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(今日のコトバ)
最強の敵は、別格の親友になる。
ライバルとして、
自分の前に立ちふさがる。
ライバルという以上は、
勝つための目標でもある。
負けて、負けて、負けて、、。
負けて、勝って、負けて、、。
勝って、勝って、負けて、、。
何度も戦いながら、
勝って誇りを持ち、
負けて実力を知る。
そんな戦いをしてきたライバルは、
知らず知らずのうちに、
心のどこかでつながっている。
勝つための目標から、
同じ目標を持った同志に変わる。
さらに、同じ喜び、
同じ苦しみを知る者同志で
通じ合う。
通り一遍の友人より、
深い絆が生まれる。
人生のライバルが親友になることは
ありえること。
否、むしろ長い間ライバルを続けると、
親友のような気持ちで付き合える。
尊敬するところもあるから、
親友として変な関係にもなりにくい。
そう考えると、
ライバルこそ本物の親友といえる。
いま、親友がいないという人は
ライバルをつくってみよう。
そこに本物の親友が現れるはずだ。
(今日のコトバ)
あなたが立ち上がらないと、
あなたを応援した人の数だけ
失望が生まれる。
だが、応援した人の数だけ
手は差し伸べられる。
どんな人にも
応援している人がいる。
少人数か、大人数かかわらず
必ずいる。
応援しているということは、
その人が期待に応えてくれる、
頑張ってくれると嬉しいはずだ。
反対に、裏切ったり、
頑張らない姿を見ると、
心のどこかで
失望していることもある。
その時、どう考えたらいいのか。
まず、失望させることなく、
期待に応え続け、
頑張る自分を見せる。
素晴らしいことだ。
頑張れる時は頑張ればいい。
ただ、いつもいつも
期待に応えるのは難しい。
失敗も、敗北もある。
できれば、期待通りにいかない時も
離れてはいかない人が
いてくれると有難い。
応援をしてくれる人は、
基本、味方でいてくれる。
しんどい時は甘えていい。
変わりに調子の良い時は
期待に応える。
そんな気持ちでいれば、
人生は幸せに生きていけるはずだ。
(今日のコトバ)
「自分を見失うな」というけれど、
人間、ほぼ自分を見失っている。
むしろ、自分が見え過ぎていたら
つまらない。そして、しんどい。
「自分を見失っている」と、
時々、いわれることがある。
確かに、いつもの自分ではなく、
落ち着かずオロオロすることもある。
いつもの自分ではない
自分になっているとはいえる。
だが、よく考えてみると、
自分を冷静に見つめられる時など、
ほとんどない。
そもそも、自分がしている行動を
横で見つめることなどできない。
その時の表情、
その時の感情などは、
瞬間に察知はできない。
反対にいえば、
いつも自分を見失っているともいえる。
そして、見失っているからこそ
人生はおもしろい。
自分が良く見えてばかりでは
人生はつまらない。
未来のように
わからない部分があるから面白い。
わからないからしんどくもある。
それは人間に生まれた宿命。
自分を見失っても、
自分は生きている。
それでいいのだと思う。
(今日のコトバ)
好きなことの前では、
誰もが努力家。
嫌いなことの前では、
誰もが怠け者。
夢中になって取り組むものは、
好きなことであるといい。
無理せず自然に夢中になれる。
努力を意識しなくても、
努力をすることができる。
反対に、
どうしても集中できないものは
嫌いなものであることが多い。
嫌いなものを集中力を持って
取り組むことは難しい。
ましてや、
夢中になって取り組むことなど
至難の業だ。
だからこそ、夢中になって取り組む、
努力をすべきものは
好きなものを選びたい。
100%好きでなくてもいい。
どこか一部好きであればいい。
その好きを突破口に夢中になれれば、
努力が苦しいものだけではなくなる。
楽しいものになるかわからないが、
取り組むことに無理がなくなる。
だからこそ、好きといえるものを探せ。
そこに、自分の力を飛躍させる
源泉がある。
「好き」の延長線上にこそ、
人生の成功は待っているのだ。
(今日のコトバ)
第一印象に、上機嫌を。
「人を色眼鏡でみるな」
「ただの印象で語るな」と
よくいわれる。
正しいことだ。
人を見た目で判断するのは、
かなり危険。
間違っていることも多い。
ただ、「そういわれても」
ということはある。
第一印象のイメージが
その人物像を決めてしまって、
なかなか人間としての情報修正が
効かないこともある。
だからこそ、
第一印象も大切にして
生きていきたい。
ボロは着てても心の錦は昔の話。
現在ではあたりまえに
使える考えではない。
人と対面するには、
まず第一印象から大切にする。
その意識を持って生きるだけで、
その後のコミュニケーションが違う。
できれば、上機嫌で、
笑顔で対応できれば尚良い。
人に対する時、
第一印象から大切にして生きよう。
(今日のコトバ)
言葉は、
人間が一番はじめに起こす
勇気だ。
なんだかんだいっても、
気持ちを言葉にするのは
勇気がいる。
一番簡単に使えるし、
一番気持ちを伝えられるし、
一番深く人を傷つける。
だから、大切。
だから、怖い。
自分が思ったことを、
瞬時にカタチにできるのが言葉。
言葉の力によって、
誰もが救われたことがあるし、
誰もが失敗したことがあるはず。
だからこそ、
言葉の使い方を大事にしたい。
「言葉は一番はじめの勇気」だと
意識すれば、
大事に使えるはず。
言葉の持っている大きな力を
理解し、人生に役立つように
使おっていこう。
それだけ言葉は力があるのだ。
(今日のコトバ)
後悔とは、
幸せの余白のことである。
たんさん後悔してきた。
大きな後悔も、
小さな後悔もあった。
そのどれもが悔しさがあり、
「なぜ、もう一歩いけなかったのか」と思った。
だが、後悔できるほどのこととも思う。
それは、自分の心の隙ともいえるが、
違った言葉を探すと
余白といえるかもしれない。
まだ、心に余った部分があって,
そこに後悔がある。
もちろん、計算してのものではないが、
後悔は余白にある。
余白にあるからこそ、
今度はそこから消して、
後悔がないように
生きてみたいとも思う。
人生は、
なるべく後悔がないように
生きたい。
ただ、余白のある人生も
またワルくない。
後悔もその一つだとしたら、
人生も有意義なものになると思う。
(今日のコトバ)
「ありがとう」は、
いっておかないと損をする。
感謝の言葉。
忙しい日々の中で
ついつい忘れてしまうこともある。
ほんとうは、
日々の出来事で
お世話になった人々に
伝えなければいけないこと。
誰でも気持ちではわかっいる。
ただ、感謝をきちっと
伝えられる人がいるかというと、
自分も含めてあまりいない気もする。
そして、
感謝をいいかげんにしている人は、
あまり信頼されていない。
まったく感謝しない人は、
なんとなくまわりの人から
距離を置かれ始める。
何も感謝で贈り物を
送らなくてもいい。
「ありがとう」の一言でいい。
ちゃんと感謝の気持ちを伝える。
相手に感謝を伝えるだけでなく、
自分の気持ちも納得する。
伝えないと何かが心残りになる。
そうならないためにも、
感謝はきっちり伝えたいものだ。
(今日のコトバ)
優しさは、日常に起こる奇跡です。
誰かに優しくされることがある。
生きていてとても
嬉しいことの一つだ。
こんな世知辛い世の中で、
優しくされことなど
数えるほどしかない。
あまり関係の深くない人から
優しくされると、想像以上に嬉しい。
もちろん、
関係の深い人に優しくされるのも
嬉しい。
ただ、優しさのどれもこれも
生きる上でのあたりまえでなく、
ギフトだと思えるのだ。
優しくされなければ
それだけのこと。
嬉しい気持ちにはならないが、
人生は進んでいく。
生きるのがしんどくて、
優しくされたい時はあるが、
それも期待通り
優しくされる保証はない。
だとすれば、
人から優しくされるのも
一つの奇跡。
与えれた奇跡は
大事にしなくてはいけない。
もし、誰かに優しくされたら、
奇跡を一つもらったと
思って生きる。
その人への感謝の気持ちが
大きくなるはずだ。
(今日のコトバ)
スランプとは、
未来の土壌を耕すこと。
スランプに陥ることがある。
自分でスランプと思う時もあるし、
人からいわれて
スランプと感じることもある。
頑張っているが記録が伸びない。
成長の兆しがない。
停滞している。否、むしろ
退化しているのではないかと
思ってしまう。
そんな気持ちになることは
誰にもある。
ただ、冷静に考えてみると、
スランプが
ワルいことといえない気もする。
いままで順調だったものが、
順調にいかない。だから、
違った方法を探る。探っている間は
成長している気がしないが、
新しい視点に着目し、行動している。
当然、結果が出るまで時間がかかる。
「新しい視点のために行動している」
スランプをそう仮定すると、
決して、停滞や退化ではなく、
成長や前進のためのアクションなのだ。
だとすれば、
スランプもウエルカム。
スランプになったことで
新しい自分に会える。
そう思って生きても
いいのではないか。
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