生き抜くという気持ちをセット

 

(今日のコトバ)

 

あなたは生まれてきた以上、

史上最大の生存競争に

勝ってきたのだ。

 

 

もう生まれてきた時から

決まっている。

自分は強運なのだと。

世の中に産声を上げるまで、

どれだけの生存競争に

戦って勝ってきたか。

強運なだけではない。

サバイバルレースを

勝ち抜いた勝者なのだ。

一つの命を宿すという戦いに

勝利した自分という人間。

そう考えると、

決して弱々しく生きることはない。

生き抜く力を持っている。

否、生き抜くことができる。

心に生き抜くのだという気持ちを

セットして前進する。

しんどいこと、

つらいこと、

たくさんある。

ただ、自分は生き抜く力がある。

そう信じて生きていけばいいのだ。

 

前例を意識しない

 

(今日のコトバ)

 

前例の奴隷になるな。

 

 

何事にも前例があって、

それをお手本にしている。

マニュアルなどはすべて前例の

解答集。

もちろん、

基本的なことを熟知するために

前例を踏襲しなければならないこともある。

ただ、前例ばかり意識し過ぎて、

常識に縛られてしまうと、

自分の可能性、

自分の個性を消してしまうこともある。

だとすると、

人生にとって大いなる損失になる。

そう考えると、

前例を意識しないで、

自由な発想で能力を

発揮することも大切。

人生、自分の得意な能力で

生きていけると、

素晴らしいものになる。

前例にとらわれて、

予定調和の人生をおくるより、

もっと自分らしい人生を。

そのために前例を

意識しないで生きてみよう。

 

ライバルは、最高の努力目標

 

(今日のコトバ)

 

ライバルのいない競技では、

自己新記録はつくれない。

 

 

自分が成長する時、

人が成長する時、

あるものがとても大事になる。

それは、ライバル。

振り返ってみれば、

ちっぽけな自分の人生でさえ、

成長を感じた時、

目標となるようなライバルがいた。

他の人をみてもライバルはいるし、

特にわかりやすい有名人をみれば、

必ずライバルらしき人がいる。

自分の成長を考えれば考えるほど、

ライバルの存在が大きい。

ライバルはわかりやすい目標になる。

ライバルがいると切磋琢磨できる。

ライバルがいると必要以上に燃える、、。

ライバルがいるだけで、

自分のモチベーションが

アップするのだ。

だとしたら、

自分が成長したい時は

ライバルをつくればいい。

どんな小さな世界でもいい。

「こいつだ!」と思ったら、

ライバル視する。

それだけで、自分の成長の扉が開く。

ライバルとは、最高の努力目標なのだ。

リカバリーはチャンス

 

(今日のコトバ)

 

混乱とは、

チャンスが縦横無尽に

飛びかかってくること。

 

 

出来事のどこかで

混乱は起きる。

状況としては

良くない場合が多いが、

別の角度からみると、

大きなチャンスになることもある。

例えば、ミスをして混乱しているが、

その後のリカバリーで大車輪の活躍し

評価を上げた。

結果、次の新しい仕事を競合なしに

受注した。

などという話しも聞く。

混乱をただのもめ事と考えるより、

リカバリーすれば評価を上げると

思えば、モチベーションも上がる。

だから、

混乱を避けてばかりではいけない。

混乱の中に身を置いて、

チャンスを捉える。

そんな気持ちで生きてもいいと思う。

人生は夢の二本立て

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

夢の上にそびえたつ夢である。

 

 

そもそも人が生きているのは、

夢のようなこと。

生きる毎日が、夢だったり、

奇跡だったりの連続。

そして、人は生きるという夢の上に、

さらに、夢を描き実現しようとする。

つまり、人生は夢✖夢。

なんと素晴らしいことだろうか。

一つの夢ではなく、

基本に夢があって、

その上で夢を目指している。

だからこそ、

いまを生きることを

あたりまえだと思わず、

夢の中で夢を築いていることを

たしかめながら生きていこう。

人の人生の夢は二本立て。

そんな気持ちで生きていけたら、

もっと人生は

愛しくなっていくはずだ。

 

光輝く場所へ行く

 

(今日のコトバ)

 

あなたが光らないのは、

光ある場所に行かないからだ。

 

 

自分が光輝きたい。

そのために日々切磋琢磨して

生きている。

だが、なかなか光輝かない。

それはなぜか?

自分への磨きが足りないこともある。

自分への磨き方が

わからないこともあるだろう。

ただ、それと同じぐらい

考えるべきなのが、

自分が光輝く場所にいるかになる。

どれだけ自分を磨き上げても、

その輝きが生きる場所でなければ

意味がない。

光輝いていても、

その場所では必要とされない。

つまり、価値にはならない。

そうなると、

人から見つけられることもないし、

自分を大きく

生かすことにもならない。

だからこそ、

自分を磨き続けることと同時に

自分が光輝く場所を探す。

そのことを常に意識して

自分の目標へ向かう。

忘れてはいけないことだ。

本音をいえる休息所

 

(今日のコトバ)

 

本音は臆病者だから、

最後の最後まで顔を出さない。

 

 

人は「自分」を隠す生きもの。

態度でも隠すが、

いちばんは言葉。

普通の生活の中で、

本音だけで生きている人は

皆無といっていい。

どこかに隠し事や脚色がある。

だが、本音は人生が辛くなると、

簡単に吐けるようになる。

苦しい状況がしんどくて、

お酒を飲んだ勢いで、

本音は吐き出される。

だとすれば、

その少し前に本音をいえる環境、

あるいは、本音をいえる人をつくる。

最後の最後まで隠してから吐き出すと、

助けてもらうにも、

大変な作業になってしまう。

人は本音を持って生きている。

そのことを忘れず、

本音をいえる環境と人を常に持つ。

人生という長い旅には、

必要な休息所だ。

 

新しい存在価値

 

(今日のコトバ)

 

引きこもりのヒーローがいて、

落ちこぼれのカリスマがいて、

ポンコツのモンスターがいる。

時代は変わっていくのだ。

 

 

昭和、平成、令和。

時代は速度を上げて進んでいく。

昭和のあたりまえは、

平成のあたりまえではなく、

平成のあたりまえは、

令和のあたりまえではない。

一年前のテレビドラマ

「不適切にもほどがある」みたいに

昔と今を比較してみれば良くわかる。

オタクという言葉だって、

昭和のオタクのイメージと

令和のイメージするオタクは相当違う。

だからこそ、

今の自分が何者であってもいい。

その道を極めていけば、

新しい存在価値として認められる。

「自分なんて、、、」などと思わず、

自分の実力を磨いていく。

そのことを忘れず生きていこう。

悩んだ先に行動がある

 

(今日のコトバ)

 

考え過ぎは、行動が渋滞する。

 

 

ちょうどいい悩みなどない。

少し悩み過ぎ、深く悩み過ぎ、

あまり悩まなさ過ぎ、、。

悩みの振れ幅は大きい。

ただ、あまりにも悩み過ぎ、

考え過ぎは、ちょっと問題だ。

何が問題かというと、

行動に差し障るということ。

たいてい悩み過ぎ、考え過ぎの人の

足は止まっている。

前へ進もうとしていない。

結果、悩みから解放されない。

良くない循環になってしまう。

悩みが晴れれば、

考えが解決できれば、

行動することも苦にはならない。

だからこそ、

悩み過ぎ、考え過ぎにならないように、

どこかで区切りをつける。

もちろん、研究開発のように、

時間のかかるものもある。

だが、人生の一般論として、

悩み過ぎ、考え過ぎは区切りをつける。

時間でもいい。人と相談してもいい。

長過ぎると、

人生にいい影響を与えない。

とにかく、悩んだ先に、

考えた先に行動がある。

その気持ちを忘れずに生きてみる。

大切なことだと思う。

傑作にあきらめはない

 

(今日のコトバ)

 

駄作といわれる作品には、

どこかにあきらめが描かれている。

 

 

傑作といわれる

卓越した作品がある。

高い評価を受け、

大きな感動を呼ぶ。

映画などでは記憶している人も

多いだろう。

ただ、中には駄作と呼ばれて

人の記憶から忘れ去られた作品もある。

発表はされたものの

人から酷評を受けたもの、

人から忘れ去られたものもある。

では、傑作と駄作の違いはなんだろう。

監督が素晴らしい。脚本が秀逸だ。

キャスティングが見事。制作費が潤沢、、。

傑作の理由はいくらでもある。

駄作の理由は

その反対であったともいえる。

ただ、駄作に関しては、

それだけではない気もする。

最初は、きっと作品をつくるにあたって、

熱意はあったのだろう。

だが、作品のどこかにあきらめのような

ものがうかがえる。

コミュニケーションを拒否したり、

伏線を回収しきれていなかったり、

トーンが途中で変わってしまったり、、。

作品制作にはいろいろな事情があって、

言い訳をしたいこともあるだろう。

だが、やっぱり作品は最後まで全力を尽くすもの。

もちろん、観客に謎を残して終わる作品もあっていい。

でも、そこでコミュニケーションを無視すると、

もっというと、

コミュニケーションをあきらめてしまうと、

傑作への道は遠い。

誰もが駄作をつくろうとしているわけではない。

だからこそ、傑作にしたいなら、

あきらめるを捨てること。

最後の最後まで全力を尽くして

作品に挑む。

その意志が大切だ。