人を救うのは、人

(今日のコトバ)

 

一人で生きていけると思っている人も、

人間というセキュリティソフトが必要です。

 

 

 

 

人が危なくなった時、

その人を救うのは、人だ。

自分を振り返っても、

いろいろな意味で危ないと思った時、

人に救ってもらっている。

いまはITの時代で、

何でもPCが解決してくれる。

だが、その先には、

人がいて、人がつくってコンテンツをみて、

それで救われている。

動物に救ってもらう人も増えている。

その人も、人に育てられた動物に助けられてる。

自分が育てた動物だから、

自分を救ってくれたともいえる。

忙しいと、苦しくなると、

人はそのことを忘れてしまう。

自分がどれだけ人に救ってもらったかを。

難問をかかえているのに、

自分一人で解決しようとする。

冷静になれれば、

人の力を借りて生きるという選択もできるのに、

追い込まれるとわからなくなる。

だから、ふだんから意識しておこう。

人を救うのは、人なんだと。

自分が追い込まれた時、

救ってくれる人がいる。

そのことを頭のどこかで覚えておこう。

 

 

 

 

 

 

 

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内なる本気を選べ

(今日のコトバ)

 

本気が足りないと、嫌気が満ちてくる。

 

 

 

 

何かを本気で取り組めることは、

本来、楽しいこと。

先生、上司、先輩に、

「本気で取り組め」といわれると、

嫌々だから辛く感じることもある。

ただ、自ら本気で取り組めるものは、

集中して、熱狂して、

最高の楽しみになるはずだ。

本気。

本来は一つの気持ちだけど、

内からわき出る本気と、

外から強制される本気は全く違う。

反対に考えると、

本気で取り組まなければならない時に、

嫌々やっているとすると、

それは本気ではない。

スポーツでの練習、受験勉強、仕事等、

本気で取り組むべき状況で、

嫌々やる。

それは、本気ではない。

ただ、本気を要求されている状況なだけなのだ。

だとすれば、できれば、

本気になることが苦ではないものを選ぶ。

スポーツ、受験、仕事、、、、。

もちろん、好きなものを選んでいるはずだが、

どうしても上手くなりたい、

どうしても勝ちたい、

どうしても受かりたい、、、、。

この「どうしても」が頭につくものを選ぶ。

なんとなくではなく、どうしても。

そこに本気になる、本気になれる鍵がある。

本気は内からくるものを選ぶのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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自力あっての手助け

(今日のコトバ)

 

人の荷物を持ち上げるために、

自分も力持ちにならなければならない。

 

 

 

自分の荷物を持つのでも四苦八苦しているのに、

他人の荷物を持つことはできない。

他人の荷物を持ってあげるには、

自分の荷物を軽々持って、

余力を持って他人に力を貸す。

あたりまえのことのようだが、

人にはいろいろなタイプがあって、

自分の荷物をほっぽり出して、

他人の荷物を担ごうとする人がいる。

あるいは、自分の荷物も持ちきれないのに、

他人に力を貸す人もいる。

これら場合、借りた人は最初はいいが、

その貸した人が力がなかった場合、

後で、大きな代償を払う場合もある。

自分のことはほっぽり出すのはいいが、

ほっぽり出したままではいかなくなって、

貸していた力を撤退する場合。

また、自力がないのに、手を貸してくれた人は、

結局、誰かの力を借りざる負えなくなる場合がある。

つまり、あまりにも自分の力を理解しないで、

誰かに力を貸すとまわりに迷惑をかけることにも

なりかねない。

だから、まず、自分の力を理解すること。

そして、余力があるか、

助けられるかを考えてから行動すること。

もちろん、自力を考えることより

行動が必要なことはある。

だが、貸した後、自分が誰かに迷惑をかけるのは、

自分の行動がムダになることでもある。

自分の力を考えて。

自分の力を信じて。

出来ると思った力で、人に力を貸す。

自力ありきの、手助けなのだ。

 

 

 

 

 

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陰に人の力

(今日のコトバ)

 

 

一匹狼だって、羊の友がいる。

 

 

 

孤高の人がいる。孤独な人がいる。

一匹狼と呼ばれて、単独で動く人がいる。

すべてを一人で完結しているように見える。

強い人だと思う。できる人だと思う。

ただ、そう呼ばれる人も、

ほんとうに一人だけで完結している人はいない。

パートナーや仲間が陰で動いているかもしれない。

実は、チームにいるけど、

スタンドプレイしているだけかもしれない。

もっというと、一人で結果を出す人には、

人のために献身的に動いてくれる人が必ずいる。

あるいは、精神的にいやしてくれる人が

どこかにいる。

決して一人ではない。一匹狼ではない。

人は一人では生きていけない。

一人では成立しない。

誰かの、自分にとって

かけがえのない誰かの力によって支えられている。

そのことを忘れてはいけない。

人は、人によって生きる力をもらっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そっと、隣りにいてあげる

(今日のコトバ)

 

そっとしてあげることで、

そっと立ち上がることもできる。

大応援のそっともあるんだ。

 

 

 

人が落ち込んでるいる。

元気がない。悲しそうだ。いつもより辛そうだ。

様々な雰囲気で、落ち込んでる状況を察知する。

その人を、どう元気にするか。

声をかけたり、イベントをつくったり、

足りないというものを補ったり、

こちらの元気を分けてあげる方法はある。

ただ、すべてがこの方法でいいとは限らない。

ただ見守ってあげる。話を聞いてあげる。

そっと、そばにいてあげる等、

騒いで元気にするよりは、

隣にいるという安心感で支える方法。

人によっては、こちらの方が、

よっぽど元気にする。

落ち込みを解消していく薬になる。

人は十人十色。

個性と同じように、

心模様も様々。

そっと、見守ってあげることも

一つの有効な方法だ。

 

 

 

 

 

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瞬間風速の興奮

(今日のコトバ)

 

 

ビビることは、シビレることへの前兆である。

 

 

 

 

怖くて足がすくむ。

ビビってしまって、頭が真っ白。

言葉も出ない。

試合前、面接前、プレゼン前等、

ここ一番で勝負を賭けなければならない時、

人はビビってしまうことがある。

オリンピック招致のプレゼンでは、

日本を代表する歴戦のツワモノも終わった後、

「プレゼンを覚えていない。まっ白になった」という。

舞台度胸とか、ふてぶてしいとかいうけれど、

やっぱり、ここ一番では誰しもビビってしまう。

そして、そのビビることが何も悪いことばかりではない。

ある種の緊張が、最高のパフォーマンスを発揮することもある。

ビビるぐらいで挑んでも、

はじまってしまえば落ち着くこともある。

冷静に表現することもできる。

もちろん、グダグダの場合もある。

ただ、ビビることは誰でもあること。

相手がいる場合は、相手もビビっている。

ビビることは瞬間風速の興奮。

あたりまえの現象として受け入れる。

上手くいけば、あるいは、終わってしまえば、

何にもかえがたい快感も味わえる。

シビれる体験もできる。

だから、ビビることを前向きに受け入れよう。

ビビることの先に、興奮と快感がある。

そこまでをセットで見据えれば、

怖いだけでない気持ちになれるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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いらないもので、やさしくなる

(今日のコトバ)

 

いらないものを集めすぎたから、

心がやわらかくなりました。

 

 

 

 

正確にいえば、いらなくなったものだろうか。

あれこれ買ったり、もらったり、

手にした時は嬉しかった。

だが、その後すぐに興味がなくなる。

思い出も込みの、あれやこれや。

いまは、いらないものとして散らかっている。

家や、心で。

整理が必要だと思う。

ただ、そういったものは、

整理したり、捨ててしまうと、

思い出も失ってしまう。

その時の気持ちも忘れてしまう。

少し汚くなっても、持っていたい。

その気持ちの方を大事にしたい。

いろいろなもの、いろいろな思い出があって、

人はやさしくなれる。

豊かになれるといってもいい。

捨ててばかりの人生は、

キレイだけど寂しい。

殺風景はつまらない環境ともいえる。

家も、心も。

人生は、

いらないものが、

自分をやさしくしてくれる。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

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あがく先に光

(今日のコトバ)

 

あがいている時にはわからない。

そのあがきが生きる背骨になっていることを。

 

 

 

 

試行錯誤している時は、

暗くて見えない。

どこへ止まっているのか。

どこまで進んでるのか。

まちがっているのか。

正しいのか。

人から見ればあがいているように

見えるかもしれない。

成長しているとは思えず、

むしろ後退しているように感じてしまう。

ただ、その時こそ、

人は進化している。

あがいているという努力は、

かっこよくないかもしれない。

自分に自信を持てないかもしれない。

その見えない中で、

一歩一歩、1ミリ1ミリ、前進しているのだ。

信じること。

それさえできれば、

あがくことに光をあてられる。

ジタバタすることが、

未来をつくっていると思える。

いま、自分があがいていると思ったら、

それは進化の前兆と思っていい。

近い将来、きっと、進化を実感する。

あがくことは、進化すること。

そう信じるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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自由には、自由に生きる理性が必要

(今日のコトバ)

 

 

コトバは、軽くなればなるほど平和なんだ。

 

 

 

コトバが何でも話せるということは、

自由の証明だと思う。

例えば、アメリカのトランプ大統領候補は、

度が過ぎるほど、差別的発言までできる。

反対に自由が自由でない国、

中国ではネットですら検閲され、

国家に対する反逆を許さない。

北朝鮮においては、

国内で本音を話すことすらできないだろう。

コトバが自由に発せられる。

あたりまえのようだが、

自由をいちばん満喫しているのだ。

ただ、こうも思う。

自由過ぎて、何でもありか。

トランプを見て、「大丈夫か、アメリカ」とも思う。

無記名になったネット被害もいかがなものかと思う。

コトバが自由に発せられる幸せを

大切にしないと大変なことになると思う。

やりすぎると規制は必ずできる。

規制をつくられるということは、

つまり、自由ではなくなるということ。

自由には、自由に生きる理性が必要。

そこを逸脱しないように、

自由を満喫する。

自由でなくなると、

生きることが息苦しくなる。

いまある自由を大切にするのだ。

 

 

 

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何もしない、という罪

(今日のコトバ)

 

何もしなかったヤツを、

罪にならない最低の悪党とよぶ。

 

 

 

 

いちばん悪いヤツは誰か、

という問題がある。

犯罪ではなく、

仕事等の共同作業の場面の話だ。

失敗したり、負けたり、

いちばん被害をつくった人間が

いちばん悪いと考える場合はある。

ただ、失敗したり、負けたりした人は、

少なくても挑戦したり、

戦ったり、行動を起こした人だ。

成功する、勝つ人が評価できるのわかる。

ただ、結果がついてこなかっただけで、

悪いヤツと決めつけていいのだろうか。

もっと悪いヤツはいないのだろうか。

考えてみると、その仕事で何もしていないヤツが

いたりする。

その人間は???

仕事に参戦しない。あるいは、高みの見物で、

いちばん被害のないところにいる。

ある意味、失敗したり、負けた人より、

よっぽど悪くないか。

何もしないという行為。

どんな状況でも、結構、存在する。

ほんとうは、この人間がいちばん罪なのかもしれない。

自分のまわりで仕事をした時、

良く考えてみるといい。

最後の結果の責任を負った人間がいちばん悪いか。

それより悪いヤツはいないか。

もっと悪いヤツは必ず隠れているのだ。

 

 

 

 

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