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(今日のコトバ)
幸せは、
道の途中にも、
目的地にもある。
だが、ほんとうは
一歩踏み出した時、
もうそこにあるものなのだ。
はじまりがあって
終わりがある。
物事はこの繰り返しだ。
途中で終わることはあるけれど、
それでもはじまりと終わりはある。
その中で、
人はどこで幸せを感じるか。
考えてみると、
はじめる前はワクワクする幸せがある。
途中は経験という幸せがある。
目的地には達成感という幸せがある。
結局、どの場面でも幸せを感じる。
つまり、生きるどの場面でも、
幸せを感じていられる。
感じられないとすれば、
何もしない時だけかもしれない。
もちろん、物事に挑戦する時、
悲しい思いや
不運を感じることもある。
ただ、
悲しさや不運を
感じるということは、
楽しさや幸運を
経験しているということ。
すぐそばに
幸せがあったということなのだ。
だからこそ、
物事をはじめて生きていく。
その先には必ず幸せがある。
そう思うと、
尚更やる気になってくるはずだ。
(今日のコトバ)
不幸は、
幸福の正体を見つけるために
必要な時間でした。
幸せは、
生活の中に紛れ込むと
あたりまえになる。
日々のあたりまえは、
ほぼ幸せで出来ているといっていい。
そのあたりまえを失うと、
あっという間に
不幸が正体を現す。
反対にいえば、
不幸になった時、
ほんとうの幸せが
わかるともいえる。
できれば、
不幸にならない方がいい。
幸せが
あたりまえだからといって、
ないがしろにしていると
不幸になる。
そのことを肝に銘じて生きる。
それだけで、
あたまえという幸せの大切さを
忘れずにいられる。
幸せな時間を長くするために、
あたりまえの時間を大事にしよう。
(今日のコトバ)
誰でもないあなたでも、
きっと、誰かの「特別」です。
孤独を感じる。
孤立を感じることもある。
コロナ禍の昨今、
疎外感も含めて、
寂しさが身に染みることが多い。
ただ、よくよく考えてみると、
決して
一人で生きていけるわけではない。
必ず誰かとつながって生きている。
意識しようがしまいが、
つながる誰かはいる。
そして、その中の何人かは、
自分にとって「特別」な人でもある。
その人がいなければ、
寂しい。
その人がいなければ、
楽しくない。
その人がいなければ、
愛を感じない。
その人がいなければ、
生きていけない、、。
そんなことを感じる人がいるはずだ。
反対に、自分が誰かの「特別」な人に
なっていることもある。
自分がいなければ、
寂しいと思う人。
自分がいなければ、
楽しくないと思う人。
自分がいなければ、
愛を感じない人。
自分がいなければ、
生きていけない人、、。
そんな人もいるはずだ。
だから、自分が孤独を感じたら、
自分の「特別」な人を
思い起こしてみよう。
場合によっては、
弱音や愚痴を吐いてもいい。
自分の気持ちを吐露してみる。
それだけで救われる。
反対に、
誰かの弱音や愚痴を聞いてあげれば、
誰かを救ってあげることもできる。
人と人は支えてって生きている。
支え合うからこそ、
孤独から脱することができる。
自分の「特別」な人をつくって、
誰かの「特別」な人になる。
それが人間関係の基本かもしれない。
(今日のコトバ)
今日の予定?
人生最高の時間に出会うこと。
過去でもない。
未来でもない。
現在。
何が一番待ち遠しいかというと、
それまでの人生をアップデートする
最高の時間と出会うことではないか。
昨日より今日の方が楽しいことがある。
素晴らしいことが起こる。
奇跡が起こる。感動するなど、、。
これまでの人生を超えるいいことに
出会いたいと思っている。
もちろん、
刺激的過ぎて
平凡でいいという人もいるだろうし、
まったく賛成しかねる人も
いるだろう。
ただ、できるだけいい日にしたいのは、
みんなの願い。
だとしたら、
どうしたらいい日になるか?
考えながら生きるのもワルくない。
否、いい日にするために行動すれば、
よりいい日になる可能性が広がる。
いま、いい日に出会わないと思う人は、
いい日にするために
どうしたらいいか考えて行動する。
正攻法だが、
今日をいい日にするための確率は
上がるはずだ。
(今日のコトバ)
いまこそ、
一生懸命という命になるのだ。
何事も一生懸命やる。
やるというよりやれるということは、
一つの成果といっていい。
たとえ結果がワルくても、
一心不乱にやりきったという
自信は、自分に力をつける。
自信がつくということは、
自分が力がついたことを
確認すること。
だからこそ、
一生懸命に物事に挑戦する。
一生懸命を続けていければ
自信が自然についていく。
力がついて自信がつく
といってもいい。
一生懸命は文字ごとく、
人間のがんばりを
一心にすることなのだ。
(今日のコトバ)
あたりまえの環境を
大切にする。
あたりまえの生活を
もっと大切にする。
あたりまえの関係を
もっともっと大切にする。
自分のまわりには
あたりまえが揃っている。
朝起きてから
夜眠るまで、
あたりまえに過ごせる機能が
揃っている。
もちろん、新しい環境、
新しい生活、新しい人間関係が
はじまれば、
あたりまえでないことはある。
ただ、人間は
自分の生きる時間を習慣化して、
あたりまえに生きていく天才だ。
意識無意識にかかわらず、
時間を習慣化し、
自然にあたりまえになっている。
そして、
あたりまえこそ幸せの礎になる。
だからこそ、
あたりまえを大切にする。
あたりまえと思っていることに
立ち止まって感謝する。
あたりまえが占める範囲が
多ければ多いほど、
気持ち良く生きていける。
あたりまえの中で
生きていこう。
(今日のコトバ)
希望的観測で見つけた星は、
人生の大きな目標になった。
例え、希望的観測でも、
根拠なき自信でも、
描いた目標は大切。
否、希望的観測だからこそ、
根拠なき自信だからこそ、
描いた目標は大きなものになる。
現実に則さなくていい。
規制など取っ払っていい。
自由な気持ちで描いた目標は
人生の大き支柱になる。
その目標が達成しようと
しまいと、
挑戦した記憶は
生きる支柱になるのだ。
いま、各々の状況で
各々の目標が
誰にでもあるはずだ。
その目標に向かって
走り始める時、
漠然としたままでもいい。
まず、走ってみる。
そして、走りながら考える。
大きな目標は時間がかかる。
すべて準備できるまでは
待っていられない。
はじめの一歩は、
いま、すぐ、踏み出す。
目標は人生の大きな支柱に
なっているのだ。
(今日のコトバ)
真実が誰かを
傷つけることがある。
嘘が誰かを
救うこともある。
人間は、真実も、嘘も、
支配できるのだ。
真実は正しい。
だが、人間にとって真実が
すべてを幸せにするかというと
そうとはいえない。
嘘は間違っている。
だが、人間にとって嘘が
すべてを不幸にするかというと
そうともいえない。
真実と嘘。
人間が生きていく上で、
とても大切なもの。
正しさは真実にあっても、
それだけでは生きられないのが人間。
間違いは嘘にあっても、
それだけでは生きられないのが人間。
ただ、真実と嘘を支配しているのは
人間だ。
その時々で大切で、
その時々で必要な方を選ぶ。
選ぶ時に正しさが必要になる。
真実と嘘は、
人間にとって
選ぶ大切さがあるものなのだ。
(今日のコトバ)
勝利を積み上げたら
喜びが力に変わり、
敗北を積み上げたら
悔しさが力に変わる。
勝利と敗北。
人生ではどちらも経験する。
勝利ばかりの人はいない。
敗北ばかりの人もいない。
人は勝利だと良い結果として
喜ぶことが多い。
たしかに勝とうとして
勝利したのだから、
素晴らしい結果だ。
喜べばいい。
だが、だからといって
敗北が良くないとはいえない。
経験や反省することの顕在化など、
これから生きるために役立つ
良いこともたくさんある。
勝利も敗北も、
人生にとって大切な財産になるのだ。
もっといえば、勝利も敗北も
人生で考えれば、すべて途中経過だ。
そこで終わりにならない。
どちらも人生にとって
かけがえない財産。
いけないのは、挑戦せずに
勝利も敗北も経験しないこと。
とにかく、意欲的に挑戦して、
自分にかけがえのない財産を
つくろう。
(今日のコトバ)
運命は、
人生が開拓した大地である。
人は、運命に左右されるという。
たしかに、ある出来事に出会って
人生が大きく
変わっていくことがある。
その状況をみて、
まわりの人は運命だと思う。
ただ、仮にその出来事が運命だとしても、
くじのように天命を
願った結果ではないような気がする。
運命とは、自分がそれまで生きてきた
結果が導き出すもの。
その運命に至るような行動を
自分が起こしていた。
その運命に至るように
生きてきたといってもいい。
運命は、
自分が開拓した大地なのだ。
そう考えると、
運命と人生の距離のつじつまがあう。
やっぱり努力した人は、
素晴らしい運命が待っている。
そうでない人は、
そういう運命が待っている。
人は運命を
自分で導き出しているのだ。
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