明日出会える風景のために生きる

 

(今日のコトバ)

 

明日に行かないと、

人生の絶景を一ケ所見逃すことになる。

 

 

とにかく人生は毎日明日への準備。

来る日も来る日も、

明日以降の未来ために

あれこれ作業をする。

あきもせず、

やってくる明日のために

準備する。

なぜだろう?

それは、人生の新しい風景を

見れるからだと思う。

無意識かもしれないが、

きっと、どこかでわかってる。

「明日、何か新しいことに出会える」と。

その新しいことに出会うために、

夢や希望、また、

野望、欲望を持って生きていく。

そして、何か新しいことに出会うことは、

幸せになることに近い。

「明日のために」で生き、

「今日出会えた」で生きる。

だからこそ、生きる気力が湧いてくる。

人生を生きるための目標は、

素晴らしい明日にある。

そのことを決して忘れてはいけない。

 

話しかけてあげる

(今日のコトバ)

 

「話かけてあげる」は、

極上の優しさである。

 

 

初めての学校のクラスで、

初めての会社の研修で、

初めて話しかけてくれた人は、

ほんとうに安心させてくれた。

困っている時に、

「どうしたの?」と相談にのってくれた人も

ありがたかった。

面白いことをいって笑わせてくれた人も

リラックスさせてくれた。

ただ話しかけてくれただけだから、

あたりまえに思えてしまうけれど、

ほんとうはあたりまえなんかではない。

人生を気持ちよく生きていく上で

貴重な行為。

大きな優しさをくれたといっていい。

もっというと、

人生に極上の優しさを

くれているともいえる。

だからこそ、

話しかけてくれる人は大切しよう。

そして、

自分が話しかける人にもなれれば、

もっと人生は素晴らしいものになる。

「話しかけてくれる」

「話かけてあげる」

優しさからくる貴重な行為だと

忘れないようにしよう。

 

 

 

「許せない」から「許す」へ

 

(今日のコトバ)

 

人生を窮屈にしてきたのは、

許すことのできない自分でした。

 

 

人に対して

「許せない」と思うことがある。

腹の立つこと等があれば、

相手を許せないと思う。

だから、許さないで相手と

付き合わなかったり、

距離を置いたりすることもある。

ただ、「許さない」という気持ちは、

相手との関係もあるが、

自分自身も苦しめてしまう。

「許せない」から、

いつも態度に出す。

当然、相手もこちらにいい感情を持たない。

お互いがギクシャクした状況のまま。

常に不快感がつきまとう。

いつもイライラがあり、

相手が現れると、

さらに不快感がヒートアップする。

人生が嫌な時間で覆われる。

だとしたら、

「許せない」を「許す」気持ちで

生きたらどうだろう。

少しぐらい腹立つのは忘れる。

「そんなこともある」と水に流していく。

つまらぬ「許せない」は、

考えない。

そうしないと、

「許せない」気持ちが

人生を不快にしていく。

最後は自分を許せなくなる。

そんな人生を生きるのは本意ではない。

もっというと、人生において

ムダな時間をつくることにもなる。

「許せない」気持ちから

「許す」気持ちへ。

生き方を意識的にシフトしていく。

それだけで、生きる不快感が、

随分、解消されていくはずだ。

幸福の上にある日常

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

幸福という分母の上に

日常がある。

 

 

アイルトン・セナが

「この世に生を受けたこと、

それが最大のチャンスじゃないか」

といったそうだ。

ほんとうにそう思う。

少し大きく捉えると、

生まれたきたことが幸福といえる。

もちろん、幸福だけではないと

思う人もいるだろう。

ただ、生まれた時からチャンスが訪れる。

無数のチャンスが訪れる。

チャンスを自分のものにできるか

どうかは別として、

チャンスは目の前にある。

それほどの幸福もない。

だからこそ、

生きている今日は、

幸せなのだと設定してしまう。

それだけで、

一日は価値あるものになる。

もっと意欲的に

生きることができる。

生きている自分のために、

幸福の上にある日常を意識しよう。

大人になるばかりが大人ではない

 

(今日のコトバ)

 

「大人になれよ」といわれて、

少し喜ぶぐらいの子供を残しておこう。

 

 

年齢のわりには

無邪気になり過ぎて、

「大人になれよ」といわれる人がいる。

もっと冷静に、もっと大局を見て、

もっと静かに等、、。

大人になれよの大人には

様々な意味がある。

だが、大人になるばかりが

大人ではないともいえる。

冷静より熱く、

大局ではなく一点を見つめて、

もっと騒がしく、、してもいい。

大人ではない、

子供のような初心の気持ちを

出して生きてもいい。

なんでもかんでも大人気ないのは

どうかと思うが、

少しは子供を残して生きることも大切。

人にとって、

どこまでが子供で

どこからが大人かなんてわからない。

だからこそ、

大人であっても子供を残す。

それは、

人として、

とても素敵なことではないだろうか。

臆病は役立つ

 

(今日のコトバ)

 

臆病者でいい。

無自覚な人に

傷つけられないために。

そして、無自覚に人を

傷つけないために。

 

 

しり込みしたり、怖がったり、

小心に生きてしまう。

臆病者はビビりだ。

人生で起こる出来事では、

「臆病者になるな」

といわれることも多い。

だが、人生はさまざまことが起こる。

あまりに無防備で生きてしまうと、

後に痛い目にあうこともある。

その痛い目にあわないためには、

臆病であることも役に立つ。

危ない橋を察知し回避したり、

傷つけにくる人を避けたり、

臆病だから逃げることもできる。

また、自分が

ちっぽけな権力を振りかざしたり、

人を無意味に傷つけないためにも、

臆病は役立つ。

自分の人生のつまずきを

減らすためにも、

臆病であっていい。

人生に臆病を役立てるのだ。

笑って立ち直る

 

(今日のコトバ)

 

今日泣いても、

明日笑うことができるのが、

人間という生き物の得意技。

 

 

泣くような辛いことがあった。

失敗、敗北、失恋、喪失など、、。

ほんとうに悲しい。

涙が止めどなく流れる。

だが、数時間後、

あるいは、明日になると、

人はもう笑ってる。

笑う状況でなくても、

少し元気になることだけでも、

微笑んだり、笑ったりする。

どんな状況であっても笑いを探す。

それこそが、人という生き物が

地球という舞台で強く生きられる能力。

状況問わず最後は笑う。

笑って立ち直る。

反対にいえば、

笑うことで立ち直る。

笑いで生きるための

勢いをつくる。

だからこそ、

悲しい状況にある人は、

笑いがあることを

すぐに思い出そう。

思い出さなくても、

いずれは笑う。

だとしたら、

いち早く笑った方がいい。

それだけで

生きた時間が増えていく。

笑いを信じるのだ。

運は人生に寄り添う

 

(今日のコトバ)

 

運は、敵でも、味方でもない。

ただ寄り添って

一緒に歩いていくものだ。

 

 

運がある、

運がない。

人はそういって、

自分と運の関係を言葉にする。

良い運がある人、

ワルい運に出会う人いるだろう。

だが、

すべての人が運があると思う。

多少の運の良さ、

多少の運のワルさはあっても、

誰もが運はあるといっていい。

運の良さが続く人は、

それだけ努力も多くしている。

運がワルいと思う人は、

あまり努力をしていない人、

それだけの差のような気がするのだ。

では、運をどう考えるか。

それは、人それぞれの

人生に寄り添うもの。

誰の人生にもあって、

良い運に恵まれるている人は、

その道で努力している人。

ワルい運になってしまう人は、

生きる道で努力の足りない人。

そう思って生きることが、

運を正しく捉えることになる。

運を博打のように思わず、

自分の努力の賜物とおもって

生きていけば、

運は自分のものに限りなく近づく。

そう思っていいと思う。