生きる軌跡が奇跡

(今日のコトバ)

 

軌跡は、奇跡に負けない歴史である。

 

 

 

生きているだけという人がいる。

ただ、生きているだけでも大変なことだと思うのだ。

どんなに楽をしても、どんなに逃げても、

何もしないで生きていくことはできない。

生きるための行動があって、人は生きていく。

呼吸をして、食事をして、排せつ行為がある。

学習し、働き、運動する。

報酬をもらい、遊ぶ。

その上、幸せとか、感動とか、興奮とか、

生きているとギフトもついてくる。

「ただ生きているだけ」といっても、

相当なことをこなして命を保っている。

「もう生きているだけで奇跡」といっていいのだ。

人間は欲張りな生き物だから、

普通な生活になると刺激が欲しくなる。

過剰に人生をいじりたくなる。

もちろん、自分が進化するために、

刺激を求めたり、切磋琢磨も必要だろう。

だが、生きていることだけでも、

素晴らしいことだということを忘れてはいけない。

普通の生活も素晴らしいのだ。

生きている軌跡を大切にしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

人と人とはギブ&テイク

(今日のコトバ)

 

あなたにもらったもので生きている。

だから、あなたのために生きていく。

 

 

 

人は一人では生きていけない。

誰かから何かをもらって生きている。

物質的な面だけでなく、精神的な面も、

様々なものをもらって生きている。

そんなことはわかっていると思う。

だが、もらった自分は、

誰かにお返しをしているだろうか。

何気なくお返しになっている場合もあるが、

むしろ、確信的にお返しをしているだろうか。

仲間が困っている時に救いの手を

差し伸べているだろうか。

ボランティア、募金、なんでもいい。

何かをしているだろうか。

もし、何も心当たりがないとしたら、

自分がどれだけ人に支えられているか

を考えてみるといい。

まったく0という人はいないはずだ。

少なくても、自分が支えてもらっている分、

何かをしてもいいはずだ。

ギブ・アンド・テイクという言葉もある。

もちろん、ギブとテイクが

バランスよく行われていることはほぼない。

ギブばかりの人もいれば、

テイクばかりの人もいる。

ただ、ギブばかりの人が、いつかテイクばかりでもいい。

その反対であってもいい。

まったく、人に何もしていないと感じたら、

何かのアクションを起こそう。

人間は支えあって生きている。

もらったらお返しをする。

簡単なことだ。

実行するかしないかだけのことなのだ。

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

自分の路線の上を

(今日のコトバ)

 

脱線した先にも人生はある。

レールの上ばかり走らなくてもいいんだ。

 

 

 

あまりにも規定路線の上ばかり走ると、

途中で息苦しくなってくる。

敷かれたレールの上を着実に進んでいく。

予定通りに走ることができる人は、

きっと、超人的な能力の持ち主。

発車時間に遅れたり、乗り過ごしたり、

下車して休んだり、あるいは、違うレールを求めて

走ることの方があたりまえなのだ。ただ、

社会はコンプライアンスや情報過多の時代になって、

きちんと生きることを要求する。

言い方を変えれば「なぜできないの?」と、

決められたレールを走らない人を

小馬鹿にした社会になってきた。

人間は、生き物。人間は、動物でもある。

あまりに自分の生き方と違う状況で走ることはできない。

個性を尊重しようというわりには、

画一化したパッケージに人間を押し込める。

ほんとは、もうみんな気づいているはずだ。

「息苦しいよ、世の中」と。

もちろん、犯罪を許そうということではない。

ただ、もっと、ゆっくり生きる人がいていい。

もっと、別の道を歩む人がいていい。

もっと、機械から離れた人がいていい。

もっと、もっと、もっと、

自分のレールの上を走る人がいていいと思うのだ。

清原和博のように飛び抜けた才能があるため、

高校時代から注目を集め、自分のレールではなく、

まったく作られたレールの上を走り続けた人もいる。

結局、走り続け着いた駅は、

きっと、目指した駅ではないはずだし、

こんなはずではなかったと思うこともあるだろう。

彼だけではなく、何かが違うと思って、

社会のレールを走り続けてしまう人はたくさんいる。

その人たちは、一度、立ち止まって、

自分のレールを点検してみるといい。

このまま走っていていいのか。

レールは壊れてないか。自分は壊れてないか。

もし、点検して整備不良が見つかったら、

何かを変えていくことを考えるべきだ。

駅で休むのか。別の路線に乗り換えるか。

あるいは、このままの路線でいいが

鈍行に乗り換えるのか。

少しだけでも考えることで、

自分のレールを走ることができる可能性が広がる。

人生は予定通りに進行しなくていい。

自分がいかに幸せに生きていけるか。

そこが一番の問題なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

目標がぼやけない

(今日のコトバ)

 

抜けない背中はない。

 

 

 

 

目標を持った時、

どこまで行けば、どこまでできれば目標達成なのか。

自分で明解に設定できると、

目標はつくりやすい。

だが、「・・・・ぐらいへ行ければいいかな」

「・・・・・・・ぐらいまでできればいいかな」と

抽象的になると、目標はぼやける。

具体的になればなるほど、

自分の動き方がシンプルになる。

特に仕事の現場でできる人とそうでない人の差は、

この目標のつくり方が最初の差になってくる。

もちろん、能力、センス、行動力、粘り等、

様々なフィルターはある。

ただ、仕事を高いレベルで完了する人は、

目標は実に明解だ。

そして、無謀な目標ではない。

低いレベルのものでもない。

高いレベルでも、その計画なら達成できる。

そう思わせ実行してまう。

なせばなるを自分サイズにカスタマイズしている。

できない目標はない。否、できない目標は

初めから目標にしない。

その目標のつくり方が上手い人が、

社会でできる人になっている。

だから、何かを始める時、

目標づくりを丁寧につくろう。

安直な夢物語では、

目標は実現しない。

捉えられるべき背中を

しっかり見つめて、

走れる計画をつくる。

そこが、目標達成の最初のハードル。

そして、目標がぼやけなければ、

達成の確率は劇的に向上するはずだ。

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

否定でなく、肯定でなく

(今日のコトバ)

 

人は誰でも皆、みっともない自分を隠すため

嘘という魔法を使う。

 

 

 

 

なぜ、嘘をつくのだろう。

あれこれ考えてみると、

ダメな自分を取り繕うために嘘をついていることが

ほとんどを占めている。

カッコ悪いからカッコよく伝えるため。

負けているから負けていないように見せるため。

ミスをしたからミスを隠すため、、、、。

反対に、相手のことをおもんばかって、

嘘をつくこともある。

ただ、ほぼダメな自分を隠すための武器にしている。

すべてが悪いことではないが、

人によっては嘘が常習化する人がいる。

つまり、ダメな自分を取り繕うのが

あたりまえになる人がいる。

そこまでいってしまうと、

当然、まわりにいる人間は気づいて警戒する。

必然的に人間関係の距離を遠ざける。

孤立する要因になる。

人は隠したい生き物だ。

そのために服を着て、化粧する。

この社会は、ある程度、隠くさなければならない。

ある程度、嘘が必要な社会でもある。

そこを考慮した上で、嘘は必要なのか。

どこまで必要なのかを自分で知っておくべきだ。

全面否定はできないが、全面肯定できない人間の武器。

たぶん一生、答えが出ない難問だが、

自分と嘘の距離は考えてもいいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

間口広げて希望をつかめ

(今日のコトバ)

 

今日はただの一日ではない。

一日という時間にもれなく希望がついてくる。

 

 

 

一日は、とても短い時間。

だが、途轍もなく潜在能力のある時間でもある。

使い方次第では、相当のパフォーマンスが発揮できる。

その発揮した先で、思いもかけない出来事が起こる。

もしかするとハプニングかもしれないが、

希望が見つかる出来事かもしれない。

もっといえば、考え方で、ハプニングにも、

希望にもなる。

一日は考え方で変わる。

何をやるか。どう感じるか。

どう生きるかで違ってくる。

ポジティブに出来事を捉えていくと、

すべてが希望に変わる可能性がある。

意識の問題だ。

出来事を希望だと感じれば、

それがチャンスになるかもしれない。

人生は、どこで何が起こるかわからない。

自分の間口を広げて、

希望の先のチャンスをつかむ。

その一歩は、

今日を希望の時間に変えることから始まるのだ。

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

生きるための管理

(今日のコトバ)

 

 

左手に臆病、右手に仮病を持って生きる。

(人生それぐらいでいい)

 

 

 

何かに立ち向かう時に、

臆病になって躊躇することがある。

やるべきかやらざるべきか。

戦わなければならない時に、

分析しすぎて足が動かなくなることもある。

さらには、あまりにも難題を突きつけられ、

怖くなって仮病を使いたくなることもある。

臆病、仮病。

生きるためににあまり推奨されない病だが、

時と場合によっては、うまく使うことも大切だ。

出来事にあまりに正面からぶち当たり、

砕け散ってしまうこともある。

真面目に対応しすぎて、

自分を苦しめてしまうこともある。

難題をかかえて、

自分を壊してしまっては何にもならない。

時に、やらないことも選択のひとつ。

時に、休むことも選択のひとつ。

自分と相談して、自分を大切にすることを考える。

人生は長い。自分の管理が大切なる。

いい状態で生きるために自分を大切にしよう。

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

そっと支えてくれる人

(今日のコトバ)

 

気持ちはわからないけど、

気配りはわかります。

 

 

 

人の気持ちはわからない。

どこにあるのか?

何を考えているのか?

何をしようとしているのか?

言葉は必ずしも気持ちの代弁者でない。

裏腹なことをいう場合もある。

裏腹なことをいわざるおえないこともある。

ただ、気配りといわれるものは、

一緒に過ごせばわかることが多い。

何か困っていることに、

そっと手を差し伸ばす。

その状況が良くなるために、

そっとフォローする。

大袈裟でなく、

縁の下の力持ちとなって、

様々な場面で、そっと支える行為に気は宿る。

反対に、気配りがない、気がきかないといわれるのは、

何もしない人を差すことが多い。

つまり、そっと支えるところに気は存在する。

自分のまわりに、そっと支えてくれる人はいるだろうか。

いてくれるとすれば、

その人生は上手くいく。

自分が前進できない時も、自分が困った時も、

誰かがそっと支えてくれる。

だが、もし、そういう人がいなかったら、

片翼で飛ぶようなもので、

どこかで落下するかもしれない。

倒れた時に手を差し伸べてくれる人がいない

状態といっていい。

人は人に支えられて生きている。

気を配ってくれる人がいて、

悠然と飛べる、安心して生きていける。

そっと支えてくれる人を大切にしたいものだ。

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

一番上にいること

(今日のコトバ)

 

 

最高峰は、崖だらけだ。

 

 

 

トップ。先頭。リーダー、、、。

一番上に立つ人がいる。

羨望の的になったり、目標にされたり、

尊敬されたり、、、、。

様々な称賛もある。

ただ、一番上は辛いことも多い。

すべての案件が集中し、

決断を求められる。

面白い作業かもしれないが、

間違えた決断を下せば、その集団の浮沈にかかわる。

頂点、てっぺん、最高峰という言葉には、

高いところに位置するが、

一歩先には崖があるという意味でもある。

生まれたからには、そのポジションにつくことを

目標にすることは素晴らしいことだ。

ただ、そのポジションの孤独さ、

そのポジションの残酷さ、

そのポジションの過酷さを知っておくべきだ。

本物といわれる一番上の人は、

そのポジションの意味を知っている。

上に祭り上げられて、

ポジションの意味を理解していない人は、

後から化けの皮がはがれる。

痛い目にあう。落下する者もいる。

一番上のポジションは言葉通り、

一歩先に危険がつきまっていることを

そのことを肝に銘じておこう。

いつか自分が一番上に立つ時のために。

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

ほんとうの自分に素直になる

(今日のコトバ)

 

もう一人の自分が、

ほんとうの自分に賛成できる人生を。

 

 

 

社会に出た自分には、

いつももう一人の目のほんとうの自分がいる。

建前の自分と本音の自分というべきかもしれない。

社会では役割があって、

嫌でも自分を殺して生きなければならない場面がある。

ただ、ほんとうの自分はどうなんだ。

それでいいのか。そういうことではダメなんだ。

ほんとうはこれではなのではないか、、、。

そうどこかで思っていることもあるはずだ。

その時のほんとうの自分の目を大切にしよう。

もちろん、社会に出ればコミュニケーションの中で

人と協調していかなければならない時がある。

必然的に自分の主張だけでは通らない。

そこで我を張れというのではない。

協調していくのも大切なことだ。

だが、その時に自分の中で「違う!」と

思ったことは大切にして生きていくということだ。

なんでも社会のいうとおり、他人のいうとおりだと、

自分のアイデンティティが無くなってしまう。

自分の無い人になってしまう。

それでは、自分が楽しくないし、

人からも自分のない人と信用を失ってしまう。

だから、ほんとうの自分の意志を

ちゃんと持つ。大切にする。

そこに、自分が形成される。

つねにほんとうの自分が自分の中にいる。

そのことを忘れずに生きていくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。