このままがつづいて欲しいか

(今日のコトバ)

 

 

最終回のつづきも見たくなるドラマのような人生を。

 

 

 

づづきが見たくなるということは、

素晴らしい状況を現わしていると思う。

つづきが読みたくなる小説、

つづきが見たくなる映画、

同じように、

つづけばいい、つづいて欲しい生活なら

それは、素晴らしいこと。

何も大金持ちでなくても、

何もすべてが満たされていなくても、

普通の生活であっても、

このままつづいて欲しいと思うことは、

生きていく上で、

とても素晴らしいこと。

人は、いつも不満がありグチをこぼしてしまう。

もっといい生活を求めていしまう。

それでも、ちょっと立ち止まって考えてみよう。

このままがつづいていけばいいと思うか。

もし、思うなら、いまの人生はほぼ正解。

素晴らしい人生といっていい。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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人生を最速化する

(今日のコトバ)

 

主語がない生き方では、述語が迷子になる。

 

 

 

「何をするんだ」

「どこへ行くんだ」

「ゴールはどこにあるんだ」

明解にしておかないと、

明快にしておかないと、

どう頑張っていいかわからなくなる。

もしかすると、目的のない分、

無駄な行動をたくさんしているかもしれない。

意味のないものにこだわっているかもしれない。

漠然とやることになってしまうかもしない。

だとすれば、目的をしっかり持って、

道筋をたててしっかりと進んでいく。

つねにゴールを目指していれば、

ブレることもない。

目指すべき目的が、

行くべき道の方向を定めてくれる。

いま、なかなか自分の思うように、

物事が進まない人は、

目的の確認をしよう。

そこに、たどり着きたい目的はあるか。

あれば、そのゴールに向かって進めばいい。

なければ、目的をつくる。

それが人生を加速する、

人生を最速化する第一歩なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人は能力の輝きに敏感

(今日のコトバ)

 

生まれつきの星はいない。

星は人間が人生に磨かれて生まれるのだ。

 

 

 

 

どんな天才も、

何もしなくて才能を発揮できることはない。

人より早く、人より優れて、

能力を発揮できる人は、

訓練や努力を必ずしている。

天才系は、訓練や努力が好きでやり続けるという

行為に変換される。

嫌々でなく、強制でなく、

楽しみに近い感覚で才能を磨いている。

結果、訓練や努力を越えた能力を発揮することになる。

もちろん、巨人の星の星一徹のような鬼軍曹に鍛えられて、

実力をつけて、能力を発揮する人もいる。

自信の不屈の努力であらゆる課題を

クリアして能力を発揮する人もいる。

どんな方法でもいい。自分の合った方法でいい。

能力を磨いて、人より優れた能力まで高める。

それが、自分を輝かせることになる。

人は、人の能力の輝きに敏感だ。

そして、卓越した能力を発揮した時、

人は必ず輝き出す。

もし、いま、人より輝きたい何かがあるなら、

自分の能力を磨く。

自分に合った方法で、

能力を磨くのだ。

 

 

 

 

 

 

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治らないものが自分をつくりあげる

(今日のコトバ)

 

また同じあやまちを繰り返しながら、

私という人間が完成する。

 

 

 

 

 

人には、どうしても治らないものがある。

癖のように知らず知らずに、

同じ行為を繰り返してしまう。

わかりやすくいうと、

「何度いわれても治らない」と、

人からいわれてしまう行為。

たいがいが、「治した方がいい」と思われているが、

治らない。治すことをしようとしない。

どうしようもない自分の行為。

だが、考えようによっては、

この治らない行為を繰り返すことによって、

「私」という自分がつくられていく。

客観視する人からは、

大なり小なり目に余る。

その余るところが自分の魅力でもある。

わるいところを治さなくていいということではない。

ただ、癖のように持って生まれ、

どうしようもなくやってしまう行為は、

自分をつくりあげている。

癖だけではない。

勝負に挑む時の集中力、依頼された時のレスポンス力、

日常に暮らしている時の感度等、

人と違った力は、社会ではよい方に捉えられる行為。

この自分の行為に自分の姿が隠れている。

人生は、自分をわかっいると楽になることがある。

自分が「こうなんだ」とわかれば、

だいぶ救われる。

自分を知るために、

自分の行為を知っておこう。

 

 

 

 

 

 

 

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明日のために、今日ワクワクする

(今日のコトバ)

 

予想不可能な明日だから、

期待でいっぱいにして、不安のつけ入る隙をなくそう。

 

 

 

明日、いいことがあると思うと今日が楽しい。

仮に、今日大変なことがあっても、

乗り切る気力がわいてくる。

遠い先のこと、半年先、一年先、十年先だと、

目標にはなるが、今日のためのエンジンになるかというと、

少々の燃料にしかならない気がする。

明日に希望が持てれば、

今日が素晴らしいものになる。

今日をがんばれる。

だとしたら、明日に楽しいイベントをつくってしまおう。

言葉通り、遊びの楽しいイベントをつくることもあるが、

自分の成果を出せるもの、

勝負のかかったものでもいい、プレゼンもいいかもしれない。

明日がワクワクするものをつくる。

「明日、何かを起こす」と思えば、

きっと、気力が充実する今日になる。

人生はいいことばかりではない。

辛い事、苦しい事がいっぱいある。

その中でどう生きていくか。

遠くに夢を、大きな目標を持つのも大切。

ただ、つねにいちばん近い未来である明日に、

気力がみなぎる状況をつくる。

そこに人生が楽しくなる秘訣がありそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

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小さくなりたい時は、進化の時

(今日のコトバ)

 

いつまで小さくなっているんだ。

もう、これだけ出来るんだから、

小さくなる必要はない。

自分を大きく広げていいんだ。

 

 

 

 

小さくなる。

特に、新しい環境に変わる時、

物事が出来ない時、大先生に教えを乞う時等、、、、。

恐縮して、緊張して、

小さくなる。

仕方のないことだ。

ただ、人には人それぞれ生きてきたキャリアがある。

そのキャリアには、人生のエッセンスがたくさん詰まっている。

人生の経験から、なんとかできる能力は養われている。

生き抜くヒントもいっぱい持っている。

だから、小さくなることはない。

かといって、必要以上に大きくなることもないが、

人生の生きてきた時間に自信を持っていい。

もっといえば、小さくなりたくなる環境は、

自分が進化する状況でもある。

大きくジャンプするために、

腰を深く落として小さくなる。

それぐらいの気持ちでいい。

小さくなりたい環境は、進化の時。

自分を大きくするチャンス。

そう思っていいのだ。

 

 

 

 

 

 

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臆病は危機管理システム

(今日のコトバ)

 

 

臆病は、危ない橋を渡るときの守護神になる。

 

 

 

 

危機察知能力って、何だろう。

考えてみると、自分の生まれつき持っている

臆病という病ではないかと思う。

臆病者とののしられるシーンがドラマなどではあるが、

臆病だからこそ、危ない状況は避けて通ることができる。

真正面から危機的状況に飛び込まない。

隣で起こっている危機に対して、自分がどうするか判断する。

人によっては、臆病でないという人もいると思うが、

臆病だと自分で思っている人が大半なはずだ。

つまり、人間が生きていく上で、

臆病という慢性の病が人生の危機を救ってくれる。

そう思うと、臆病であることはわるくない。

もちろん、ここ一番で臆病でいられない時もある。

だが、一般的におとずれるであろう危機には、

臆病という病が大きく貢献する。

もし、自分が臆病すぎると思っていても

心配することはない。

その病は、人生の危機を陰になり日向になり

救ってくれている。

臆病は自分にとっての危機管理システムなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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逃げない人

(今日のコトバ)

 

 

逃げない者だけ、捕まえろ。

 

 

 

 

 

人生には、苦あれば、楽あり。

山あれば、谷あり。

いいことばかりではないのが人生だ。

そして、困難を乗りきるために、

誰かの手を借りなければならないことがある。

その時、どういう人の手を借りるべきか。

否、どういう人の手が必要か。

ずばり、それは逃げない人。

少々、能力が高くても、少々、人柄がよくても、

困難には立ち向かえない。

ましてや裏切り人、逃げる人は論外。

どんな事態が起こっても、

一緒に対処してくれる。

手を差し伸べてくれる人が大切だ。

もちろん、付き合いも、義理もない人間に、

手を差し伸べてもらおうというのは虫がよすぎる。

日常の付き合い、日頃の行いが、

強い絆を生む。逃げていかない結びつきを生む。

いま、そして、これから、困難に立ち向かおうとする人は、

とにかく逃げない人を大切にしよう。

その人が、人生の困難をクリアしなければいけない時に、

必ず大きな支えになる。

解決に向かっての力になる。

心を落ち着かせてくれる役割も果たす。

逃げない人が大切なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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芽が出る、芽がある

(今日のコトバ)

 

 

芽は、地中から突き出た牙だ。

 

 

 

芽が出るという。

芽があるという。

蒔いた種が地中の土を飛び出して、

正体を現す。

まだ、花にはならないが、

この種は新しい命を生んだことを証明する。

つまり、地上へ、この世界へ、

新しい挑戦者としてデビューすること。

芽が出る、芽があるとは、そういうこと。

植物の芽だけではなく、

人間の生きる世界でも、

芽が出るということは、

新しい発想が生まれて、

大きな成果を生み出す機をつかんだということ。

その芽こそ、

人生を変えていく、

人生を上昇していく好機なのだ。

いま、自分の身の回りで、

芽があるというものがあるなら、

その芽を大切に育てろ。

それこそが、人生の花を咲かせる素になる。

この世界に挑戦していく、

新しい武器になるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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遠慮は、遠慮しなさい

(今日のコトバ)

 

遠慮していたら、この席は敵の指定席になってしまう。

 

 

 

 

日常生活で、ちょっと遠慮してしまう。

「どうぞ、お先に」

「私は、いいから」

知らず知らずに人より後ろに下がってしまう。

日々、起こるささいなことでの遠慮はいい。

ただ、人生の勝負がかかった時でも遠慮してしまう人がいる。

「どうぞ、お先に」

「私は、いいから」

それは、人生で大損する行為になりかねない。

誰がやるのかという時に、

「どうぞ、お先に」では、

能力のあるないにかかわらず、

誰かにおいしいところを持っていかれる。

「私は、いいから」などといってしまっては、

放棄ととらえられてしまう。

自分は何がしたいのか。

自分はどこへ行きたいのか。

自問自答して出した答えがあるなら、

その勝負どころで遠慮してはいけない。

自分のまわりでもいる。

「人がいい。いつも遠慮がち。

ただ、力は持ってる。惜しいなと思う」

そういう人は、勝負どころでも遠慮してしまう。

もったいないし、人生全体で考えたら大損することになる。

そのことを肝に銘じよう。

勝負がかかったところでは、遠慮しない。

ここは、勝負なのだ。

前へ出る。やる気をみせる。

そして、最大限の力を発揮する。

それこそが人生を大きく浮上させるポイントなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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