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(今日のコトバ)
人間は、
「ほどほど」という最高を知っている。
何を最高と思うか。
それば人それぞれだろう。
誰もがうらやむ栄光を最高とする。
誰も体験できない楽しさを満喫する。
とにかく頂点になることで、
最高な気持ちになる。
それも最高の一つだろう。
だが、「そうでもないよ」
という人もいるはずだ。
最高という言葉に踊らされるのではなく、
自分にとって本当に心地よい最高。
たとえば、ほどほどに気持ちいいこと。
ほどほどに結果を出せていること。
光り輝くものではないが、
プレッシャーや責任感を必要としない
気楽さが、
最高という人もいるだろう。
そう思うと、
「最高は人によって違う」
といえる。
人生は人によって、
まったく違う舞台を用意されている。
何が最高かは、
その置かれた状況で決めればいい。
長く生きていると、
最高の考え方が
広がっていく気がする。
(今日のコトバ)
出会う人、
一人一人を運命の人と思ってごらん。
一人一人が運命を持って現れる。
出会う人というのは、
何かしらの用件があって
会ってる。
仕事だけでなく、デートでも、
遊びでも、用件がある。
偶然に道端であった人でさえ、
その後、「もう一度会おう」とか、
何かを考えるきっかけに
なったとしたら、
用件があったといえる。
そして、その用件だが、
どんなに小さい用件でも、
人生を変える案件になる。
出会って得た情報で、
未来の生き方が変わる。
場合によっては、
気づかないほどかもしれないが
変わっていく。
そう思うと、
出会いは運命であるといっても
過言ではない。
運命は大きく劇的に
変わるものばかりではない。
小さく変わるものもある。
むしろ、小さく変わるものがほとんどだ。
だとしたら、
出会いを運命と考えていい。
「今日、あの人に会ったことが、
人生を少し変えていく」
そう思うだけで、
運命が自分にとって、
とても身近なものになるはずだ。
(今日のコトバ)
練習で超えた限界だけが、
本番で無限の力に変わる。
人生には避けて通れない
本番という舞台がある。
役者でなくても、
自分が主人公になった舞台が
やってくる。
自分以外の誰もできない。
自分がやるしかない。
誰もがそんな本番の経験があるはずだ。
だが、
その本番で期待通りの結果を出す人と、
望んだ結果にはならない人がいる。
その原因解明するのは簡単ではない。
そもそも身に余る
本番だったかもしれないし、
途中で全力を発揮できない状況に
なってしまったかもしれない。
あるいは、
絶対に結果が出るはずだったのに、
本番でミスをして
上手くいかなかったということも
あるだろう。
だから、絶対に本番で
結果を出す方法はわからない。
ただ、これだけはいえる。
準備の段階で
ベストを尽くしていれば、
本番でベストを尽くす
調整をすればいい。
もっというと、
準備の段階でベストの出し方を
わかっていれば、
本番でベストを超えた
結果を出すこともできる。
あるテニスプレーヤーが
「練習は本番のように。
本番は練習のように」といった。
とにかく、練習準備の段階で
ベストを尽くす。
そして、ベストの出し方を知る。
その積み重ねが
本番で結果を出せる確率を上げる。
人生の本番は、
それほど回数は多くない場合が多い。
だからこそ、
結果を出せる準備をする。
そのために、
常にベストを尽くすのだ。
(今日のコトバ)
間違いばかりの人生だけど、
それも正解でした。
人生、どれだけ間違えて
生きてきただろう。
誰もが数えきれないほど、
間違えて生きてきたはずだ。
ただ、だからといって、
人生が間違いだったとは思わない。
正解が少なかった人も、
間違えた人生とは思わない。
そこが人生の素晴らしいところ。
あんな間違い、こんな間違いあっても、
人生は幸せだったし、
正解だった。
だとすれば、
いま、間違えたり、失敗したり、
敗北したした人も、
深く傷つくことはない。
もちろん、とても大きな目標において
上手くいかなければ
落ち込むこともある。
ただ、それでも人生は間違いにならない。
幸せが待っている。
明日に希望さえ持てれば
生きることは楽しくなる。
そう思って生きていこう。
(今日のコトバ)
あなたがあなたでない時に
会いたくない。
あなたがあなたでいる時に
会いたい。
毎日、同じ気持ちでは生きられない。
同じような対応はできないこともあるし、
同じような考え方ができないこともある。
ただ、理性のようなもので、
なんとか同じ自分になろうとする。
人間は生きものだ。
機械のように同じ答えは出せない。
だが、世の中で生きていく上で、
いつもいつも違う顔を見せられると、
付き合うことが難しくなる。
「あの人があの人でいる」
「わたしがわたしでいる」
そんな基本的なことを守れれば、
世の中のコミュニケーションは
だいぶ円滑になる。
もちろん、常に同じ顔が
できないことはわかっている。
そんな中でも、
できるだけ、
いつもの自分を意識して
生きる。
この世の中を生きるための
マナーなのかもしれない。
(今日のコトバ)
「もっと」とは、
幸せの積極性を包んだ言葉です。
「もっと、〇〇したい」と願う時、
人は幸せの中にいる。
それこそ、もっと、幸せになるために、
「〇〇したい」と思う。
人生のさまざまな場面で使う
「もっと」は、
願望だけではなく、
幸せをも包含した言葉。
だからこそ、
「もっと」を使う人生にしたい。
「もっと」という場面を
人生でつくることで幸せになれる。
その幸せの中身は、
成長だったり、成功だったり、
成果だったり、、。
人生を幸せにさせることが
満載されている。
「もっと」幸せになるために、
「もっと」を使うのだ。
(今日のコトバ)
目に見えるものをくれた人は、
いつか忘れてしまうけど、
目に見えないものをくれた人は、
いつまでも忘れない。
人生の中でものをくれた人は
数限りなくいる。
全人生ので考えたら、
いろいろなものをもらったと思う。
ただ、もらったものを
忘れてしまうこともあるが、
くれた人は
もっと忘れてしまうことが多い。
申し訳ないが誰かとゴッチャになったり、
ほんとうに忘れてしまっていることもある。
もちろん、貴重なもので
くれた人も忘れないことはある。
ただ、それでも時間と共に
忘れてしまうことが多い。
だが、目に見えないものはどうだろう。
例えば、夢。例えば、愛。
自分がどう生きるべきか
夢を与えてくれた人は忘れない。
自分に親身になり、
愛情を傾けてくれた人は忘れない。
自分にとって
希望になった人も忘れない。
だからこそ、人生において
目に見えないものは大切。
そう信じて人生を生きてみよう。
(今日のコトバ)
笑顔は、
第一印象をドレスアップする。
なにより笑顔でいてくれると
場が和む。
少し気分が楽になる。
笑顔の人に会って、
ホッとしたことは誰でもあるはずだ。
笑顔が第一印象になると、
人付き合いに大きな効果がある。
初対面で笑顔で話してくれると、
胸襟を開いてみようと、
コミュニケーションをとるのが
早くなる。
「笑顔になる」
たったそれだけで、
人の気持ちを楽にできるなら、
これほど素敵なものもない。
だからこそ、
自分の笑顔を大切にする。
笑顔でない人との場の雰囲気と
笑顔の人との場の雰囲気を、
いつもどこかで意識して
笑顔になる。
世の中で生きるために、
簡単だが大切なことだ。
(今日のコトバ)
「できる」という意志は、
味方になる。
「できない」という意志は、
敵になる。
何か取り組む時に、
「できる」と思うと、
可能性が広がる。
そう思っただけで、
未知の力が湧いてくる気もする。
たった「できる」と思っただけ。
ただ、その「できる」は、
自信も、やる気も、勇気も背負っている。
人が何かに取り組む時に、
もっともいい精神状態をつくる。
だとすると、
「できる」は魔法の言葉といっていい。
反対に、「できない」と決めてしまうと、
それだけで前へ進めない。
自信も、やる気も、勇気も感じない。
「できない」という言葉は、
自分をネガティブにするという意味で、
これも魔法の言葉といえる。
どちらがいいワルいではない。
人生の岐路に立った時、
どちらの言葉を支えにするか。
その時点の能力、
その時点の環境にもよるだろう。
ただ、達成したい目標あるなら、
「できる」という言葉と生きる。
それだけで、自分の力の大きな支えに
なるはずだ。
(今日のコトバ)
ヒットでなくてもいい。
ホームランでなくてもいい。
フルスイングする人生でありたい。
生きているのだから、
結果を出したいと思う。
できれば、
大きな結果を出したいとも思うものだ。
だが、人生はそう甘くない。
簡単に結果はでないし、
ましてや大きな結果を出す人など
ほんの僅かしかいない。
結果主義になると、
人生が息詰まってしまう。
では、どう人生を考えたらいいだろう。
ひとつ基本に考えたいのは、
後悔しない人生にすること。
だとすると、人生のテーマに
全力で取り組むことができれば
いいのではないか。
全力で取り組めば、
後悔も最小限に抑えられる。
失敗や敗北しても、
納得できる可能性が高い。
結果をだけ求めて生きるより、
全力で生きることの方が
人生が有意義になる。
結果主義より全力主義。
そんな気持ちで生きてみるのも
人生、素敵なことかもしれない。
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