途中経過であることを忘れるな

(今日のコトバ)

 

人生は、短距離走者も、中距離走者も、

長距離走を走っていく。

 

 

 

 

わかっていることだが、人生は長い。

何年も、何十年も生きていく。

その生きる時間の中で、

勝ったり、負けたり、成功したり、失敗したり、

泣いたり、笑ったり、

緊張したり、興奮したり、高揚したり、落胆したり、

いろいろなことが起こり、

いろいろな気持ちになる。

それらすべてが途中経過。

個人的に、短距離走者のように短期決戦に向いている人も、

中距離走者のように短期と長期の間に結果を出すのが得意の人も、

長距離走者のように長い時間を走らなければならない。

短距離、中距離、長距離、得意は得意でいいと思う。

ただ、人生は長距離であることを理解しておくべき。

つまり、どんなことが起こっても死ぬまで途中経過であるということ。

一喜一憂するなとはいわないが、

負けてもまだ先がある。勝っても勝ち逃げできない。

そのこと忘れずに生きていく。

そこが自分を追い込まない生き方の秘訣なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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得意分野で幸せに

(今日のコトバ)

 

成功のまぼろしが子供をつくる。

失敗の積み重ねが大人をつくる。

 

 

 

 

子供の頃は、無限の可能性を感じていた。

野球選手でも、サッカー選手でも、

パイロットでも、レーサーでも、

何にでもなれると信じていた。

大人になると、現実という壁に何度もたたきつけられ、

自分の身の程を知っていく。

子供の頃の可能性を信じなくなった人から、

普通の大人になっていく。

ただ、ここで一つ思うことがある。

その可能性は自分に向いてる分野で探しているか、

ということ。

まわりを見ていると、

違う分野なら能力を発揮できたのに、という人がたくさんいる。

なんとなく、時代や環境に流されて、

自分に向いていない世界であがいている人が多い。

営業的な気持ちの欠片もないのに、

募集が多いから営業職につく。

あるいは、高学歴なので研究者になったが、

勉強と研究がまったく違う能力が必要で役に立っていない人。

力仕事なのに腕力がない人等、、、、、。

自分の得意分野を知らずに、

なんとなく人生を決めてしまう人がいる。

だが、こういう人生で幸せになれるだろうか。

なれる人もいるだろうが、

自分にとって最高の人生にはなりにくいのではないだろうか。

年齢的に遅すぎてしまうこともあるかもしれないが、

できれば、子供のように可能性を追う気持ちを、

大人の視点で探す。

自分は何に才能があるのか。

自分は何に向いているのか。

そこをわかった上で生きていくべきではないか。

人生は、幸せを探す旅。

悲しいこと、辛いこと、苦しいことだけでは、しんどい。

少しでも幸せに、少しでも楽しくするには、

自分の得意分野で生きる。

そこが人生のポイントになるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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言葉で人生を生きる

(今日のコトバ)

 

言葉は、時々、傷より痛い。

 

 

 

 

人の言葉は、凄い力を持つ。

一言で感動させることもできれば、

一言で傷つけることもできる。

時に一生忘れられない座右の銘となって、

心に刻まれる。

時に一生忘れられないほど傷つく言葉もある。

それを思うと、言葉の力は重い。

そんなことは誰でもわかっているのだが、

言葉に途轍もない感動し、

言葉に深く傷を負う。

何も名言でなくとも、

愛を告白しその答えが「うん(Yes)」というだけでも、

一生忘れられないものになる。

その反対で、「ごめんなさい(No)」といわれただけでも、

耳にこびりついて離れない。

言葉の力。

もっとも簡単で、もっとも力を持つコミュニケーションツール。

だからこそ、大切に使わなくてはいけない。

人は、言葉で人生を生きていく生き物なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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自信がなくて、見逃してないか

(今日のコトバ)

 

下を向いてばかりいると、上を向いた時、

どこに焦点を合わせていいかわからなくなる。

 

 

 

 

自信がないと目を伏せる。

下を向いて歩いてしまう。

怖かったり、避けようとしている時も、

下を向いてしまうことがある。

危ないことが、嫌なことが降りかからないように、

自分を通り過ぎてしまえと、

目を伏せる。

時として、それが上手くいくこともある。

ただ、特に、チャンスが到来しようとしている時に、

下を向いていては、見逃してしまう。

もちろん、チャンスだけでなく、

難題の案件、嫌なことも、しっかり目を向ければ

見えてしまうが、下を向いていたら、

それを選別することもできない。

下を向くということは、

ちゃんと見れないということ。

仮に、ちゃんと見ないで、

チャンスがくれば空振りするし、

嫌なことから逃げきれこともある。

たいはんが自信からきていることだが、

しっかり見ることは生きる上で大切なこと。

見ないで、捉えることはできない。

もし、いま、チャンスがない嘆いてるなら、

ちゃんと状況を見ているかを考えてみるといい。

自信がなくて、見逃してないか。

そこを解決するだけで、少なくとも、

チャンスも見えてくる。

まず、何事もちゃんと見ることから始めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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幸せの生みの親は、出会い

(今日のコトバ)

 

出会いを幸せに昇格させて、人生を生きる。

 

 

 

すべての出来事が出会いから始まる。

出来事をチャンス、もしくは、幸せと訳してもいい。

もちろん、出会いからいいことばかりが

始まるとは限らない。

ただ、出会うことによって、

あらゆるチャンスが生まれることは間違いない。

その先で手にする幸せの生みの親も、

人生では出会いであることが圧倒的に多い。

だとすると、出会いのチャンスを避けてしまうと、

幸せのチャンスも失ってしまう。

もし、いま、幸せが自分のまわりに足りないと思うなら、

出会いの数を増やすことが、

一番肝心であり、

一番早く幸せにたどり着く方法なのだ。

もちろん、出会いがすべていい方向へ

導くとは限らない。

だが、それでも出会いは、

人に新しい出来事を生む。

そのことを意識して行動すると、

人生は活性化していくはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

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見た目を怖れるな

(今日のコトバ)

 

みんな履歴書ほど出来がよくなかったぜ。

 

 

 

試験会場では、みな優秀に見える。

履歴書はPRの書類だから、

書き込まれた情報だけではよく見える。

だいたいが、それほどの能力はないのだが、

勝負の時だけは、出来そうなベールで被われる。

商品でもパッケージはよく見えることが多い。

ただ、やっぱり問題は中味なのだ。

最初だけよく見せても、

時間が経てばすべてバレる。

反対にいえば、

力があれば最初のベールになど、

怖れるに足らない。

実力さえしっかりしていればいい。

できれば、実力からくる自信が

みなぎっていればなおいい。

とかく、人生では実力が問われる。

その時、ライバルが出来そうに見えても、

強そうに見えても、基本は自分の問題。

自分の力さえ自信があれば、怖れることはない。

さらにいえば、人は見た目ほど優秀ではない。

少し、引き算して考えてもいい。

もちろん、見た目は地味でも、

圧倒的な能力がある人もいる。

だが、それは稀なこと。

まずは自分が自信を持つ。

そのために自分の実力をつけていくことが大切なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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探す未来

(今日のコトバ)

 

さまよいながら明日の光を探している。

それが、今日という時間の旅である。

 

 

 

明るい未来という言葉がある。

できれば、未来は明るい方がいい。

理想的にいえば、

過去より、現在。現在より、未来と良くなっていけば

素晴らしい。

ただ、未来を明るくするのは簡単ではない。

何かをしなければ未来へ生きていけないという世の中で、

楽しく、遊びのようなことばかりではない。

むしろ、その反対のことがたくさんある。

プレッシャーやストレス、つらいこと、困難な問題等々。

その中でどうやって未来を明るくしていくか。

一つの答えなどない。

日々、答えが変わっていくともいえる。

その変化していく答えを探して生きる。

そのためには、切磋琢磨、研鑽しなければならないこともある。

しんどい思いをのり越えなければならないこともある。

そして、もちろん楽しいこともある。

その繰り返しが生きる気持ちをつくりあげていく。

ただ苦しいだけだったり、ただ楽しいだけでは、

生きることに貪欲になれない。

生きるということは、そういうことなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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傍観者は加害者の側に

(今日のコトバ)

 

 

加害者でもなく、被害者でもなく、傍観者なのに、

人は都合よく、加害者と被害者を使い分ける。

 

 

 

 

 

いじめの報道があるだびに、

コメンテーターという人たちが

「酷いことしますね」

「まったく人間とは思えない」等々という。

加害者に批判を浴びせ続ける。

報道番組はいじめ事件に対して、

被害者の立場に立って番組を進行しているから、

仕方ない部分もある。

ただ、コメントをしている人は、

どの立場で話しているのだろうと思う時がある。

あくまでも被害者に寄り添っているように話しているが、

自分は被害者のような立場だったのだろうか。

むしろ加害者に近い生き方をしていないか。

「いじめを見つけたら声をあげよう」

といっても、加害者でないほとんどの人は、

傍観者であって「知らない」と背を向けた人だったはずだ。

ただ、報道番組になると、

みな正義の味方ばかりになる。

もちろん番組としては、

被害者の立場でつくらなければならない。

だが、コメントしている人が、

加害者もしくは傍観者であることが

透けて見えてしまうと白けてしまう。

それが何も報道番組ばかりではない。

社会の中でも、

都合よく傍観者になっていることがある。

加害者なのに知らないふりをする。

被害者に対して「知らなかった」と驚いてみせる。

傍観者も同じような行動をとる。

自分においても、自戒をこめて、

加害者はともかく傍観者になっていることがある。

そのことを改めるためには、まず、加害者であること、

傍観者であることを認めることが大切。

そして、傍観者も加害者に属することがあることを

認識する社会にする。

そうならないと、解決しないことがたくさんある。

人はなるべく痛い目にあいたくない。

そこからどう逃げるかを考える。

その時の選択が、自分がしたことから逃げたり、

知らん顔することでは何も解決しない。

いじめ社会の問題先送りであることを

理解しておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

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復讐ではなく、進化のために

(今日のコトバ)

 

 

喜怒哀楽の中で、いちばん情熱が多いのが怒りだ。

 

 

 

 

怒りがあるか。怒りがないか。

怒りがある人が、いいとは限らない。

かといって、悪いともいえない。

ただ、怒りのエネルギーの放出量は、ハンパではない。

たぶん人間の感情のうちで、一番のエネルギーの放出量だと思う。

せっかく、最大限にエネルギーを放出するなら、

人生にとって有益な方向に放出したい。

例えば、自分を進化させるために怒りを使う。

使うというのは怒りという感情に適してない言葉だが、

まさに、怒りを自分進化の燃料にする。

負けた時、苦しい時、、、、、、。

様々な場面で怒りがわいてくる。

その時、必ず相手という仮想敵が現れる。

まずはその敵を倒すために怒りを向ける。

何も暴力の話ではなく、

負けたら自分を切磋琢磨するために、怒りを使う。

苦しかったら苦しみを乗り越えるために、怒りを使う。

その怒りを復讐に使うのではなく、

進化のために使う。

進化した結果、仮想敵を実力として超えている。

理想かもしれない。

ただ、怒りは途轍もない燃料になる。

その燃料を正しく使えば、

これほど有効なものもないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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大人のヒーロー

(今日のコトバ)

 

あの人という歴史の教科書に載らない英雄を

愛しています。

 

 

 

 

テレビで観るヒーローが好きだ。

ある時間がくると、

確実に悪者を退治し、

スカッとした気持ちにさせてくれる。

ウルトラマンのようなヒーローが現実にいたらと、

子供の頃は思ったものだ。

ただ、大人になれば、

そんなにタイミングよく、

いつも僕らを助けてくれるヒーローはいないことを知っている。

現実の世界では、ヒーローが存在しないと思ったりもする。

だが、大人になるとヒーローは姿を変えて

存在するのかもしれないと思うときがある。

例えば、仕事のチームにいるあの人。

必ずといっていいほど、いい仕事をして結果を出してくれる。

信頼して仕事を頼めるのだ。

例えば、困ったときに親身に話を聞いてくれる。

寄り添って心が落ち着くまでいてくれるあの人。

気づくといつも自分のまわりにいてくれる。

決して、大きなニュースにならないが、

自分にとってはヒーローになるあの人。

バーチャルではなく、現実のヒーローは、

カッコよさはともかく、

自分とってより身近に存在するのだ。

そう考えてみると、大人になってもヒーローはいる。

肝心の自分がヒーローをヒーローと認識しているか

していなかの問題だけかもしれない。

捜してみれば、ほら、目の前にいるんだ、あの人が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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