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(今日のコトバ)
勝って人生が苦しむこともある。
負けて人生が安らぐこともある。
「できれば勝ちたい」
「勝つために人生を懸けている」
勝負とはそういうものだ。
だが、とも思う。
勝ち続ける、あるいは、
勝ち過ぎると、重い荷物を
背負っている気持ちになる。
何か得体の知れない疲れに
襲われることもある。
勝ちから解放されたいとも思う。
勝ち続けることは、
概ねいいことが多い。
だが、精神状態を考えると、
しんどいことも増えていく。
だからこそ、
自分のペース配分というか、
生き方配分を
考えなければいけない。
勝ちも大切だが、
負けることも
大切なのではないか。
「勝ちがすべてではない」
そう考えると、
苦しまないで生きることが
できるかもしれない。
勝っても、負けても
人生は続いていく。
生きるために大切なのは何か。
その答えから
生き方の配分を
考えればいいと思う。
(今日のコトバ)
希望は、歳をとらない。
いくつになっても希望はある。
きっと、命果てるまで希望が
枯渇することはない。
それが人間という生きものだ。
そう考えると、
生きていく上で
希望がいつも
側にいるともいえる。
孤独とか、
寂しいとか思うこともあるが、
まず、その前に
希望があることを
忘れてはいけない。
自分がどんなペースで
生きていても
希望はいてくれる。
そのことを忘れないだけで、
人生は少し幸せになる。
いつも
希望が伴走してくれる人生。
そう思って生きていくのだ。
(今日のコトバ)
愛を最強にするために、
二人は共犯者になる。
何かの目的のために
愛で結びついていると、
強固なものになる。
反対にいうと、
何かの目的のために
強固に結びつくものには、
愛がある。
同じ方向の目的を
目指していると、
そこに愛が
生まれることもある。
何かが強固に
結びつく過程で
必ず必要なもの。
それが愛なのだ。
だとすれば、
自分の愛、
相手の愛、
仲間の愛があるか
たしかめてみる。
そこに愛があれば、
強固に結びつくことができる。
その意識を忘れずに
大願成就を目指していく。
生きていく上において、
意識していいことだと思う。
(今日のコトバ)
人生で大切なことは、
決して倒れないことではない。
倒れても立ち上がることである。
ただし、
一人で立ち上がることはない。
誰かの手を握りしめて
立ち上がってもいいのだ。
人が生きていければ、
何度も何度も
倒れることがある。
その度に
立ち上がってきたから、
今がある。
ただ、倒れた時に、なかなか
立ち上がれない時がある。
その時は
どんな状態だっただろう。
一人で孤立して、
孤独になって立ち上がる時間が
かかったのではないか。
その時、どうしたら
早く立ち上がれるか。
一番は誰かに
手を引いてもらうこと。
もっといえば、
誰かに支えてもらうこと。
何も一人で
立ち上がらなくていいのだ。
まわりの人を見ても
立ち上がる時に、
誰の手も借りないで
立ち上がる人はいない。
倒れて孤独な人も、
結局、誰かの手を借りている。
だからこそ、
倒れた時は誰かの力を探す。
そこから、
立ち上がるきっかけをつくり
復活する。
人は、
人に支えられて生きているのだ。
(今日のコトバ)
時間を黒字にして生きる。
「時間を有効に使え」
子供の頃から先人たちに
いわれてきたし、
今も「時間を有効に使おう」と
自分でも指示したりしている。
時間。
確かに、有効に使えば
大きな力を発揮する。
なまけていると、
何の役にも立たないこともある。
だからこそ、
出版社も不変的に
時間管理術のような
書籍を出す。
では、
時間とどう取り組めばいいか。
それは、時間が自分にとって
メリットであることを
考えればいいのではないか。
例えば、時間を有効に使えば、
人生にとってプラスになる。
具体的にいえば、
人生に利益を与える。
利益があれば
人生は豊かになる。
有意義なものになる。
そんな気持ちで生きてみる。
時間が進んでいくことが
惜しくなったらしめたもの。
時間を愛しく思って付き合う。
大切にしたい気持ちだ。
(今日のコトバ)
丸でなくても、
いびつなカタチでも、
みんなが一つになれば、
それが理想形。
チームで勝利に向かうなら、
一糸乱れず向かうのが最高の形。
一丸という言葉もある。
だが、チームの形は
丸くなるのがすべてではない。
誰か飛びぬけたスターがいて、
それを支えるチームでもいい。
各パーツに才能のある者を
集めるチームでもいい。
もっといえば、
バラバラのような
個性があっても、
目的意識が統一されていて、
みんながプロに
徹することができれば、
それも理想形になる。
例えば
プロ野球を見ればわかる。
管理野球で
成果を上げるチームがあれば、
データ至上主義で
結果を出すチームもある。
また、選手にモチベーションを
与えて飛躍するチームもあれば、
最近は流行らないが
根性論で束ねるチームもある。
勝利という一つの目標を
持った時、
どの戦術でも達成したら
理想形。
そのことを意識して
自分のチームを導く。
チームの理想形は、
チームの数だけあるのだ。
(今日のコトバ)
悪魔だって、
汚れていない心を持ってる。
天使だって、
美しくない心を隠してる。
完璧はない。
特に、心といわれる
目に見えないものは、
すべてが
汚くなることもなければ、
すべてが
美しくなることもない。
少し汚れているか、
汚れが目立つか。
あるいは、
少し美しいか、
美しさが目立つか。
汚れも美しさも、
どちらも持っているというのが
人間性の正解だろう。
だからこそ、
一方的に人を
決めつけてはいけない。
「アイツは汚ない奴だ」と
決めつけてしまうと、
大きな間違いを起こす。
反対に、
「アイツは心の美しい奴だ」と
決めつけても、
間違いに気づくことがある。
人間は心に
悪魔と天使がいるという。
そのことを肝に銘じて生きる。
人との関係を
近視眼的に見ないようにしよう。
(今日のコトバ)
「みんな」は、
主語として責任がとれません。
「みんなが言ってるよ」と、
話の中で言うことがある。
「みんな」を
すべての人と言う
意味だとすると、
すべての人に
確認したはずもないのに、
「みんな」と言う。
大雑把に、
大げさにいっているのだ。
言った本人は、
「概ね、みんながそう思っている」
といいたいのだ。
だが、本当にそうだろうか。
「みんなが思っている」などと
確信して話す根拠などほぼない。
それでも「みんな」という。
それは自分の主張が正論だと
言いたいからに他ならない。
今風にいうと、
マウントを
とりたいと思っているのだ。
それだけで「みんな」という
言葉のご威光を使ってしまう。
だからこそ、
「みんなが言っている」と
言葉を使うのは
気をつけた方がいい。
言葉の威光は、
言葉の圧力になり、
人への圧力にもなる。
「みんな」という一言が、
意味もなく人への圧力になる。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
「嘘でもいいから」と願い、
「真実はいわないで」と拒むのが人間。
人間は矛盾した生きもの。
嘘は悪、真実は善と
薄々思いながら、
本当のことには
耳をふさいだりする。
知りたくないという気持ちと、
知りたいという気持ちがあって、
優先する気持ち次第で
嘘を受け入れたり、
真実を無視したりする。
ただ、
それは生きる知恵ともいえる。
いい方を変えれば、
嘘も、真実も、
都合よく使って生きる。
罪にならないぐらいの嘘なら、
その嘘を信じたふりして生きる。
ダメージがなければ真実も
知らんぷりする。
そうすることで
日常を平和に過ごせるなら、
それも良し。
人生はつらいことがたくさんある。
そのことを乗り切るために、
嘘と真実を上手に使って
生きるのが
人間という生きものなのだ。
(今日のコトバ)
可能性とは、
才能が射程距離に
あることをいう。
誰かが、自分が、
「可能性がある」と思った時、
それは不可能の領域ではなく、
可能な領域にあることを意味する。
その時の人間の成長は、
目を見張るものがある。
手にできそうな何かに向かって
無心に手を伸ばす。
人生でこれほど勢いが出る時はない。
そして、
「可能性がある」と思うものには、
どこかに自分の才能の自信もある。
簡単にいえば、
「才能がある」と思える
領域に足を踏み込んでいる
といっていい。
だとすれば、
可能性を感じたものに
夢中になって
取り組んでみる。
可能性があるものに対して、
つまらないものはない。
面白いと思う方向へ進める。
人生でそんな楽しいことはない。
「可能性がある」という方向を
大切にするのだ。
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