外面も自分

 

(今日のコトバ)

 

外出着を着た建て前の自分、

裸のままの本音の自分、

どちらも自分の姿であることを

忘れてはいけない。

 

 

 

他人は、人間のことを外面で評価する。

親友や恋人などの特別な関係の人は、

素顔を知って付き合ってくれるかもしれない。

だが、会社の付き合い、学校の付き合い、

取引先の付き合いなどの、

公で付き合う人は、

外面しか知らない。

内面がいい人であることなんて

関係ない。

外面でその人間は評価される。

と考えると、

外面も自分なのだ。

オンとオフとか、

公と私とか、

裏と表とか、

人の顔も様々だ。

その顔がどちらも自分として

評価される。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

意地は孤独でできている

 

(今日のコトバ)

 

そんなに意地をはらなくていい。

意地の半分は孤独でできているのだから。

 

 

 

人生のさまざま場面で、

人は意地をはる。

特に、意見が合わない場合に

意地をはるのだが、

その意地をはる時の

深さにはいろいろある。

ちょっとした

気持ちの行き違いもあれば、

本気で相手が嫌いになって

意地をはる場合もある。

日々の暮らしのなかで、

ささいなことで意地をはる場合は、

すぐに解決できるかもしれない。

ただ、本気で意地をはると、

取り返しのつかないことに

なることもある。

さらに、意地の原因を探ると、

自分の孤独にいきつく。

意地をはったから孤独なのか。

孤独だから意地をはったのか。

どちらが先かわかない。

ただ、意地の多くは

孤独で占められている。

そう思うと、意地を張り過ぎると、

気持ちは孤独でいっぱいになる。

わざわざ

自ら孤独になることもないと思うなら、

意地を無理してはらなくていい。

人生、孤独の時間を

無理につくることはないのだ。

他力が魅力を感じる自力になる

 

(今日のコトバ)

 

他力だって、自力を持った者に味方する。

 

 

 

人の力を借りたい時がある。

大きな目標であれば、

どうしても一人では達成できない。

自分以外の力を借りて、

なんとか目標に近づきたい。

その時、人は力を貸してくれるか。

いろいろな人がいるから、

多少、力を貸してくれる人もいるだろう。

だが、最大限の力、求めている力を

他人から貸してもらおうとしたら、

自分自身にもそれ相応の力が

なければならない。

力は、力を知る。

いい意味でも、ワルい意味でも、

力ある力は、力ある力を求める。

他力だって、

自力のある人につながりたがる。

そう考えると、

大きな目標達成のために

優れた他力のサポートを仰ぎたいなら、

自分の自力も強化する。

他力が魅力を感じる自力になる。

そのことが一番大切なのだ。

能力を磨いて人生を有意義にする

 

(今日のコトバ)

 

誰にも似ていない

自分という才能に生んでもらったのに、

磨かなければ、

その他一般という無名に変えられてしまう。

 

 

 

何か才能を持っていると、

付き合いのあった人すべてに感じる。

身体能力に優れた人。

学習能力に優れた人。

芸術能力に恵まれた人

人格が素晴らしい人、、、、、。

人には、何か優れたものがある。

だが、その優れたものを放置して、

自分の力にできない人もたくさんいる。

せっかく、一生一度の人生だ。

自分の得意な能力で生きるべき。

そのためには、得意なだけでなく、

しっかり磨いて、

万人が認める力にすることが大切だ。

もし、磨かないと

「得意な能力を使わないで、もったいない」

ですまされてしまう。

人生は、自分の生きたいように

生きられることほど

素晴らしいものはない。

そのためには、得意な能力を磨いて

その力で生きる。

人生を有意義にするためには

大切なことだ。

いい訳も利用する

 

(今日のコトバ)

 

夢は、

いい訳する者に耳を貸すほど

お人好しじゃない。

 

 

 

自分に負い目があると、

何事もいい訳をはじめるのが

人間だ。

基本的に人間は弱い生き物だから、

いい訳をするのもわかる。

自分を振り返ってみても、

人生がしんどい時、

いい訳することが多い。

だから、

絶対いい訳がいけない等といえない。

だが、大きな目標をもった時、

いい訳をするようだと、

達成するための妨害行為になってしまう。

ただでさえ困難であろう道程に、

もう一つ障害物をつくるようなもの。

前進しづらくなることこの上ない。

反対に考えれば、

いい訳が出た時、

目標への過程を

うまく消化していないという

アラートだと思えばいい。

いい訳をするたびに、

軌道を確認する。

いい訳をチェックポイントにする。

そう考えれば、

いい訳も目標達成への障害物から

道標に変わる。

いい訳も利用価値が生まれて、

目標達成へ役立てることもできる。

いい訳も人生のために役立てよう。

 

 

そこまでではない自分

 

(今日のコトバ)

 

そこまででいいと決めてしまった人を、

そこまでの人という。

 

 

 

「あいつは、そこまでのヤツだ」と

いわれる人がいる。

力不足の意味もあるし、

やる気が持続しないという

意味もあるだろう。

もう一歩踏み込んで考えると、

「もう少しがんばればいいのに」

「そこまででいいなんて一線を引くなよ」と

思われている言葉のような気がする。

そこまでの人=

ここまでいいと

自分の人生を線引きした人でもある。

そう思うと、

そこまでの人と思われることは、

少しもったいない気がする。

たった気持ちが引いた一線で、

成長することをあきらめてしまう。

自分の可能性をあきらめてしまう。

自分の人生の扉を

閉めてしまうといってもいい。

だから、そこまででいいという

簡単な言葉で自分を縛るのはやめよう。

そこを越えれば、

もっと違う自分に出会える。

もっと成長した自分に出会える。

そこまでではない自分が生まれるのだ。

気にしないライン

 

(今日のコトバ)

 

気づくことは大切だが、

気にしないことは、

それと同じぐらい大切。

 

 

気を使い過ぎて、

しんどそうだなと思う人がいる。

よくいえば気配りが徹底している人だが、

ワルくいえば神経質過ぎる人。

必要な時だけ気を配って、

そうでない時は

気をつかわないことができれば、

気疲れすることもないだろう。

ただ、気配りができる人に限って、

いつも満遍なく気を使う。

では、どう気を配り過ぎるのを解決するか。

一つはオンとオフの切り替え。

公の場とプライベートの場は分ける。

リラックスする時間をつくる。

もうひとつは、

あえて気にしないことを意識する。

自分の中で線引きして、

ここからは気にしないというラインをつくる。

人生は複雑に絡み合っているから、

簡単に整理できるとは限らない。

だが、気配り過ぎることが

自分を苦しめるなら、

気にしないラインを決める。

そして、そのラインを意識する。

それだけで、

少しだけ楽になる生き方ができるはずだ。

 

 

生きてきた時間を信じろ

 

(今日のコトバ)

 

生まれてから今日まで生き延びてきたんだ。

生き抜く方法なんて、もう身につている。

 

 

 

 

明日に向かう時、

新しい一歩を踏み出す時、

不安になることがある。

どれだけ準備をしても、

どれだけ訓練を積んでも、

怖さがぬぐえない。

そんな時、

忘れてはいけないことがある。

生まれてから今日まで、

生き延びてきたということを。

この長い時間に、

途轍もない数の経験を積んできた。

その経験の中に、

明日へ向かうための知見、

新しい一歩を踏み出すための自力が

身についている。

そのことを思い返せば、

怖れることはない。

否、怖れることは半減するはずだ。

もっと簡単にいうと、

生きてきた時間を

信じればいいということ。

自分は、自分が思うほどヤワじゃない。

生き抜てきた時間は、

自分を裏切ることはないのだ。

人生の正解を生きているか

 

(今日のコトバ)

 

どこにいるより、

ここにいることが輝いている。

そう思えたら、人生正解。

 

 

 

 

ここで仕事をすることが天職だ。

ここで生きることがイキイキする。

ここで過ごすことが一番楽しい。

そういう人生をおくれたら、

最高だと思う。

と同時に、

人生は間違っていないとも

思えるはずだ。

生きるということは、

楽しいことだけが守備範囲ではない。

苦しい、つらい、悲しい、寂しい等、

最高とはよべない気持ちになることも

たくさんある。

様々な感情が生まれては消えていく。

その中で、

いま生きることが最高といえる場所に

いることができたら、

人生は正しいと思える。

正解を生きている。

最高だと思っていい。

ただ、人生の正解は時間が経つと

変わっていく。

5年前の正解が、

今年の正解だとは限らない。

そのことを理解しながら、

精一杯生きる。

そう、人生は正解探しの旅なのだ。

 

弱みこそ丁寧に付き合う

 

(今日のコトバ)

 

短所は、短気に扱わない。

 

 

 

短所。弱点。

自分には弱みがある。

その弱みを

雑に扱ったり、

短気に扱うと、

より弱みを強調してしまう。

あたりまえだが、

弱みだから人より劣っている部分。

その劣っている部分と

いいかげんに付き合っていると、

後で大やけどをする。

弱みだけに、

責められると崩壊は早い。

だからこそ、

丁寧に弱みと付き合う。

大切に弱みを扱う。

補強できるのであれば

補強して弱みを弱みでないレベルへ

近づける。

それこそが弱みとの付き合い方。

少し意識するだけで、

弱みが大きな弱点にならずにすむ。

弱みこそ、丁寧に付き合おう。