現場にいない者の声はヤジにしかならない

 

(今日のコトバ)

 

スタンドからヤジを

飛ばすことはできても、

ファインプレーをすることは

できない。

 

 

 

何かを成すのは、

すべて現場のプレーヤー。

辞めてしまった人は、

成す権限がなくなる。

あたりまのことだ。

だが、人は、

辞めていても、

あるいは、遠くにいても、

何かをいいたい生きもの。

もっというと、

ちょっと距離をおいて、

自分が傷かない場所で、

偉そうなことが

いいたい生きものである。

ただ、冷静に考えると、

現役でない者が、

グラウンドではなくスタンドでいる者が

偉そうなことを発するのは、

とてもかっこワルいこと。

自分以外の人間を見ればわかる。

人は弱い生きものでもあるから、

偉そうにしたいこともわかる。

ただ、現場にいない者の発する言葉は、

ヤジにしかならない。

そのことを少しだけ

意識して生きてみてもいいと思う。

同じスタートラインに立てる新人という季節

 

(今日のコトバ)

 

スタートラインに

立てたということは、

それだけで

幸福を分配されているんだ。

 

 

 

 

春。

新入生・新入社員が

一斉にスタートラインに立つ。

同じ条件とはいわない。

学校により、会社により、

まったく違うスタートになることも

あるだろう。

ただ、ほぼ同じ条件で

スタートできることは、

人生においてそれほどない。

社会は、どこかで

ハンディキャップマッチに

なるようにできている。

人生を長くやっていればわかる。

資産家の親のコネがあったり、

知り合いがいるから

有利に働いたり、

罪なことをしている人がいたり等で、

社会は同じ競技をしているのに、

まったく働く条件が

違ってくることがある。

その中で、

新人というスタートラインは、

ほぼ唯一といっていいほど、

同じ場所で勝負がはじまる。

つまり、

同じレベルで勝負できる。

同じレベルで見てもらえる。

人生の幸せな季節。

そんな春を大事にして

生きていきたい。

 

自由が自由に生きる

 

(今日のコトバ)

 

規制の中でこそ、

自由は生きてくる。

その時、自由は

想像力と名を変える。

 

 

 

 

何もないところで、

何をしてもいい。

自由に考えていい。

そういわれると、

自由はあまり

自由にならない。

漠然と、だらしなく、

何もしないで時間をつぶすことが、

自由になってしまう。

では、ほんとうの意味で自由が

自由に生きていくのはどこか。

それは、ある程度の規制がある中では

ないだろうか。

時間割なり、領域なり、割り振りなりの

規制がある。

その中の使い方は、自由。

自分のスタイルで、

自分のスキルで、

自由を使っていく。

その時の自由ほど、

自由がイキイキすることはない。

自由が想像力を持って、

自由を使う。

「自由に生きろ」

「自由に生きたい」

人はいつもそう思っている。

その時、自由の前に

ある程度の規制がある時、

自由に生きられる。

そのことを忘れてはいけない。

自分を見極めてから比較しよう

 

(今日のコトバ)

 

誰かと幸せを比べているうちに、

新しい幸せが生まれていることを

見逃してしまった。

 

 

 

 

人は、比較する生きものだ。

自分と誰かを比較する。

比較して自分の方が劣っているから、

努力して誰かを越えようとする。

比較が努力目標になることがある。

反対に、比較して誰かの方が

劣っているから、

上から目線になる場合もある。

人はそれぞれの考えがあっていい。

誰かと比較することも

人生では必要だ。

ただ、比較ばかりするがあまり

自分のいまある幸せを

見失ってしまうことがある。

自分がいまどれだけ幸せか。

そこを理解してから、

誰かと比較しても遅くない。

無理やり人と比較級になって、

自分の行く方向を

間違ってもしかたない。

まず、自分の持ってるものから

見極めてから人と比較する。

幸せを身に着ける一つの秘訣だ。

どん欲を探せ

 

(今日のコトバ)

 

どん欲になれたということは、

好きってこと。

 

 

 

自分がどれだけ好きかを

はかる時、

何をものさしにするか。

いちばんわかりやすいのは、

どん欲になれるかどうかで

はかる。

だれかに強制されるのではなく、

自らどん欲になれるもの。

どん欲になれるものだったら、

いちいち考えなくても、

好きなはず。

だから、

いま、好きなもの、

やりたいものが見つからないなら、

どん欲になれるものを探す。

夢中でできる何かは、

自分のやりたい方向と合致するはず。

そこを突き詰める、磨くことをすれば、

好きなのが明解になる。

好きなものがわからない人は、

どん欲を探すのだ。

短所は短く、長所は長く

 

(今日のコトバ)

 

短所は、短く使うところ。

長所は、長く使うところ。

 

 

 

人には、短所・長所がある。

短所によって、人生で失敗することが

あったり、

長所によって、人生で成功することが

あったり。

その反対もあったりする。

ただ、短所も長所も生まれついて

持ったものだから、

多少の修正はできても、

完全修正はできない。

だとしたら、

上手に付き合っていけばいい。

失敗する可能性が高い

短所を使ってしまう時間を短く。

評価される可能性が高い

長所を使う時間を長く。

短所というからには、

短く使う。

長所というからには、

長く使う。

その気持ちを意識するだけで、

人生は少しだけ生きやすくなる。

自分の長所を長く使う

生き方を考えよう。

 

敵は味方の中にもいる

 

(今日のコトバ)

 

頼れない味方は、

第二の敵である。

 

 

 

 

あらゆる戦う場面で

思うことがある。

味方であるのに

足を引っ張る人がいる。

特に、チームプレイが必要な戦いでは、

足を引っ張る人が致命的になることがある。

その足を引っ張る人とは、

何も能力がない人ではない。

一番はやる気を見せない人。

次にチームのムードを壊す人。

この二つのタイプは、

目的に向けて走る時、

ほんとうに足手まといになる。

戦いの勢いをそぐだけでなく、

勝とうとする意欲もそいでしまう。

敵より敵になってしまう。

むしろ、敵は努力目標となって、

いい作用をつくり出せるが、

足を引っ張る人は、

どうにもならない。

だからこそ、

戦いに挑む時、

チームで戦う時、

自分の味方は誰か、

はっきりさせる必要がある。

同じ目的に向かって

走れるか。

違う方向へ向かないか。

やる気を見せず

停滞ムードをつくりあげないか。

敵は、味方の中にもいる。

そのことを忘れてはいけない。

 

自慢話は、自信のなさから

 

(今日のコトバ)

 

自慢の背骨は、

虚勢で出来ている。

 

 

 

必要以上に自慢話をする人がいる。

誰も聞いていない。

話が大きすぎる。

いちいち癇に障るなど、、、。

自慢話をする人すべてに思うことが、

「自信がない人」ということ。

自信がないからこそ、

わざと自信があるよに見せようと

虚勢をはる。

聞いている人々は、

自慢を凄いなどと思わず、

ただただ不快な気持ちになる。

自慢をする人は、

そこに気づかないでいる。

自慢をしていれば、

自分が上に立てる、

自分が優越感にひたれる、

自分の位置が確保されると思っている。

反対に自分が話を聞く側に

なってみれば良くわかる。

相手の自慢話ほど、

気分を害するものはない。

自慢話をどう考えるかだが、

自分が聞く側になってみればいい。

異常に虚勢をはった

自慢話はしなくなる。

自慢話の不快感がわかるはずだ。

 

 

常識が非常識に、非常識が常識に

 

(今日のコトバ)

 

常識は劣化して中古品になり、

非常識は進化して新商品になる。

 

 

 

 

人は常識の中で生きる。

常識をはみ出してしまえば、

罪になることもある。

ただ、常識にも

賞味期限がある。

「この常識は、

いまは通用しなくなった」

ということもある。

例えば、現代と昭和の常識では、

まったく違ってくる。

鉄拳制裁あたりまえの昭和は、

先生が殴るなどあたりまえ。

家庭でも、部活動でも、

暴力は標準的にあった。

昭和で先をゆく者の暴力を

否定したら、

その人が非常識と呼ばれたりした。

現在は、どの世界でも暴力はNG。

平気で暴力をふるう者こそ、

非常識の権化になる。

昭和の鉄拳制裁という名の

暴力は、「暴力ではない、愛情だ」

といわれた。

そんなこと一つをとっても、

常識は非常識に、

非常識は常識になる。

だからこそ、

常識も疑ってみる。

そのことを意識して

生きることで本当の常識が

わかってくるのだ。

意志の下の意地

 

(今日のコトバ)

 

意志が地に足をつけて、

意地になる。

 

 

 

成長するためには、

意志が必要になる。

強い意志であればあるほど、

大きな成長につながる。

その意志が一過性ではなく、

信念として続くものであると、

それは意地になる。

人生のあらゆる問題を

解決するには、

意地が必要。

また、勝負の最後は、

意地の戦いにもなる。

そのためにはじめに必要なのは、

強い意志。

しっかり持ち続ければ、

自分の成長につながる。

そのことを忘れてはいけない。