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(今日のコトバ)
優しさは、
想像力の先に咲く花である。
優しさをうまく届けるには、
ほんの少しでいいけれど
想像力がいる。
むやみやたらに優しくしても、
なかなか優しさは伝わらない。
優しさを求めていない人に
優しくしても
理解されないこともある。
優しさは、簡単ではない。
ちゃんと伝えるために、
想像力のようなものがいる。
「この人は何で
悲しんでいるのだろう」
「あの人は何で
孤独なんだろう」
「その人は何で
苦しんでいるのだろう」
少しだけ想像力を働かせて、
求めている優しさを届ける。
少しの想像力かもしれない。
だが、想像力を働かせた優しさと
そうでない優しさは違う。
そのことを忘れないで
生きていこう。
(今日のコトバ)
引かれたレールを走りながら、
そのレールを自分の道に
変えていくことが人生なんだ。
誰でも仕事を始める時は、
初心者。
指導されたり、
マニュアルを学習したり
しながら、
初心者は訓練されて、
プロへと進化する。
時間のかかる人もいる。
そうでない人もいる。
そもそも専門的でプロになるまで、
時間のかかる仕事もある。
自分が決めた仕事の
キャリアを積むことで、
プロになっていく。
ただ、忘れていけないのは、
最初みな初心者だったということ。
何もできないところから
始めたということ。
でも、何年、何十年経つと、
なんとかカタチになっている。
もちろん、
何もカタチにならない人もいる。
何もカタチにならないこともある。
だが、一般的には修練して
カタチになる。
そのカタチになったものは、
自分の武器になる。
世の中を渡っていく強い味方になる。
運とめぐりあえば、
大きな金字塔を
立てることができるかもしれない。
そう思うと、
初心者として始めたものを
大切にして生きていきたい。
できれば、
簡単にあきらめるようなものでなく、
長く追求していけるものを選択する。
人生を有意義なものにするためには、
最初が肝心。
選択には時間をかけてもいいから、
自分のカタチでプロになれるものを
探していこう。
(今日のコトバ)
敗北には二つある。
負けた敗北と戦わなかった敗北。
そして、戦わなかった敗北は
負けた敗北にも負ける。
戦えば負けることがある。
生きていれば
無敗というわけにはいかない。
どこかの場面で必ず負けている。
人間は負ける生きものといってもいい。
ただ、戦って負けるより、
さらに敗北感のあるものがある。
それは、戦わなかった敗北。
勝負をしないで、
戦わないで負ける。
実は、人生でこれほど
もったいないこともない。
本来、
勝つことは難しいことが多い。
それは、相手も同じこと。
相手も苦しみながら
勝とうとしている。
だとすれば、
負ける可能性が高い戦いでも、
戦った結果勝つことが
あるかもしれない。
もっといえば、戦って、
一生懸命力を尽くした上で負ければ、
自分自身が納得できる。
グッドルーザーという言葉もある。
不戦敗にしないことは大切なのだ。
もちろん、戦争のように
戦わないことを
まず第一に考えることが
大切なこともある。
だが、人生に大事な場面において、
戦わないで逃げることは
もったいない。
勝負はやってみなければ
わからない。
とにかく戦ってみて
自分の力を試してみる。
戦うことで自分の能力が
向上することもある。
戦わなかった敗北が
ない人生にしよう。
(今日のコトバ)
欠点という専門領域にも、
未来は託せる。
人には欠点がある。
誇るよりは隠したい。
劣等感を感じる自分の能力。
だが、欠点はほんとうに
前向きになれない能力だろうか。
例えば、鈍感。
少し人より感じ方が鈍いことは、
人生で欠点だろうか。
時に欠点かもしれないが、
人生を挫けず生きていくためには、
鈍感ぐらいの方が
助かることが多々ある。
例えば、不器用。
器用でないから
習得するまで時間がかかるが、
愚直に何度も同じことを
やり遂げる力は、
器用な人よりあったりする。
例えば、無口。
雄弁に語る人より
PRは下手だが、
肝心なことを
べらべら話さないという
人としての安心感がある。
その他にもたくさんあるだろう。
欠点は角度を変えれば
実力にもなる。
そう思うと、
自分の欠点も愛しい。
欠点をしっかり見つめて、
どんな能力があるか
考えてみる。
欠点の実力も
捨てたものではないはずだ。
(今日のコトバ)
遠くの誇大広告ばかり見ていると、
近くの希少価値を見失ってしまう。
遠くのものは良く見える。
汚いものや粗が見えなくて、
キレイに見えてしまう。
風景でも、モノでも、
そして、人でも、
遠くにあると
良く見えてしまう。
特に、人は、
ヒーローだったり、
アイドルだったり、
カリスマだったり、
遠くにいれば
憧れているだけですむものが、
近くにいれば、
汚れた部分は見えてくるし、
たいしたことがない
部分も見えてくる。
嫌いな部分が
顕著になることさえある。
だからこそ、
遠くにいる人を
憧れるのはいいが、
近くにいる人の価値を
下げてしまうことは止めよう。
しっかり見れば、
とても素晴らしい人が
たくさんいる。
ただ、汚れた部分や粗が
見えていただけかもしれない。
遠くより近くにいる人には
お世話になっている確率も高い。
そのことを忘れず、
近くにいる人を大切にする。
忘れてはいけないことだ。
(今日のコトバ)
あなたの劣等感は、
あなたのかけがえのない
長所でもある。
隠したくなる劣等感がある。
誰にも知らたくない。
誰にも指摘されたくない。
優越感の対局にあるもの。
だが、考えてみると、
劣等感が人生で
果たす役割は大きい。
特に、
自分の中の
ハングリースピリットを
導き出すためには、
劣等感が必要になる。
自分の負っている欠けた部分は、
何か目標を見つけた時、
強い武器になる。
負い目があるから、
人より頑張る。
ねばる。
耐える。
意地を張る、、。
その行為が自分を成長させる。
そう考えると、
劣等感も愛しくなる。
もっというと、
かけがえのない自分の能力と
考えてもいい。
だからこそ、
劣等感を大切にする。
劣等感を感じれば、
自分のエネルギーに火をつける。
成長する自分になれる。
劣等感に感謝していいのだ。
(今日のコトバ)
やまない雨はない。
だが、いつやむかわからない雨が
上がるのを待つことはない。
雨の道を踏み出せ。
晴れた時、
夢にいち早くだどり着くために。
不遇の時はある。
上手くいかないことが続く。
頑張っているのだが
好転の兆しがない。
その時、自分状況をどう考えるか?
あきらめてしまう。
休んでしまう。
動きを少なくし、
状況の好転を待つ、、。
いろいろな考え方があるだろう。
ただ、一つのやり方として、
不遇だから全力を尽くすという
やり方もあると思う。
状況がワルいから、
気持ちが乗らないのはわかる。
だが、
いずれ状況は変わる。
だとしたら、
その時のために力をつけて、
全開で走り出せる準備をする。
不遇であっても、
全力を尽くす。
手を抜かない。
状況が好転した時、
一気呵成に走り出すために、
力をつけておく。
そんなやり方も
一つの方法だ。
(今日のコトバ)
人生は、
いのちの喜怒哀楽を生む
劇場である。
長く生きれば生きるほど、
出来事の財産を積む。
喜怒哀楽という感情も
日々、積み上がる。
だから、人生は面白い。
感動や楽しいことは、
数が多ければ多いほどいい。
悲しいこと、
寂しいことだって、
振り返ると、
人生の大切な
スパイスになることもある。
もちろん、苦しみ痛みを感じ、
傷になることもある。
それでも生きていることは、
最高のエンターティンメント。
ワクワクやドキドキまで
ついてくる。
だからこそ、
少しでも長く生きたい。
願わくば、
元気な心身で暮らせる状況で。
いのちは、
面白い人生ならウエルカムだ。
(今日のコトバ)
「自分」というミスキャストも
何とか生きていけるのが、
地球という舞台のいいところです。
未完成のまま大人になる。
大人になっても未完成のままで、
結局、命果てるまで完成しない。
それが人間。
この地球に生まれてきたけれど、
どう生きるのが正解かわからない。
ただ、自分の生まれた環境と選択で
人生を歩んでいく。
それが人間。
地球を舞台と考えれば、
ミスキャストである人も
たくさんいる。
それでも、
幸せと不幸を噛みしめながら、
いい人生というものに
近づけようとする。
ミスキャストでも
一生懸命演技をし、
素晴らしい舞台を
創り上げようとするように。
だから、人生は面白いともいえる。
だから、生きるに値するともいえる。
人間という生きものに
生まれてきた宿命が、
人生という舞台をつくる。
その中で精一杯生きる。
それが人間という生きものの
やるべきことなのかもしれない。
(今日のコトバ)
声は、
一人になりたくないという
気持ちの叫びである。
なぜ、声を出すのか。
それは承認欲求のためといっていい。
自分が認められたいから、
言葉を声にして発する。
承認欲求というと、
地に足が着いているようだが、
本音をいえば、
一人になりたくないという
気持ちの叫びともいえる。
声。
大声。小声。叫び声。
いろいろ声があるが、
すべては自分を理解させるもの。
そう思うと、
声を出すことは大事。
自分を認めさせるためにも、
自分を明解に表す言葉を声にする。
人生を自分の思いに
近い方向にするためには、
いちばん大切なことだ。
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