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(今日のコトバ)
第一印象に洗脳されてはならない。
どうしても人を印象で語ってしまう。
特に、第一印象は相手のイメージを
くっきりと描いてしまう。
「人は第一印象で考えてはいけない」と
よくいわれているのはわかっているが、
それでも最初のイメージは大きい。
そのイメージを覆すのは至難の業だ。
とにかく意識して第一印象だけで
考えないようにする。
ちゃんと
コミュニケーションをとってから、
その人を判断する。
反対に、自分においては第一印象と
変わらないように生きてみる。
なるべく第一印象の通り、
印象の修正をしないで済む人になる。
それだけで、
まわりの人とのコミュニケーションが
円滑になる。
人を第一印象で決めつけない。
そして、自分は印象と変わらないように
生きていく。
人生において大切なことだ。
(今日のコトバ)
沈黙は怖い。
もっとも表現豊かな真実にもなれば、
もっとも面の皮が厚い嘘にもなる。
「沈黙」
沈黙は金ともいわれ、
沈黙は雄弁ともいわれる。
ただ黙るだけだが、
黙るからこそ相対する人に
いろいろな意味を考えさせる。
時にその沈黙は、
真実は何かを気づかせる。
時にその沈黙は、
嘘に騙されていないと伝える。
時にその真実は、
何かを雄弁に語る、、。
沈黙は正解を見つけている。
否、見つけてなくても
正解がわかったように感じられる。
そう考えると、
沈黙も生きるための武器。
状況に応じて沈黙を使う。
生きていく上で、
ひとつの大きな戦術になるはずだ。
(今日のコトバ)
人生、
自分のポジションがわかった人から
レギュラーになれる。
何が得意か。
その得意なものを武器にできるか。
それが人生を大きく左右する。
武器にできれば、
人生はとても有意義なものになる。
特に、仕事という分野で応用できれば、
高いレベルで世の中と対峙できる。
反対に、
得意なものを見つけられなくて、
生きることに右往左往していると、
人生はしんどいものになる。
だからこそ、
人生は自分の得意なもので
生きられるよう努力する。
努力といっても
歯を食いしばって
頑張るということではなく、
自分の武器をどう磨くか。
磨くために質の高い努力をする。
むやみやたらではなく、
得意な能力に集中して
努力する。
有意義で楽しい人生を
おくるために、
質の高い努力で
自分の武器を磨いていこう。
(今日のコトバ)
人によって態度を変える人と、
困った時に逃げ出す人は似ている。
あくまでも自分まわりのことだが、
態度をコロコロ変える人と、
困難になった時に力にならない人は
似ている。
というか、同じ人が
兼任しているといってもいい。
よく言えば、機を見て敏。
ワルいいえば、優柔不断。
上記の要素は、
人間誰もがあるものだが、
特に、顕著に出る人たちがいる。
そういった人は、
自分においてのここぞという場面で
味方にはなってくれない。
敵にまわることさえある。
人柄、性格によるものだから、
他人の自分がとやかく言うものではないが、
付き合う時に参考にしたい。
長い人生、
味方と思える人と一人でも多く出会い、
絆を深めたいものだ。
(今日のコトバ)
喜怒哀楽は、
人類が滅ぶまで数字にできない。
人間の感情は複雑だ。
生きものでもっとも
複雑といってもいい。
もちろん、他の生きものに
なったことがないから、
簡単に断言はできない。
ただ、知りうる限り、
人間ほど感情が入り乱れる
生きものはいない。
例えば、感情は喜怒哀楽で現わされる。
喜こぶの喜というが、
喜び方にも多岐にわたる。
全身で爆発するように喜ぶ感情もあれば、
誰にもわからないように
心の中で喜ぶこともある。
怒るの怒だって、
怒鳴るように怒ることもあれば、
目だけで怒りを現し、
感情を表に出さないこともある。
哀しみの哀だって、
号泣・慟哭しながら現す人と、
下をうつむいて現す人もいる。
楽しいの楽だって、
声を上げながら楽しさを現す人もいれば、
ニコニコ笑顔で楽しさを現す人もいる。
それもほんの一例だ。
細かく見ると、
ほんとうに多岐にわたる。
人の数だけあるといっていい。
そして、こうも思うのだ。
人間の感情だけは、
どれだけ技術が進歩しても
数値化できない。
傾向は理解できても、
それを数値化できない。
喜びの先の哀しみ、
怒りの先の優しさ等。
そして、人間という生きものは、
その感情の複雑さが面白い。
他の生きものより秀でている
といって過言ではない。
だからこそ、
自分の感情を
大切にして生きていきたい。
(今日のコトバ)
どうでもいい話をして、
どうでもいい日をつくってくれる、
どうでもいいと思っていた人が、
実は一番大切な人でした。
どうでもいい日、
何でもない日、と思う日がある。
人生の中では結構幅を効かせている。
その記憶に残らないような日々を
一緒にしたまわりの人。
家族かもしれないし、
仕事仲間かもしれない。
ただ、どうでもいい日を共有した人は、
絶対に嫌いな人ではない。
空気のような存在で、
圧力がある人でもない。
特別な能力を持ってはいないが、
そこにいてくれる人。
人生において、
そんな人はとても貴重だ。
否、貴重だと思うまで時間がかかる。
いまでも、
貴重とは思っていないのかもしれない。
だが、その人がいなくなってしまうと、
途端にその人の価値がわかる。
「いてくれたから、
幸せに生きられたのだ」と。
だから、いま身の回りにいてくれる人で、
特別ではないけど、
寄り添ってくれる人は大切にしよう。
人生において、絶対に必要なのだ。
(今日のコトバ)
人と人とは、
どこかでつながっているから
ありがたい。
そして、怖いのだ。
人は人によって支えられている。
誰かとつながりながら、
人生を生きている。
これほどありがたいものはない。
一人ではどうにもならない時、
誰かの手が差し伸べられる。
特に、
自分が得意ではない領域は、
誰かの能力に助けてもらわなければ、
どうにもならないこともある。
人の支え。
生きる上で、
途轍もなく大きいものだ。
だが、反対に考えると、
人の支えがるからこそ、
支えられたことに対する
自分の態度・行動は重要になってくる。
あまりにも不愉快な態度だったり、
不快な行動をすれば、
次に支える時に
躊躇されることもある。
また、支えてもらった人が
困っている時、
何も助けないと、
自分の信頼を失うことにもなる。
ある意味、自分の対応は見られいる。
人生はギブ・アンド・テイク。
支えてもらい
支える関係であることを
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
もし、自分の人生で
「じぶん」と出会えたら、
最高の友人として付き合える
人生にしよう。
自分の目の前に自分が現れたら?
時々、考えることがある。
自分のことをよくわかっている分、
助かると思うこともある。
自分のダメなところを知っている分、
面倒くさいと思うこともある。
自分であっても一長一短あるだろう。
ただ、もし自分の前に自分が現れたら、
少なくても
友人になりたい人であってほしい。
できれば、
ちょっといい奴と思われる存在で
あってほしいとも思う。
友人の多い人、少ない人いるだろう。
現代は少ないと答える人が
多くなっているとも聞く。
そんな中で、
自分の友人としての「じぶん」が
大切な存在に思えたら、
どんなに素敵な人生だろう。
自分にとっての「じぶん」。
たまに考えてもいいのでないだろうか。
(今日のコトバ)
幸せは私物化できない。
幸せは一人占めしようとしても
できない。
ほんとうに素晴らしい幸せなら、
どこからかあふれて、
他の誰かにも届いてしまう。
また、一人だけが
幸せになれるものだと思っても、
やっぱりどこかで
幸せは誰かに届いている。
つまり、幸せは私物化できないのだ。
そう考えると、
はじめから幸せは誰にでも
分け与えると決めてもいい。
むしろ、誰にでも与えようとすれば、
いち早く幸せが届くことにもなる。
幸せ。
目に見えるようで見えないもの。
生きていれば、
誰もが嬉しくなるもの。
この幸せを一人占めしようとせず、
常に分け与える。
幸せはどこへでも
動いていくのだから、
その道をつくってあげる。
そんな人生もいいものだ。
(今日のコトバ)
大きな声は聞こえない。
小さな声だから聞こえる。
人の耳はあまのじゃくです。
小声で、ささよくように、
それこそ、つぶやくような声が、
耳に残ることがある。
小さくても耳に残るということは、
声の言葉が心に刺さるということ。
真意をついていたり、
耳の痛いことだったり、
小さいけど強いメッセージだったり。
日頃は、大きな声に主導権を握られ、
大きな声に導かれて生きているのに、
その日、その時の言葉は、
小さくても心に刺さる。
人には心がある。
そこにめがけてくる言葉は、
決して大きな声ではなく、
いまの自分が、
いまの心が欲しているものを
聞き分ける。
だからこそ、
小さな声を大切にしよう。
意識して聞くことができれば、
この先の人生にとって、
とても示唆に富む言葉が聞こえる。
大切な声に耳を傾けるのだ。
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