(今日のコトバ)
脱線した先にも人生はある。
レールの上ばかり走らなくてもいいんだ。
あまりにも規定路線の上ばかり走ると、
途中で息苦しくなってくる。
敷かれたレールの上を着実に進んでいく。
予定通りに走ることができる人は、
きっと、超人的な能力の持ち主。
発車時間に遅れたり、乗り過ごしたり、
下車して休んだり、あるいは、違うレールを求めて
走ることの方があたりまえなのだ。ただ、
社会はコンプライアンスや情報過多の時代になって、
きちんと生きることを要求する。
言い方を変えれば「なぜできないの?」と、
決められたレールを走らない人を
小馬鹿にした社会になってきた。
人間は、生き物。人間は、動物でもある。
あまりに自分の生き方と違う状況で走ることはできない。
個性を尊重しようというわりには、
画一化したパッケージに人間を押し込める。
ほんとは、もうみんな気づいているはずだ。
「息苦しいよ、世の中」と。
もちろん、犯罪を許そうということではない。
ただ、もっと、ゆっくり生きる人がいていい。
もっと、別の道を歩む人がいていい。
もっと、機械から離れた人がいていい。
もっと、もっと、もっと、
自分のレールの上を走る人がいていいと思うのだ。
清原和博のように飛び抜けた才能があるため、
高校時代から注目を集め、自分のレールではなく、
まったく作られたレールの上を走り続けた人もいる。
結局、走り続け着いた駅は、
きっと、目指した駅ではないはずだし、
こんなはずではなかったと思うこともあるだろう。
彼だけではなく、何かが違うと思って、
社会のレールを走り続けてしまう人はたくさんいる。
その人たちは、一度、立ち止まって、
自分のレールを点検してみるといい。
このまま走っていていいのか。
レールは壊れてないか。自分は壊れてないか。
もし、点検して整備不良が見つかったら、
何かを変えていくことを考えるべきだ。
駅で休むのか。別の路線に乗り換えるか。
あるいは、このままの路線でいいが
鈍行に乗り換えるのか。
少しだけでも考えることで、
自分のレールを走ることができる可能性が広がる。
人生は予定通りに進行しなくていい。
自分がいかに幸せに生きていけるか。
そこが一番の問題なのだ。
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