(今日のコトバ)
「ために」「ために」で生きてきた。
そして、いつしかその「ために」は、
すべて「自分のために」であることに
気づいた。
人は大なり小なり、
誰かのために生きている。
親兄弟、夫婦、恋人、
先輩、後輩、上司、部下、、。
誰のためにも
生きていないという人の方が
少ないと思う。
確かに、自分においても、
少なからず
誰かのために生きている。
ただ、長く生きていると、
誰かのためにと思えたことが、
結局、自分のためであることに気づく。
仮に、
「誰かのために何かをしてあげた」と
思っていることを考えてみると、
してあげた先で、
自分もしてもらいたいと
思っていることが半分以上。
また、誰かのためにしてあげたから、
自分が得をすると思う。
あるいは、徳を積めると思うことも
結構な%を占める。
本当に見返りを求めないで、
ためにしていることは
ごく僅かなのだ。
そう思うと、
誰かのためにしていることは、
自分のためにしていることと
イコールに近くなる。
だとすれば、
誰かのためにしたことを、
いちいち恩着せがましく、
やってあげたと心に刻む必要はない。
そもそも誰かのためにしたことも、
自分のためにしたことと思えば、
すぐに腑に落ちる。
仮に、相手から見返りがなくても、
自分のためだと思えば納得できる。
「誰かのために」は、
「自分のために」
そう思うことが大切だと思う。