そこにいるだけで価値がある

(今日のコトバ)

 

そこに、あなたがいることにが、

どれほどまわりの人を安心しているだろう。

わかっていないのは、あなたです。

 

 

 

 

いつもの場所に、いつものようにその人がいる。

それだけで安心する。

それが安心になる。

例えば、いつもいる人が長期で入院して、席にいない。

まわりの人は、心の一部分に穴があいたような気になる。

転勤、天候、退社のように、

もう二度とその席にこなくなると、

まわりの人の喪失感は計り知れなくなる。

もちろん、いなくてセイセイする人もいる。

そんな人さえも時間が経つと、

「いればいたで面倒くさいけど、

いないといないで寂しいね」といわれたりもする。

何をいいたいか。

人は、そこにいるだけで価値がある。

安心という価値を生むのだ。

考えてみると、不安とは、

いるべき人がいないところから始まっている。

もし、いま、自分の価値に疑問を持っている人がいたら、

自分に座るべき席があるだけでも、

大きな価値があることを理解しておこう。

まわりの人は、あなたがそこにいてくれるだけで、

安心して生きていける。

普通という名の大きな幸せを提供しているのだ。

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

使う言葉で年齢が変わる

(今日のコトバ)

 

言葉が老いることが、年齢が老いること。

 

 

 

人は言葉を使う。

世代によって違う。

年齢によって変わるものもある。

世代だと、「正直、、。正直、、。正直、、。」

必ず、言葉の初めに正直がつく人が多い時代があった。

「まじっすか!!」と上下の関係にかかわらず、

発してしまう世代もあった。

さらに言えば「ヤバイっすね」も、

昔なら、「危ないですね」だが、

ある世代以降「凄いですね」の意味になる。

また、年齢によっても変わる。

「・・・・っすね」のような言葉は、

年齢を重ねると減ってくる。

人にもよるが下品な言葉も減ってくる。

社会的立場があって、仕方ないこともあるが、

年齢が言葉を変えてしまうことはある。

反対に考えれば、

言葉が変わってきたら、

年をとったという判断ができるかもしれない。

何も悪い事ではなく、

体力的、精神的とは別の尺度があるということ。

年齢も365日たてば1歳、年をとるというのは、

戸籍上の基準でしかない。

戸籍上50歳でも、体力的に30歳の人もいるし、

精神的に40歳の人もいる。

それと同じように、

言葉使い的に○○歳の人もいる。

いま、自分はどれだけ使う言葉が変わっただろうか。

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

時代を生き抜くバランス

(今日のコトバ)

 

外に眼を向けろ。ただし、内の力を信じよ。

 

 

 

広く外に眼を向けていなければ、

時代に取り残される。

特に、ビジネスの場面では、

日進月歩で変わっていく環境の変化を知るために、

外の世界を理解しなければならない。

情報の価値も大きくなっているから、

ITのすべてを使って、

広く外の状況を把握することは大切。

ただ、それと同じくらい、否、

それ以上に自分のブレーンを

大切にすることも必要。だ。

自分のブレーンは、どれだけ実力があるかわかっている。

どれだけできるかもわかっている。

時に、外を見ると他のブレーンの力が良く見えて、

自分のブレーンの力を軽視してしまう。

最悪なのは、外の世界を良く思って、

自分のブレーンをバカにしてしまうこと。

本当は、そうではない。

自分のブレーンにも能力はある。

ただ、いつもそこにあるとあたりまえになってしまう。

結果、軽視につながってしまう。

だから、外の世界の情報をとると同時に、

自分のブレーン、つまり内の力も最大限にリスペクトする。

そのバランスが必要。

そのバランスを失うと、

時代を生き抜くバランスを失う。

時代を上手に生き抜くためにも、

外と内を大切にするのだ。

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

ほんとうに将来を明るいものに

(今日のコトバ)

 

将来性というインセンティブをあの人におくれ。

 

 

 

「あの人には将来性がある」という。

才能の片りんを見せたり、

何も教えなくてもできたり、処理能力が高かったり、

まわりの人の期待感を煽る人は、

将来、きっと素晴らしい人材になるだろう、

きっと凄い働きをするだろうと思わせる。

それが、絶対の結果を約束するものではないが、

まわりの人はワクワクしたり、

期待の目で見たりする。

この将来性を見せることは、

人生を少しだけ上昇させることでもある。

ハードルを上げてしまうことでもあるが、

将来性を認められると、

やらせてみようとち様々なチャンスが与えられる。

そのチャンスをクリアできれば、

それはそれでいいが、

仮にクリアできなくても、

チャンスという経験を与えられたことになる。

何も失うものはない。

もし、できるのであれば、得意な分野に足を踏み出し、

将来性を見せよう。

人より多くの経験と財産をつめる。

ほんとうに将来を明るいものにできる可能性が広がるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

まるごと幸せになる

(今日のコトバ)

 

長く青春を生きる人は、

いつの間にか青春を幸せにしている。

 

 

 

青春。期限はない。

長さも個人が決めれるもの。

いくつになっても、

自己申告で青春は継続される。

言葉にするか、しないかは別にして、

まわりで見ていると、

長い間、青春をしている人がいる。

イメージしやすいのは、

サーフィン、スキューバーダイビングなど、

マリンスポーツに熱中している人は、

年齢に関係なく青春の真っただ中にいるように思える。

もちろん、野球、サッカーのようなスポーツも、

継続して楽しんでいる人は、

青春の断片を見せてくれる。

「明日、朝から波乗るんだ」

「週末は草野球でね」等といいながら、

目を輝かせていると青春を感じさせる。

そして、年齢を重ねた人を見ると、

青春という言葉と幸せという言葉が、

重なり合っている。

若い時の青春は、破壊だったり、

自堕落だったり、退屈だったり、

単に幸せというには、

少し意味が違うような気もしたが、

年齢を重ねた人の青春は、

それらのものが消えて、

幸せだけが残る気がする。

そう思うと、長く続けていける楽しみは、

まるごと幸せになる。

人生は一度きり。

長く青春を継続して、

楽しい人生にしようじゃないか。

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

人生の成長期を逃すな

(今日のコトバ)

 

誰にも止められないものを、

お前の最先端で走らせろ。

 

 

 

これをやりたいという、

どうしようもない衝動にかられることがある。

夢を持った時の人間の行動がそうだ。

それが、仕事、スポーツだったりすると、

いい結果につながることが多い。

反対に、どうしようもない衝動があるのに、

怠慢で、何もしないと、

自分の成長期を逃すことにもなりかねない。

ものには、旬がある。

ましてや、どうしようもなくやりたいという時期は、

人生に何度かしかやってこない。

このタイミングを逃すと、

次の保証はない。

だとしたら、気持ちの昂ぶりと共に、

自分の衝動に賭けてみる。

できることを、やれるだけやってみる。

行けるところまで、行ってみる。

その成長・進化は、

はかりしれないものがある。

人生の成長期といっていい。

それを逃すな。

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

経験が平な道に

(今日のコトバ)

 

坂道ばかり歩いてきたのに、

振り返ってみると、平な道になっているんだ。

 

 

 

振り返ってみると、

平坦な道ばかりではなかった。

というより、

平坦な道はなく、

上り坂か、下り坂、

少し上り坂か、なだらかな下り坂が

ほとんどだった。

人生、山あり、谷ありという言葉があるが、

どんな時代も、どんな人も、

そうだったのだろうか。

ただ、その上り坂も、その下り坂も、

一度、同じようなことを経験してしまうと、

次からは平気で、その道を歩ける。

上り坂だと思った道が、

下り坂だと思った道が、

平な道を歩くような気持ちになれる。

経験といおうか。慣れといおうか。

平らな道を歩くような気持ちになれば、

人生は怖くなくなる。

辛くなくなる。

年齢を重ねれば、

怖いことが減っていくのも、

経験値が増えたからだ。

だから、いま、人生の上り坂で

辛いと思うことがあっても、

一度、すべて乗り越えてしまうと、

次はたいしたことがないことになるかもしれない。

少なくとも、初体験よりは普通にこなせるはずだ。

そう思えば、とにかく頑張って、

乗り越えてしまえる。

人生の上り坂、下り坂は、

経験が平な道にしてくれる。

そう思って、歩みを進めるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

自分が納得する選択

(今日のコトバ)

 

安く売るな。高く生きろ。

 

 

 

自分に値付けをする。

日々、やることではないが、

時々、考えることがある。

それが、アルバイト料だったり、

給料だったり。

転職での年俸だったり。

「こんなものか」と思ったり、

「こんなに凄いのか」と思ったりする。

また、自分をどう売るかということも考える。

値付けではなく、

自分のプライドにおいて、

何をやるかを決める。

もっというと、何をやらないかを決める。

その夢を叶えたいから、少々なことをガマンしても、

やりたいことをやる。

また、金になっても自分が許さなければ、

絶対にやらない。

とても窮屈な生き方かもしれない。

ただ、自分の人生において納得できるかといえば、

納得できるだろう。

何も自分を殺して生きることを否定しているのではないが、

できることなら、自分が納得する人生を送りたい。

そのために、自分が何を選択して生きるかが大事になるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

肩書きに負けない能力を持つ

(今日のコトバ)

 

肩書きを捨てても、ただ者でない人になろう。

 

 

 

 

社会で生きていく上で、

肩書きは必要だ。

偉い、偉くないではなく、

どこのポジションに自分がいるかを伝えやすい。

ただ、この肩書きの上にあぐらをかく人がいる。

「自分は、部長だ、わかっているな」

「自分は、社長だから、君らに意見されたくない」等々。

肩書きで相手を威圧する人がいる。

競争社会の中で、より高いポジションにいるのだから、

ある程度、努力はしたのかもしれない。

だが、この肩書きが人生のポジションではない。

生きていく上で、サバイバル術に長けている。

腕力があって、他人が困っている時に、力で支えてあげられる、等々。

人間として優れた機能を持っている方が、

生きるために役立つかもしれない。

記憶力や学習能力が優れている人も、

社会に貢献できることがたくさんある。

人間の評価は多面的だ。

その中で、肩書きという、漠然としているのに、

社会の階級をつくってしまうもので評価するのは、

正しいとはいえない。

もっといえば、この肩書きに負けない能力を持つことが

できる人生を自分でつくるべきでもある。

人は、評価を気にして生きている。

であるなら、肩書きという変動する評価ではなく、

不変の評価をつくって生きていくべきではないだろうか。

自分は自分でしかない。

自分の人間としての能力が優れていることが、

ほんとうに自分を活かし、自分を守ってくれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

いまのチーム力を信じよ

(今日のコトバ)

 

ドリームチームとは、いま組んでいるこのチームをいう。

 

 

 

新しいチームを身を置くとわかる。

それまでのチームがいかに理想的だったかを。

新しいから慣れてないこともあるが、

長く培ったチームワークは無駄がなく、

上手い具合に機能している。

ただ、その長くいたチームも、

在籍中は粗ばかり目立った。

もっといいチームが必ずある。

最高の環境は、ここではない。

違う場所にあると信じていた。

ないものねだりかもしれない。

ある意味、理想を追求しているのかもしれない。

だが、長くいる環境は、

実は、かなり理想に近い。

長い時間をかけて、過不足を解決してきたのだ。

どんなメンバーを集めても、

不満はある。

そう考えると、

仲間の能力を知りつくりあげたチームは、

一つの理想といえる。

慣れ過ぎたからと、

そのチームを悪く思う前に、

もう一度、考えてみよう。

長くつくりあげたチームは最高のチーム。

そう思うと、ドリームチームは、

どこの、どの環境でも存在するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。