満足探し

(今日のコトバ)

 

欲しいものは、

いつだって少し手の届かないところにある。

 

 

願い事だったり、欲しいものだったり、

夢とまでいかなくても手に入れたいものは、

すぐに手に入らない距離にある。

否、すぐに手に入らないものを欲しがっているのかもしれない。

人は今ある現状と欲望の距離をうめることで、

満足しているといえる。

だとすれば、欲しいものを目的にして生きることは、

「満足探し」の人生ともいえる。

そして、満足して生きられれば、人は幸せになれる。

まず、欲望をもて。次に、欲しいものを手に入れるよう努力する。

手に入れたところで満足・達成感を得る。

その繰り返しが人を幸せにするのだ。

心の中に

(今日のコトバ)

 

失ったものも、心の中では財産になっている。

 

 

何もモノだけでなくて、人であっても、時であっても。

失ってしまうことがある。

目に見える現象・対象が無くなって、

悲しい思いに暮れることがある。

ただ、失ったものが、ほんとうにすべて無くなることはない。

心がある限り、心には経験したデータがストックされていて、

いつでも思い返せば引っ張り出せるはずだ。

もちろん、失わずに存在している方がいいのはわかっているが、

失ってみて、その価値をほんとうに知ることもあるはずだ。

また、本棚の一番奥にしまって二度と開かない本もある。

問題は、「あるか」「ないか」ではなく、

心に存在するかなのだ。心に思い出として記憶されれば、

すべてがあなたのものだ。それだけでいいこともある。

失って悲しいと思うのは仕方ない。

だが、心を開いてみれば、

素晴らしい思い出がそこに眠っているのだ。

働くことで人生はまわる

(今日のコトバ)

 

働けば、遊びの良さがわかる。

働けば、休みの良さがわかる。

働けば、働く良さがわかる。

 

 

働くことで、すべてがみえてくる。

愉しむこと。ゆとりをもつこと。楽すること。

そして、働くことの意味さえもよく理解できる。

苦しみとも、違う。悲しみとも、違う。

楽しみだけではない。おもしろさだけでもない。

希望にちょっと近くて、やりがいにもっと近い。

考えてみると働くという言葉は、定義しづらい気もする。

ただ、働くという一言で人間の本質を表してしまう。

実は、働くという言葉は、

人間という言葉に置き換えられるかもしれない。

働くという言葉を基準にすれば、すべてが理解できる。

働くという言葉を基準に、生きていくことができる。

「働く」ことで、人生はまわっているのかもしれない。

キレてしまうその前に

(今日のコトバ)

 

堪忍袋には、穴をあけておくのも良い。

 

 

キレてしまうと、今まで創り上げたものを

一瞬で失ってしまうことがある。

後で「もっと大人の対応をしておけば」と悔やむこともある。

当然、何を失ってもぶちキレなければならないときもある。

ただ、人生の中でキレてしまったときの代償はあまりにも大きい。

キレてしまったことで、永遠に繋がり失ってしまうもの。

一時は、腹立たしくてケンカをしても、冷静になると

それほど怒ることではなかったりすることがある。

また、勘違いしてキレてしまって、

気まずい思いをし、結局は謝らなければなることもある。

だが、もっとも危険なのは、

キレた相手がもっとも身近な友人、恋人だったりしたときだ。

とかく人は怒りはじめると、

腹の中にためておいたことをはき出してしまうと同時に、

心ない一言もいってしまったりする。

傷つける言葉のせいで、何十年と続いた人間同士の歴史が

音をたてて崩れていく。

これぼど人生の中で損なことはない。

だから、キレそうになったらワンテンポがまんしてみよう。

案外、キレるべき対象がたいしたことのないことだと理解できるときがある。

否、ほとんどが冷めてしまえばたいしたことがなかったりする。

堪忍袋に小さな穴をあけて、

簡単に緒が切れることのないように生きてみよう。

人は、つながりを切ってしまって生きていけない生き物なのだ。

グッド・パフォーマンス

(今日のコトバ)

 

万全な体制をみせると、

敵はグラグラ揺れてくる。

 

 

 

相手のメンバーを前にしただけで、

ビビリ、自分を失い、思うように力を発揮できない。

戦わずして負けてしまう。

相手が大きくて、強そうで、恐怖心で手も足もでない。

そういうこともある。

だが、反対に自分自身の準備が足りなくて、

相手が大きくて、強そうで、手も足も出なくなるというのが、

本当のところだと思う。

自分や自分達が万全な準備をし、

どのような状況でも対処できる自信があれば、

不安は最小限に食い止められる。

人によっては、本番前に強度の緊張に追い込まれることもあるが、

こういう人は、はじまってしまえば時間が立つほどに、

実力を発揮し最高のパフォーマンスをする。

心配はいらない部類の人だ。

だから、戦いの前には最善のトレーニングで準備を完了しておこう。

大人が子供と戦うとしたら恐怖感がないように、

自信があればグッド・パフォーマンスができるのだ。

 

夏の甲子園は早稲田実業が初優勝した。

今大会は、予選から逆転につぐ逆転で観客を魅了。

そして、決勝戦も球史に残る再試合という熱戦が行われた。

早稲田実業、駒大苫小牧ともに万全の準備をしての戦いだったのだろう。

できれば、両校優勝にしてあげたいぐらいだ。

夢が満ち満ちと

(今日のコトバ)

 

ドキュメンタリーを、

ファンタジーにして生きていこう。

 

 

毎日は何もしなくても過ぎていく。

仕事をしていても、学校にいっていても、

目的を持たなければ、ただ時間だけが加算されていく。

ほんとうに生きるとは、時間の中で何をしたか。

課題を解決しようとしたか。昨日より進化しようとしたか。

勝つための努力をしたか。それほど重く考えなくてもいい。

過去より何かをつかめれば、それは素晴らしいことだと思う。

そして、日々の生活のを大きな目的に向かって生きていれば、

その生活自体が幸せになる。

一日一日を大切に紡ぐことによって、

人生がドキュメンタリーから、ファンタジーになる。

ちょっと意識を変えるだけで、夢や希望と共に生きていける。

同じ一生なら、人生の目の前に夢が満ち満ちとある方がいいと思わないか。

 

 

黒澤明の「生きる」を観た。ただ判子を押すだけで、

毎日が過ぎていく市民課の課長が胃がんと知って、

残りわずかな人生を市民から要望のあった公園づくりに

全力をつくす、というストーリーの作品。

「生きる」は、生きながら目的もなく死んでいる人生があることと、

死期が迫って生きることの意味を見つけ出した人生を

見事なコントラストで表現している。

役所の一課長の凄まじい努力で、

市民の望んだ公園をつくってしまう。

ひとつの希望をもった人間が、

どれほど世の中を変えてしまえるかを

リアリティを持って教えてくれる。

ぜひ観ておきたい日本映画の秀作である。

未知に踏み出す楽しみ

(今日のコトバ)

 

未知だからこそ、足跡を自由に残せるのだ。

 

 

まだ誰も足を踏み入れたことがない。

不安はあるが踏み出してみる価値はある。

そこまで大袈裟でなくても、

自分としてはかなりの冒険で、

近くに先を走っている人がいないとき、

勇気を振り絞って歩み出せば、

足跡のすべてが歴史になる。

安全で誰かの足跡の後を歩けば、

想定外のことは起こらないかわりに、

ほぼ歴史にはなりにくい。

判断は、個人の自由だ。

だが、何かを残したいと思うのなら

未知の世界に足を踏み出すことは、

いちばんの近道だ。

そして、実は様々な想定外のことが起こるが、

その方がよっぽどやりがいがあって、

おもしろかったりもする。

タフで、メンタルに自信があるのなら、

新しい世界に足を踏み出そう。

人生は、一度しかないのだから。

人の気持ち理解する

(今日のコトバ)

 

チャンネルを合わせるだけで、

人生はよく見える。

 

 

観点がぼけていたり、

立ち位置が違っていたりすると、

物事の本質は見えてこない。

だが、本質がそれほど難しい問題かというと、

実は簡単な問題だったりする。

観点を捉え、正しい立ち位置に立てば、

「なーんだ、簡単じゃん」となる。

他人の言葉や噂のレベルだけを信じずに、

自分で正しいと思うべき方向を探る。

アンテナを張り巡らせ、

チャンネルをあわせる。

それだけでいい。

ただ、このチャンネルの合わせ方が問題だ。

むやみやたらに合わせても、

混乱するだけになる。

できれば、人の気持ちを理解する努力をして、

アンテナを張る。

つまり、人心掌握術に近い能力を

常日頃から訓練して養う。

この一点が優れていれば心配はいらない。

生きるめのチャンネルは合ってくる。

ポイントをはずさないで、

自分の人生を歩んでいけるはずだ。

夢中の力で自己ベスト

(今日のコトバ)

 

ベストは、ビッグウェーブの上にある。

 

 

どこがベストだったのか。

いつも考えるのだが、

自分にしても、他の人にても、

ベストの絶頂期にあるときは、

気づかずにいるのではないだろうか。

もっというと、大きな波に乗って

まだまだ行けそうなときこそが頂点であり、

一度その頂点から落ちてしまうと、

簡単に元に戻れる気がしているのに、

結果的にはどんどん戻れなくなる。

次第に戻ろうとする努力もあきらめ

「あのときが僕のピークだ」などと過去形で語ってしまう。

ベストとは、夢中でいるときに通り過ぎてしまう状態なのだ。

ということは、夢中でいれるときこそが

自分のベスト記録を出せるということもいえるのではないか。

ならば、夢中になるものを、夢中になる時間をつくろう。

夢中になれることに、熱中できれば絶頂期はまだまだやってくる。

夢中の力を借りて自己ベストを更新するのだ。

本物の人間力を尊敬する

(今日のコトバ)

 

尊敬されて生きるということは、

着飾って生きるより美しい。

 

 

数々の実績がある。生きてきた道も素晴らしい。

発言も一言一言含蓄がある。

こんな人の下で教えを受けたい。

こんな人と共に人生を歩みたい。

尊敬できる人の概念とは、

そういったことだろうか。

だとすれば、いま、一番尊敬という概念に当てはまるのは、

サッカー日本代表オシム監督ではないだろうか。

ユーゴスラビアをワールドカップでベスト8に導き、

ワールドカップ以降引き受けた監督では必ずチームを優勝に導いている。

ユーゴスラビアという国が内戦はじめ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、

セルビア・モンテネグロ、クロアチア、スロベキアなどに分割され、

故郷を失っても、サッカーの夢をあきらめない。

激動の人生経験から培った言葉ひとつひとつにも重みがあり、

耳にする人に深い感銘を与える。

尊敬とは、それぐらい重みがあるものかもしれない。

ただ、聖人君子にならなくても、オシム監督になれなくても、

自分の人生でコツコツと実績をつくる。

自分で信じた道を一歩一歩着実に歩く。

自分の言葉に責任をもって発言する。

そのことを肝に銘じるだけでも、

尊敬は生まれてくるはずだ。

かっこだけで尊敬できるとか、

中身のない美しさを尊敬する前に、

本物の人間の力を尊敬しよう。

正しく尊敬できれば、自分の人間力はもっとあがる。

仮にあがらなくても、尊敬されるという目標ができる。

人が尊敬できたら、人生はもっと素晴らしいじゃないか。

人に尊敬されたら、人生はもっと豊かになるじゃないか。

尊敬は、人生の大切なペースメーカーなのだ。

 

オシム・ジャパンはアジアカップでイエメンに、

2対0で勝利した。まだまだ連携はスムーズではないが、

この試練の中からサポーターが尊敬できる「日本化したサッカー」を

つくりあげてもらいたいものだ。