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(今日のコトバ)
準備とは、
本番以外のすべての時間をさす。
どこまでが準備になるだろう。
切磋琢磨して、
怠りなく用意をして、
心身を落ち着かせ、
本番に臨む。
そのすべてが準備といっていいだろう。
本番に向けて意識した段階から
準備は始まっている。
準備としての行動をとることは
もちろん準備だし、
頭で考えることも準備だ。
だが、
準備をしているのに、
時間が足りなかったり、
用意ができなかったり、
準備調整がうまくいかない時がある。
この準備調整がいかないと、
本番もうまくいかない。
だからこそ人は、
「いい準備をしたい」というのだ。
本番と準備は表舞台と裏舞台。
結果という目標に連動して動いていく。
いい本番にしたかったら、
いい準備をする。
あたりまえだが、
その連動をはじめから意識して動く。
結果を出すために大切な条件だ。
(今日のコトバ)
お金を貸してくれる人より、
耳を貸してくれる人を大切に。
金の貸し借り。
遠い昔からいわれていることだか、
貸すことも、借りることも、
結果、いい方へは向かわない。
人間関係に金がかかわると、
どちらとも被害者意識を起こす。
貸した被害者意識、
借りた被害者意識。
貸した被害者はわかるが、
借りた被害者という人も現れる。
借りておきながら、
「貸したお前がわるい」と
借りたことを忘れてしまう人。
だとすると、
貸した人は人間関係が継続できなくなる。
そう思うと、人は、
金を貸し借りする関係に
なってはいけない。
もし、貸すとしたら、耳を貸して、
知恵を与える。
借りようとしている人が、
道を間違わないように
知恵を与える。
もちろん、借りるという状況を
つくってしまうこと自体、
人間関係を壊してしてまう
要因でもある。
ただ、どうしてもという時、
金を貸すのではなく
耳を貸す。
それこそが人間の知恵だ。
(今日のコトバ)
人間は、成長する不良品である。
人間は、
朽ち果てるまで完成しない。
いつの人生も何かが欠けている。
それでいながら、
大人になって仕事をすると、
一人前に扱われる。
一人前に扱われると、
出来不出来に関係なく
プロのふるまいをする。
だが、人間に完璧はない。
どこか足りなくて、
足りない部分を埋めようとして
生きている。
それは命が燃え尽きるまで続くこと。
つまり、人間が、自分が、
不良品であることを自覚し、
欠けているものがあることを
理解して生きていくことが大切。
欠けた部分を、
誰かに、何かに、
支えてもらって生きている。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
魂のどこかで無謀を飼っている者が、
ど偉いことをやってしまうのだ。
まわりを見て、
ど偉いことをやってしまう人がいる。
才能はある。
努力もしている。
だが、それだけではない何かを感じる。
それは、無謀な気持ちを
持っているということ。
どこかから、
常道を逸して目標へ向かう。
狂人的というか、暴力的というか。
常識からは外れた非常識で
直進していく。
その原因が、人格なのか、
ハングリーなのかわからない。
ただ、言葉にすると無謀を持っている。
そして、目指す目標には無謀でなければ
到達しないことも知っている。
生物学とか、医学では解明できない
無謀という熱気。
それを持った者が、
大きな仕事を成し遂げる。
誰にでもあるようで、
選ばれた人にしかない気もする無謀。
いつかその正体を知りたいと思う。
(今日のコトバ)
とどかなかった一手が、
とどかなかった一撃が、
とどかなかった一瞬が、
夢までの距離を教えてくれるのだ。
ギリギリでとどかなかった。
接戦だが惜敗した。
後一歩足りなかった、、、、。
もう少しで目的を果たせそうだが、
ダメだった時があると思う。
悔しい。腹が立つ。
意気消沈することもあるだろう。
ただ、「もう少し」というところまで
いった時、確実に
目的は射程距離に入ったはずだ。
簡単に負けたり、
何かわからないうちに
失敗したのではない。
確実に目的の背中を捕まえかけたのだ。
足りないものも見えたはず。
後どれぐらい研鑽すれば、
目的を達成できるか見えたはずだ。
そこで、
後ひと踏ん張りできるかどうか。
できる人は目的を達成し、
できない人は目的達成までの距離が
また開いてしまう。
目的までの距離がわかったら、
一気呵成に攻める。
人生の勝負所に全力を尽くすのだ。
(今日のコトバ)
落ち着け。
反則されて獲られた得点は、
必ず後半に獲り返せる。
神様はいんちきを許さない。
スポーツの試合で感じる。
相手の反則が見逃され得点しても、
必ず味方には、その得点と同じだけの
チャンスがくると。
サッカーの試合などはわかりやすい。
あきらかにPKの反則なのに、
レフリーが見逃してしまう。
当然、PKを獲った側は不信に思う。
怒りが爆発する人もいる。
だが、ここで、怒って
自分がコントロールできなくなったら
負けだ。
この後の試合中で、
そのPKと同じだけの
チャンスが巡ってくる。
それが必ずといっていいほど、
やってくる。
もう神様が配剤したとしか
思えないのだが、やってくる。
人間は、いんちきをしても、
後で必ずバレるという教訓のようでもある。
だからこそ、
相手のいんちき・反則に
惑わされてはいけない。
自分に、味方に、
同じだけのチャンスが巡ってくる。
怒らず、冷静に。
自分の仕事に集中すればいいのだ。
(今日のコトバ)
攻めながら負けることもある。
守りながら勝つこともある。
人生は、勝敗だけでは
描ききれない記録がある。
「勝ちに等しい負けだった」とか、
「負けに等しい勝ちだった」とか。
試合の中で時々使われる言葉だ。
確かに、試合で勝敗の軍配だけでは
決められない心の記録がある。
同じように人生にも、
勝ちのような負け、
負けのような勝ちがある。
ほとんどの人生は、
勝ち負けの軍配だけで語れない
ドラマをかかえている。
「どれほど努力したか。
みんな知っている。負けたけれど、
誰も咎められない。
もしかすると、この負けをバネに
次は勝つかもしれない。
その勝つまでのドラマが見たい」
というストーリーが周りの人に芽生える。
勝ち負けではない価値が生まれるのだ。
記録の裏にあるドラマが
記憶の大きな比重を占めていく。
そして、人生は、勝敗では語れない
ドラマをつくり上げ前進していく。
だからこそ、人生は素晴らしいのだ。
(今日のコトバ)
人生は、打率より打席。
一つ一つの物事に
成功と失敗があるなら、
すべて成功したいと思う。
特に、仕込んだものは、
絶対成功したいと思う。
だが、年をとるたびに、
成功することも大切だが、
それよりもエントリーされることが
もっと大切と思うようになる。
物事にエントリーされなければ、
参加するできない。
成功・失敗以前に、
チャンスがまわってこないと、
どうにもできない。
打率を高くというよりも、
たくさん打席がまわってくること。
それこそが人生を活性化するし、
素晴らしいものするのではないか。
打席は、意識して挑戦すれば
増やすことができる。
打席がたくさんある
ということは、
いろいろものにも挑戦できる。
楽しいと思える時間が増える。
素晴らしい時間が増える。
人生、打席に立てることが
どれだけ素晴らしいか、
一度、考えてみよう。
(今日のコトバ)
これまでの人生すべてを背負って、
いま、ここに、あなたは生きている。
それだけで称賛に値すると思わないか。
誰の人生でも、
たくさんの歴史がある。
その中には、
悲しいこと、苦しいこと、
つらいこと、痛いこと、
隠したいこと等、
歴史として描きたくない
過去もある。
だが、それでも生きている。
今日の中に楽しみを見つけて、
明日の中に喜びを見つけて、
少しでもいい人生にしたいと
生きている。
その繰り返しを
何十年も繰り返してきたんだ。
誰に褒められなくても、
自分で褒めていい。
「よく頑張った」と。
人一人の人生は、
簡単なものではない。
誰かの人生と自分の人生を
入れ替えられるものでもない。
唯一無二の人生を
自分は生きている。
そのことを褒めていいし、
誇りに思っていい。
つまらない人生だとか、
たいしたことのない人間だとか、
思う必要はない。
あなたの唯一無二の人生は、
誰にも文句のいわれることのない
素晴らしい人生なのだ。
(今日のコトバ)
嫌いな人間は
好きになれないけど、
嫌いな人間がいなくなると、
人生は殺風景になった。
嫌いな人間だけではなく、
いちいち癇に障る人間、
感覚が合わない人間、
うるさい人間等。
好きとはいえない人間が
自分のまわりにいる。
いつもは鬱陶しいと思うのだが、
いなくなってみると、
それはそれで寂しいものになる。
そんな気持ちになったことが、
長い人生、一度ぐらいあるだろう。
「いると面倒くさいけど、
いないと寂しい」という人間。
それはきっと、
人生の中で自分が苦手とする人間も
大切な役割を担っているということ。
必要なキャストとして
機能していることなのだ。
では、なぜ、苦手と思うか。
それは、否が応でも自分の生活に
必要な人だから、苦手になったり、
嫌いになったりするのではないだろうか。
生活に関係なければ相手にする必要はない。
相手にしない人間を、
苦手になったり、
嫌いになることはない。
だから、苦手なあの人も、
嫌いなあの人も、
自分の人生の大事なキャスト。
そう思って、一人一人と
コミュニケーションをとってみると、
違った気持ちで対応できる。
愛しいとまではいかなくても、
かわいいと思えるところも見つかるし、
相手の気持ちも理解できたりする。
生活は、好きなことばかりで
囲まれるわけにはいかない。
苦手な人間、苦手なものも
自分の生活に役割がある。
そのことを忘れていけない。
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