欲望のために立候補

(今日のコトバ)

 

「もっともっと」といったから、

多めにもらえたのだよ。

 

 

遠慮もたまには必要だけれど、

基本的には願望・希望を全面に出す方がいいと思う。

欲しいという意志表示がなければ、

人はモノをくれないし、

たくさん欲しいといえば、

在庫次第で数多くモノをくれるかもしれない。

ひかえめに、遠慮がちなポーズをとっていると、

ほとんどの場合損をする。

モノだけではなく、人生のあらゆる場面で、

欲望を理解させるか、させないかは、

手に握れるか、握れないかに匹敵する。

そう、「欲しい」「やりたい」という意志を提示するのだ。

人生は、何事も欲望のために立候補することからはじまる。

大切な誰かの手

(今日のコトバ)

 

手を差しのべてもらったことを、

すぐ忘れてしまう人間の手。

 

 

誰かに助けてもらったことを、

きちんと憶えているだろうか。

自分自身に置き換えてみると、

助けてあげたことは憶えているが、

助けてもらったことはよほど大事なことしか

憶えていないような気がする。

「あんなにしてあげたのに、、、」とは思っても、

「こんなにしてもらって、、、、」とはなかなか思わない。

だが、何十年と生きている以上、

誰の手も借りずに生きているはずがない。

愚痴を聞いてもらったことはないか。

弱音を吐いたことはないか。

お金を貸してもらったことはないか。

手伝ってものを運んだことはないか。

情熱をもらったことはないか。

勇気をもらったことはないか。

夢をもらったことはないか。

今日まで生きてくるのに力をもらったことはないか。

ほんの少しでいい。目を閉じて思い浮かべてほしい。

どんなに不幸だと思っても、

どんなに一人で生きていると思っても、

あなたは「大切な誰か」に支えられて生きてきた。

その気持ちを忘れずに生きてほしい。

誰かの手に引かれなければ、

人は成長できない生き物でもあるのだから。

太陽は心も殺菌する

(今日のコトバ)

 

晴れた日には、心も洗濯しよう。

 

 

東京は今日、思いっきり晴れ渡った。

今年は梅雨が長く、昨日も猛烈な雷で大雨が降り

スカッとしない日が続いたので、

今日の太陽は夏を満喫させてくれた。

晴れた日は、無条件で気分を良くしてくれる作用がある。

少々不愉快なことがあっても、外に出て散歩でもすれば、

落ち込んだ気分もまた回復するものだ。

太陽は洗濯物を乾かすだけでなく、殺菌作用もある。

この殺菌作用は、もしかして心にも効き目があるのかもしれない。

ただ太陽の下を歩くだけで機嫌が良くなり、元気が出てくる。

心にある悪玉菌を太陽が殺菌して、

モチベーションがあがる善玉菌を増やしてくれている気がする。

あまり長時間、太陽の下を歩いていると熱射病になるが、

朝の散歩やちょっと汗をかくぐらいのウォーキングは、

心のバランスを調整し気分を良くしてくる。

晴れた日は、外に出て心を洗濯してあげよう。

土壇場に支えてくれる人

(今日のコトバ)

 

小さな和の中にこそ、幸せがある。

 

 

自分が賞賛を浴びたとき、

本当に喜んでくれる人はどのぐらいいるだろう。

一時は、拍手をしたり、握手をしたり、抱きついたりしてくるが、

心から祝ってくる人は数少ないと思う。

敵はノーサイドということで握手はしても、悔しいに決まっている。

味方とてまったく同じ賞賛を浴びても、喜ぶ気持ちだけではない。

もっといえば、勝ち組の中にいてもレギュラーではなく、

自分の力を発揮せずに勝利の輪に入っていてたら、

嫉妬や悲しみさえわいてくる。

本当に、心の底から喜んでくれるのは、

身内とよばれ人だけではないだろか。

無償で喜んでくれるのは、家族とよべる人と師、

そして恋人とあとわずかのような気がする。

だからこそ、そのもっとも小さな単位の身近な人を

何よりも大切にしよう。

心の底から結びついてくれる人こそ、

あなたが土壇場になったときに

手を差し伸べてくれる人なのだから。

記憶のチカラ

(今日のコトバ)

 

デジカメは、

人の記憶より美しく昨日を再現できない。

 

 

時に記憶は人生の場面をデフォルメして再現する。

時に記憶はあらゆる時間を大胆に省略してしまう。

どちらかといえば汚い思い出というよりは、美しい思い出に。

どちらかといえば悲しい思い出というよりは、楽しい思い出に。

デジカメよりも、ムービーよりも、プリクラよりも、

都合良く再現する。都合良く編集する。

人間のもつこんなに素晴らしい機能を上手に使わないのは、もったいない。

なんでもかんでも映像に残して、手帳やアルバムにしまうのもいいが、

記憶のチカラというもの大事にするのもいいことだと思う。

記憶は人間が生きるためのドキュメンタリー機器であり、

記憶こそが人生の瞬間を捉え、

生きる道標を設定してくれるのだから。

 

沢木耕太郎の「無名」を読んだ。

著者の父の最期の日々を、無数の記憶を紡ぎながら

辿ったノンフィクションだ。

この作品に描かれている父と著者の日々は、

けして映像で残る親子ではなく、

記憶に残る父と子の目にはみえない物語だ。

それでいながら父をもつ人間なら誰もが共感できる

不変の記憶。映像に残した。だが、そこに何も残らない

人生を感じてる人へ。記憶のチカラが何かを教えてくれる作品だ。

チャンスと信頼は一心同体

(今日のコトバ)

 

人生は、ボールをパスされてナンボだ。

 

 

得点を決めたいけれど、

ボールは自分ではな味方プレーヤーがキープしている。

だが、声をかけても、オーバーなアクションをしても、

近づいていっても、パスは出てこない。

サッカーの試合だけではなく、人生でもこんな場面はあるはずだ。

「オレにまかせろ、絶対決めてやる」

「オレにやらせてくれ、得意なんだ」

「オレにやらせるべきだろう、普通なら」

様々な気持ちでチャンスを呼び込んでも、

自分以外の味方にわたってしまう。

悔しいけれど、どうしようもない。

チャンスをパスされるほど実力がない。

つまり、信頼されていないということ。

チャンスを受け取る人間には、信頼感が必ずある。

自分自身でも何かをまかせようと思ったら、

信頼できる人間から考えるはずだろう。

そう、チャンスと信頼は一心同体なのだ。

チャンスを得ようと思ったら、

まず、日頃から信頼を勝ち取ることからはじまるのだ。

なぜ、「勝ち取る」というのかといえば、

信頼をチャンスという言葉に置き換えられるからなのだ。

遅くはない、いまからでも遅くはない。

信頼を構築できる人生を。

太陽はその先に

(今日のコトバ)

 

フェンスの向こうには、

まだ見たことのない太陽がある。

 

 

扉を開くたびに新しい発見がある。

まだ見たことのないものとの遭遇。

まだ体験したことのない出来事。

感動だったり、驚きだったり、不安だったり、

恐怖だったり、新しいところへ足を踏み入れれば、

新鮮な感情が生まれる。同じ人生を歩むのなら、

毎日とはいわないまでも、新鮮な気持ちで生きていける

人生でありたいと思う。

そのためには、新しい扉を開くことも必要だろう。

壁の向こう側にいってみることも大切なはずだ。

勇気をもって、一歩を踏み出す。

太陽は、その先にあるのだから。

 

本日、オシム監督の初陣だ。

「日本らしいサッカーを追求したい」と

初心表明をした彼の哲学が日本代表の新しい扉を開く。

考えながら走るサッカーで、

最高の日本代表をつくりあげてほしい。

彼こそが日本サッカーの太陽だと信じて。

幸運は見えない道を走る

(今日のコトバ)

 

がんばってないところに、

幸運は生息しない。

 

 

 

幸運は、努力の延長線上にある。

黙って、何もしないで、幸運は寄りついてこない。

偶然のように、突然のように、

目の前に起こる幸運は、

頑張って、努力して創り上げた見えない道の上を

駆け足してあなたのもとにたどりついたのだ。

心がみえないように、

幸運がどこにあるかもわからない。

ただ、ひとことだけいえるのは、

汗を流して頑張った量に見合うだけの幸運が、

必ずあなたに与えられる。

時々、駆け足がのろくて忘れた頃にやってきたり、

時々、願うより早くやってきたりするが、

間違えなく頑張った大きさに比例して、

幸運は与えられる。

だからこそ、努力を忘れてはいけない。

忘れなければ、人生の行く先々で、

幸運というギフトがもらえるのだ。

経験上手

(今日のコトバ)

 

経験をたし算していけば、

やがて本能がかけ算してくる。

 

 

痛い思いも、辛い思いも、悲しい思いも、

一生という人生の中では、

嫌な記憶だけではない。

むしろ忘れられない経験を積むことで、

その後の人生を有意義に過ごせることがある。

たとえば、辛かった過去が長い時間をかけて

美しい思い出になることがある。

誰にでも記憶があるように、

酒でも飲みながら辛い昔話をしても、

結構笑い話になることもある。

かえってただ楽しいばかりの思い出の方が

記憶のページに残らなかったりする。

さらに、辛かった経験は人生にバネをつくる。

一度経験した辛さは、なんとか耐えることができたりする。

また、一度経験したからこそ、辛さにたいする対処方法を

考えることができるようになったりする。

さまざまな経験が増えれば増えるほど、

強くなれることもある。

だから、人生の中で経験を上手に生かそう。

経験をプラスに使えれば、

人生もプラスに動きだす。

そして、プラスに動きだした人生は、

いろいろな状況と結びつきながらかけ算しはじめる。

もっともっと貪欲に、人生に経験を。

脱温室

(今日のコトバ)

 

アウェーで戦え。アウェーで戦え。アウェーで戦え。

ホームへ帰る時、王者として凱旋できるように。

 

 

 

人は、外出て強くなる。

内にこもっていては、強くなることは難しい。

味方ではない人々と、どうやって戦っていくか、

あるいはどうやってコミュニケーションをとっていくかが

自分を鍛える最初の関門になる。

サッカーの試合ばかりではなく、人は一歩家から出たら

まさにアウェーといっていい洗礼を浴びる。

自分の所属しない学校や仕事や街では、

親身になって自分を守ってはくれない。

毎日、予測不可能な事態に遭遇する。

その厳しさの中から人は自分なりの処世術をみつけ、

生きるべき道を確認するのだ。

人が成長するには、温室から外に出て

アウェーとよばれる世界へどんどん踏み込むことが必要なのだ。

もし、いま自分にひ弱さをを感じていたら、

アウェーに足を踏み入れてみよう。

たいしたことはない、知らない世界へ一歩踏み込めばいいのだ。

慣れていけば、一歩、また一歩と前に進めばいい。

その直進力があなたの未来を大きく変える。

あなたの人生を大きく変えていくのだから。

 

情熱大陸でアンジェラ・アキのドキュメントをみた。

彼女の絶世の歌声は、いじめられたハーフとしての生い立ち、

日本でも、アメリカでもシンガーとして芽の出ない屈辱の日々という

アウェーの時代があったからこそ、「HOME」という名曲を

世に送り出し、自分のホームをみつけ、いま、

カリスマとして音楽界に凱旋できたのかもしれない。