悔しさを次の目標に投資すること

(今日のコトバ)

 

反省は、ほとんど後悔でできている。

 

 

 

 

 

「後悔ではなく反省しろ」という。

気持ちはわかる。

振り返って、いつまでも悔しんでいても仕方ない。

「その悔しさを教訓にして、次に進めよ」

その気持ちもわかる。

だが、後悔をしている時点で、もう、悔しさしかないのだ。

本来は悔しさ100%だし、悔しさにどっぷり浸かっている。

それはそれでいいと思う。

反省は、悔しさに浸かった結果、

自分がどう思うか。

自分がどうしたいかという気持ちが芽生えた時、

はじめて動き出す気持ち。

後悔だけで終わるものは、後悔だけで終っていい。

それはそれ。

ただ、後悔で終れないものがあるなら、

終われない理由を整理して、

改善、修正、補強、進化するために、

自分の気持ちに目標設定させる。

それが反省。

そして、目標を達成するための起爆剤が後悔であっていい。

人生の持ち時間は、短い。

その中で後悔をし、なおかつ、

後悔だけに終われないと思うことは、

それほど数多くはない。

だとしたら、本気の反省も数は限られている。

その本気の反省の時に、

後悔をしっかり使う。

悔しさをしっかり次の目標に投資する。

それでいいのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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戦わないという勝利

(今日のコトバ)

 

拳できたら、掌でつつむんだ。

 

 

 

 

人は、時に先鋭的になる。

怒りにまかせて、

制御不能になることもある。

米国と北朝鮮ではないが、

攻める、攻めると、

拳を固めてファイティングポーズをつくっていたら、

いずれ戦うしかなくなってしまう。

それで問題が解決するならいいのだが、

ほとんどの場合、

解決どころか問題を大きくすることになる。

仮に、どちらかが勝ったとして、

溜飲を下げるのは勝った方だけ。

負けた方は屈辱を感じ、

復讐を考えるものもいる。

また、戦ってしまうと、

両方共、損害は大きい。

体に、心に、金銭的に、

勝ち負け以上にお互いに損害を与える。

winwinの真逆の状態になる。

だとしたら、戦って勝敗を決めるのではなく、

戦わないという勝利があるはずだ。

体、心、金銭的に損害もない。

損害のない状態から、

お互いに建設的な未来を構築できる。

それまでの関係も続けられる。

もちろん、スポーツの戦いではない。

人と人、国と国のような争いの時、

戦わないという選択肢がある。

そのことを忘れずに生きれば、

より豊かに人生を過ごしていけるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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過去の実績という基礎

(今日のコトバ)

 

未来は、過去の反省をシナリオにする。

 

 

 

 

歴史は繰り返す、という言葉がある。

技術革新があり、AIが進化していく中で、

少しずつ状況は変わっていくかもしれない。

ただ、未来に新しいことを生み出すプロセスは、

いつだって過去をお手本にしている。

過去の実績がなければ、

未来などつくれない。

何もせず、突然というマジックは起こらない。

これまでの積み重ねが、

新しいものを創出する。

だれもが、そんなことはわかっているが、

そこをどうしても安直に考えて、

ショートカットしたり、手を抜いたりすることがある。

人間だから楽して物事が進むなら、

それに越したことはない。

そう思って楽な道を選んでしまうこともある。

だが、どうしても手にしたい未来があるなら、

しっかりとした過去の実績、

言葉を変えれば基礎がないと、

未来は手にできない。

もし、どうしても手に入れたい未来があるなら、

過去の実績という基礎をしっかりつくる必要がある。

未来は新しいことをつくり出す。

その時に必ず過去のシナリオを必要とする。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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生きるとは、人生の素晴らしい時間

(今日のコトバ)

 

帰れない道ばかり歩いてきた。

それでも行くべき道は広がっていた。

その道を人は、生きると名付けた。

 

 

 

 

人生は、一方通行。

歩いても、歩いても、前進あるのみ。

昨日にも、一年前にも、十年前にも、戻れない。

そして、前進していく先に、

想定外のことが起こって、人生はドラマを生む。

そのドラマこそが、一度として同じではない時間を導いてくる。

あまりドラマチックにはならずに、つまらない時もある。

刺激がありすぎて、身が持たないと思う時もある。

過去になれば、忘れるものもたくさんある。

未来のことは、わからないこともたくさんある。

それだからこそ人生は素晴らしい。

その人生の素晴らしさを一言でいうと、

生きるといえるのではないか。

生きる。

何でもなく流れている時間ではなく、

人生の素晴らしい時間と思えば、

その言葉も愛しく思える。

生きる。生きている。生きているだけ。

そのすべては素晴らしい人生の時間なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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その人にあたたかさを

(今日のコトバ)

 

冷たい眼でなく、あたたかい手を。

 

 

 

 

例えば、いじめ問題で、

被害者がいる、加害者がいる、

そして、傍観者という多数がいる。

この傍観者は、

自分が加害者ではないことで、

いじめには関係ないつもりでいる。

ただ、被害者からすれば、

何もしてくれなかった傍観者は、

限りなく加害者に近い。

決して、被害者を助けてはいないし、

あたたく包んであげてもいない。

助けて側でなく、

冷たく知らんぷりした側なのだ。

いじめだけではない。

人が何かにあがいている時に、

冷たくしていることが多々ある。

何もしないで冷たい視線だけをおくっている。

そういうことは

誰にでも経験があるのではないだろうか。

なんでもかんでも、

あたたかい手を差し伸べろというのではない。

ただ、もし、

本気でがんばっているの人がいるなら、

あたたかい手を差し伸べてもいい。

少なくても、冷たい視線をおくることは避けたい。

時々、がんばっている人を見るとそう思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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逃げ道のための、嘘

(今日のコトバ)

 

真実は痛いから、嘘に逃げてしまう。

 

 

 

 

 

真実がある。

必ず正しい事実がある。

ものごとで正しいのは真実に決まっている。

ただ、人生では、

真実をつきつけると、

真実をつきつけられると、

苦しくなってしまうことがある。

映画フーテンの寅さんで、寅さんが

「それをいっちゃおしまいだよ」という

セリフがある。

正しい、正しいのはわかっているのだが、

それをいってしまうと、相手を追い詰める。

もっというと、相手を潰してしまう。

反対もある。

それをいわれてしまうと、

自分が追い詰められてしまうこともある。

だからかもしれないが、

嘘がある。

もちろん、はなから嘘をつく場合もある。

ただ、嘘の機能として、

真実を隠すために嘘をつくことがほとんどだ。

なぜか?

それは、人は正しいことで正しく追い込まれると

逃げ道がなくなってしまう。

その逃げ道をどこかに残すために、

人を傷つけないために、

時間を稼ぐために嘘をついたりする。

難しい問題だ。

ただ、人は正しさだけで追い込まれると、

何もできないことにもなりかねない。

そのことを理解しておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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バックボーンをつくるための壁

(今日のコトバ)

 

壁を乗り越えると、

その壁が自分のバックボーンになる。

 

 

 

人生には越えなければならない壁がある。

簡単に乗り越えられる壁もあれば、

困難を極めて乗り越えた壁もある。

もちろん、まだ乗り越える途中の壁もあるだろう。

それら乗り越えてきた壁すべてに意味がある。

乗り越えたからこそ手に入れたものもある。

そして、その一つ一つの壁が、

自分の血肉、骨になっている。

乗り越えた力は、自分に、自分の人生に、

計り知れない価値を与えてくれる。

そう思うと、

壁はただ乗り越えるものではなく、

壁は自分のバックボーンになっている。

生きるためには、様々な能力が必要だ。

もっというと、強く生きるためには、

しっかりしたバックボーンが必要だ。

そのバックボーンをつくるために、

壁を乗り越えるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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結果論

(今日のコトバ)

 

人は、結果という果実を欲しがる生きものです。

 

 

 

 

自分が望んだ結果を得られるほど、

人生においておいしいものはない。

望んだ結果を得たから、

自分の誇り、自分のポジション、

そして、自分の満足が生まれる。

たいがいおいて、

結果は、自分の努力によって生まれる。

それが、文字通り結果を出したということなのだ。

人生に目標があれば、

必ず結果がついてまわる。

人は、この結果を常にいい方向へ導きたがる。

正しい目標で、正しく前進していくなら問題はない。

ただ、人は完璧ではない。

結果を求めるあまり、

経過を無視してしまう人もいる。

結果を求めるあまり、

虚飾で勝負しようとする人もいる。

結果を求めるあまり、

他人を傷つけてしまう人もいる。

結果という魔界に導かれて、

過程を無視する人がたくさんいる。

その場合、たまたまその場で結果が出たとしても、

その後の人生で大きなしっぺ返しにあう。

そのことを忘れてはいけない。

結果には、過程がある。

過程を大切にしないと、

結果で得た満足も失ってしまう。

それが結果論なのだ。

 

 

 

 

 

 

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それらの出来事が人生を成長させていく

(今日のコトバ)

 

辛い記憶をもっていることも、

人生を素晴らしいものにする条件です。

 

 

 

人生には、いろいろな時期がある。

いいことばかりではない。

辛いことや悲しいことがたくさんある。

それらすべてを背負って人生になる。

人は、気持ちよく生きたいから、

楽しいさや笑いの中で生きていきたいと思う。

ただ、楽しいことばりだと

楽しいことも楽しくなくなる。

人生は、人生彩る様々な出来事が

人生のスパイスになる。

そのスパイスには

辛いことや悲しいことも入るのだ。

喜怒哀楽。

そんな言葉あるように、

人生は日々変化する。

それら様々な変化を受け入れて

人生は成長していく。

それら様々の変化を受け入れて

人生は素晴らしいものになる。

人生には、

様々な出来事が必要なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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心が調節している

(今日のコトバ)

 

忘れてしまったものはそれでいい。

人間は心の許容量を調整して生きている。

 

 

 

 

生きていると、忘れたいもの、忘れたくないもの、

それぞれある。

なんとなくだが、忘れたくないものを忘れて、

忘れたいものを覚えているような気もする。

時にモヤモヤして、時にイライラして、

なにしてんだろうと思うこともある。

ただ、忘れたものは

忘れていいものなのかもしれない。

きっと、すべてを覚えていたら、

人間の心の許容量がいっぱいいっぱいになって、

生きるのが辛くなる。

忘れていくものがあって、覚えていくものがある。

それぐらいで心の許容量を調整している。

同じように、忘れたいものでも覚えているものは、

何か心が必要と思っている。

「いま忘れるべきではない」

と思っているのだ。

たいがい忘れたいことは嫌なことが多いが、

確かに忘れると困ることも多々ある。

そう考えると、

忘れたいものは心のままに消えていけばいい。

そして、忘れられないものをどう処理していくか。

何か解決しなければならないものがあれば解決する。

時間に任せた方がいいものは時間に任せる。

そして、いつか忘れてくれれば、それでいい。

それぐらいの気持ちで生きれば、

人生の忘れたいものに対しても、

穏やかになれるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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