。

人生というストーリーは、

必ず唯一無二に出来上がる。

そして、人生の主役は、

絶対、自分。

だとしたら、

思いっきり

自分の好きなように

ストーリーを

描いていいのではないか。

自分の生きたい方向へ

進んでいかないと、

好きなようにはならない。

誰かの影響が多き過ぎると、

なかなか

いいストーリーにならない。

あくまでも、

人生という傑作をつくるために、

自分な好きな方向で生きる。

そのために、

毎日の時間を費やしていく。

有意義に生きるために

大切なことだ。

悲しみには、忙しさ

 

(今日のコトバ)

 

楽しい時間が

立ち止まりはしないが、

悲しい時間も

立ち止まりはしない。

忙しければ

全速力で去っていく。

 

 

 

「こんな時間は早く去って欲しい」

悲しいことがあると、

時を進めたくなる。

悲しいことがあると、

なんとか時が進んで、

悲しい思いを

忘れられないかと思う。

特効薬は、

本来はないのかもしれない。

ただ、効き目のあるものはある。

それは、「忙しさ」。

やることが次から次にあると、

そこに意識がいく。

悲しいことも頭から消さないと

前へ進めない。

無意識のうちに悲しいことを

忘れてしまうことになる。

反対に、何もすることがなく、

一日中悲しいことと対峙していると、

時は進まないばかりか気も滅入る。

だからこそ、

悲しみを乗り越えるには

忙しさをつくる。

もちろん、体を壊すまで

忙しくすることはない。

悲しみを忘れる時間を

つくることを考える。

生きるために大切だと思う。

一生を懸けて人生という名の作品をつくろう

 

(今日のコトバ)

 

人生とは、

締め切りのない

作品づくりである。

 

 

 

生きていると、

命果てるまでが途中経過。

勝った、負けた。

成功した、失敗した。

希望を叶えた、失望した、、。

それらどれもこれも

途中経過。

通過儀式に過ぎない。

そう思うと、

日々起こる様々な出来事も

途中経過。

一喜一憂しなくていい、

右往左往しなくてもいいと思う。

ただ、人間は感情の生きもの。

そこで人生が終わらないと

わかっていても、

平然とばかりはしていられない。

だとすれば、

こう考えるのはどうだろう。

人生は一生かけて制作する作品だと。

締め切りはない。

あえていえば、

命が燃え尽きる時が締め切り。

そう考えると、

少しだけ冷静に人生を生きていける。

あせることはない。

そして、あきらめることはない。

一生を懸けて人生という名の

傑作をつくっていこう。

止まらず、動く

 

(今日のコトバ)

 

前進していくと、

「不可能」という言葉は

剥がれ落ちいていく。

 

 

「できそうもない」と思った時、

そこで止まってしまうと、

ほんとうにできなくなる。

すべてがそこで

終わってしまう場合もある。

だが、反対にできそうになくても、

行動していれば、

前進していれば、

何かできるきっかけを

つかめることもある。

止まってしまうか、

動いていくか。

その差ができることの領域を

大きく変えていく。

だからこそ、

できないとか、

不可能だとか思った時は、

動きを止めずに前進する。

無鉄砲でもいい。

力まかせでもいい。

とにかく前進する。

そこに不可能を

可能にする力が生まれる。

それだけは間違いない

人生の法則だ。

 

時間は自分オリジナルなもの

 

(今日のコトバ)

 

喜んでも、悲しんでも、

人生で使う時間は、

同じ一秒、同じ一分、

同じ一週、同じ一年、、。

ただ、誰一人、同じ一生はない。

 

 

「時間は、誰にも平等に時を刻む」

と思っている。

一秒、一分、一週、一年、、。

平等に過ぎているはずだ。

ただ、その時間の中で

誰一人として

同じスピードでは生きていない。

自分のスピードで生きている。

例えば、一年。

何かを習得するために

努力に努力を重ねた人と、

何もせず自堕落に生きた人の

スピードでは、

圧倒的に差ができてしまう。

また、

喜びや悲しみで

同じような体験をしても、

まったく記憶として

違うものになることもある。

時間。

それは自分個人のもの。

活かして生きるも、

過ぎていくのを見送るだけでも、

時は刻まれる。

その時間を

どう自分のものにしていくか。

自分のものにした人から、

人生が有意義なものになっていく。

そんな気がするのだ。

 

真実は人の数だけ

 

(今日のコトバ)

 

真実に諸説あり。

 

 

ほんとうは、

真実は一つしかないのだろう。

ただ、真実は人の生きる方向によって

変わることがある。

もっというと、人は信じたいものを

信じる傾向にある。

自分が正しいとおもったら、

それが真実だと

思ってしまうこともある。

そして、真実は人の数だけ

生れてしまうものでもある。

だからこそ、嘘が生まれる土壌もある。

人の数だけ真実があれば、

どれかは嘘になる。

さらに、知るべき真実と

知らなくていい真実もある。

真実。

それは答えのない答え。

自分の解釈で

いくらでも変わっていく答え。

そのことを忘れてはいけない。

 

「好き」の延長線上を行け

 

(今日のコトバ)

 

好きならば、

どんなに遠くても届く距離。

嫌いならば、

どんなに近くても届かぬ距離。

 

 

「好き」という気持ちは、

自分の能力を大きく開花させる。

才能と呼ばれたり、

得意といわれたり、

もっというと努力もそう、

「好き」という気持ちから

始まっている。

「好き」だから、楽しめる。

「好き」だから、頑張れる。

「好き」だから、続けられる。

そう考えると、

「好き」だと思えるものの

延長戦上に目標を立てれば、

目標を達成することが

しやすくなる。

能力が欠けていたり、

不得手だったりするより、

よっぽどスピーディに目標を

達成できる。

だからこそ、

「好き」を大切にしたい。

「好き」の延長線上は、

楽しみながら

人生を大きく広げていく。

「好き」は、

大切にしたい自分の能力なのだ。

 

「もう少し」は前向きな言葉

 

(今日のコトバ)

 

「もう少し」とは、

光が見えているとも解釈できる。

 

 

 

「もう少し、がんばろう!」

「もう少し、やってみよう!」

など、ひと踏ん張りする言葉。

仕事の最後などには、

掛け声的に使う言葉だ。

この「もう少し」という言葉、

とても前向きな言葉ともいえる。

後一歩でゴールできる。

ちょっとで達成できる。

そんな気持ちで、自分を、

まわりの人を鼓舞する。

その結果、

状況が前進し、

あるいは改善して、

いいところまで進む。

「もう少し」

何かをするということは、

生きるために

前向きな言葉なのだ。

だからこそ、

「もう少し」

「後一歩」などの言葉を

生きる状況に

できるだけ使っていく。

人生を前進させるために

大切なことだ。

 

 

歴史を忘れない

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

いつも歴史の劣等生でした。

 

 

歴史に学ぶという。

書物などを紐解けば、

ネットで検索すれば、

学ぶべき点は確かにある。

いい教訓、

ためになる話、

未来の想像の仕方など、

ほんとうに学ぶべき点は

いくらでもある。

だが、先生が歴史で

生徒が人間であると、

生徒である人間は、

あまりいい生徒ではない。

歴史を学ぶというよりは

歴史の警告を忘れて、

何度も同じ間違いをする。

独裁者に国家が牛耳られると、

平和な世の中が戦禍に変わる。

核は縮小の方向へ進んだはずなのに、

世界は縮小を無視しはじめる。

もっといえば、

弱い者いじめをしないという

生きる原理原則も、

世界中でいまだ守られてない。

歴史を学ばない、

というか、歴史を忘れてしまう。

だからこそ、

人間は歴史の劣等生だと意識して、

歴史を確認しながら生きていく。

破滅に向かっていくことや

人権を侵害していくことは必ず、

世界や国家に悲しい時間をつくる。

そのことを忘れはいけない。

 

目を逸らさない

 

(今日のコトバ)

 

目を離すから恐怖はつけ上がる。

目を離さずににらみつければ、

恐怖だって一目散に逃げていく。

 

 

 

怖いと、視線を逸らす。

怖い人、怖い出来事、怖いものなど。

その結果、怖さは倍増し、

ものすごい力を持って、

自分に襲いかかる。

誰もが怖さと遭遇した時、

体験があると思う。

ただ、怖さが去ってしまうと

いつも思うのだが、

視線を逸らしたり、

逃げたりしたことが、

怖さを大きく育ててしまった

原因ではないかと。

しっかり見つめると、

ほんとうはそれほど怖くないもの、

怖くもなく、

怖れるに足りないものなどが

たくさんあった。

しっかり見つめて、

本質をつきとめれば

怖くない。

そんな気持ちに何度もなった。

だからこそ、

怖さに遭遇したら

目を逸らさないことを意識する。

生きるために

肝に銘じたいと思う。