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(今日のコトバ)
人生は、大記録<大記憶
世間的には
大記録とはいえないけれど、
自分にとっては、家族にとっては、
大きな記録となることがある。
自分史の中では、
世界記録、世界一の出来事。
例えば、子供か生まれることもそう。
志望校へ合格することもそう。
出世をすることもそう。
自分には、家族には、
かけがえのない出来事。
それはすべて、
かけがえのない記録であり、
唯一無二の記憶。
その記憶こそが、
自分という人間が生きるための
大きな支柱になる。
誰にでもある
人生の大切な記憶。
その記憶があるからこそ、
生きていける。
かけがえのない記憶は、
人生の礎になっているのだ。
(今日のコトバ)
勇気は、一人で飛べない時もある。
誰かに背中を押してもらいたい時もある。
簡単ではないから、
勇気を振り絞るという。
時に、震えて勇気が出せない時がある。
時に、自分一人では
どうにもならない時がある。
その時、誰かの力を借りて、
あるいは、背中を押してもらって、
勇気を出す。
その時の一言だったり、
その時のアシストだったり、
勇気を振り絞るための力を借りる。
勇気を出す時、
そんな経験を何度かしただろう。
人間は、一人で生きているのではない。
一人でどうにもならない時に、
誰かの力を借りる。
そして、誰かが一人で勇気を出せない時、
自分の力を貸してあげる。
そのやり取りを繰り返しながら、
人間は、世の中は、
まわっているのだ。
(今日のコトバ)
引き際という国境線も大切に。
なんでもかんでも
出る杭になればいい
というわけではない。
時には、引き際も見極めて、
相手と自分の位置を確認して、
いいバランスをはかる。
人間関係とか、距離感とか、
コミュニケーションをはかる時、
その最先端で考えるのが引き際。
この引き際の上げ下げがうまい人は、
たいがいコミュニケーションも
上手くいっている。
反対に、引き際を間違えて、
どこまでも突っ張ったり、
あまりにも早く
引いてしまったりすると、
コミュニケーションは上手くいかない。
ちょっとしたことだと思う。
引くべきか、出るべきか。
そこで必ず一度考えるクセをつける。
それだけで、
引き際がわかることが多い。
コミュニケーションを
円滑にするために、
出来事の様々な場面で、
引き際を考えてみよう。
(今日のコトバ)
強情を身に着けていると、
その他の情がみんな逃げていく。
つっぱり過ぎて、
強情を張り続けて、
引くに引けなくなることがある。
たまに、引くに引けないならいい。
ただ、つっぱり過ぎ、
強情を張り過ぎがいつもだと、
人が少しずつ離れていく。
集まってくる人情のような
人のあたたかさも、
遠ざかっていく。
つっぱり、強情は孤立してしまうのだ。
そう考えると、
つっぱり過ぎない、強情を張り過ぎない
生き方も意識していい。
もし、自分に人が集まらない状況があるなら、
過ぎている自分の気持ちを
少しセーブしてみるの必要がある。
孤立して寂しい気持ちにならないためには、
「過ぎない」生き方を意識する。
ちょっとした気働きが大切だ。
(今日のコトバ)
傑作とは、
命を削ってつくった軌跡をいう。
自分の代表作って、なんだろう。
芸術家やクリーターのように作品をつくる人は、
作品が代表作になるだろう。
会社員や公務員も、
自分が手掛けたプロジェクトを
代表作とよべる。
産んだ・育てた子供が代表作になる人もいる。
人には、何かしらの代表作がある。
代表作は当然、
自分にとっての傑作になる。
では、この傑作とはどういうものか。
それは、制作作業の行程で、
命懸けになったもの。
命を削ってつくったもの
ではないだろうか。
人生のすべてに
命懸けになることはできない。
ただ、能力と状況とタイミングで、
命懸けの環境が生まれる。
その時できたものが
傑作になる。
人生のどこかで訪れる
傑作づくりの環境。
その時、自分がベストを尽くせば、
最高傑作ができる。
そのために、傑作づくりの環境が必要なのだ。
(今日のコトバ)
普通の人々は、
世界新記録を日々の暮らしの中で
更新する。
普通の生活がある。
普通の人々がいる。
無名といっていい普通の人々が
大多数をしめる世の中だ。
ただ、この普通の人々が過ごした人生は、
決して普通の時間ではない。
怒涛の出来事があり、
不測の事態があり、
感動の瞬間がある。
一人一人にかけがえのない記憶がある。
その一つ一つの記憶は、
自分以外の誰もたどり着かない記録。
世界中のどんなアスリートも、
どんな有名人も、
踏み入れたことない世界。
それはもう世界新記録といっていい
記録、そして、記憶なのだ。
いま、多くの人は、
大なり小なり問題をかかえているが、
その問題をクリアすることで、
まだ、自分の世界新記録が生まれる。
そう思うと、
生きることが少しだけ楽しくなる。
この先の未来がワクワクする。
自分で問題をクリアしていくのも、
自分史に世界新記録を
生み出すアクションなのだ。
(今日のコトバ)
どんなに負けても、
人は勝つことを忘れない生きものだ。
何千回負けたかわからない。
負け続けたこともあったし、
いまだ勝ったことのできない
ものもある。
ただ、どれだけ負けても
人は勝ちたいという気持ちを失われない。
負けた戦い、負けた分野に限らず、
どこかに勝ちたいという意識が
残っていて、時にその意識が大きくなる。
もちろん、あまりにもコテンパンに
やられて、
立ち上がれない時もあるが、
それでも時間が経つと、
勝ちたいと思いはじめる。
きっと、人は勝ちたい生きものなのだ。
そう思うと、
勝ちたいという気持ちを、
人生の積極的な方向に
使っていけばいい。
トライすべきこと、
チャレンジすべきこと、
その先に勝ちを求める。
目標設定として、
勝ちを目指す。
健全な気持ちをつくるために
必要なことだと思う。
(今日のコトバ)
世の中が騒ぐことに、
いちいち騒いでいたら、
世の中の思うつぼだ。
SNSを誰もが利用するようになり、
情報が瞬時に自分のものに
できる時代になった。
マスコミが発表していない犯罪の情報や
炎上、フェイクニュースも含めて、
一日中情報まみれになっている。
その情報を捉えていないと、
遅れていると思われる気がする。
確かに、あまりにも
アナログ的に生きると、
時代からズレでいるようにも思える。
ただ、だからといって、
一日中情報に追われて生きることも、
人間の生活らしくない。
情報ばかりで生活を動かしても、
何か本質的なものが
抜け落ちてしまう。
そう思うと、
情報を意識するのもほどほどにする。
ある程度はしっかり情報をとるが、
そうでない時間、
そうでない過ごし方もつくり出す。
情報で自分を壊さないないための
生き方を考えよう。
(今日のコトバ)
人間は、
心という小心者を
一人持って生きている。
心臓に毛がはえている。
心が折れない。
心が強い。
人の気持ちがへこたれない時に
心をこんなふうにいったりする。
だが、無敵のアスリートでない限り、
ほんとうに強い人などいない気がする。
無敵のアスリートでさえ、
一度負けると、途端にチキンハートに
なったりもする。
人間は、実は、小心者しかいなくて、
調子のいい時だけ勢いにのっているだけ
なのかもしれない。
そう考えると、
弱気な自分、ビビる自分、不安になる自分は
人間としてあたりまえ。
そんな自分を受け入れて、
時には逃げて、時にはなぐさめて、
生きていいと思う。
小心者は、誰もが持っている機能。
弱い自分なんて、
みんな持っている自分のほんとうの姿なのだ。
(今日のコトバ)
いま、自分の生きている場所に
太陽は照っている。
人生は、どういう生き方をしても
自分が主人公。
人生という大舞台の主演であり、
スポットライトの中心に位置している。
人生に起こる様々な出来事に、
常に自分が主人公であることを
意識したら、
少しだけ意欲的に
生きていける気がする。
スポットライトは、太陽は、
いつも自分にあたっているのだ。
だから、自分発信で物事を考えていい。
自分中心で発想していい。
すべてが自分中心で
動かすことは難しくても、
すべて自分が能動的に
動くことは可能だ。
いま、人生が影の中にあると
思っている人は、
人生の主人公は自分であることを
意識して生きてみよう。
それだけで、人生が明るくなる。
もっと、人生に強い気持ちで
生きることができるはずだ。
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