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(今日のコトバ)
いつでも普通でいられる人を、
特別な人という。
普通の人。
簡単にいう。
平凡で、あたりまえで、
平均点の人?
そんな感じに
受け取られてしまうかもしれない。
だが、いつも普通を続けられる人は、
ちょっと違う。
日常はいろいろなことが起こる。
まともな気持ちでいられない時もある。
ある意味、日々、冒険だったりする。
その中で、
いつも普通のペースを保つのは
並大抵のことではない。
ブレそうな軸を普通に戻せる。
人として高い機能を持っている。
だからこそ、
いつも普通でいられる人を
大切にしたい。
普通というブレない生き方をする
凄い人。
そう思って付き合っていいと思う。
(今日のコトバ)
陰口というエンターティンメントは、
喝采した観客が最後にブーイングするもの。
自信の無さからなのか、
人を見下したいのか、
陰口をいう人がいる。
はじめは、
上手くいってる人のダメな部分、
ダークな部分を
吹聴するから面白ろがられる。
まわりの人も話に飛びつく。
だが、陰口には賞味期限がある。
その陰口が本当かどうかわかった時、
そして、陰口をいわれた本人が
知ってしまった時、
陰口の賞味期限が切れる。
さらに、最初は面白がったり、
笑ったりした人は、
急に冷静になって、
陰口をいった人から距離を置く。
もっというと、
陰口をいった奴がワルいと
敵にまわることさえある。
ワルいのは陰口をいった本人だけ。
広めたその他の人はみな逃げてしまう。
だからこそ、
陰口はいわないに越したことはない。
陰口は必ずいった本人に返ってくる。
それこそ、
陰口で返ってくることもある。
気をつけた方がいいと思う。
(今日のコトバ)
あなたに出会えたのは、
必然という名の奇跡。
「必然だった」と
思うことがある。
その人に出会ったのは、
偶然ではなく必然。
出会うべくして
出会ったのだと思うことが、
数は多くはないが
人生で何人かいる。
そんな人は、
自分の人生を
素晴らしいものにしてくれる
可能性が高い。
人生への贈り物といってもいい。
親友、信頼のできる人として、
その後の人生を支えてくれる。
簡単に必然と思っただけだが、
人生において
とても大きな位置を占める。
それは必然という名を借りた
奇跡といっていいのではないか。
必然として出会った人は奇跡。
必然として出会った人は、
自分においてかけがえのないもの。
かけがえのないものだから、
その人から
支えてもらうばかりでなく、
自分も支えていく。
その思いと行動が
必然という奇跡を
大切にするということに
なるのではないか。
そう思うのだ。
(今日のコトバ)
好きになることは神業。
嫌いになることは力業。
人を好きになることは、
突然やってくる。
自分の生活するエリアで
出会う人。
テレビやネット、SNSの世界の人等
いろいろあるが、
「好き」という気持ちになるのは、
突然だったりする。
深く分析すれば、
趣味嗜好、考え方、生理的なものから
くるのかもしれないが、
人を好きになるのは突然が多い。
それはもう説明できない奇跡というか、
神業のような気もする。
そして、極めて能動的だ。
反対に、
嫌いになるのは一定の時間がかかる。
その人の容姿・行動・言葉遣い等。
何かを感じて自分の気持ちで消化して、
それでも違うと思うと、
「嫌い」となる。
かなりの力業といってもいい。
そして、こちらは極めて受動的。
好きと嫌いには、これだけ差がある。
同じ人でも、人によっては、
好き嫌いが分かれる。
だからこそ、世の中は面白い。
その面白さの根幹に好き嫌いがある。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
似て非凡なる人が求められている。
毎日、同じことをする。
代り映えのない日々が続く。
その中でも頭角を現す人と
そうでない人がいる。
その差は何か?
それは、あたりまえのことを
あたりまえのようにこなす人。
もしくは、あたりまえのことを
あたりまえ以上にできる人が、
頭角という意味で
差がつくような気がする。
どれだけ毎日続く作業でも、
いつも丁寧につくりあげる。
また、注文は難しいものではないが、
必ず上がりが注文よりいい等。
一つ一つの仕事を丁寧にする人。
そんな人こそ、
環境にかかわらず頭角を現す。
もし、いま、現状で自分の頭角が
現れていないと思う人は、
一つ一つの仕事を丁寧にやってみよう。
余力があれば、プラス1を加えてみよう。
必ずどこかで自分の頭角は現れる。
そう信じて生きていいと思う。
(今日のコトバ)
一緒に負けた人を嫌いになりましたか。
一緒に失敗した人を嫌いになりましたか。
同じ痛みを感じた人は、
絆をつくってくれた人でした。
同じ釜の飯という言葉もあるが、
同じ環境に置かれた者同志は
絆が生まれる。
その環境が勝利や成功したものではなく、
敗北や失敗したものでも絆は生まれる。
むしろ、敗北や失敗した方が、
強い絆を生むといってもいい。
傷を舐めあうといのではなく、
痛みがわかる者同志になる。
痛い部分の癒し方、
弱っている人との接し方など、
同じ環境で痛い目にあったから、
通じ合うといってもいい。
だからこそ、
一緒に敗北や失敗した仲間を
大切にすべき。
その人たちは、
これからくる困難にも、
救いの手を差し伸べてくれる。
手を差し伸べてくれなくても、
心の支えになる。
同じ環境で痛い目にあった人たち
との絆は忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
やさしさには、瞬発力を。
誰でもやさしい気持ちはある。
ただ、
やさしさを行動にうつす人と
心の中だけで
やさしく思っている人がいる。
前者はやさしさがわかるので、
「あの人はやさしい人だ」と
いわれやすい。
反対に、
心の中でやさしい気持ちの人は、
やさしい人とはいわれづらい。
やっぱり、行動がなければ
以心伝心のようなことは、まずない。
だからこそ、
やさしさを届けるために
行動することが大切。
困っている人に行動で手を差し伸べる。
もっというと、
やさしさは素早く届けた方がいい。
時間が経つと、
やさしさの効力も薄れる。
たいがいの場合、
やさしさは早く届けられるに
こしたことはない。
「やさしさにも、瞬発力」を。
意識して行動しよう。
(今日のコトバ)
実力のない者には、
全力という隠し玉がある。
どうしても実力が足らない時がある。
まだ経験不足だったり、
能力が磨かれていなかったり、
足りないものがある時、
実力が足らないといわれる。
その時、どう挑むか。
それは一つしかない。
全力で挑むこと。
四の五のいっていないで、
できることをフルに発揮する。
できるできないは、
どうでもいい。
とにかく現状の最高のパフォーマンスを
見せる。
それが、実力を補う力になる。
もちろん、
足らない力はまだあるが、
やる気や気持ちが伝わって、
手が差し伸べられたり、
いい雰囲気ができて、
状況が好回転しはじめることもある。
実力の足らない一部を補える。
それが成長となって、
実力を身に着ける一歩にもなる。
人生の舞台にリハーサルはない。
毎日が出たとこ勝負。
もし、
その勝負に実力が足らないと思ったら、
全力で挑んでいく。
弱者の正攻法だ。
(今日のコトバ)
運が自由に動けるように生きよう。
たとえば、笑顔とか。
たとえば、元気とか。
たとえば、上機嫌とか。
運がどこで動くかわからない。
動いてほしい時に動かなくて、
動いてほしくない時に
動くこともある。
まったく動かない時もあれば、
転がるように動くこともある。
運は自分の意志ではどうにもならない。
だが、運が動きやすい環境を
つくることはできるかもしれない。
それは、自分の前向きな姿勢と
受け入れる気持ちを表現すること。
たとえば、笑顔をつくる。
たとえば、元気に動き回る。
たとえば、上機嫌で明るさを放つ。
必ず運をコントロールできるとは
いえないが、
少しいい方向に運を意識させることは
できるのではないだろうか。
明るい人、元気な人は幸せそうだ。
幸せということは、
いい運と生きているはずだ。
運をコントロールできなくても、
方向性だけは間違えない。
それだけでも
人生が素晴らしいものに
なっているはずだ。
(今日のコトバ)
他人と比べても仕方ないのに、
他人と比べずにはいられない。
だが、その力で成長してきたのも
人間なのだ。
比較する。
誰かと自分。
どっちが勝ってる?
どっちが劣ってる?
こっちの成績がいい!
あっちの成果が凄い!
とにかく人は比較しながら
生きている。
考え方として、
自分と人を比較しても仕方ない。
自分は自分。人は人。
そう思って生きればいいとも思う。
だが、人は比較を避けて通れない。
自分の方が優れていると、
比較されることも喜びになる。
さらにいえば、人は比較というレースに
勝とうとすることで成長していく。
「目標がライバル」
その一点で頑張る人もいる。
だからこそ、
人との比較は臨機応変に考えよう。
それが成長に役立つなら、
比較すればいい。
反対に、比較することで
ストレスにしかならないなら
比較しない。
それぐらいの気持ちで
生きていいと思う。
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