努力はギャンブル

 

(今日のコトバ)

 

人生でもっとも

大きなギャンブルは努力だ。

そして、努力というギャンブルは

無限にできる。

 

 

人生でもっとも長時間を賭ける行為、

努力。

努力の範囲をどこまでにするか

いろいろあるだろうが、

誰もが人生で努力をしている。

学校で、会社で、趣味の場で、、。

どの場面でも努力が必要となる。

そして、その努力によって

成果の上がる場合もあるが、

ムダになってしまうこともある。

これほどギャンブル性に富んだ

人のチャレンジ案件もない。

だとしたら、

はじめから努力はギャンブルと

定義して人生のプランに組み込む。

もしかすると、

人は知らず知らずのうちに

やっていることかもしれない。

努力をギャンブルとすれば、

力の入れどころがはっきりする。

この場面は全力で努力するところ。

この場面は努力しなくていいところ。

きっちり分けられる。

努力は中途半端では

たいがい役に立たない。

そういった意味こめて、

努力はギャンブル。

そう意識していいと思う。

前向きは幸せを連れてくる

 

(今日のコトバ)

 

「なんとかなる、大丈夫」の人と、

「どうにもならない、限界だ」の

人の差が、

そのまま人生の差になる。

 

 

 

「気持ちの問題だ」

人生のいろいろな場面でいわれる。

たいがいは、ここ一番に頑張れるか、

そうでないかの問題。

なるほどと思ったり、

そうでもないんじゃないと

思うこともある。

ただ、人の生き方を見ていると、

「なんとかなる」と

前向きに考える人は、

幸せな道を

歩んでいるような気がする。

統計をとっているわけではないから、

正しいかはわからない。

だが、間違いなく肯定的に物事を

捉えている人は幸せそうだ。

反対に、すぐにあきらめてしまうタイプは、

あまり幸せそうに見えない。

逃げているようにも見えて、

チャンスからも

遠ざかっているように見える。

当然、幸せそうではない。

生き方の選択は自由だ。

前向きでも、

あきらめやすくてもいい。

ただ、

幸せに生きるためには、

前向きに生きた方が良さそうだ。

長く生きて感じることである。

時間を忘れて自分も忘れる

 

(今日のコトバ)

 

自分を責めることは、

誰かを責めることより、

痛い。

 

 

自分に打ち勝て。

昨日の自分を超えろ。

最大の敵は自分、、。

自分は、自分にとって

大きな壁になることが多い。

普段は意識しないが、

意識し出すとキリがない

自分という生きもの。

もっといえば、

自分を責めてしまうと

泥沼に陥ることもある。

ある意味、

誰か他人を責めるより、

辛い気持ちになる。

だとすれば、

自分を自分の意識の外に置く。

自己嫌悪の状況になれば、

いやがおうでも

自分を考えてしまう。

では、自分を考えない方法とは?

いい方法がある。

それは何か自分の目標に向かって、

熱中する、夢中になる。

時間を忘れて

取り組めることがあれば、

自分も忘れられる。

時間を忘れて

自分も忘れる。

大きな一つの選択肢だ。

立ち上がって歩いていく

 

(今日のコトバ)

 

人間は、そんなに強くない。

だけど、そんなに弱くもない。

だから、ころんでも、また、

立ち上がって歩き出せるのだ。

 

 

強いと思ったり、

弱いと思ったり。

人間は、自分は、

いつも揺れ動いている。

生きものとして、

知恵がある分、

強いと思い生きている。

動物から距離をおいた分、

弱いと感じながら生きている。

文明が発達すればするほど、

矛盾の中で生きていくことになる。

仕方のないことかもしれない。

ただ、一つの基準を

生きていくことにおけば、

どんなことがあっても

生き抜くことが大切。

ころんでも、倒れても、

また、立ち上がる。

再び一歩を踏み出す。

その力を持ち続けることが、

この地球で生きること

なのかもしれない。

世界は決して

穏やかな環境ばかりではない。

その中でどう生きていくか。

一人一人が考えながら、

前進していくことが

大切になると思う。

 

好きな人が、自分のために

 

(今日のコトバ)

 

愛する人は、

幸せを腕いっぱい

抱えてやってくる。

 

 

 

どんな時に

いちばん幸せを感じるか。

人によっていろいろあるだろう。

ただ、一つ絶対的なのは、

自分の好きな人が

自分に会いに来てくれた時は、

幸せを感じるのでは

ないだろうか。

好きな人が自分のために

やってくる。

好きな人。

自分のために。

この二つのキーワードを

クリアする幸せは大きい。

もちろん、

自分から好きな人に

会いに行っても

幸せは感じられる。

ただ、自分のためにが

欠けている分だけ

少し弱くなる。

幸せになりたい。

幸せを感じたい。

そう思ったら、

好きな人、愛する人が

自分に会いに来てくれる。

そんな状況をつくる。

いちばん簡単で、

いちばん幸せになれる方法だ。

想像力を働かせた優しさ

 

(今日のコトバ)

 

優しさは、

想像力の先に咲く花である。

 

 

優しさをうまく届けるには、

ほんの少しでいいけれど

想像力がいる。

むやみやたらに優しくしても、

なかなか優しさは伝わらない。

優しさを求めていない人に

優しくしても

理解されないこともある。

優しさは、簡単ではない。

ちゃんと伝えるために、

想像力のようなものがいる。

「この人は何で

悲しんでいるのだろう」

「あの人は何で

孤独なんだろう」

「その人は何で

苦しんでいるのだろう」

少しだけ想像力を働かせて、

求めている優しさを届ける。

少しの想像力かもしれない。

だが、想像力を働かせた優しさと

そうでない優しさは違う。

そのことを忘れないで

生きていこう。

初心者はカタチを持ってプロになる

 

(今日のコトバ)

 

引かれたレールを走りながら、

そのレールを自分の道に

変えていくことが人生なんだ。

 

 

誰でも仕事を始める時は、

初心者。

指導されたり、

マニュアルを学習したり

しながら、

初心者は訓練されて、

プロへと進化する。

時間のかかる人もいる。

そうでない人もいる。

そもそも専門的でプロになるまで、

時間のかかる仕事もある。

自分が決めた仕事の

キャリアを積むことで、

プロになっていく。

ただ、忘れていけないのは、

最初みな初心者だったということ。

何もできないところから

始めたということ。

でも、何年、何十年経つと、

なんとかカタチになっている。

もちろん、

何もカタチにならない人もいる。

何もカタチにならないこともある。

だが、一般的には修練して

カタチになる。

そのカタチになったものは、

自分の武器になる。

世の中を渡っていく強い味方になる。

運とめぐりあえば、

大きな金字塔を

立てることができるかもしれない。

そう思うと、

初心者として始めたものを

大切にして生きていきたい。

できれば、

簡単にあきらめるようなものでなく、

長く追求していけるものを選択する。

人生を有意義なものにするためには、

最初が肝心。

選択には時間をかけてもいいから、

自分のカタチでプロになれるものを

探していこう。

戦わないで負けるのは、もったいない

 

(今日のコトバ)

 

敗北には二つある。

負けた敗北と戦わなかった敗北。

そして、戦わなかった敗北は

負けた敗北にも負ける。

 

 

戦えば負けることがある。

生きていれば

無敗というわけにはいかない。

どこかの場面で必ず負けている。

人間は負ける生きものといってもいい。

ただ、戦って負けるより、

さらに敗北感のあるものがある。

それは、戦わなかった敗北。

勝負をしないで、

戦わないで負ける。

実は、人生でこれほど

もったいないこともない。

本来、

勝つことは難しいことが多い。

それは、相手も同じこと。

相手も苦しみながら

勝とうとしている。

だとすれば、

負ける可能性が高い戦いでも、

戦った結果勝つことが

あるかもしれない。

もっといえば、戦って、

一生懸命力を尽くした上で負ければ、

自分自身が納得できる。

グッドルーザーという言葉もある。

不戦敗にしないことは大切なのだ。

もちろん、戦争のように

戦わないことを

まず第一に考えることが

大切なこともある。

だが、人生に大事な場面において、

戦わないで逃げることは

もったいない。

勝負はやってみなければ

わからない。

とにかく戦ってみて

自分の力を試してみる。

戦うことで自分の能力が

向上することもある。

戦わなかった敗北が

ない人生にしよう。

欠点も実力

 

(今日のコトバ)

 

欠点という専門領域にも、

未来は託せる。

 

 

人には欠点がある。

誇るよりは隠したい。

劣等感を感じる自分の能力。

だが、欠点はほんとうに

前向きになれない能力だろうか。

例えば、鈍感。

少し人より感じ方が鈍いことは、

人生で欠点だろうか。

時に欠点かもしれないが、

人生を挫けず生きていくためには、

鈍感ぐらいの方が

助かることが多々ある。

例えば、不器用。

器用でないから

習得するまで時間がかかるが、

愚直に何度も同じことを

やり遂げる力は、

器用な人よりあったりする。

例えば、無口。

雄弁に語る人より

PRは下手だが、

肝心なことを

べらべら話さないという

人としての安心感がある。

その他にもたくさんあるだろう。

欠点は角度を変えれば

実力にもなる。

そう思うと、

自分の欠点も愛しい。

欠点をしっかり見つめて、

どんな能力があるか

考えてみる。

欠点の実力も

捨てたものではないはずだ。

近くの人の価値を下げない

 

(今日のコトバ)

 

遠くの誇大広告ばかり見ていると、

近くの希少価値を見失ってしまう。

 

 

 

遠くのものは良く見える。

汚いものや粗が見えなくて、

キレイに見えてしまう。

風景でも、モノでも、

そして、人でも、

遠くにあると

良く見えてしまう。

特に、人は、

ヒーローだったり、

アイドルだったり、

カリスマだったり、

遠くにいれば

憧れているだけですむものが、

近くにいれば、

汚れた部分は見えてくるし、

たいしたことがない

部分も見えてくる。

嫌いな部分が

顕著になることさえある。

だからこそ、

遠くにいる人を

憧れるのはいいが、

近くにいる人の価値を

下げてしまうことは止めよう。

しっかり見れば、

とても素晴らしい人が

たくさんいる。

ただ、汚れた部分や粗が

見えていただけかもしれない。

遠くより近くにいる人には

お世話になっている確率も高い。

そのことを忘れず、

近くにいる人を大切にする。

忘れてはいけないことだ。