幸せを数えてみよう

 

(今日のコトバ)

 

不幸な人とは、

自分が幸福であることを

知らない人、全員。

 

 

生きている以上、

基本的には幸せであると思う。

もちろん、異論もあるだろう。

困難続き、不運続きで、

とても幸せとはいえない

という人もいるはずだ。

だが、それでも起きて、寝て、食べて、

働いて、勉強して、運動して、

テレビを観て、SNSをして、

趣味を堪能し、誰かを好きになっている。

生きることのあれこれを

実践している人は、

やっぱり幸せなのだと思う。

そして、不幸な人とは、

その幸せを感じていない人。

初期設定として不幸だと思っている人、

全員なのだと思う。

さらにいえば、

幸せ不幸を判断するなら、

いい方法がある。

幸せの数を数えてみること。

朝起きてから寝るまでの幸せなこと。

これまで生きてきた幸せなこと。

一つ一つ数えてみる。

それを日々くり返す。

それだけで、自分がどれだけ

幸せなのかを知ることができる。

幸せではないという人は、

試してみる価値はあると思う。

 

力なき者の唯一の戦術

 

(今日のコトバ)

 

全力とは、

命いっぱいにして

前進すること。

 

 

何も力がない時、

人はどうやれば意志を伝えられるのか。

それには、全力を尽くすしかないと思う。

いまできることのすべてを駆使して、

やるだけやる。

実力はないけど、

全力を尽くしたという誠意は伝わる。

それが、力なき者の唯一の戦術である。

この全力という戦術は

破壊力がある。

全力=一生懸命が伝わると、

まわりの人は評価する。

少々至らないところがあっても、

手を差し伸べてくれる人が

現れたりする。

全力を尽くすことは、

局面を打開する可能性もあるのだ。

だからこそ、

自分の技術、自分の才能が至らないと

思ったら、全力を尽くすという

戦術を使ってみる。

力はなくても、

誠意と本気が伝わる。

そこに、人生の様々な局面を

打開する可能性が生まれるはずだ。

 

 

冗談の距離感

 

(今日のコトバ)

 

冗談には、

通じる距離がある。

 

 

コミュニケーション。

簡単にいうけれど、

人と人との関係で

いちばん難しいものでもある。

コミュニケーション不足とか、

コミュニケーションができないとか、

言葉は飛び交うが、

たいがいおいて、

コミュニケーション不足だし、

コミュニケーションは足らない。

むしろ、コミュニケーションが

上手くいっている方がむ珍しい。

だからこそ、一つ一つの言葉は

丁寧に伝えたい。

特に、関係が深くなっても、

冗談が通じるか通じないかは

難しい問題。

これぐらいは大丈夫だろうと思っても、

思いっきり相手を傷つけることもある。

たいがいは許してくれるのに、

たった一つ触れてはいけない部分に触れて、

関係がおかしくなることもある。

人と人との距離と同じように、

言葉、特に、

冗談にも通じる距離がある。

そのことを忘れてはいけない。

 

絶対を崩して進化する

 

(今日のコトバ)

 

強い者も負ける。

賢い者も間違える。

絶対がないから、

人間という生きものは

進化してきたのだ。

 

 

 

生きていると疑問を持つ言葉がある。

その筆頭に絶対という言葉がある。

人生で何度絶対という言葉に

裏切られたか。

時間が経つと絶対という言葉は

もろくも崩れてばかりだ。

もしかすると、

絶対とはその瞬間だけの

言葉なのかもしれない。

だとすれば、

絶対という言葉は成立する。

ただ、

人間は瞬間だけで生きてはいない。

未来もあるのだ。

反対に考えると、

絶対という概念を覆すことで

人は進化してきたともいえる。

強い者が、かつて弱かった者に負ける。

弱かった者が力をつけて勝つ。

賢い者が、簡単な問題を間違える。

自分の才能に胡坐をかき、

努力をやめてしまって間違う。

絶対が崩れたことで、

他の人、他の作用が働き、

新しい進化があった。

だからこそ、

絶対という言葉に挑んで、

乗り越えることが大切。

そこに進化の礎があるのだ。

 

無謀な挑戦

 

(今日のコトバ)

 

無謀とは、

限界を広げる成長期が、

もう一度やってくること。

 

 

人生において、

時に無謀と思える挑戦を

しなければならない時がある。

学生時代は、

受験で、クラブ活動で、

自分の限界を超えて挑戦しないと

たどり着けない時があった。

社会人になっても、

企業の目標、仕事のノルマが

自分の実力では到底無理な場合があった。

その時、無謀な挑戦を試みるしかない。

成功する確率は

数パーセントしかないかもしれない。

だが、やるしかないのだ。

結果、良い場合もあれば、

上手くいかなかった場合もある。

ただ、無謀な挑戦をしたことが、

自分の限界を大きく広げることになる。

自分はこれだけできるんだという

自信や実力がつくこともある。

無謀な挑戦。

言葉にすると少し乱暴だが、

人生を成長させたい時に、

絶対必要なものなのだ。

できると思って生きる

 

(今日のコトバ)

 

昨日の限界は、

今日の限界ではない。

昨日あきらめても、

今日あきらめる必要ない。

 

 

「どうしてもできなかった。

がんばったけど、何かが足りなかった。

限界だったかもしれない」

そう感じたことは、

人生の中で何度もある。

ただ、人生のキャリアを積むと、

わかることがある。

それは、

今日の限界は明日の限界ではない

ということ。

今日できなくて落ち込んでいたが、

明日になるとすんなりできたこともあった。

もちろん、努力を続けているからこその

境地ではあるのだが、

それでも、

明日になると状況が変わることがある。

だからこそ、

仮に今日できなくても、

失望する必要はない。

「また、明日になれば状況が変わる」

それぐらいの気持ちで生きていい。

できない、できないと思って生きるより、

できる、できると思って生きる方が

可能性がある。

できるできないのスイッチは、

どこにあるかわからない。

できると思って、人生を生きよう。

誰かのためには、自分のために

 

(今日のコトバ)

 

「ために」「ために」で生きてきた。

そして、いつしかその「ために」は、

すべて「自分のために」であることに

気づいた。

 

 

人は大なり小なり、

誰かのために生きている。

親兄弟、夫婦、恋人、

先輩、後輩、上司、部下、、。

誰のためにも

生きていないという人の方が

少ないと思う。

確かに、自分においても、

少なからず

誰かのために生きている。

ただ、長く生きていると、

誰かのためにと思えたことが、

結局、自分のためであることに気づく。

仮に、

「誰かのために何かをしてあげた」と

思っていることを考えてみると、

してあげた先で、

自分もしてもらいたいと

思っていることが半分以上。

また、誰かのためにしてあげたから、

自分が得をすると思う。

あるいは、徳を積めると思うことも

結構な%を占める。

本当に見返りを求めないで、

ためにしていることは

ごく僅かなのだ。

そう思うと、

誰かのためにしていることは、

自分のためにしていることと

イコールに近くなる。

だとすれば、

誰かのためにしたことを、

いちいち恩着せがましく、

やってあげたと心に刻む必要はない。

そもそも誰かのためにしたことも、

自分のためにしたことと思えば、

すぐに腑に落ちる。

仮に、相手から見返りがなくても、

自分のためだと思えば納得できる。

「誰かのために」は、

「自分のために」

そう思うことが大切だと思う。

 

雑用との向き合い方

 

(今日のコトバ)

 

雑魚とは、

雑用を雑にする人のこと。

 

 

一言に雑用というと、

様々な用件がある。

仕事によっても違うし、

人の考え方によっても違う。

ただ、たいていは難しいことではなく、

単純作業をさす。

単純作業だから、

誰でもできるのだが、

伸びしていく人、

あるいは、高い目標を持った人は、

その雑用において手を抜かない。

丁寧にやる。

徹底的にやる。

人の目があろうがなかろうが、

きっちり作業する。

反対に、伸びない人、

目標を持たない人は、

「雑用でしょ、、」という態度で

手を抜きながら作業する。

もしかすると、

そこが人生の差に

なっていると思うこともある。

一概にはいえないが、

雑用に対する向き合い方は

人の未来をつくっている。

丁寧にやる人はよりよい未来をつくり、

手を抜く人は未来を見ていない。

目標があると、

どんな些細なことでも

一生懸命やろうとする。

それが行動に出る。

自分の人生において、

雑用とどう向き合っているか

考えてみよう。

とにかくやり始める

 

(今日のコトバ)

 

やる気は、

やり始めてから本腰を入れる。

 

 

「やる気を出せ」

といわれても簡単に

出せるものではない。

心の準備も必要、

モチベーションが

上がることも大切。

条件が揃わなければ、

やる気は出せない。

ただ、経験からこうもいえる。

「やる気は、やり始めてから出てくる」

どういう気持ちかはともかく、

とにかくやり始めてしまう。

やり始めていくうちに、

やる気が出てくる。

走り出したら、

気持ち良く走れるように、

始めることが大事。

もし、いま、

どうしてもやる気が出ないなら、

やりたい方向へ、

とにかくスタートを切ってみる。

そこからやる気が出てくるのを待つ。

案外、やってみる価値はあると思う。

好奇心は楽しい目標

 

(今日のコトバ)

 

好奇心を失った人こそ、

ほんとうのスランプという。

 

 

何か面白いことを探す。

自分がときめくような状況を身を置く。

好奇心といえばいいのだろうか。

その気持ちがある限り、

生きることがつまらなく

なることはない。

好奇心は、毎日を生きる楽しい目標。

毎日楽しい目標があるということは、

生きることがおもしろくなるはずだ。

反対に考えると、

好奇心が起こらない時こそ、

人生がつまらなく、

スランプと思っていい。

だからこそ、

いつも好奇心がある状況をつくる。

生きること楽しく、

生きることに貪欲になるために。

好奇心は大切なアイテムなのだ。