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(今日のコトバ)
今日はみんなにとって
初めての日なんだ。
悩まず生きている人なんて
いやしない。
最新の自分とは、
今日の今という瞬間を
生きている自分。
どれだけ生きていても、
新しい状況と対峙している。
そこに悩みがあるのは
あたりまえ。
未知のものを体験している以上、
不安があることもある。
だから、
今日が不安だとか、
どうしていいかわからないだとか、
ちょっと怖いとか、
前進できないこともある。
何もない方がおかしいと思っていい。
人生は短くても、
いろいろなことがある。
そこに初体験もたくさんある。
悩みがあってありまえなのだ。
(今日のコトバ)
過去にできることは、
もうない。
未来にできることは、
まだない。
現在できることしか、
今はない。
過去、現在、未来とあるけれど、
何かをできるのは現在しかない。
ただ、人は過去に
すがりついてみたり、
未来にばかり気をとられたりする。
どちらも生きるために
大切なことではある。
ただ、
現在が抜け落ちているということは、
現在がいけていないということ。
本当に充実した人生をおくっていたら、
現在何をしているかが
いちばん重要になる。
もし、自分が現在のことで
生きていないなら、
どこかに充実していない
ところがある。
そのことを
チェックポイントとして生きる。
生きるためのの基準に
なるはずだ。
(今日のコトバ)
「みんな」とは、
殴りもせず、蹴りもせず、正体も見せず、
人を傷つける生きものです。
「みんなって、どこにいるんだ?」
ある芸人が叫んでいた。
ほんとうにそう思う。
「みんながいっている」と、
まわりの人がいう。
自分もいっている時がある。
だが、その実態を知っていることは、
まずない。
「みんな」といってしまうと、
世の中はとか、常識的にはとか、
あなた以外の総意はとかの
意味を持ってしまう。
実態の検証はされていない。
冗談で話している分にはいい。
ただ、「みんな」という言葉が
凶器になることがある。
「みんな」という言葉で誰かを責めて、
誰かを追い込んでしまう時がある。
そうなると「みんな」という言葉は
罪になる。
だかこそ、「みんな」という言葉を
慎重に使いたい。
「みんな」といった時、
「みんな」ではない誰かを
責めていないか。
そこ忘れて「みんな」を使うのは、
間違っていると思う。
(今日のコトバ)
大好きな人が、
私の優れたところを教えてくれた。
大嫌いな人が、
私の欠けたところを教えてくれた。
人はいろいろな側面を持っている。
ある人に聞くと、
「素晴らしい人だ」といわれるが、
別のある人に聞くと、
「何を考えているかわからない」と
いわれてしまう。
人によって評価が違う。
たいがいは概ね同じような評価だが、
100%みんなが同じ評価の人もいない。
考えてみると、
自分の好きな人は、
たいがい自分に
いいことをいってくれる。
反対に、
自分の嫌いな人は、
たいがい自分に
嫌なことをいってくる。
だからこそ、
好きな人であり、
嫌いな人なのだが。
ただ、忘れていけないのは、
いいことばかりいう人を信じて、
嫌なことばかりいう人を信じないと、
自分という人間の判断を間違える。
いいことをいってくれる人も
ひとつの正解。
嫌なことをいってくる人も
ひとつの正解。
そのどちらも肝に銘じて生きる。
バランスをとっているために
大切なことだ。
(今日のコトバ)
人生の現在地がわかるのは、
人という道標に出会うからです。
自分がいま、
人生のどの場所にいるのだろう。
そう考えることがある。
学校や会社のポジションで
確認することもある。
仕事がフリーランスになると、
なかなか確認するのも
難しいかもしれない。
ただ、一つだけ
確認できるものがある。
それは、人との出会い。
会っている人がどんな人か、
仕事でも、プライベートでも、
人生の場面で変わってくる。
どうしても行動を
共にしなければならない人がいる。
会わなければいけない人がいる。
会いに来る人もいる。
その人たちを見渡した風景が
人生の現在地をつくる。
いま、生きるべき場所が
わからない人は、
まわりに誰がいるか
見渡してみよう。
そこに答えがある。
自分の現在地を確認できるはずだ。
(今日のコトバ)
ほめ言葉は、贅沢に。
人からほめられることは、
年をとればとるほど少なくなる。
あたりまえといえばあたりまえ。
それは、ほめられるより、
ほめることが多くなるからだ。
年長者の役目としてもそうだし、
年功からしても
若手をほめることが必要となる。
ただ、年を重ねたからといって
ほめてほしくないわけではない。
否、むしろ、ほめられる機会が
少なくなった分、
ほめてほしいと思うことが
増えてきている気もする。
だから、できるだけ
年長者もほめてあげる。
大人だから意味もなく
ほめるのは逆効果。
ちゃんと意味のあることで
ほめてあげる。
しっかりと自分だけでなく、
まわりの人も気づくように
ほめてあげる。
照れはあっても、
本心はみんな嬉しいもの。
ほめることは、
その人に小さな喜びかもしれない。
だが、嬉しいことには違いない。
何でもない一日に、
小さな喜びを届ける。
そのために
ほめることは大切なことだ。
(今日のコトバ)
希望の先には、希望がある。
希望は人間を見捨てたりしない。
人は、
いつまでも希望を持っている。
人生のどんな局面であっても、
決して楽しくない状況でも、
希望を持っている。
自分自身で考えてみるとわかる。
どん底の状況だったり、
孤独だったり、
辛かったりしても、
それとは別ベクトルで希望がある。
希望があるから何とかなる。
そう思うことが多々あったはずだ。
もっというと、
自分が自然に、希望を
探しているのかもしれない。
だから、
必ずといってほど希望が
すぐそばにある。
もちろん、
その希望をつかみきれるかは
自分次第。
つかめない希望もある。
だが、少なくとも希望は
いつも自分のまわりにある。
そう思って生きると、
少し救われた気持ちになる。
前向きに生きていこうという気持ちに
なるはずだ。
(今日のコトバ)
明日やることを
今日やっておくと、
未来はどんどん増えていく。
面倒くさいことは、
先延ばしにしたい。
やらずにすめば、
それにこしたことはない。
だが、たいがい面倒くさいことは、
ちゃんと対応しないと
残務になってしまう。
残ってしまうと、
いずれ処理しなければならなくなる。
未来の貴重の時間を使うことになる。
反対に、面倒くさいが、
その時、その時で処理すれば、
未来の時間を使うことはない。
他の新しいことに取り組める。
だとしたら、
面倒くさくても、
すぐに処理をする。
貴重な時間を大切に使う。
いま、すぐ処理することが、
たいがい一番いい時間の使い方。
そう思って、
面倒くさいことに
対応して生きる。
大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
いつか自分の引き出しが
必要になるから、
人生の大切なものは
捨てずに生きていこう。
「捨てなければ良かった」
「何で失ってしまったのだろう」等。
人生で大切なものを自分の手から
離してしまう。
離れていったものに限って、
自分が持っていれば
良かったと後悔する。
ほんとうは手離してはいけない
大切なものだったとわかる。
生きていくには財産が必要。
お金ばかりでなく、
経験、技術、そして人のつながり。
それらを人生の難題に取り組む時に
駆使して生きなければならない。
もし、手離さず持っていれば
難題でもクリアできるのに、
捨ててしまったり、
失ってしまったから、
どうにもクリアできない
難題になる時もある。
特に、人とのつながりは、
失ってしまうと大変なことになる。
だからこそ、
自分が持っているものを
大切にしよう。
いつか価値を持って
生きてくることがある。
自分の人生を守ってくれる
砦になることもあるはずだ。
(今日のコトバ)
得手でぶっちぎれば、
苦手のことなど
誰もいわなくなる。
人には得意なものがある。
わかりやすく得意なものと、
わかりにくく得意なものがある。
ただ、絶対に得意なものがある。
それを探しきった人は、
人生を有意義に生きていける。
特に、仕事に結びつけることが
できた人は幸せにもなれる。
仕事でなくても、
上手に使えれば人生は素敵な
ものになる。
だが、自分の得意なものが
何かわからないと人生はしんどい。
心の拠り所がなく、
どうしていいかわからないことが増える。
迷ったり、悩むことが増える。
だからこそ、
自分の得意なものを見つけて、
それをアイデンティティにして
生きられるようにする。
時間がかかってもいい。
人から聞いてもいい。
試してもいい。
磨いてもいい。
とにかく、
自分の得意なものを見つける。
有意義に生きていくために
得意なものは必須なのだ。
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