人生の発散

(今日のコトバ)

 

 

大声で叫んだら、嫌なものが落ちていった。

 

 

 

時に発散することが大切だ。

すべてをのみこんで、

すべてをためこんで、

心を不純物だらけにしても、

生きることがしんどくなるだけだ。

方法は自分の好きなものでいい。

それをやるとスッキリする。

モヤモヤしたものが消える。

明日また、元気でがんばろうという気になる。

そういうものを持つべきだ。

ストレスは、

自分でも想像しないほどためている場合が多い。

どこかで発散することは、

長距離ランナーである人間にとって

必要不可欠。

たぶん、活き活き生きている人は、

発散する方法を実践している。

何かためこんでいるような人は、

発散する方法が見つからないで生きている。

簡単なことだけど、

意識しないと発散はきっちりできない。

もし今、自分が発散が上手でないと思ったら、

とにかく自分の性格に向いている発散を方法を見つける。

必ずあるはずだ。

なければつくればいい。

発散を意識していけば、

いつの間にかできるようになる。

なんでもまずは意識。

そこから始まるのだ。

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

準備と用意とやる気

(今日のコトバ)

 

幸運は完成形でやってこない。

運を持った人間の使い方で幸運になるんだ。

 

 

 

あきらかに運が向いてきている人がいる。

後はどのように運をつかむかだけの人。

ただ、その運を捉えられずに見逃す人がいる。

高い確率で運を捉える人もいる。

なぜだろう?

考えてみると、運は幸運という完成形で

届くものでないことがわかる。

どんなにいい運が向いてきても、

準備、用意ができていなければ、

指をくわえて見ているだけしかできない。

また、同じように運が向いてきても、

まったくやる気がなければ、

前を通り過ぎるだけだ。

反対に、運を引き寄せる人は、

準備、用意ができていて、

やる気のある人ということになる。

運に所有権はない。磁力のある人が引き寄せるのだ。

もちろん、他力で運をつかむ人もいる。

だが、他力の運も、根幹は自分の種まきがあるはずだ。

運、特に幸運が自分にやってきて欲しい。

そのためには準備と用意とやる気で、

運を幸運にできる環境をつくらなければならない。

そう考えると幸運を手にする人が

努力する人に多いことが納得できる。

幸運も努力する人が好きなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

時代は人間を置き去りにする

(今日のコトバ)

 

お得で便利な世の中を求めたら、

お得で便利な人間ばかり出来上がりました。

 

 

 

インターネット、コンビニエンスストア、

24時間営業の店、宅配、、、、世の中は、

加速度的に楽できる方向へ進んでいる。

さらには、ポイントカード全盛時代になり、

あらゆるサービスにポイントがつく。

流通業界は、この便利でお得という両輪で

競いあっている。

わるいこといではない。

より良さを求めたら、当然の結果かもしれない。

ただ、時代が、世の中が、

お得で便利ばかりになると、

なんだか人間までもが影響を受けているような気がする。

楽して稼げる仕事を選び、

しんどい仕事に人は集まらない。

スマホを器用に使いこなし便利な人間ではあるけれど、

魂のようなものがない。

確かに、しんどい仕事が未来を約束するかといったら、

何も約束しないかもしれない。

確かに、魂のあるものが何かというと

答えにつまることもある。

ただ、忘れてはいけないのは、そのお得で便利な時代に

うつ病等のメンタル疾患は激増している。

心を鍛えるということが

しっかりできているかという疑問が残る。

人は人との間で摩擦を起こして生きるものでもある。

その時、お得と便利ばかり追求した人が

どこまで機能するだろう。

いつか、壊れてしまうのでないだろうか。

人間は、動物でもある。

自然に、本能を大切にして生きなければならないはずだ。

その時、時代と世の中が、まったく

動物の本能を消す方向に向かっていないだろうか。

難しい問題だ。

コンピューターが発明された当初から、

予測されていたことではある。

その時代が確実にやってきている。だからこそ、

より良い生活を求めた結果の弊害があることも

どこかで忘れてはいけないと思う。

より良い生活と人間として生きるこの共存、

大きなテーマだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

人それぞれの進化論

(今日のコトバ)

 

進化論をあきらめた人から、

確率論を走り出す。

 

 

 

 

自分の大きな目標を具現化するために、

人は切磋琢磨する。

特に、若い人ほど、未知の領域へ様々な角度から

挑戦していく。

無限の可能性を信じて努力するといってもいい。

夢を信じているうちは、

無我夢中で走っているうちは、

達成する度合いはともあれ進化している。

ただ、年をとって限界を感じたり、

いい結果が出なくなると、

進化という言葉に疑問を感じる。

「ジタバタしても変わらない」

「どうせ無理だろう」

というあきらめに似た気持ちになってくる。

そういう状態になると、

できる範囲という確率が幅を利かせてくる。

確率。確率論。

正しいことではある。

誰もが考えることではある。

ただ、確率になると、

あたりまえなことをあたりまえにしかやらなくなる。

あたりまえのことをやることだって大変だ。

だが、そうなると挑戦とか、冒険とかの

未知との戦いは失われていく。

それで面白いだろうか。

生きている充実感があるだろうか。

人生を面白くするなら、

不確定要素の多い目標に

挑戦することを忘れてはいけない。

どうしても挑戦できないこともある。

年齢、環境、時代、、、、、。

それでも、それらを取り払って挑戦してみる。

確率論は現役を退いてからでいい。

評論家に任せておけばいい。

目標のない人間が考えればいい。

生きている限り、人間は進化できる。

その進化を大切にして生きる。

人生を面白くする選択として進化は

必要不可欠なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

少しずつ本音を伝えておく

(今日のコトバ)

 

 

人は、言葉から悪人の正体を現す。

 

 

 

いちばんわかりやすいのは、

怒った時、キレた時に、

あきらかに発言が変わる人がいる。

「いままでガマンしてたんだ」

「いいかげにしろよ」等といいながら、

まったく違う考えを言い出したり、

語気が強すぎていつもと別人に思える。

生きていると、まわりの人でそうなった人を

何人も見てきたはずだ。

もちろん、自分にも思い当たるふしがある。

とくに、腹が立ってキレた時は、

とんでもないことを言い出すこともあった。

では、普段のコミュニケーションは何だったんだろう?

普段とキレた時、どっちが本当の人格なの?

人格はともかく、キレた時の言葉は

本音であることは間違いない。

とすると、普段は本音で話してない、

本音で生きていないということになる。

よくいえば理性を持って生きているとも言える。

普段はプレッシャーなく、普通にしていればいい。

無理に自分の本音を伝えることはない。

反対に、キレたからと言って、直感的に言葉を発し、

「そんなこと考えたんだ」と捉えられてしまうと、

人間的な評価が下がることになる。

キレた時が本当の人格と思われるのも辛い。

人の生き方は、それぞれのペースがある。

そのペースの中で、普段から本音を伝えて生きる。

全部吐露されるとまわりも困るかもしれない。

だが、ある程度、本音を伝えながら生きていかないと、

キレた時の人格がまった別人になってしまう。

まわりの人は距離をおかざるおえなくなる。

それは、人間関係として不幸なこと。

だから、日々の中で自分の意見として、

自分の弱いところ、自分の怒っているところ、

自分の嫌なところを、伝えておく。

ある日、突然、まったく別人が降りてきたと

思わせないために。

日々、少しずつ本音を伝える。

そんな生き方があってもいいと思う。

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

生きる軌跡が奇跡

(今日のコトバ)

 

軌跡は、奇跡に負けない歴史である。

 

 

 

生きているだけという人がいる。

ただ、生きているだけでも大変なことだと思うのだ。

どんなに楽をしても、どんなに逃げても、

何もしないで生きていくことはできない。

生きるための行動があって、人は生きていく。

呼吸をして、食事をして、排せつ行為がある。

学習し、働き、運動する。

報酬をもらい、遊ぶ。

その上、幸せとか、感動とか、興奮とか、

生きているとギフトもついてくる。

「ただ生きているだけ」といっても、

相当なことをこなして命を保っている。

「もう生きているだけで奇跡」といっていいのだ。

人間は欲張りな生き物だから、

普通な生活になると刺激が欲しくなる。

過剰に人生をいじりたくなる。

もちろん、自分が進化するために、

刺激を求めたり、切磋琢磨も必要だろう。

だが、生きていることだけでも、

素晴らしいことだということを忘れてはいけない。

普通の生活も素晴らしいのだ。

生きている軌跡を大切にしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

人と人とはギブ&テイク

(今日のコトバ)

 

あなたにもらったもので生きている。

だから、あなたのために生きていく。

 

 

 

人は一人では生きていけない。

誰かから何かをもらって生きている。

物質的な面だけでなく、精神的な面も、

様々なものをもらって生きている。

そんなことはわかっていると思う。

だが、もらった自分は、

誰かにお返しをしているだろうか。

何気なくお返しになっている場合もあるが、

むしろ、確信的にお返しをしているだろうか。

仲間が困っている時に救いの手を

差し伸べているだろうか。

ボランティア、募金、なんでもいい。

何かをしているだろうか。

もし、何も心当たりがないとしたら、

自分がどれだけ人に支えられているか

を考えてみるといい。

まったく0という人はいないはずだ。

少なくても、自分が支えてもらっている分、

何かをしてもいいはずだ。

ギブ・アンド・テイクという言葉もある。

もちろん、ギブとテイクが

バランスよく行われていることはほぼない。

ギブばかりの人もいれば、

テイクばかりの人もいる。

ただ、ギブばかりの人が、いつかテイクばかりでもいい。

その反対であってもいい。

まったく、人に何もしていないと感じたら、

何かのアクションを起こそう。

人間は支えあって生きている。

もらったらお返しをする。

簡単なことだ。

実行するかしないかだけのことなのだ。

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

自分の路線の上を

(今日のコトバ)

 

脱線した先にも人生はある。

レールの上ばかり走らなくてもいいんだ。

 

 

 

あまりにも規定路線の上ばかり走ると、

途中で息苦しくなってくる。

敷かれたレールの上を着実に進んでいく。

予定通りに走ることができる人は、

きっと、超人的な能力の持ち主。

発車時間に遅れたり、乗り過ごしたり、

下車して休んだり、あるいは、違うレールを求めて

走ることの方があたりまえなのだ。ただ、

社会はコンプライアンスや情報過多の時代になって、

きちんと生きることを要求する。

言い方を変えれば「なぜできないの?」と、

決められたレールを走らない人を

小馬鹿にした社会になってきた。

人間は、生き物。人間は、動物でもある。

あまりに自分の生き方と違う状況で走ることはできない。

個性を尊重しようというわりには、

画一化したパッケージに人間を押し込める。

ほんとは、もうみんな気づいているはずだ。

「息苦しいよ、世の中」と。

もちろん、犯罪を許そうということではない。

ただ、もっと、ゆっくり生きる人がいていい。

もっと、別の道を歩む人がいていい。

もっと、機械から離れた人がいていい。

もっと、もっと、もっと、

自分のレールの上を走る人がいていいと思うのだ。

清原和博のように飛び抜けた才能があるため、

高校時代から注目を集め、自分のレールではなく、

まったく作られたレールの上を走り続けた人もいる。

結局、走り続け着いた駅は、

きっと、目指した駅ではないはずだし、

こんなはずではなかったと思うこともあるだろう。

彼だけではなく、何かが違うと思って、

社会のレールを走り続けてしまう人はたくさんいる。

その人たちは、一度、立ち止まって、

自分のレールを点検してみるといい。

このまま走っていていいのか。

レールは壊れてないか。自分は壊れてないか。

もし、点検して整備不良が見つかったら、

何かを変えていくことを考えるべきだ。

駅で休むのか。別の路線に乗り換えるか。

あるいは、このままの路線でいいが

鈍行に乗り換えるのか。

少しだけでも考えることで、

自分のレールを走ることができる可能性が広がる。

人生は予定通りに進行しなくていい。

自分がいかに幸せに生きていけるか。

そこが一番の問題なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

目標がぼやけない

(今日のコトバ)

 

抜けない背中はない。

 

 

 

 

目標を持った時、

どこまで行けば、どこまでできれば目標達成なのか。

自分で明解に設定できると、

目標はつくりやすい。

だが、「・・・・ぐらいへ行ければいいかな」

「・・・・・・・ぐらいまでできればいいかな」と

抽象的になると、目標はぼやける。

具体的になればなるほど、

自分の動き方がシンプルになる。

特に仕事の現場でできる人とそうでない人の差は、

この目標のつくり方が最初の差になってくる。

もちろん、能力、センス、行動力、粘り等、

様々なフィルターはある。

ただ、仕事を高いレベルで完了する人は、

目標は実に明解だ。

そして、無謀な目標ではない。

低いレベルのものでもない。

高いレベルでも、その計画なら達成できる。

そう思わせ実行してまう。

なせばなるを自分サイズにカスタマイズしている。

できない目標はない。否、できない目標は

初めから目標にしない。

その目標のつくり方が上手い人が、

社会でできる人になっている。

だから、何かを始める時、

目標づくりを丁寧につくろう。

安直な夢物語では、

目標は実現しない。

捉えられるべき背中を

しっかり見つめて、

走れる計画をつくる。

そこが、目標達成の最初のハードル。

そして、目標がぼやけなければ、

達成の確率は劇的に向上するはずだ。

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

否定でなく、肯定でなく

(今日のコトバ)

 

人は誰でも皆、みっともない自分を隠すため

嘘という魔法を使う。

 

 

 

 

なぜ、嘘をつくのだろう。

あれこれ考えてみると、

ダメな自分を取り繕うために嘘をついていることが

ほとんどを占めている。

カッコ悪いからカッコよく伝えるため。

負けているから負けていないように見せるため。

ミスをしたからミスを隠すため、、、、。

反対に、相手のことをおもんばかって、

嘘をつくこともある。

ただ、ほぼダメな自分を隠すための武器にしている。

すべてが悪いことではないが、

人によっては嘘が常習化する人がいる。

つまり、ダメな自分を取り繕うのが

あたりまえになる人がいる。

そこまでいってしまうと、

当然、まわりにいる人間は気づいて警戒する。

必然的に人間関係の距離を遠ざける。

孤立する要因になる。

人は隠したい生き物だ。

そのために服を着て、化粧する。

この社会は、ある程度、隠くさなければならない。

ある程度、嘘が必要な社会でもある。

そこを考慮した上で、嘘は必要なのか。

どこまで必要なのかを自分で知っておくべきだ。

全面否定はできないが、全面肯定できない人間の武器。

たぶん一生、答えが出ない難問だが、

自分と嘘の距離は考えてもいいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。