無謀という熱気

 

(今日のコトバ)

 

魂のどこかで無謀を飼っている者が、

ど偉いことをやってしまうのだ。

 

 

 

 

まわりを見て、

ど偉いことをやってしまう人がいる。

才能はある。

努力もしている。

だが、それだけではない何かを感じる。

それは、無謀な気持ちを

持っているということ。

どこかから、

常道を逸して目標へ向かう。

狂人的というか、暴力的というか。

常識からは外れた非常識で

直進していく。

その原因が、人格なのか、

ハングリーなのかわからない。

ただ、言葉にすると無謀を持っている。

そして、目指す目標には無謀でなければ

到達しないことも知っている。

生物学とか、医学では解明できない

無謀という熱気。

それを持った者が、

大きな仕事を成し遂げる。

誰にでもあるようで、

選ばれた人にしかない気もする無謀。

いつかその正体を知りたいと思う。

目的が射程距離にある

 

(今日のコトバ)

 

とどかなかった一手が、

とどかなかった一撃が、

とどかなかった一瞬が、

夢までの距離を教えてくれるのだ。

 

 

 

 

ギリギリでとどかなかった。

接戦だが惜敗した。

後一歩足りなかった、、、、。

もう少しで目的を果たせそうだが、

ダメだった時があると思う。

悔しい。腹が立つ。

意気消沈することもあるだろう。

ただ、「もう少し」というところまで

いった時、確実に

目的は射程距離に入ったはずだ。

簡単に負けたり、

何かわからないうちに

失敗したのではない。

確実に目的の背中を捕まえかけたのだ。

足りないものも見えたはず。

後どれぐらい研鑽すれば、

目的を達成できるか見えたはずだ。

そこで、

後ひと踏ん張りできるかどうか。

できる人は目的を達成し、

できない人は目的達成までの距離が

また開いてしまう。

目的までの距離がわかったら、

一気呵成に攻める。

人生の勝負所に全力を尽くすのだ。

 

 

 

いんちきは逃げきれない

 

(今日のコトバ)

 

落ち着け。

反則されて獲られた得点は、

必ず後半に獲り返せる。

神様はいんちきを許さない。

 

 

 

 

スポーツの試合で感じる。

相手の反則が見逃され得点しても、

必ず味方には、その得点と同じだけの

チャンスがくると。

サッカーの試合などはわかりやすい。

あきらかにPKの反則なのに、

レフリーが見逃してしまう。

当然、PKを獲った側は不信に思う。

怒りが爆発する人もいる。

だが、ここで、怒って

自分がコントロールできなくなったら

負けだ。

この後の試合中で、

そのPKと同じだけの

チャンスが巡ってくる。

それが必ずといっていいほど、

やってくる。

もう神様が配剤したとしか

思えないのだが、やってくる。

人間は、いんちきをしても、

後で必ずバレるという教訓のようでもある。

だからこそ、

相手のいんちき・反則に

惑わされてはいけない。

自分に、味方に、

同じだけのチャンスが巡ってくる。

怒らず、冷静に。

自分の仕事に集中すればいいのだ。

勝敗では語れないドラマ

 

(今日のコトバ)

 

攻めながら負けることもある。

守りながら勝つこともある。

人生は、勝敗だけでは

描ききれない記録がある。

 

 

 

 

「勝ちに等しい負けだった」とか、

「負けに等しい勝ちだった」とか。

試合の中で時々使われる言葉だ。

確かに、試合で勝敗の軍配だけでは

決められない心の記録がある。

同じように人生にも、

勝ちのような負け、

負けのような勝ちがある。

ほとんどの人生は、

勝ち負けの軍配だけで語れない

ドラマをかかえている。

「どれほど努力したか。

みんな知っている。負けたけれど、

誰も咎められない。

もしかすると、この負けをバネに

次は勝つかもしれない。

その勝つまでのドラマが見たい」

というストーリーが周りの人に芽生える。

勝ち負けではない価値が生まれるのだ。

記録の裏にあるドラマが

記憶の大きな比重を占めていく。

そして、人生は、勝敗では語れない

ドラマをつくり上げ前進していく。

だからこそ、人生は素晴らしいのだ。

たくさん打席がまわる人生

 

(今日のコトバ)

 

人生は、打率より打席。

 

 

 

 

一つ一つの物事に

成功と失敗があるなら、

すべて成功したいと思う。

特に、仕込んだものは、

絶対成功したいと思う。

だが、年をとるたびに、

成功することも大切だが、

それよりもエントリーされることが

もっと大切と思うようになる。

物事にエントリーされなければ、

参加するできない。

成功・失敗以前に、

チャンスがまわってこないと、

どうにもできない。

打率を高くというよりも、

たくさん打席がまわってくること。

それこそが人生を活性化するし、

素晴らしいものするのではないか。

打席は、意識して挑戦すれば

増やすことができる。

打席がたくさんある

ということは、

いろいろものにも挑戦できる。

楽しいと思える時間が増える。

素晴らしい時間が増える。

人生、打席に立てることが

どれだけ素晴らしいか、

一度、考えてみよう。

唯一無二の人生を生きる

 

(今日のコトバ)

 

これまでの人生すべてを背負って、

いま、ここに、あなたは生きている。

それだけで称賛に値すると思わないか。

 

 

 

誰の人生でも、

たくさんの歴史がある。

その中には、

悲しいこと、苦しいこと、

つらいこと、痛いこと、

隠したいこと等、

歴史として描きたくない

過去もある。

だが、それでも生きている。

今日の中に楽しみを見つけて、

明日の中に喜びを見つけて、

少しでもいい人生にしたいと

生きている。

その繰り返しを

何十年も繰り返してきたんだ。

誰に褒められなくても、

自分で褒めていい。

「よく頑張った」と。

人一人の人生は、

簡単なものではない。

誰かの人生と自分の人生を

入れ替えられるものでもない。

唯一無二の人生を

自分は生きている。

そのことを褒めていいし、

誇りに思っていい。

つまらない人生だとか、

たいしたことのない人間だとか、

思う必要はない。

あなたの唯一無二の人生は、

誰にも文句のいわれることのない

素晴らしい人生なのだ。

嫌いな人も人生の大事なキャスト

 

(今日のコトバ)

 

嫌いな人間は

好きになれないけど、

嫌いな人間がいなくなると、

人生は殺風景になった。

 

 

 

嫌いな人間だけではなく、

いちいち癇に障る人間、

感覚が合わない人間、

うるさい人間等。

好きとはいえない人間が

自分のまわりにいる。

いつもは鬱陶しいと思うのだが、

いなくなってみると、

それはそれで寂しいものになる。

そんな気持ちになったことが、

長い人生、一度ぐらいあるだろう。

「いると面倒くさいけど、

いないと寂しい」という人間。

それはきっと、

人生の中で自分が苦手とする人間も

大切な役割を担っているということ。

必要なキャストとして

機能していることなのだ。

では、なぜ、苦手と思うか。

それは、否が応でも自分の生活に

必要な人だから、苦手になったり、

嫌いになったりするのではないだろうか。

生活に関係なければ相手にする必要はない。

相手にしない人間を、

苦手になったり、

嫌いになることはない。

だから、苦手なあの人も、

嫌いなあの人も、

自分の人生の大事なキャスト。

そう思って、一人一人と

コミュニケーションをとってみると、

違った気持ちで対応できる。

愛しいとまではいかなくても、

かわいいと思えるところも見つかるし、

相手の気持ちも理解できたりする。

生活は、好きなことばかりで

囲まれるわけにはいかない。

苦手な人間、苦手なものも

自分の生活に役割がある。

そのことを忘れていけない。

 

 

未完成には無限の可能性

 

(今日のコトバ)

 

完成形は、

未完成の独創性に敗れる運命にある。

 

 

 

完成したものは、

つくり終ったもの。

それ以上でも、

それ以下でもない。

完成した瞬間、

そのものの進化は終わる。

反対に、未完成なものは、

足らない部分がたくさんあるし、

欠陥もたくさんあるが、

まだまだ成長途上。

のびしろがある。

もっといえば、

いま、間違えだと思っていることや

思いつきだったり、

理解不能なことが、

新しい進化のカタチかもしれない。

未完成には無限の可能性がある。

どんな時代も優れたものは、

新しい未完の発想を

カタチにしたものだった。

そう考えると、

未完成であるということは、

喜ばしいことでもある。

新しい芽があるということでもあるし、

のびしろがあるということでもある。

もし、未完成といわれたら

喜んでいい。

まだまだ無限の可能性があるのだ。

権力に負けない自力

 

(今日のコトバ)

 

権力にタテ突く自力を持て。

 

 

 

知らず知らずのうちに

権力の下に身をおかされている。

社会のシステムで

上下関係がある限り、

権力が生まれるのはしかたない。

パワハラが規制の対象になる

世の中になっても、

権力は君臨する。

そして、権力は間違っていることもある。

特に、長く続く権力は必ず腐食する。

スポーツ界のパワハラ不祥事を

みるとよくわかる。

権力が長く続けば、

見て見ぬふりをする輩が

まわりを囲む。

権力がミスをおかしても、

誰も何もいわない。

権力はわがもの顔で増長する。

その時、

権力にもの申せる自分でいられるか。

いるためには何が必要か。

いろいろなものが必要となるが、

その中で一番必要なのは

自力ではないだろうか。

どんな状況でも評価される、

権力に抑えつけられそうになっても、

平気でいられる自力の強さ。

その自力という強さを

もっていたいものだ。

 

 

輝きを放つ生き方

 

(今日のコトバ)

 

めざした星の輝きが

大きければ大きいほど、

あなたの輝きも大きくなる。

 

 

 

目標をどこに置くか。

生きていると大事なテーマだ。

すぐ手の届く目標もあるし、

人生を懸けて挑む大きな目標もある。

どちらも一つの目標だ。

いいわるいはない。

ただ、これだけはいえる。

大きな目標に本気で挑んでいる人は、

輝きを放つということ。

目標に向うアクションが大きかったり、

熱い言動だったり、

真摯に追求する姿勢だったり、

とにかく、人に訴えるものがある。

人より多い熱量が輝きを放つ。

オーラということかもしれない。

人生、一生一度なら、

この輝きを放って生きるのも

素敵なこと。

大きな目標に挑んでいる人をみると

そう思うのだ。