一歩踏み出す人生であれ

 

(今日のコトバ)

 

一歩踏み出さなければ、

どこまで行けるかわからない。

そして、一歩踏み出せば、

どこまでも行ける気がする。

 

 

やるか、やらないか、

なかなか一歩踏み出せない。

あれこれ考えて、

頭が判断を遅らせる。

決断に迷ってしまう。

そんなことが

誰にもあると思う。

ただ、結論からいうと、

一歩踏み出さなければ、

何かもはじまらない。

一歩踏み出すことで、

やることが明解になってくる。

道筋が見えてくる。

下手をすれば、

考え過ぎて、

やらないという結論に

なってしまうこともある。

反対に、

一歩踏み出せば、

何とかなると思うこともある。

勢いや意欲も出てくる。

人生は一度切り。

やりたいことを

やった数が人生を

充実させてくる。

だからこそ、

一歩踏み出す人生を

意識していくべきだ。

できる限り真意を探る

 

(今日のコトバ)

 

言葉だって、

表で優しくても、

裏で刺してくることがある。

 

 

人の言葉の意味が

一つでない時がある。

表の言葉として理解しても、

本音としての裏の言葉があって、

まったく意味が違って

理解することもある。

「そんなつもりでいったんじゃない」

間違えてしまうこともあるし、

「そんな意味だったの?」と

後々、理解することもある。

だからこそ、

言葉とは丁寧に付き合いたい。

その言葉の意味は正しいか?

その言葉を真に受けていいか?

できる限り理解するようにする。

人の言葉の使い方も、

正しいとは限らないから、

できる限りでいい。

言葉の真意を理解して、

コミュニケーションをとる。

それが人と人との関係を

円滑するマナーだ。

 

未来を前売り

 

(今日のコトバ)

 

過去の安売りより、

未来の前売り。

 

 

昔話、自慢話を

ダラダラ話す人は

好きになれない。

どうしても切れない

関係でなければ、

時間と共に距離をとる。

反対に、夢や企画を

プレゼンする人は、

なんとなく側にいて、

一緒に何かしたくなる。

過去の話しより、

未来の話し。

終わってしまったことより、

これからはじまること。

そう思って生きていくと、

明日がくることが楽しくなる。

一度きりの人生たなら、

毎日、ワクワクして生きていたい。

そのために、

未来の話しをたくさんできる

人生にしよう。

 

命は、幸せの味方

 

(今日のコトバ)

 

いのちは、

いつも生きる道を

探している。

 

 

充実した時間を

過ごせば過ごすほど、

命の鼓動を感じる。

「生きているから、

素晴らしい時間を

過ごせる」と思う。

その素晴らしい時間を

導いてくれるのは、命。

命は、

常に最良の選択を

考えて動いている。

命の持つ意志は、

自分という人間を

幸せになるために

ナビをしてくれるとも

いえるのだ。

だからこそ、

歌にもあるように、

命の命ずるままに

生きていく。

どんな時代、

どんな環境であっても、

命は自分の味方でいてくれる。

命を大切に、

命ずるままに

生きていこう。

 

贅沢は大切な幸せ

 

(今日のコトバ)

 

贅沢ばかりしていると、

何が幸せかわからなくなって、

幸せを放り出してしまう。

 

 

順調に人生が進んでいる。

贅沢しても生きるペースを

変えなくてすむ。

生活にも満足しいる。

いい人生だと思う。

ただ、何か違うと思う。

それは何か?

贅沢過ぎる生活をすると、

贅沢が特別なものでなくなって

しまう。

ちょっとした贅沢なら、

簡単に手放してしまう。

贅沢を安易に扱ってしまう。

それは仕方のないことかもしれないが、

贅沢を手放してしまうということは、

ある意味、

幸せを手放してしまうことでもある。

贅沢という貴重で愛しいものを、

大切にできなくなるのだから、

幸せを手放してしまった

といっても過言ではない。

贅沢は幸せと思ったら、

簡単には手放せないはずだ。

だからこそ、

贅沢を自分の手から放さない。

大切な幸せであることを

忘れない。

そんな気持ちをもって

生きることで、

人生はより幸せに包まれる。

贅沢を大切にして

生きていくのだ。

目標とした人と違った生き方

 

(今日のコトバ)

 

なりたい人になれなくても、

「私」になれたら、

そんなに素晴らしい人生は

ないじゃないか。

 

 

生きていくために

何かの目標を持つ。

例えば、誰かのように

なりたいと、

ある人を目標にする。

たいがいは憧れからはじまる。

歴史上の人物だったり、

アーティストだったり、

タレントだったり、

親だったり、

目標になる人を見つける。

そして、マネをして生きてみる。

だが、どうしても同じにならない。

違った自分が出てきてしまう。

目標とした人とは違う

生き方をしてしまう。

そんな生き方をする人も

いるだろう。

だが、それはワルいことではなく、

違った生き方をするところに

自分のオリジナル部分が

生まれているのだ。

だから、

もし、自分の人生が

目標とした人と違っても、

「そこに自分のオリジナルがある」

と考えて、

自信をもって前進すればいい。

自分が自分でありながら

生きられるほど素晴らしいことはない。

目標とした人を超えた

自分という人生があるのだ。

尊敬できる人はいるか

 

(今日のコトバ)

 

自由にやらせてくれて

見捨てない人が、

いちばん尊敬する人でした。

 

 

どんな人を尊敬するか?

「厳しく鍛えてくれる人」

「叱咤激励してくれる人」

「優しく支えてくれる人」

「先頭に立ってくれる人」

「夢を一緒に追いかけてくれる人」等。

人により様々だ。

ただ、自分の尊敬する人で考えると

一択になる。

「自由にさせてくれて

責任をとってくれる人」

少々わがままでも

自由にさせてくれて、

見捨てずに責任をとってくれる。

そこまでしてくれる人は、

ほんとうに頭が下がる。

人生で一握りしかいないが、

何人かの顔が思い浮かぶ。

そして、そんな人に巡り合えた

自分の人生も

素晴らしいものだと思う。

このケースは自分においてだが、

誰でも尊敬できる人を

持てることは、

人生を信じる理由になる。

「いま、尊敬できる人がいるか」

自分の胸に聞いてみよう。

スリルとサスペンスに満ちた一生

 

(今日のコトバ)

 

人生はどれほど

地図通りに歩いてみても、

行きあたりばったりである。

 

 

 

明日、何が起こるかわからない。

そのスリルとサスペンスに満ちた

一生をおくるのが人間。

人間はその明日に向けて、

夢とか、目標とかをつくって、

達成しようと切磋琢磨する。

達成までの道程も、

予定通りに行くことは、

まずない。

どれだけ規則正しく生きても、

不測の事態が起こる。

だからこそ面白い。

人生という時間のゲームを

命果てるまで楽しめるのだ。

そう考えると、

人生は最高の

エンターティンメント。

どんなドラマより面白い

自分のドキュメンタリーなのだ。

いま、人生がつまらないと

思っている人は、

もう一度、自分のまわりで

起こっていることを見つめ直そう。

きっと、

面白いことが起こっている。

もし、起ってなかったら、

自分が仕掛けることだってできる。

一度きりの人生、

できる限り、

楽しんで生きる方が勝ち。

そんな気持ちを持って

生きていこう。

ないものねだりだけでなく

 

(今日のコトバ)

 

ありあわせのものだでも

生きていける人になろう。

 

 

ここにあるもの。

それだけで生きていける。

否、本当は生きて行けなければ

ならない。

ただ、人生という生きものは、

人間をないものねだりする

生きものに変えていく。

ここにあるものでは

我慢できなくて、

生活をもっと贅沢にする。

もちろん、進化を望んで

開発してく文化・文明は

大切だ。

それによって享受する

生活も有難い。

だが、それ一辺倒になって、

地に足をつけて生きることから

かけ離れてしまうと、

人間は脆弱になっていく。

異常気象、持続可能な時代など

生活を進化し過ぎたつけを

考えなければいけない

時代にもなった。

だからこそ、

ここにあるもの、

ありあわせのものだけで

生きていけることを

考えてみよう。

人にとって、

地球にとって何が大切か。

答えを考えて生きることは

次の時代の人類への

生きるヒントになると思う。

 

知識を持て、無知であれ

 

(今日のコトバ)

 

知識は、視野になる。

 

 

知らないより、

知っている方が

着眼点が明解になる。

着眼点が多くなる

といってもいい。

学習して知識を広げると、

それだけ着眼点が多くなる。

人生を有意義にするためには、

いいことだともいえる。

知識を増やして、

人生を有意義にしたい人は、

学習に励めばいい。

だが、人間は複雑な生きもの。

知識があり過ぎて、

着眼点をたくさん持つようになると、

知識が重すぎて、

生きることが辛くなることがある。

知り過ぎて、

気持ちワルくなってしまうのだ。

知識があることの弊害、

無知であることの

利点とでもいおうか。

だからこそ、

自分の生きる方向性によって、

知識を豊富にしていく部分と

無知を決め込む部分をつくる。

自分が快適に生きるための

知識を持ち、

後は無知になる。

その気持ちが

人生を辛くしないで

生きる術になるはずだ。