人それぞれの進化論

(今日のコトバ)

 

進化論をあきらめた人から、

確率論を走り出す。

 

 

 

 

自分の大きな目標を具現化するために、

人は切磋琢磨する。

特に、若い人ほど、未知の領域へ様々な角度から

挑戦していく。

無限の可能性を信じて努力するといってもいい。

夢を信じているうちは、

無我夢中で走っているうちは、

達成する度合いはともあれ進化している。

ただ、年をとって限界を感じたり、

いい結果が出なくなると、

進化という言葉に疑問を感じる。

「ジタバタしても変わらない」

「どうせ無理だろう」

というあきらめに似た気持ちになってくる。

そういう状態になると、

できる範囲という確率が幅を利かせてくる。

確率。確率論。

正しいことではある。

誰もが考えることではある。

ただ、確率になると、

あたりまえなことをあたりまえにしかやらなくなる。

あたりまえのことをやることだって大変だ。

だが、そうなると挑戦とか、冒険とかの

未知との戦いは失われていく。

それで面白いだろうか。

生きている充実感があるだろうか。

人生を面白くするなら、

不確定要素の多い目標に

挑戦することを忘れてはいけない。

どうしても挑戦できないこともある。

年齢、環境、時代、、、、、。

それでも、それらを取り払って挑戦してみる。

確率論は現役を退いてからでいい。

評論家に任せておけばいい。

目標のない人間が考えればいい。

生きている限り、人間は進化できる。

その進化を大切にして生きる。

人生を面白くする選択として進化は

必要不可欠なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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少しずつ本音を伝えておく

(今日のコトバ)

 

 

人は、言葉から悪人の正体を現す。

 

 

 

いちばんわかりやすいのは、

怒った時、キレた時に、

あきらかに発言が変わる人がいる。

「いままでガマンしてたんだ」

「いいかげにしろよ」等といいながら、

まったく違う考えを言い出したり、

語気が強すぎていつもと別人に思える。

生きていると、まわりの人でそうなった人を

何人も見てきたはずだ。

もちろん、自分にも思い当たるふしがある。

とくに、腹が立ってキレた時は、

とんでもないことを言い出すこともあった。

では、普段のコミュニケーションは何だったんだろう?

普段とキレた時、どっちが本当の人格なの?

人格はともかく、キレた時の言葉は

本音であることは間違いない。

とすると、普段は本音で話してない、

本音で生きていないということになる。

よくいえば理性を持って生きているとも言える。

普段はプレッシャーなく、普通にしていればいい。

無理に自分の本音を伝えることはない。

反対に、キレたからと言って、直感的に言葉を発し、

「そんなこと考えたんだ」と捉えられてしまうと、

人間的な評価が下がることになる。

キレた時が本当の人格と思われるのも辛い。

人の生き方は、それぞれのペースがある。

そのペースの中で、普段から本音を伝えて生きる。

全部吐露されるとまわりも困るかもしれない。

だが、ある程度、本音を伝えながら生きていかないと、

キレた時の人格がまった別人になってしまう。

まわりの人は距離をおかざるおえなくなる。

それは、人間関係として不幸なこと。

だから、日々の中で自分の意見として、

自分の弱いところ、自分の怒っているところ、

自分の嫌なところを、伝えておく。

ある日、突然、まったく別人が降りてきたと

思わせないために。

日々、少しずつ本音を伝える。

そんな生き方があってもいいと思う。

 

 

 

 

 

 

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生きる軌跡が奇跡

(今日のコトバ)

 

軌跡は、奇跡に負けない歴史である。

 

 

 

生きているだけという人がいる。

ただ、生きているだけでも大変なことだと思うのだ。

どんなに楽をしても、どんなに逃げても、

何もしないで生きていくことはできない。

生きるための行動があって、人は生きていく。

呼吸をして、食事をして、排せつ行為がある。

学習し、働き、運動する。

報酬をもらい、遊ぶ。

その上、幸せとか、感動とか、興奮とか、

生きているとギフトもついてくる。

「ただ生きているだけ」といっても、

相当なことをこなして命を保っている。

「もう生きているだけで奇跡」といっていいのだ。

人間は欲張りな生き物だから、

普通な生活になると刺激が欲しくなる。

過剰に人生をいじりたくなる。

もちろん、自分が進化するために、

刺激を求めたり、切磋琢磨も必要だろう。

だが、生きていることだけでも、

素晴らしいことだということを忘れてはいけない。

普通の生活も素晴らしいのだ。

生きている軌跡を大切にしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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人と人とはギブ&テイク

(今日のコトバ)

 

あなたにもらったもので生きている。

だから、あなたのために生きていく。

 

 

 

人は一人では生きていけない。

誰かから何かをもらって生きている。

物質的な面だけでなく、精神的な面も、

様々なものをもらって生きている。

そんなことはわかっていると思う。

だが、もらった自分は、

誰かにお返しをしているだろうか。

何気なくお返しになっている場合もあるが、

むしろ、確信的にお返しをしているだろうか。

仲間が困っている時に救いの手を

差し伸べているだろうか。

ボランティア、募金、なんでもいい。

何かをしているだろうか。

もし、何も心当たりがないとしたら、

自分がどれだけ人に支えられているか

を考えてみるといい。

まったく0という人はいないはずだ。

少なくても、自分が支えてもらっている分、

何かをしてもいいはずだ。

ギブ・アンド・テイクという言葉もある。

もちろん、ギブとテイクが

バランスよく行われていることはほぼない。

ギブばかりの人もいれば、

テイクばかりの人もいる。

ただ、ギブばかりの人が、いつかテイクばかりでもいい。

その反対であってもいい。

まったく、人に何もしていないと感じたら、

何かのアクションを起こそう。

人間は支えあって生きている。

もらったらお返しをする。

簡単なことだ。

実行するかしないかだけのことなのだ。

 

 

 

 

 

 

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自分の路線の上を

(今日のコトバ)

 

脱線した先にも人生はある。

レールの上ばかり走らなくてもいいんだ。

 

 

 

あまりにも規定路線の上ばかり走ると、

途中で息苦しくなってくる。

敷かれたレールの上を着実に進んでいく。

予定通りに走ることができる人は、

きっと、超人的な能力の持ち主。

発車時間に遅れたり、乗り過ごしたり、

下車して休んだり、あるいは、違うレールを求めて

走ることの方があたりまえなのだ。ただ、

社会はコンプライアンスや情報過多の時代になって、

きちんと生きることを要求する。

言い方を変えれば「なぜできないの?」と、

決められたレールを走らない人を

小馬鹿にした社会になってきた。

人間は、生き物。人間は、動物でもある。

あまりに自分の生き方と違う状況で走ることはできない。

個性を尊重しようというわりには、

画一化したパッケージに人間を押し込める。

ほんとは、もうみんな気づいているはずだ。

「息苦しいよ、世の中」と。

もちろん、犯罪を許そうということではない。

ただ、もっと、ゆっくり生きる人がいていい。

もっと、別の道を歩む人がいていい。

もっと、機械から離れた人がいていい。

もっと、もっと、もっと、

自分のレールの上を走る人がいていいと思うのだ。

清原和博のように飛び抜けた才能があるため、

高校時代から注目を集め、自分のレールではなく、

まったく作られたレールの上を走り続けた人もいる。

結局、走り続け着いた駅は、

きっと、目指した駅ではないはずだし、

こんなはずではなかったと思うこともあるだろう。

彼だけではなく、何かが違うと思って、

社会のレールを走り続けてしまう人はたくさんいる。

その人たちは、一度、立ち止まって、

自分のレールを点検してみるといい。

このまま走っていていいのか。

レールは壊れてないか。自分は壊れてないか。

もし、点検して整備不良が見つかったら、

何かを変えていくことを考えるべきだ。

駅で休むのか。別の路線に乗り換えるか。

あるいは、このままの路線でいいが

鈍行に乗り換えるのか。

少しだけでも考えることで、

自分のレールを走ることができる可能性が広がる。

人生は予定通りに進行しなくていい。

自分がいかに幸せに生きていけるか。

そこが一番の問題なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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目標がぼやけない

(今日のコトバ)

 

抜けない背中はない。

 

 

 

 

目標を持った時、

どこまで行けば、どこまでできれば目標達成なのか。

自分で明解に設定できると、

目標はつくりやすい。

だが、「・・・・ぐらいへ行ければいいかな」

「・・・・・・・ぐらいまでできればいいかな」と

抽象的になると、目標はぼやける。

具体的になればなるほど、

自分の動き方がシンプルになる。

特に仕事の現場でできる人とそうでない人の差は、

この目標のつくり方が最初の差になってくる。

もちろん、能力、センス、行動力、粘り等、

様々なフィルターはある。

ただ、仕事を高いレベルで完了する人は、

目標は実に明解だ。

そして、無謀な目標ではない。

低いレベルのものでもない。

高いレベルでも、その計画なら達成できる。

そう思わせ実行してまう。

なせばなるを自分サイズにカスタマイズしている。

できない目標はない。否、できない目標は

初めから目標にしない。

その目標のつくり方が上手い人が、

社会でできる人になっている。

だから、何かを始める時、

目標づくりを丁寧につくろう。

安直な夢物語では、

目標は実現しない。

捉えられるべき背中を

しっかり見つめて、

走れる計画をつくる。

そこが、目標達成の最初のハードル。

そして、目標がぼやけなければ、

達成の確率は劇的に向上するはずだ。

 

 

 

 

 

 

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否定でなく、肯定でなく

(今日のコトバ)

 

人は誰でも皆、みっともない自分を隠すため

嘘という魔法を使う。

 

 

 

 

なぜ、嘘をつくのだろう。

あれこれ考えてみると、

ダメな自分を取り繕うために嘘をついていることが

ほとんどを占めている。

カッコ悪いからカッコよく伝えるため。

負けているから負けていないように見せるため。

ミスをしたからミスを隠すため、、、、。

反対に、相手のことをおもんばかって、

嘘をつくこともある。

ただ、ほぼダメな自分を隠すための武器にしている。

すべてが悪いことではないが、

人によっては嘘が常習化する人がいる。

つまり、ダメな自分を取り繕うのが

あたりまえになる人がいる。

そこまでいってしまうと、

当然、まわりにいる人間は気づいて警戒する。

必然的に人間関係の距離を遠ざける。

孤立する要因になる。

人は隠したい生き物だ。

そのために服を着て、化粧する。

この社会は、ある程度、隠くさなければならない。

ある程度、嘘が必要な社会でもある。

そこを考慮した上で、嘘は必要なのか。

どこまで必要なのかを自分で知っておくべきだ。

全面否定はできないが、全面肯定できない人間の武器。

たぶん一生、答えが出ない難問だが、

自分と嘘の距離は考えてもいいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

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間口広げて希望をつかめ

(今日のコトバ)

 

今日はただの一日ではない。

一日という時間にもれなく希望がついてくる。

 

 

 

一日は、とても短い時間。

だが、途轍もなく潜在能力のある時間でもある。

使い方次第では、相当のパフォーマンスが発揮できる。

その発揮した先で、思いもかけない出来事が起こる。

もしかするとハプニングかもしれないが、

希望が見つかる出来事かもしれない。

もっといえば、考え方で、ハプニングにも、

希望にもなる。

一日は考え方で変わる。

何をやるか。どう感じるか。

どう生きるかで違ってくる。

ポジティブに出来事を捉えていくと、

すべてが希望に変わる可能性がある。

意識の問題だ。

出来事を希望だと感じれば、

それがチャンスになるかもしれない。

人生は、どこで何が起こるかわからない。

自分の間口を広げて、

希望の先のチャンスをつかむ。

その一歩は、

今日を希望の時間に変えることから始まるのだ。

 

 

 

 

 

 

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生きるための管理

(今日のコトバ)

 

 

左手に臆病、右手に仮病を持って生きる。

(人生それぐらいでいい)

 

 

 

何かに立ち向かう時に、

臆病になって躊躇することがある。

やるべきかやらざるべきか。

戦わなければならない時に、

分析しすぎて足が動かなくなることもある。

さらには、あまりにも難題を突きつけられ、

怖くなって仮病を使いたくなることもある。

臆病、仮病。

生きるためににあまり推奨されない病だが、

時と場合によっては、うまく使うことも大切だ。

出来事にあまりに正面からぶち当たり、

砕け散ってしまうこともある。

真面目に対応しすぎて、

自分を苦しめてしまうこともある。

難題をかかえて、

自分を壊してしまっては何にもならない。

時に、やらないことも選択のひとつ。

時に、休むことも選択のひとつ。

自分と相談して、自分を大切にすることを考える。

人生は長い。自分の管理が大切なる。

いい状態で生きるために自分を大切にしよう。

 

 

 

 

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