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(今日のコトバ)
「じぶん」とは、
捜しても、探しても、
最後まで見つからない宝物。
自分探しの旅をするという。
若き日、
そんな気持ちになったことも
あるだろう。
「自分とは何者?」
「自分は何ができる?」
そんな気持ちになったりした。
ただ、その自分探しの旅も、
子供から大人になって、
学生から社会人になって、
いつしか忘れてしまう。
自分はどこへ行ったのだろう。
そして、ふと思うのが、
自分は探しても
見つからないのではないか。
人生がどのような状況になるかも
わかりはしない。
わかない未来だから面白いともいえる。
そして、きっと、
最後の最後までわからないことを
わかろうとして生きる。
その途中で出会ったものが
想い出になり、人生の宝物になる。
自分という唯一の生きものの
唯一の生き方。
誰にも似ていない自分は
唯一無二の人生を歩んでいくのだ。
(今日のコトバ)
確実・完璧・絶対という言葉は、
人生の中で何度も嘘をつく。
揺るぎない言葉がある。
確実とか、完璧とか、絶対とか。
自分でも使ったことがあるし、
世の中でも聞くことがある。
ただ、この揺るぎない言葉ほど、
どこかで必ず揺れてしまうことはない。
確実が確実ではない。
完璧が完璧ではない。
絶対が絶対ではない。
人生の中で何度も経験してきたことだ。
だからこそ、揺るぎない言葉が
本当に揺るぎないように生きる。
漠然としたものや大きなもので、
揺るぎない言葉を使うのは難しいが、
具体的なもの、小さいものなら
揺るぎない言葉を使える。
そして、あえて揺るぎない言葉を
使うのではなく、必要な時だけ使う。
あまり誇大妄想にならず生きるために
意識していいことだと思う。
(今日のコトバ)
「根拠なき自信」から伸ばした手が
つかんだものを可能性という。
人は根拠なき自信という言葉を使う。
何者でもないが
成功や勝利のイメージだけは持っている。
絶対、夢は叶うと思っている。
確かに実績のない段階では、
根拠なき自信ともいえる。
だが、ほんとうにそうだろうか。
少なくとも自信があるということは、
自分の得意とする分野や
圧倒的にやりたいという分野に
自信を持っているはずだ。
そこには情熱や意欲が、
沸騰点になっているのではないか。
人生で情熱や意欲が満々の時は、
それぼとないだろう。
もちろん、いつも情熱的、
意欲的という人もいるが、
少数だと思う。
だとすれば、
才能やキャリアはともかく、
情熱と意欲は自信の源泉になる。
そう思えば、
根拠なき自信は
根拠ある自信といえる。
もし、いま、自分に根拠なき自信が
あるものがあれば、
根拠はある。
情熱と意欲がある。
そのことを信じて、
一歩を踏み出していいと思う。
(今日のコトバ)
劣等感を持っている人は、
すぐに他人の劣っているところを
探しにいく。
「自分には劣等感がある」
そう思っている人はたくさんいるだろう。
自分の短所・弱点を拡大解釈し、
他人より劣っていると思ってしまう。
仕方ない気もする。
だが、劣等感の困ったところは、
自分の劣等感でとどまらず、
他人の劣等感も探してしまうこと。
「あいつはダメなところは、、」と
つい粗探しをしてしまう。
それも仕方ないかもしれない。
自分と他人を比較したら、
いろいろ思うところもある。
ただ、いけないのは、
他人の劣等感を口にして、
広くアピールすること。
ワル口にもなるし、
面と向かっていっても、
よいコミュニケーションは
つくれない。
あえて他人の劣等感をいうことは、
自分は他人より勝ってるということを
伝えたいに他ならない。
口にして広めるものではない。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
余白は、想像力を持っている。
どんな作品にもほぼ余白がある。
スッキリするために、
綺麗に見せるために、
あえて余白をつくる。
アーティストでも、
そうでない人も余白をつくる。
ただ、この余白は意外と雄弁だ。
どんな余白があるかで
作品の運命を決めてしまう。
もっというと、
優れた作品は余白が語り出す。
もちろん、なぜこの余白?と
思うこともある
余白。
作品もさることながら、
人生も余白が大切なことが多い。
休んでいる時、
何もしない時、
沈黙している時、、。
そこに人生のホワイトスペースが
大きな意味を持つ。
だからこそ、
自分における人生の余白を
大切にしよう。
そこが意味を持って
人生を創っていく。
余白ある人生は素晴らしいと思う。
(今日のコトバ)
成功は、成長に追い抜かれる。
誰もが成功したいと思う。
大きいこと、小さいこと、
さまざまあるが、
失敗するよりは
成功したいと思っている。
「成功したい」
そう思って全力を尽くすことは大切。
ただ、成功するだけがすべてかというと、
そうでもないと思う。
成功に向けて頑張って、
結果がついてこなくても、
人は成長している。
この成長をどうとるか?
結果につながらなかったから、
マイナスだと決めつけてしまうと、
生きる道を間違えてしまう。
仮に、結果が出なくても、
そこまで切磋琢磨した自分には、
経験という財産が積み上がっている。
過去の自分より能力という財産を
積み上げた人は成長している。
そう考えると、
成功、失敗問わず挑戦することが
人生の希望になる。
失敗しても成長できるという気持ちを
心のどこかに持つ。
それこそが成長し続ける
原動力になるはずだ。
(今日のコトバ)
人の声。天の声。心の声。
どの声を聞くかで行く道が決まる。
生きていると
いろいろな声が聞こえてくる。
その中で、
どの声を聞くか。
どの声を信じて生きていくか。
人生の大きな分かれ目になる。
例えば、人の声。
無限の声が聞こえる。
どの声も責任は持たないが、
面白そうな声が聞こえてくる。
例えば、天の声。
どこから聞こえてくるのか
わからないが、
何だがその声を信じて生きたいと思う。
例えば、心の声。
自分の生きたい方向を
明快にしてくれる。
その声の方向へ進むべきだと思う。
声によって、
いろいろな生き方が示される。
だからこそ、
どの声を聞くかが大切だ。
時と場合によってでいい。
必ずどこかで大切な声がある。
その声を聞き分ける力を持つ。
そのために、
常に耳を澄まして声を聞く。
自分の生きたい方向へ生きるために
大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
「やる」という意志表示に、
人は知恵を持って集まる。
やるか、やらないか。
人生は二択。
やる気がなければ、
やらないという選択をして、
退場すればいい。
だが、やりたいと思うなら
「やる」と意志表示をすべきだ。
なぜなら、「やる」と宣言したただけで、
いろいろなものが集まってくるから。
その最大のものが人の力。
「やる」に賛同して
一緒に走りたい人はもとより、
ファンやサポーターのような人、
興味を持った人等。
「やる」と宣言したら、
一人ではなくなる。
一人の力ではなくなるのだ。
一気に目標に駆け上がるために、
自力と他力が動き出す。
とてもいい環境が生まれる。
だからこそ、
「やりたい」と思ったたら、
「やる」と宣言する。
目標へ大きく近づく一言になるのだ。
(今日のコトバ)
あなたに前例はない。
まっすぐ生きていけば、
すべて新発見になる。
あなたという人は、
この世に一人しかいない。
当然、あなたの人生を
まっとうできるのは、
あなたしかいない。
そういった意味で、
あなたは唯一無二だ。
だが、人は誰かのようになりたいとか、
自分はなぜこんなに出来がワルいのかと
思ってしまう。
誰かのようになりたいは、
その先に自分の理想の姿があれば、
一つの目標となる。
一つの生き方だ。
ただ、自分のことを卑下することは、
自分にとって失礼だ。
人生を生きているだけでも大変なこと。
もっというと人生を生きているたげでも
リスペクトされていい。
だからこそ、自分という人生を大切にしよう。
絶対、誰も歩けない道を歩いているのだ。
自信を持って、
さらなる自信を持って生きていくのだ。
(今日のコトバ)
「いい人」といいながらバカにしたり、
「わるい人」といいながら愛したり、
言葉には裏表があるから気をつけろ。
「あの人、いい人だよ」という。
「いい人」
その前後の文脈を読まないと、
言葉通りには受け取れないことがある。
単純に人柄がいい人という場合がある。
何でも許容してくれる人ともとれる。
だが、あまり主張がなく、
いいように使える人ともとれる。
もっというと、
どうでもいい人という時に使うこともある。
また、「あの人は、わるい人」ともいう。
罪を犯しそうなわるい人ともとれるが、
人を手玉に取るという意味で
わるい人とも使かわれるし、
好きだから気になり過ぎて
わるい人ということもある。
つまり、言葉には裏表がある。
冷静であれば、
しっかり言葉の意味を理解できるのだが、
そうでない時は、
間違えて人を評価してしまう。
そんなことがないように、
常に言葉の意味を考えておく。
コミュニケーションには
大切なことだ。
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