やる気を出すために

 

(今日のコトバ)

 

やる気は、行動の主成分です。

 

 

どうしたら行動的になるか。

それは、やる気になること。

たいがいは、やる気さえ出れば、

行動したくなる。

では、やる気は出すには

どうすればいいか?

それは、

好きなことを目標にすること。

好きな遊びをする。

好きなスポーツをする。

好きな料理をする。

好きな勉強をする等。

好きなことが目標になると、

自然に行動できる。

だが、行動しなければ

ならない時に

好きなことばかりとは限らない。

仕事関係になると、

嫌なこともたくさんある。

では、その時、どうするか。

一つの方法としては、

とにかく動き出してしまう。

やる気は感じないが

動き出してしまう。

体が動き出すと、

気持ちも動き出す。

やる気という気持ちも動き出す。

その力を借りて、

やる気をつくり出す。

好きなことでやる気になるか、

体を動かすことでやる気になるか。

行動的になるためには、

大きく二つの方法がある。

優しい人は財産

 

(今日のコトバ)

 

優しい人を

ちゃんと見つけておこう。

世の中は厳しさに

満ちているから。

 

優しくされる。

簡単な言葉だが

心からそう思える時ほど

嬉しいことはない。

特に、自分が弱っている時は、

優しくされると

ほんとうに助かる。

絶望的な気持ちに

なっている時でも、

希望を見いだせたりする。

生きていこうと

思い直すこともある。

少々おおげさかもしれないが、

優しさにはそんな力がある。

ただ、自分が生きるところで

優しくしてくれる人がいないと、

優しさは自分に届かない。

ただただ落ち込んで

しまうことになる。

そう考えると、

自分のまわりに

優しい人がいる環境を

つくることが大切。

何もいつもいつも

優しくしてくれなくていい。

困った時に

優しくしてくれる。

親身になって考えてくれる。

人生において

優しい人がいてくれることは、

途轍もない財産になると思う。

 

天才という言葉も、努力家という言葉もいらない

 

(今日のコトバ)

 

愚かさをふりかざす天才は嫌いだ。

狭い世界でしか勝負しない努力家も

好きになれない。

自信を持って生きているなら、

凡人として堂々と前へ進もう。

 

 

生きる姿勢をこれ見よがしに

発信する人を、

どうも好きになれない。

自分は天才だと表明する人。

反対に、努力をしていますと

やたらアピールする人。

極端かもしれないが、

誰のまわりにもいると思う。

ただ、考えてみると、

この両極の人は、

自信がないからこそ、

パフォーマンスして

いるのかもしれない。

天才とも、努力家とも、

まわりの誰かがいえば

いいだけの話。

そこをあえて自分で

パフォーマンスするのは、

不安の現れでもあるのだ。

ほんとうに自信のある人は、

右往左往しない。

自分の道をまっすぐ着実に

歩き進んでいく。

平凡に見えて凄みを感じる。

それだけで十分。

天才という言葉も、

努力家という言葉もいらない。

右往左往せず、

まっすぐ歩ている人。

その人こそ、

本物の天才であり、

努力家なのだ。

 

夢はスケジュールと方法論

 

(今日のコトバ)

 

夢は方向音痴。

道筋がはっはりわからないと

どこへ行くかわからない。

 

 

自分の夢がある。

実現したいと思う。

ただ、願望だけが強くて

空回りしていることもある。

その多くは、

夢へのスケジュールがないことと、

何をやっていいかわからないで

方向性の違う努力を

してしまっていること。

もちろん、そもそも

努力が足りないという人もいる。

だが、たいがいはスケジュールと

方法論。

この二つをクリアすれば、

夢への実現性はかなり上がる。

そのことを肝に銘じて、

夢へ挑んでみよう。

むやみやたらに

突き進むより、

良い結果が出るはずだ。

 

 

十分立派

 

(今日のコトバ)

 

転んでも恥ずかしくない。

立ち上がれなくても

恥じることはない。

まずは生きること。

それだけで十分立派だ。

 

 

ただ生きている。

それだけでいいのだろうか?

と思ってしまう人もいるだろう。

だが、ほんとうに

ただ生きているだけだろうか?

何もしていないようでも、

人の役に立ってはいないか?

何もしていないようでも、

この国の役に立っていないか。

何もしていないようでも、

存在だけで人を救っていないか?

考えれば、

一つや二つ

必ず何かの役に立っている。

それだけで十分ではないか。

途轍もなく

誰かの役に立っていないくても、

自分が落ち込んでいても、

動きが鈍くても、

生きているだけ十分機能している。

だからこそ、

生きているだけでも

素晴らしいことだと

自分に伝えよう。

誰もが生き辛さを背負っている。

その中で人と社会と

結びつきながら、

何かの役に立っている。

それだけで十分立派ではないだろうか。

 

 

夢のために名言はある

 

(今日のコトバ)

 

現状は踏まえているけど、

なお夢が見たい人に

光をくれる言葉を名言という。

 

 

生きるために、

自分を鼓舞する名言がある。

高い目標をクリアするために、

勝負に強くなるために、

人間関係を円滑にするために、

いい言葉と出会いたい。

部屋に貼ったり、

トイレに貼ったり、

手帳に書き残したり、

肌身離さず持っている

言葉もある。

ただ、この名言を

自分のものにしたい

という気持ちは、

もっと人生に夢を見たいから、

名言という言葉を必要とする。

何も夢がなかったら、

名言はいらないはずだ。

だとすれば、

名言を大切にする人は、

夢を持っている人。

いま、自分にとっての名言が

ある人は、

人生の夢がある人。

その夢に向かって自分は

進んでるか。

進んでいれば、

突き進めばいい。

もし、進んでいなければ、

名言をもう一度噛みしめて、

がんばってみる。

名言を大切に使っていこう。

 

名前は自分のアイコン

 

(今日のコトバ)

 

名前とは、

生んでくれた人の希望で

できている。

 

 

自分には名前がある。

その名前を生涯背負って

生きていく。

基本的に改名しなければ

一生ものだ。

その名前をどう考えるか。

名前は自分のアイコンとして

機能する。

他人からは名前で呼ばれる。

その名前が人生の長さと共に

自分と同化する。

他人から見て

「いい名前だ」と

いわれる人は、

人生を頑張っている人だったり、

「名前負けしているね」と

いわれる人は、

あまり頑張っていない人

だったりする。

ただ、名前は生んでくれた人の

希望を込めてつくられている。

そして、人は名前を呼ばれながら

評価される。

だとしたら、

自分の名前に

誇りを持てるように生きる。

自分のアイコンが

人々に評価される。

尊敬される。

喜ばれる。

かわいがられる、、。

いろいろな評価のされかたが

あると思う。

そして、

そこから自分の誇りも生まれる。

そのことを忘れてはいけない。

 

議論には感情が生きている

 

(今日のコトバ)

 

感情論は、

異論にも、反論にも、

議論にも、

そして、正論にも顔を出す。

 

 

感情は、どこにでも現れる。

直接、それころ感情的となって

現れることもあるし、

心に隠しているけど、

感情の動きが激しいこともある。

そんな中で議論をかわす時、

どれだけ感情が混じっているか。

あまり混じり過ぎてしまうと、

議論が成立しなくなってしまう。

ただ、間違いなくいえることは、

異論でも、反論でも、

もちろん正論にも、

感情は混じっている。

そのことを忘れてしまうと、

議論で暴走を

してしまうことになる。

正論は人の数だけあるという

言葉もある。

だからこそ、

議論の場での自分の発言には、

感情が混じっていることを

意識して論議する。

あまりにも感情だけで発言すると、

まともな議論にならない。

難しいけれど、

「議論には感情が生きている」

ことを忘れてはいけない。

自分を大切に生きる

 

(今日のコトバ)

 

人生は、レースとコース、

そして、ペースを守っていれば、

それほど間違うことはない。

 

 

コンプライアンスの時代という

わけではないけど、

社会はルールを守ろうという

意識が強くなった。

昔のように

「ちょっとぐらい大目に見てよ」的な

ことが許されなくなっている。

確かに、はじめはちょっとぐらいだが、

だんだんエスカレートすると、

とんでもない罪になったり、

暴力になったりする。

パワハラ事案やセクハラ事案は、

その最たるものだろう。

だから、

いま生きていく上での

ルールは守ろっていく。

その中で自分の

ペースで生きる。

いまの時代、

「無理し過ぎない」は

一つの生き方。

自分を壊す生き方は

違うと思う。

「自分を大切にして生きる」こそ、

いまの時代のキーワードなのだ。

 

 

自分の状態の基準

 

(今日のコトバ)

 

自分を嫌いなまま人を見ると、

人の嫌なところが目につく。

自分を好きになって人を見ると、

人の良いところが目につく。

 

 

人の好き嫌いとは、

実は、

自分の好き嫌いだと思う時がある。

簡単にいってしまえば、

自分が好きな時には、

ほとんどの人が好きになれる。

いい過ぎだとすれば、

ほとんどの

人の良いところが見える。

反対に、自分が嫌いな時には、

ほとんどの人を嫌いになる。

いい過ぎだとすれば、

ほとんどの

人の嫌なところが見える。

もう少し説明すると、

自分が好きな時とは、

自分がイケている時。

自分が嫌いな時とは、

自分がイケてない時。

自分がイケていれば、

心がおおらかになり、

人の良いところを素直に見れる。

自分がイケていなければ、

心が荒れて、

人の粗を探すようになる。

その基準で自分の状況を

判断してもいい。

自分のイケている

イケていないを、

人を見る眼で決める。

一つの

自分の状態の基準になると思う。