願望達成

(今日のコトバ)

 

欲しいものを欲しいといわなかったら、

誰かの口が欲しいものをくわえていってしまった。

 

 

 

心に秘めてコツコツと願いを叶える。

物語としては美しいと思う。

ドラマをつくるにもつくりやすいかもしれない。

ただ、現実はそうともいえない。

自分の願望は、

はっきりと明快に伝えなければ、

他人はわからない。

こうしたいんだという意志を感じなければ、

誰もわかってはくれない。

自分が願望を叶えるために、

自分以外の力も必要になる。

もっといえば、自分以外の力がとても大きくなる。

その力を利用しなければ、

願望達成までの時間は大きく変わる。

時間がかかっても、達成すればいいが、

一人だけで結局達成できなかったということもある。

さらに、自分が叶えようとしたことを、

他人に叶えられて奪われることもある。

そうならないためにも、

自分の願望は口にだして実行する。

自分が行動するのはもちろん、

まわりの人間も巻き込む。

そこに願望達成の大きな力が生まれる。

生きるために願望達成は大きなモチベーションになる。

人を巻き込んで願望を達成するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人間は自由な生き物

(今日のコトバ)

 

不良を切り取ってばかりいたら、

つまらない大人になってしまった。

 

 

 

品行方正を求める時代だ。

コンプライアンスが幅をきかせていく社会でもある。

同じでないことを極端に排除する世の中にもなっている。

無傷で、無菌状態の人間ばかりがつくり出されている。

先人たちは、世界を良くしようと、知恵を巡らせて、

様々な制度をつくり、人間を枠の中にはめる。

良かれと思って考えた制度ばかりだが、

あまりにも、まともな人間ばかりになってはしないか。

人間は、もともと、どこか不完全なもの。

その不完全なものを埋めようとして、

あるいは売りにして、自分の矜持を持つ。

不良といわれようが、変わっているといわれようが、

少々ズレていようが、それはそれでいい。

敵が多くてもいい。自分の生き方を貫いていく。

そんな生き方がまかり通ったはずだ。

だが、現在は、はみ出したり、普通の基準を守らない人間を

枠の外に追いやる。

昔より、はみ出した人間の居心地を悪くしている。

なんでも、行き過ぎは状況を悪くする。

いまのルール化されすぎた世の中も、

少し考えた方がいい。

そのルールが息苦しくて、

自分を殺してしまっている人間もいる。

人間は、一人一人が違っているから面白い。

みな同じ枠におさめたら、つまらない。

なんとなくそう思っている人間もいるはずだが、

その声が上がらなくなっているのも問題かもしれない。

人間の不完全な部分、人間の未熟な部分を、

もっと認める。もっと自由にしてみる。

元々持っている動物の本能に近い部分も

大切にしていいのではないか。

人間は自由な生き物なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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伸びしろのある慣れ

(今日のコトバ)

 

慣れは、時間がふんぞり返る。

 

 

 

 

人は、毎日同じことをやり続けると慣れてくる。

最初は難しいと思ったことも、

簡単にできるようになる。

難しすぎて手に負えないものは、

うまく、その箇所を避けて作業をしたりする。

人の習性として、すべて慣れてしまおうとする。

ただ、この慣れは途中までいいパフォーマンスをする。

自分便利化とでもいおうか。

難しいものを簡単にする。

それは素晴らしい。

だが、そこで終わらないのも人の習性。

慣れしまうと、力を入れなくなる。

慣れてしまうと、それ以上良くしようとしなくなる。

進化を止めてしまうことにもなる。

慣れは怖い、とよく聞いたりもする。

自分でもそう思うことがある。

だから、まず慣れることは大切にする。

そして、慣れてからを意識する。

もう進化しない慣れなのか、進化できない慣れなのか。

まだまだ伸びしろのある慣れなのか。

伸びしろのある慣れなら、

何度でも新鮮な気持ちになって、

慣れを意識してみる。

そこに、慣れが自分の中で、

いい作用をしていくヒントがある。

そこを意識していくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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幸せの量

(今日のコトバ)

 

すこしの幸せで幸せになれる人を、

幸せ者という。

 

 

 

幸せは、自分の尺度だと思う。

「何もかも手に入っているあの人は、幸せ者だ」

と、まわりの人が思っても、本人が、

まったく幸せだと思っていない場合がある。

また、「家は狭いし、借金もある。子供も多くて、

どうやって生きてくんだろう」と、思われている人も、

自分たちの状況を楽しんでいて、幸せだという人がいる。

同じようなケースはいくらでもある。

金持ちだから、社会的に高い地位にあるからといって、

幸せだと感じない人はたくさんいる。

貧乏であっても、不健康であっても、置かれた立場を

恨んだりせず、幸せであると思う人がいる。

ほんとうに、幸せは自分の考えた尺度なのだ。

さらにいうと、どんにな状況でも幸せと思っている人は、

あたりまえだが、幸せな人生なのだと思える。

基準は何か。笑っている時間が長い。

楽しんでいる時間が長い。

そして、ポジティブに考えている。

自分の置かれた状況を、自分で幸せと設定している。

誰もが、すぐに出来ることではないと思う。

ただ、もし、いまの自分の状況を嘆くのであれば、

少しずつでいい。自分の状況を幸せと思うようにしよう。

それには、笑う時間を増やす。楽しむ時間を増やす。

ポジティブに状況を考える。

きっと、人生の幸せの量は変わる。

そう思いながら、生きることも幸せの量を増やす方法だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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希望を見つけた幸運

(今日のコトバ)

 

ころんだからこそ、見つけた希望がある。

 

 

 

 

人生の道は、平坦ではない。

舗装されていなかったり、落とし穴があったり、

砂利道があったり、いろいろな道がある。

ころんだり、倒れたりすることもある。

その度ごとに、立ち上がってきたらそこ、いまがある。

ということは、ころんだけれど、

倒れたけれど、何とか立ち上がろうとして、

何かを見つけて立ち上がってきたはずだ。

その何かは、すべて希望が含まれていたはず。

「あそこまで頑張ろう」

「この状況を打破しよう」

「もう一度、あのポジションに戻るのだ」等々。

その見つけた希望は、

ころんだこそ見つけた希望ともいえる。

ただ、たんに平坦な道ばかり歩いていたら、

決して見つけられない希望。

希望を見つけられた幸運ともいえる。

だから、ころぶことも悪いことばかりではない。

もう一度、希望という目標をもって生きていける。

そんな考え方もあるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

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人を持て

(今日のコトバ)

 

いきつけの人がいる人生を。

 

 

 

 

人は、一人になると辛い。

誰も助けてくれない。誰も近づいてくれない。

自分が危ない時に、人という支えがない。

そうなると、寂しさからはじまって、

悪い方へ、悪い方へ、考えが進んでいく。

その考えを止めたり、まともな方向へ軌道修正するには、

どうしても誰かという人が必要になる。

もちろん、自分で解決できることもある。

ただ、一人ではどうにもならないことの方が多い。

そう思うと、普通に、元気に過ごしている時から、

人とのつながりを持っていることが必要だ。

たった一人でいい。たくさんいてもいい。

自分が辛い時、自分が苦しい時、

相談できる人を持つ。

それだけで人生の安心感が違う。

ほんとうに役にも立ってくれる。

人生はいい時ばかりではない。

その時、支えてくれる、

その時、心をあたためてくれるのは、

やっぱり人。

それを忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

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一人の熱

(今日のコトバ)

 

情熱のある者は、

どんな場所でもすぐに暖めてくれる。

 

 

 

情熱をもって、案件に取り組む人が、

そこに一人でもいる。

簡単にいうが、ほとんどの案件では、

何となくやり過ごそうとしている人が多いのが実情だ。

そんな中で、熱をもっている人がいる案件は、

あたりまえだが熱さを感じられる。

その他のものと違った空気を醸し出す。

もちろん、情熱があるから、よりクエリティの高いもの、

より面白いもの、より熱いものが提供される。

これらは、物事の中心に、たった一人熱い人がいるだけで変わる。

全員ではない。もっといえば、全員でなくていいのだ。

いま、自分のかかわっている案件が、

上手くいかない。何かが足らないと思っている人は、

情熱のある人間を一人、その中に入れよう。

一人の熱が、みんなを変える。

物事が変える。

そして、その一人が自分であってもいい。

否、自分であれば、自分の思う方向へ変わっていく。

一人の熱を信じるのだ。

自分を信じるのだ。

 

 

 

 

 

 

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そこにいること

(今日のコトバ)

 

そこにいるから、キミは価値があるのだ。

 

 

 

 

一月四日。仕事始めだ。

仕事をしている人は、出社すれば自分の席がある。

そこで、自分の役割が待っている。

自分の仕事を遂行する。

同じように学校でも、趣味の世界でも、

自分がいるから成り立っている組織があるはずだ。

そこに自分がいるから機能する。

ということは、

その場所にいることに価値があるということ。

その価値こそが自分の存在を証明する。

あたりまえのように、そこに存在する。

あたりまえのように、そこで機能する。

そのことで助かっている人が、たくさんいる。

そう思うと生きることが素晴らしいことだと思えてこないか。

生きる価値があると思わないか。

ほんとうにあたりまえのことだ。

ただ、そこにいる。そこにいることが、

自分のまわりの人を支えている。

そのことを忘れてはいけない。

自分がいちばん忘れてはいけないのだ。

 

 

 

 

 

 

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奇跡を普通にする術

(今日のコトバ)

 

普通は、奇跡がくれた贈り物です。

 

 

 

 

毎日があたりまえのように過ぎていく。

普通に起きて、普通に食べて、普通に働いて、普通に眠る。

この普通であることに、何も疑問を持たないで生きている。

ただ、この普通であることは、

本当にあたりまえであることだろうか。

体調が悪ければ、起きることは辛い、食べることも辛い。

職がなければ、働くこともできない。

心に問題を抱えていれば眠ることもできない。

体を壊したり、メンタルを壊したりするとわかる。

いかに、普通であることが素晴らしいことか、と。

もう一歩踏み込んで考えてみると、

体調が好調であることは奇跡かもしれない。

食事がおいしいと思えることは奇跡かもしれない。

働ける場所があることは奇跡かもしれない。

ぐっすり眠れることは奇跡かもしれない。

一つ一つの出来事は、決してあたりまえでも、普通でもない。

一つ崩れたら、すべてが崩れてしまうこともある。

おおげさにいえば、人間は長い歴史の中で、

知らず知らずのうちに奇跡を普通にする術を体得してきたのだ。

その体得したものを、自然に生活に応用しているのが人間なのだ。

今日、いま、普通だと思っている生活は、

実は、奇跡の産物。

そう思うと、今日という時間も貴重に思える。愛しく思える。

普通である今日の生活を

大切にして生きていきたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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身の丈にあった幸せ

(今日のコトバ)

 

幸せを忙しく働かせよう。

 

 

 

一年の計は、何しようと考える。

言葉にすると幸せになることが一番だと思う。

幸せは人それぞれ違う。

では、その幸せとは何か。

人それぞれ違うものではあるが、

目標に向かって邁進し、達成することが幸せの大きな要因になる。

目標に向かっている時間、達成した感動があると、

幸せな気持ちになれる。

となれば、目標をつくって、達成することに夢中になれるこことは、

一つの幸せのカタチだと思う。

その幸せのカタチになるためのすべての行動が、

もう幸せになっている。

そうなると人生は楽しくなる。

もちろん、幸せの概念が何もしないで楽だけしているという人もあるだろう。

刺激を求めて、危ない世界へ踏み込む人もいるだろう。

だが、あきてしまったり、恐怖と背中合わせばかりでは、

幸せは遠のいていく。

幸せは身の丈にあって、自分でちゃんとつかめるもの。

その中でも自分の幸せといえる目標と生きる。

そこが大切なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

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