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(今日のコトバ)
直した方がいいものを欠点。
直さない方がいいものを長所。
欠点の方が圧倒的に
伸びしろがある。
長所を伸ばして、
自分のいいところを強化する。
または、欠点と
呼ばれているところを鍛えて
欠点とはいわせないものに
仕上げる。
どちらも大切だ。
ただ、どちらが
進歩するかというと、
欠点を鍛えた方が進歩は
感じられるはずだ。
上手くいかないところから、
マイナスからはじめることが
多い欠点だけに、
何かを少し習得すれば、
勢いをつけて成長することもある。
もちろん、長所を強化すれば、
より能力を発揮することもある。
どちらがいいかではない。
ただ、一点、伸びしろを考えると、
欠点を鍛えることは、
人生にとって面白い結果を
導けるかもしれない。
自分にとって何が大切かで
考えみてはどうだろう。
(今日のコトバ)
「でも」は、
人生の足を止める。
チャンスとは、
肯定する人にやってくる。
長い人生を生きていると、
一つの答えが導き出される。
秘訣という秘訣ではない。
ただ、肯定するだけ。
まわりの人を見ていると、
基本肯定する人は、
かなりの確率でチャンスを
捉えている。
前向きに何でも取り組むことは、
いい方向に進む
ということかもしれない。
だとすれば、
とりあえず自分の生きる道で、
「でも」という考えを止めてみる。
「やってみよう」を念頭に置く。
すべて肯定して
「やってみよう」では
上手くいかないかもしれないが、
チャンスの確率は上がる。
そんな気がしてならないのだ。
(今日のコトバ)
怖くなったのは、
進歩の階段を上って
高くなったから。
何かに挑戦しようとする時、
突然、怖くなることがある。
覚悟を決めたとしても、
強い意志を持ったとしても、
怖くなる時がある。
そんな時は、
こう考えればいい。
「いまは進歩の階段を
上っているのだ」と。
「いままでと違う
段階の挑戦が始まったのだ」と。
そのために、
心は怖さを持ったのだ。
だから、
怖さを怖れることはない。
自分が進化していく状態だと
思えばいい。
人生の成長期と捉え
自分を励ましながら、
一歩前へ歩みを
進めていけばいいのだ。
(今日のコトバ)
運は、
使えば使うほど強運となる。
人生には、運がある。
いい運、ワルい運、あるけれど、
何かの出来事にあうと
運を感じる。
それが上手くいくと運のおかげで、
上手くいかないと運のせいに
していることもある。
その方が責任が自分で
なくなるから、
気楽になるため
運を使ったりする。
ただ、何もしないで
運を使えば、
運はあまり機能しない。
準備万端、
絶対的自信ある行動の時は、
よっぽどことがない限り
運は味方する。
つまり運を運に任せるのではなく
自力に運を任せたら、
運の機能する確率は上がる。
もちろん、
運の気まぐれのようなもので
期待した結果に
ならないこともある。
だとしても、
運は自力の味方だ。
だから、
常に自力で努力して、
運はその上のギフトと考える。
その癖をつければ、
運は機能し続け強運の人となれる。
同じ人生なら、
運を味方にして生きてみよう。
(今日のコトバ)
楽しい、悲しい、嬉しい、寂しい。
あらゆる思いは、
人とシェアすると「幸せ」という
名前に変わっていく。
どんな思いでも
一人で抱えていると、
何かが足りない。
どうしていいか
わからないというか、
どこか切ない気持ちにもなる。
だが、誰か一人でも
一緒に思いを分かち合えると、
途端に幸せな気持ちになる。
楽しい、嬉しいことは
あたりまえだが、
悲しい、寂しい思いさえも
幸せを感じる。
「二人でいると嬉しいことが倍に、
悲しいことは半分になる」
という言葉もある。
まったくそう思う。
だからこそ、
一つの思いが生まれたら、
誰かとシェアする環境を
つくろう。
それだけで、
幸せを感じることが
増えていく。
人生がもっと素晴らしいものに
なるはずだ。
(今日のコトバ)
若いうちの苦労は、
老いた時の笑い話のためにある。
苦労はした方がいいという。
最近では度を超えた苦労は、
考えものだともいう。
否定する人もいる。
野球ひとつとっても、
練習や試合の考え方が
大きく変わった。
投手の練習は昔、投げ込み中心。
とにかく投げろ、投げろで
肩を壊すまで投げる。
水は練習中飲んではいけない。
試合では投手の登板間隔も、
今のようにきちんと
管理はされていなかった。
ラグビーやサッカーでも
改善したものもたくさんある。
ただ、昔を生きた人間が
過去を変えることは
できない。
人生のひとつの記憶、
想い出にするしかない。
できれば、それが笑い話に
できていると、
幸せな人生なのだと思う。
だからこそ、
いま苦労している人も、
きっと、いつかは笑い話になると
思えるように頑張ってみる。
笑い話のストックが
たくさんあれば、
老いた時、
楽しい時間も増えていく。
有意義な人生を送れるはずだ。
(今日のコトバ)
転んでも、倒れても、
立ち上がり、
また、一歩踏み出すことを
進歩という。
生きていれば、
転ぶこと、
傷つくこと、
悲しむこと、、
いろいろなことがある。
振り返ってみると、
自分でもよく立ち直ったと
思えることもあるし、
いまだに引きずるような
傷もある。
だが、それらいろいろなことは、
ほぼ乗り越えてきた。
キレイにクリアしたとは
いい難くても、
なんとか乗り越えてきた。
乗り越えたということは、
そこに進歩があったともいえる。
だとすれば、
乗り越えた数だけ自分という
人間は強くなったのだ。
だからこそ、
いまを生きる自分に、
もっと自信を持っていい。
いままでの壁という壁を
制覇してきた。
その力を信じて、
また一歩前へ進む。
それが生きるということなのだ。
(今日のコトバ)
危機感は、
安全第一の必須条件です。
平穏が続くと、
自然と危機感がなくなる。
刺激がなくても、
迫りくる災難がなくても、
危機感は失われる。
あたりまえのことだ。
だが、危機感がまったく
失われてしまうと、
危機的状況に陥った時、
酷い目にあってしまう。
酷い目にあわないために、
すべての危機から逃れることが
無理としても、
自分で対処できるぐらいの
危機であれば生きていける。
そのためにどうしたら良いか。
それは一つしかない。
常に危機感を持って生きる。
もっというと、
危機を想定した準備をしておく。
自分の身に
危機的状況が陥ったら、
どのプランで対処するか。
プランA、
プランB、、。
状況によってプランを用意する。
その危機意識があれば、
かなりの部分で危機的状況は
乗り越えられる。
いま、何も考えず生きているなら、
少しずつ危機意識を持とう。
そして、状況を想定して準備する。
それが、実は、一番安全に
生きていく方法なのだ。
(今日のコトバ)
善人の怠慢は、
悪人の助長につながる。
なぜ、「悪」が助長するか。
一番は「悪」を仕掛けた
元締めのような人が
いけない。
悪い事を仕掛けてるのだから、
悪いに決まっている。
だが、「悪」助長する過程で、
善であるべき人たちは、
何をやっていたか。
何か行動を起こし、
悪を止めていたなら
行動としては間違っていない。
だが、
たいがい善とよばれる人たちは、
見て見ぬふりをしている。
悪い事とわかっているが
何もしない。
自分だけは正しいことを
やっているということで、
自分の中で納得している。
だが、本来は「悪」とわかったら、
善の側の人は、
「悪」を止める行動を起こさないと、
「悪」を助長させてしまう。
助長したら、
それは善の役目を
果たさないことにもなる。
だからこそ、
自分が善であると思ったら、
「悪」を止める行動をしよう。
見て見ぬふりは、
「悪」の助長を促進してしまうのだ。
(今日のコトバ)
何もしなかった時間は、
幸せな時間に属する。
充実した時間を過ごす。
あるいは、
忙しく時間を過ごす。
どちらも人生にとって、
幸せな時間の一つになる。
では、何もしなかった時間は
どうだろう。
ボーっとしたり、
ダラダラしたり、
生産的なことは何もしていない。
言葉にすれば休息。
そんな時間。
人生を見渡すと、
そんな時間も大切な時間。
もっというと、
休息を選んだのであれば、
それも一つの
幸せな時間といっていい。
だとすれば、
人生の時間は幸せが
いっぱい潜んでいる。
その一つ一つを
堪能して生きれば、
自然に幸せになれる。
時間の捉え方を考えて、
幸せを感じる時間を
増やしていこう。
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