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(今日のコトバ)
自分に「ないもの」は、
うらやましくなる。
欲しくなる。
奪いたくなる。
他人と比較する時って、
どんな時だろう。
いろいろな状況はあるが、
大概、自分に「ないもの」を
他人が持っている時、
比較をしてしまう。
羨望もあれば、嫉妬もある。
努力目標になることもあれば、
標的になることもある。
そのどれもが、
自分で奪いたいという
気持ちがになっている。
反対にいえば、
自分に「ないもの」を
他人が持っていることになる。
その自分に「ないもの」を
自分のものにするために
切磋琢磨すれば、
成長につながる。
下手にグチをこぼすだけでは、
負け犬になってしまう。
考え方次第だ。
できれば、
自分の成長に「ないもの」を
使いたい。
上手に目標設定できれば、
自分が大きく成長できる。
最高の目標になるのだ。
(今日のコトバ)
まわりにいる空気みたいな人は、
幸せを少しずつくれている人なんだ。
あたりまえのように
そばにいる。
圧をかけるわけでもなく、
イライラさせるわけでもない。
かといって、いい時間を提供
してくれるわけでもなく、
サプライズを仕掛けるわけでもない。
だが、そばにいてくれると、
ホッとする。
存在そのものが必要な人。
誰にでもまわりに一人ぐらいはいる
空気のような存在の人。
きっと、その人が、その人こそ、
自分を安心させてくれている、
癒してくれている人。
もっというと、
幸せをつくってくれている人なのだ。
もし、空気のような存在でも、
そこにいてくれなかったら
とても困ってしまう。
生きるバランスを崩してしまう。
空気のような存在の人は、
実は、幸せをつくってくれる人。
そんな人を大事にしたいものだ。
(今日のコトバ)
なんでもない小さなことが、
とんでもなく大きいことだと、
失った後、よくわかる。
病院で長期入院したことがあった。
手術後のリハビリを続けながら、
病院食とベッドの日々。
快気する日を夢見た時、
イメージされるシーンがあった。
それも、いつもいつも同じシーン。
普通の生活で、
普通の料理をいつもの仲間と食べる。
喫茶店などで楽しく話す。
ただそれだけ。
特別に栄誉があることとか、
高級料理を食べるとか、
海外旅行に行くことではなく、
普通の暮らしの普通の時間に
戻りたかった。
つまり、
あたりまえの時間の中に、
幸せのシーンがあったことに
気づく。
何も大きいことではない。
何も特別なことではない。
だけど、その時間を失うと、
自分の歯車が狂う時間。
それが、幸せな時間だし、
大切な時間なのだ。
怪我の功名という言葉がある。
もしかすると、
あたりまえの時間に幸せがあると
わかったことが、功名なのかしれない。
そう思った。
(今日のコトバ)
自分を信じなければ、
他人を信じることなんてできない。
自分の生き方が信じられる。
紆余曲折あったり、山谷あったり、
一喜一憂したりしながらも、
自分の信念は揺らがない。
そこまでではないにしても、
自分を信じられる人。
そういう人が、
世の中をちゃんと見る目を
持てるのだろうと思う。
自分の生き方がブレてしまうと、
どこに着眼していいか
わからなくなる。
毎回、いろいろなところに
目がいって、
結果、端から見るとブレているように
見えてしまう。
大切なのは、自分がブレない何かを
持つこと。
それには、自信を持てるものをつくること。
そして、毎日の出来事を平然と乗り切る
力をつけること。
毎日を平然と生きていければ、
自分の生き方にも自信が持てる。
ブレるこがない生き方ができる。
自分も信じ、他人も信じ、
世の中を信じることも
できるようになるはずだ。
(今日のコトバ)
あの人が振り向いてくれたのは、
あなたに「何か」あったからです。
何も思わないと、
スルーしてしまう。
何か自分の感度に引っかかるから、
しっかりと見ようとする。
すべては、そこからはじまる。
自分の欲しいもの、
自分の好きなもの、
自分に刺激になるもの、、、、。
自分とって何かプラスになるから、
しっかりと見る。
何ともなければ、
存在すら認識されない。
そう思うと、
自分が誰かに認められたいと思う時、
認めさせる「何か」を
持っていたい。
「何か」があるからこそ、
人と違って光って見える。
その「何か」を自分で理解し、
自分で持ってた時、
人は自分に集まってくる。
自分の求心力がついてくる。
新しい人生の扉が開いていくのだ。
(今日のコトバ)
弱いは、強いの入口になる。
強いは、弱いの入口になる。
なんだか人間は、
反対の方に動いていく気がする。
例えば、弱さと強さ。
弱さを自分で認めると、
なんとか強くなろうと考える。
強くなる訓練をして、
弱さを払拭しようとする。
反対に、強さを認めると、
力を抜いて
自然に弱くなって
しまうことがある。
勝って兜の緒をしめよという
言葉もあるぐらいだ。
だからこそ、
人間社会はおもしろい。
最弱は続かない。
常勝もありえない。
人間がどう生きるかで、
弱くも強くもなる。
いま、自分にとって弱いものはなにか。
自分にとって強いものはなにか。
理解していると、
生きる方向がわかる。
その方向に向かって、
どう気持ちをコントロールするかで
人生の方向が決まっていくのだ。
(今日のコトバ)
わかったふりは、
最後にかっこワルくなる。
わかったふりを
しなければならない時がある。
特に、ビジネスの場面では
「知らない」とはいえずに、
わかったふりをすることがある。
ただ、このわかったふりは、
どこかでバレてしまう宿命にある。
「わからない」といって、
教えをこぐか、調べるかしないと、
後で大きな恥をかく。
反対にいえば、
わからないと思った段階で、
わかるための努力をすればいい。
簡単なことなのだ。
ただ、その努力を怠ると、
酷い目にあう。
どこかで大きな恥をかいて、
まわりの雰囲気が微妙になる。
そして、冷や汗をかきながら、
かっこワルい結末を迎える。
そのことを心のどこかで
覚えておきたい。
(今日のコトバ)
のり越えてしまった壁は、
のり越えた瞬間から
自分の金字塔になる。
一つの壁をのり越えると、
その壁を越えた経験が
自分の財産になる。
自分の限界がもっと広くなるし、
できたという自信が、
精神的にも自分を強くする。
勝利、記録、結果、、、、、。
一つの壁を越えた時に出会う事実に
自信は強固になっていく。
切磋琢磨を忘れず、
一つ一つ壁をのり越えていくと、
それと同時に強くなる自信。
この自信が積み上げられ
本物になった時、
人は大きく成長できる。
自分が自分を越えることができる。
そう考えると、
自分に立ちはだかる壁ほど、
自信づくりの鉱脈はない。
だからこそ、
壁を越えるのだ。
自分の揺るぎない
自信をつけるために。
もっと進化した自分に
出会うために。
(今日のコトバ)
卒業とは、
もっと大きな世界へ挑めという
ホイッスルのこと。
3月は卒業シーズン。
来週、再来週と様々な学校が
卒業式を行う。
一つの節目、大人へのステップ、
卒業にはいろいろな考えがあるだろう。
ただ、こうも考えられる。
人生のもっと大きい世界へ
挑むためのホイッスルであると。
幼稚園、小学校、中学校、
高校、大学、専門学校、、、、。
少しずつ大きな世界を用意され、
新しい社会に飛び込んでいく。
ある意味すべてが挑戦となる。
卒業は、次の世界への挑戦のホイッスル。
「もうこの段階は終わった。
新しい世界、新しい自分へ進め」
と背中を押してくれているのだ。
そう思うと、
卒業は進化へのイベント。
イベントとして、
次の進化を祝う。
自分にとって
大切な儀式の一つなのだ。
(今日のコトバ)
誰かの大きな歴史の一部になるより、
自分の小さな歴史の全部になればいい。
誰かがつくった道を
後ろからついていくと、
風よけがある分、
楽して生きることができる。
先頭に立って、
向かい風、逆風にさらされる
怖さはない。
ただ、その分、手柄も
誰かものになる。
それでもいいと思うこともある。
だが、自分の歴史と考えた時、
本当に納得できるだろか。
自分の存在が消えてしまう。
消えないまでも
誰かの成果の縁の下の
力持ちになってしまう。
それよりは、
小さくてもいい、
自分が納得できる歴史を
つくった方がいいのではないか。
考え方は人それぞれだ。
だが、たった一度の人生。
自分の納得する歴史、
自分の納得する生き方をしたいと
思うなら、
自分の道をつくる。
自分の歴史をつくって生きる。
その気概をもって、
毎日を生きることが大切だ。
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