夢に行動計画

 

(今日のコトバ)

 

夢というから

届かない星になる。

目標にして手を伸ばせば届く

数字にすればいい。

 

 

 

夢があることは

素晴らしい。

夢に向かって生きることも

ロマンがある。

だが、ただ夢だけ描いて、

夢の前で立ち止まったり、

夢の途中で迷ってしまう人が

たくさんいる。

近くで見ているとよくわかる。

「夢はあるのだか何かが足りない」

その何かとは、何か。

いちばん欠けているのは、

夢が目標になっていないということ。

もっというと、

夢にスケジュールがない。

夢に数値目標がないということ。

夢という漠然としたものには、

スケジュールや

数値という具体的なものが必要。

具体的な行動計画ができた人から、

夢は実現していく。

夢追い人なんていう言葉があるから、

猪突猛進に夢に突き進む感じがするが、

本当は行動計画がとても重要。

そのことを意識すれば、

夢と自分の関係が良好になるはずだ。

 

使える範囲内で生きていく

 

(今日のコトバ)

 

まともに生きると予算を

オーバーするが、

知恵でなんとか

予算内で生きていくのが

人生ゲームだ。

 

 

 

生きたいように、

自分が好きなように、

何も考えずに生きたら、

きっと、ほとんどの人は

破産するだろう。

自分の財産の範囲内で、

財産がおおげさなら、

使える範囲内のお金で

生きていくのが人間の知恵。

その使える範囲内のお金で、

どう人生を構築するか、

どう人生を彩るか、

どう人生を楽しむかを考えるのが

人生という名のゲーム。

そう思うと、

一人一人の人生が

まったく違うものだと気づく。

同じお金を稼いでも、

使い方はみな違う。

そこに個性があるといってもいい。

個性でお金の使い方が変わる。

個性で人生が変わる。

できれば、どういう個性でもいいから、

みんな幸せになれると素晴らしい。

お金だけではない部分もある。

だが、まずお金の使い方は、

人生を幸せにするのに大きな

ポジションを占める。

そこを忘れないで生きていきたい。

 

 

ブレない眼と生きていく

 

(今日のコトバ)

 

シェークスピアの脚本は

言葉の羅列だが、

読者が想像すれば

革命を起こすこともできる。

 

 

 

例えば、書物は言葉の羅列だが、

その言葉の意味をどう解釈するか、

どう想像するかによって、

まだ見ぬ発見や

新しい改革を

起こすこともある。

読んだ者の解釈・想像力次第で

言葉の羅列の書物は、

歴史を塗り替えることさえある。

つまり、何が書かれているかより、

何を感じたかの方が

大きな意味を持つ。

時代は高速で変わり、

世の中の変貌も激しいが、

それでも、

発信してくるあらゆるものから

自分は何を感じて、

何を発想するか。

そこが大事になってくる。

その何を感じるかに

ブレない眼があると、

時代や世の中に流されずに

生きていける。

自分の解釈、

自分の想像力で、

新しい何かを生み出せる。

まずは、自分のブレない眼を

育てよう。

 

毎日のあたりまえが幸せ

 

(今日のコトバ)

 

幸せは、大が小を兼ねない。

小さな幸せが大きな幸せより、

よっぽど大切なこともある。

 

 

 

夢が実現した時のように

大きな幸せを

感じることはあると思う。

だが、幸せを一つ一つ考えみると、

小さな温かさの

複合体だったりする。

例えば、毎日、

ゴハンをおいしく食べられる。

毎日、グッスリ眠れる。

毎日、働く場所がある等。

あまりにもあたりまえだから、

幸せにカウントしない人も

いるかもしれないが、

生きるためのカタチを

つくってくれるものは、

すべて幸せに属するはずだ。

それを一番感じるのは、

毎日のルーティンが

できなくなった時。

健康、食事、睡眠、仕事等。

あたりまえにできたものが

できなくなると、

いかに毎日のあたりまえが

幸せかを知る。

そう思うと、人生で、小さいけれど

幸せになっていることが

たくさんあるはず。

一つ一つのあたりまえを幸せに思う。

それだけで、人生は、

素晴らしいものに思える。

幸せに包まれていることに

気づくはずだ。

やる気持参のこと

 

(今日のコトバ)

 

参加するなら、

いつでも雨天決行の気持ち

持参のこと。

 

 

 

 

とにかく、やる気。

やる気が漲ぎらせて

取り組まれると、

相手やまわりの人はのまれる。

その熱さに、その行動力に、

圧倒される。

圧倒さえできれば、

やる気のある者の

ペースが生まれる。

ペースさえ自分のものに

してしまえば、

自分のやりたい雰囲気で

活動できる。

やる気を出すだけで

開ける状況はあまりにも大きい。

だからこそ、

どんな状況においても

やる気を持参する。

スキルだけでは

どうにもならない時、

やる気は大きな武器になる。

忘れてはいけないことだ。

 

溜めることより、抜いていくこと

 

(今日のコトバ)

 

平凡な一日、

思いっきりあくびをしてごらん、

いのちが深呼吸するから。

 

 

 

土曜日。

休日の人も多いと思う。

忙しい毎日から解放されて、

ちょっと一息入れる。

このちょっと一息入れることが、

長い人生には大切。

ガス抜きをして生きる人と、

ガスを溜めて生きる人では、

当然、どこかで体調に差が出る。

できれば、

ガスの抜ける生き方をしたい。

少しずつでいい。

気づいたらでいい。

溜めることより、

抜いていくこと。

そこを意識して

生きていくだけで、

生きることが楽になっていく。

いま、

ガスが溜まっていると思う人は、

ガスを抜く生き方をしていこう。

人生は長い。

何事も溜めすぎるてはいけないのだ。

他の誰でもない自分を愛する

 

(今日のコトバ)

 

欠点だらけの自分を肌身離さず

持って生きてくれたのは、

自分だけだった。

 

 

 

「最後は、自分」というけれど。

どんな欠点を持っていても、

人生がはじまり終わるまで、

一生付き合わなくてならないのは、

自分。

他の誰かになりたくても、

絶対になれない。

だとすれば、

欠点も含めて自分を

愛することに気持ちの重点を

おいてもいい。

他の誰でもない自分を愛する。

唯一無二の自分を愛する。

多少、欠点があっても、

自分の至らなさがわかっても、

自分を愛する。

どうせ一生、一緒に生きていくのだ。

愛さなければ、

つまらない人生になり兼ねない。

いま、自分が嫌だと思ったり、

自分の欠点が嫌だと思っている人も、

一度、一生付き合うパートナーとしての

自分を考えてみよう。

少しだけ自分が愛しくなったり、

少しだけ自分がかわいくなったり

するだけでも、大幅な進歩。

人生を愛する。

そのために、まず自分を愛するのだ。

上積み時代

 

(今日のコトバ)

 

下積みなんて一つもなかった。

世の中は、すべて上積みにしてくれた。

 

 

 

「あの下積み時代があったからこそ」

という人がいる。

修行時代や不遇時代に、

切磋琢磨し、技を覚え、ガマンを覚え、

成長した時期を下積み時代というのだろう。

ただ、言葉だけの問題かもしれないが、

「下積み」といってしまうと、

苦しみだけで、下へ、

下がってような気もする。

ほんとうは、修行して成長しているなら、

すべてが上積みといっていい。

できなかったことが、

できるようになっている。

誰だかわからなかったのが、

一個人として名前がとどろく等。

下積みという時間は、

確実に上積みの時間になっている。

そう思うと、

下積み時代ではなく

「上積み時代」といってもいい。

人生は上積み多いほど

素晴らしいものになる可能性がある。

下積みという名の上積みを

続けていこう。

 

進化したい時は、新人になる

 

(今日のコトバ)

 

人は、

新人の間だけ無色になれる。

 

 

 

自分が一番まっさらになれる時は、

どんな時だろう。

はっきりといえるのは、

新人としてスタートした時。

いやがおうでも

まっさらにならざる負えない。

何もわからないから、

すべてを吸収しようと、

自分を無色にする。

振り返っても、

新人時代といわれた時が

一番素直に新しい技術を

取得している。

そう考えると、

もっと貪欲に何かを

吸収したい時は、

新人になれる環境を

つくればいい。

新人という環境は、

自分の吸収力をMAXにできる。

人生で一番進化できる

状況がそこに生まれる。

自分の進化は、

新人になることにあるのだ。

自称と実物は違う

 

(今日のコトバ)

 

自称とは、

偽物が被った仮面である。

 

 

 

「自称、〇〇」という人がいる。

誰かにいわれるでもなく、

自分で、

「こんな人間だ」アピールする人。

ある意味、自分で自分を

語っているのだから、

ある程度間違いないのかもしれない。

だが、この自称をそのまま鵜呑みに

するわけにはいかない。

たいがいが、ハッタリの自称だったり、

虚偽の自称だったり、

誇張の自称だったりする。

本人の実物とは違う

ニセのプラカードのようなもの。

人は、自分を時に大きく見せたいもの。

その時、自称という自作の看板で

実物と違う自分を発表してしまう。

発表はいいが実物の自分が知れた時、

評価が急降下することもある。

だからこそ、自称は

慎重にしておきたい。

後で地雷原にもなる可能性もある。

そのことを忘れてはいけない。