もっと新しいアクション

(今日のコトバ)

 

もっといいことがある。

そう思って、これからも生きていくのだ。

 

 

 

大晦日。

激動の2016年も今日で終わる。

一年を振り返ると、グッドニュースも、

グッドでないニュースもたくさんあった。

毎年毎年、これでもか、これでもかと、

いろいろなことが起こる。

そのこれでもかをなんとか乗り越えて、

人は生きていく。

もしかすると、それが進歩かもしれない。

進歩といえなくても、少なくとも、

それが経験であることは間違いない。

その経験を財産にできた人は、

もっと新しいアクションができるはず。

一歩といわず、五十歩でも、百歩でも。

ホップといわず、ステップでも、ジャンプでも。

来年という新しい扉を、また、開けるのだから、

もっと新しい何かに足を踏み出そう。

そう思って生きていければ、

少しは明日が明るくなるはず。

今年は今日で終わる。

この財産は財産として人生に積んで、

来年という新しい年に、

もっと新しいアクションを起こそう。

人生は素晴らしい時間の旅なのだ。

 

 

 

 

 

 

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夢のあらゆる側面をみる

(今日のコトバ)

 

夢がやせ細らないように、

夢の口にあう獲物をあたえよう。

 

 

 

 

まったく奇想天外だったり、

まったく好きなものではなかったり、

自分の中から派生していない夢を、

成就させるのは難しい。

どこかに不信感があるし、

やる気にいま一歩問題が出てしまう。

もっというと、夢を設定もすんなり出きない。

つまり、納得していないということ。

あまりケースとしてはないにしても、

会社だったり、自分発ではない夢に巻き込まれると、

時々、そういった夢を持つことがある。

その時、どう自分を鼓舞するか。

一番大切なのは、自分が納得できるよう

夢のあらゆる側面を見つめ直す。

自分がやりたい側面を探し直す。

そこへたどり着くまで、どうするかを考え、

夢を自分事にする。

そこが大切なポイント。

努力も真剣にやると楽しくなるということもある。

自分事すれば、自分が納得する。

納得すれば、動きは良くなる。

夢へまっすぐになれる。

夢のあらゆる側面をみて、

夢を自分事にするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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落としどころ

(今日のコトバ)

 

人間は、落としどころという決着場所を知っている。

 

 

 

どこに着地させるか。

発想も、会議も、組織も、

最後は、そこに神経を使う。

いろいろな考え方があって、

どれをチョイスするか。

それを落としどころという。

落としどころがうまくいくと、

その先の進行はスムーズにいく。

反対に、落としどころを間違えると、

スムーズに進行しないし、いい結果にはならないことが多い。

大混乱の元凶になってしまうこともある。

振り出しに戻るという結果になることもある。

そう考えると、落としどころは慎重を期すべき。

誰かの独善的な意見や肩書きに流されたり、

ただ、反対論を発するのではなく、

何が正しいか。何か効くか。

一番、このテーマに適したものを

真剣に考える、

そしてチョイスする。

せっかく、いい考えがあっても

それを選ばなければ、

何にもならない。

落としどころ。

正しい場所に落とすのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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決壊

(今日のコトバ)

 

限界は、口にするとすぐにやってくる。

 

 

 

 

苦しい状況が続きすぎると、

人は限界を思い浮かべる。

「どこかでギブアップしてしまえば楽になる。

ただし、目的は達成できない。

後少し、ガマンだ」

ガマンして、何とか乗り切ろうとする。

このガマンがどこでガマンできなくなるか。

いろいろなケースがあると思う。

ただ、決壊するのは、

「もう限界だ」と口にしてしまうことだろう。

口にすると、ほんとうに思考停止になるというか、

あきらめが心身共に支配する。

限界を自分で発令すると、

もう一歩もそこから前へ進まなくなるのだ。

反対に考えれば、限界を口にしなければ、

少し限界を遅らせることにもなる。

口にしないことが限界ではない意志表明にもなる。

もちろん、口にする前に限界になっしまうこともある。

だが、一番限界をすぐにつくってしまうのは、

言葉を口にすること。

そのことを忘れなければ、

少し粘り強いに人間になれるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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気持ちを強くするために

(今日のコトバ)

 

気持ちを行方不明にしたら、

気持ちの闘いの時に、

気持ちを前へ出せない。

 

 

 

 

どこに気持ちがあるのか。

何も考えないで過ごし、

何の目的もなく生きる。

そんな状態で生きていると、

気持ちのありかはわからなくなる。

普段、何もない日々はいいが、

ここ一番で勝負がかかる時、

最後に勝敗を決めるのは、

気持ちの問題だったりする。

その時、気持ちがわからなかったり、

気持ちが弱くなったりすると、

勝負には勝てない。いい結果は導けない。

では、気持ちを持つ、

気持ちを強くするにはどうしたらいいだうろか。

それは、目的に向かう日々の中で、

自分をいかに追い込むかにかかっている。

追い込めば、追い込むほど、

自分の気持ちと対話しなければならない。

「まだまだ、やり抜こう」

「後100回、続けよう」

「もう1Km、走ろう」

等々、自分を追い込むと、

自分の気持ちと相談しなければならなくなる。

「もうやめよう」といってしまった時、

気持ちも消えていく。

勝負の苦しい場面で、

はっきり気持ちを見つめ、

気持ちを強く持つのは、

そんな日々の気持ちの追い込みが、

勝負の時に差になってくる。

人生は、どこかで気持ちの闘いになる時がある。

その時、勝ちにいくなら、

日々の気持ちの追い込みを大切にしよう。

繰り返していれば、

最後に力となって、自分を必ずけてくるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

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弱さは、生きるための種

(今日のコトバ)

 

 

人は、弱さを補うために強さをつくるのだ。

 

 

 

 

「弱い」

どんなに強がっている人も、

自分の中に弱さを隠し持っている。

もしかすると、人生は、

その弱さを克服するためにあるかもしれないとも思う。

何かを始める時は、当然、できないわけだから、

弱い方に属し、できるように、

強い方になろうとする。

仮にできるようになっても、

今度はより上手い人に、

自分の能力の低さを気づかされ、

もっと上手くなろうとする。

もっと強くなろうとする。

さらに、頂点に立っている人でも、

孤独の中で自分の弱さと闘っている。

だからこそ、人生が大変だともいえれるし、

だからこそ、人生が面白いともいえる。

どこまでもいっても、弱さとの戦い。

どこまでもいっても、強くなろうとする闘い。

その繰り返しで、進化していく。

弱さは、人にとってかけがえのない

生きるための種なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人としての強さのアベレージを上げる

(今日のコトバ)

 

愛する人がいる場所で、史上最強になる。

 

 

 

何が人を劇的に変えるだろう。

考えてみると、人を愛した時、

愛する人を守ろうと思った時に、

自分の力を凌駕した力を発揮する。

凌駕した力はいいすぎかもしれないが、

凌駕しようとする力が生まれる。

何も腕力が強くなるというのではなく、

人として強くなる、なろうとする。

だから、我慢強くなるということもある。

愛する人がいなければ、

簡単にあきらめたものを、

あきらめずに戦い抜く。

それも、強くなること。

強くなる。

いろいろな意味があるが、

そのすべての強くなるということでアベレージを上げる。

そのキッカケがすべて、

愛する人ができること。

となれば、

強くなるために人を愛する。

そう考えることもできる。

ただ、愛することは計算ではできない。

そこが難しいことでもあるのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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出会いは奇跡

(今日のコトバ)

 

出会いこそが、人生に奇跡を起こすマジックだ。

 

 

 

 

奇跡は、起こる。

否、奇跡は、起こらない。

どちらが正解か。

それは人の感じ方次第だと思う。

何万回に一度と思う人もいるし、

頻繁に遭遇するという人もいる。

ただ、忘れてならないのは、

人生には出会いという奇跡があるということ。

ある出来事があって、

たまたまある人と出会っているように思うかもしれないが、

実は、その人と出会う確率、運命は、それこそ奇跡といっていい。

その出会いがあるから仕事が成功する。

その出会いがあるから愛が成就する。

その出会いがあるから未来が開ける。

仕事の流れだったり、

友達の友達だったり、

自然に出会っている人でも、

人生を大きく変えてしまう人もいる。

人生をどんな意味でも、

大きく変えてしまうのは、奇跡の一つといっていいだろう。

それは、すべて出会いからはじまっている。

とすれば、出会いは奇跡の宝庫。

奇跡が起こらないと思っている人も、

出会いを意識してみるといい。

その後、必ず人生に大きな影響を及ぼす。

出会いは、奇跡なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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動く先に、好機

(今日のコトバ)

 

待っていたら絶対に見えないものがある。

好機という希望だ。

 

 

 

どうしても待ちの姿勢では、損することがある。

それは好機を捉えるということ。

待っている。意識して、待っている。

受け身でいる。心の準備をして、受け身でいる。

言葉としては理解できるが、

なかなか効率のいいものではない。

こちらが能動的ではないのだから、

好機待ちとなる。

好機が必ずやってくるのであれば、

動かなくてもいいのかもしれない。

だが、好機がその場を動かない場合、

待っていては、永遠に捉えることはできない。

だとすれば、自ら動いて好機を捉えにいく、

どんどん好機のある場所に乗り込んでいくことが大切だ。

嫌われたり、無視されたり、不愉快なこともあるだろう。

ただ、待っているよりは、好機を捉える確率は格段に高くなる。

簡単なことで、誰もが言葉でも、頭でもわかっている。

それを行動するか、しないかの問題。

どちらを選ぶかは、自分次第。

好機をいち早く捉えたければ、

自ら動くことが最大の解決法になる。

 

 

 

 

 

 

 

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本当の自分解放区

(今日のコトバ)

 

人は、本名という偽名で生きている。

 

 

 

時々思うことがある。

自分という人間を演じているのではないか、と。

会社や学校等の社会の中では、

決して、本当の自分ではない。

例えば、会社だからこそ、笑顔で対応するが、

利害関係のない場合、絶対にいい顔はしない。付き合わない。

上司や先輩にかわいがられるために、

自分を殺すこともある。

本当の自分、裸の自分ってなんだろう。

人から見えるほど、いいヤツでもなく、

人から思われるほど、わるいヤツでもない。

ほぼ自分しかわからない本性のままの自分が存在する。

そして、社会では、

自分の本名という名の役者を演じている気がする。

「誰も自分のことをわかってくれない」と思うこともあるが、

そんなことはあたりまえで、本当の自分で誰にも接してないのだから、

仕方のないことなのだ。

そう思うと、社会の中で演じている自分ではなく、

本当の自分で気持ちよく生きていける人・場所を持つ。

それが生きるために大切なことになる。

もう一人の自分。本当の自分の解放区を持つのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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