敗者復活の力

(今日のコトバ)

 

人生は、みんな敗者復活戦を

勝ち上がってくる。

 

 

 

すべての人間が敗北を背負っている。

夢や希望とのギャップをうめられず敗れ去ることもある。

ただ、その敗北を自分の力で逆転しようとする意志から、

凄いドラマが生まれ、人間は進化していく。

敗者復活戦。

オリンピックの柔道の試合にもあるこの言葉こそ、

人生で一番大事なテーマなのではないだろうか。

敗北を背負ったまま終わらせない。

勝つためのチャンスは、一度では終わらない。

失敗してもいい。次に成功すればいい。

哲学といってもいいこの言葉に支えられて、

人間はもっと強く生きていけるのだ。

こんな時代だからこそ、

この言葉から力をかりて、

もっとポジティブに、もっと全力で生きるのも

素晴らしいことだと思う。

もし、一歩踏み出すことに躊躇している人がいるなら、

この敗者復活戦という言葉をそばにおいて、

思いっきり生きていくことをおすすめする。

夢を意識せよ

(今日のコトバ)

 

夢のために、自意識過剰であれ。

 

 

自分が叶えたい何かがあるなら、

言葉にして、行動にして、自分でキャンペーンを

はるべきだと思う。

他力本願だとか、以心伝心だとか、

夢だからとあやふやに考えていると、

ほぼ目的は達成できない。

幸運にして親の力で夢を叶えることができても、

自分の努力と意志がなければ、

夢もあっさり逃げていってしまう。

夢を実現したら維持することだって、

夢を叶えることの重要な役目なのだ。

とにかく、人生を賭けるほどの夢をもったのなら、

常に自分で意識して夢を描こう。

過剰なぐらい意識した方が、夢が具体的になりやすい。

ぜひ、意識することで大きな夢を実現してほしい。

ガキ大将で楽しめ

(今日のコトバ)

 

自分の中の「ガキ大将」を、

ひっぱり出して戦え。

 

 

大小にかかわらず危機的状況になると、

弱気な自分が首をもたげてくる。

本来はもっと強いはずなのに、

メンタルな部分で怯えてしまう。

誰にでも経験があることだと思う。

でも、その時、一歩引くのではなく、

一歩前へ出てしまえば、

状況は180°変わってしまう。

負けそうだとビビると相手から舐められる。

必要以上に相手を強気にさせ、

戦う前から勝負に負けてしまう。

反対に怖さはあっても一歩前に出て、

相手をのんでかかれば、

実力以上の結果を出せることもできる。

では、怖さを消して一歩前に出るにはどうするか。

ズバリ、楽しむことだ。

もっというと、楽しもうと意識することだ。

楽しめば、嫌なプレッシャーから解放される。

相手にリラックスして対峙できる。

プロの一流アスリートが、「絶対に勝ちます」と

いわなくなった。過度のプレッシャーをかけないようにしているのだ。

そして、「試合を楽しもう」というアスリートが増えている。

それは、本当に楽しもうという意味もあるが、

弱気や怖れから解放する意味も兼ねているのだ。

だから、何かのプレッシヤーに立ち向かう時には、

自分のエゴを思いっきり出してみよう。

その上で、楽しむという意識をもてば、

予想以上の結果を導き出せるはずだ。

ハッピーエンドになると信じて

(今日のコトバ)

 

ツイていない出来事は、

すべてハッピーエンドになるための

プロローグだ。

 

 

目的をもって行動しているのに、なかなか上手くいかない。

星占いの予言通りに悪いことばかり起こる。

苦しみがあまりに多いので、あきらめてしまう。

ツイていないと思うと、この世の終りぐらい

落ち込んでしまう時がある。

でも、ものは考えようだ。

はじめから予想以上に上手くいってしまうと、

目的を達成した時に感動が薄れてしまう。

どうせなら、映画のようにスタートでボコボコにされて、

おとしまえをつけながら目的に近づいていく方が、

よっぽどおもしろいはずだ。

立ち直れなほどの傷を追って、動けなくなることは困るが、

人生で出会うたいがいの壁は、

超えたいと念じて行動をしていけば超えられる。

ほとんどの場合、ハッピーエンドが用意されている。

だから、ツイていない出来事もポジティブに受け取ろう。

映画の主人公になったつもりで、

「このアクシデントは成功するためのプロローグだ」と信じてみよう。

近い将来、必ずハッピーになると信じて。

ドキドキを探しに

(今日のコトバ)

 

ドキドキしたら、

チャンスが到来している時なのだ。

 

 

「チャンスっていつくるの?」という人がいるが、

それは誰でもわかる。ドキドキしている時だ。

振り返って考えてみればわかる。ドキドキしたのはどんな時かを。

たとえば面接の時。自分の夢を叶えるためにドキドキしている。

たとえば試合の時。自分の誇りを勝ち取るためにドキドキしている。

たとえば告白の時。自分の愛を成就するためにドキドキしている。

また、たとえそれが謝りにいく時でも、怒られる時でも、

ここをのりこえれば問題が解決できるからこそドキドキしているのだ。

生きている瞬間でドキドキすれば、

その時すぐそばにチャンスが近づいている。

そう思えば、ドキドキするのも怖くない。

そう思えば、ドキドキするのも楽しくなる。

いま、チャンスが見出せないと嘆いている人がいたら、

ドキドキを探しにいこう。

きっと、チャンスはそこにいるのだから。

命は情熱に温められて

(今日のコトバ)

 

命は、たえず情熱で温めないと

生きていけない。

 

 

 

ゆっくり時間だけが流れていく。

ぼーっとしながら昨日と同じような今日がはじまる。

生きているのか、死んでいるのか、

境界線もわからない。

それも生き方かもしれない。

ただ、その生き方は長くは続かない。

生活というどうしょうもない時間がやってきて、

働いたり、学んだり、社会と接点をもたないと、

自由には生きていけない。

人間には命があり、何もしないと命は存続しないのだ。

ならば、この世界に誕生した喜びを

情熱に変えていきいき生きよう。

素晴らしい人生にするために、

かけがえのない人生にするために、

命に情熱が燃えていることを伝達しよう。

命は、情熱に温められて生きているのだから。

必ず誰かを

(今日のコトバ)

 

どんなちっぽけな存在でも、

誰かの支えになっている。

 

 

 

人は、人に支えられて生きている。

時々忘れてしまうけど、意識はしているはずだ。

反対に、自分が誰かの支えになっているかというと

自覚しないで生きていることが多いかもしれない。

ただ、考えてみてほしい。あなたがいなくなると困る人のことを。

あなたがいなくなると悲しむ人のことを。

人数に大小の差さえあれ、必ず誰かはいるはずだ。

孤独死などと新聞の紙面を飾ることもあるが、

死んだ人が誰かか知れば、必ず悲しむ人がいる。

どんなに敵が多くて嫌な人間でも、

その家族は、その人間を支えにしている。

生まれたての赤ん坊だって、

そのかわいい笑顔で親たちの心の支えになっている。

人間は、必ず誰かを支えて社会をつくっているのだ。

だから、自分の存在に自信をもとう。自分の存在に誇りをもとう。

過信は困る時もあるが、常に自分が誰かを支えているんだと

意識していけば、自分の生きる道もしっかり見えてくるはずだ。

おもしろい21世紀のために

(今日のコトバ)

 

ドンキホーテになっても、

想像はあきらめない。

 

 

 

考え発想することをやめてはいけない。

自分がやめた瞬間に自分が退化し、

日本人がやめた瞬間に日本が破滅し、

人類がやめた瞬間に地球が滅亡する。

想像力があったからこそ、

人類がこれだけ進化したのだ。

けれど、デジタルの時代になって

スピードが速まれば速まるほど、

新しい発想が失われようとしている。

現代の音楽なんて、

同じリズムの中に言葉をのせるだけの

ものがどんどん精密機械のように生産される。

ほんとうに表現したいものがあるなら、

まだ聞いたことのない音楽への挑戦があってしかるべきだ。

1970年代頃まではミュージシャン個々が強烈な個性をもち、

他のミュージシャンが真似できない音楽をつくっていた。

デジタルが進化し簡単に音楽がつくれるようになると、

オリジナリティは加速度的に失われていった。

文学だって、言葉を追いかけるうちに衝撃をうけ、

立ち上がれないほど感動をうれる作品にめぐりあえない。

日本だけでも三島由紀夫、安部公房、筒井康隆、寺山修司の

ような文才に肩を並べる作家は出現していないと思う。

海外だって同じことだと思う。

ただ、媒体が変わってマンガとなると、

ここまで凄いのか!と感動させらる作品が、

21世紀になっても発表されている。

手塚治だけではない才能があふれている。

だから、どんな世界でもいい。

ドンキホーテといわれるぐらいはみ出して、

自分の発想を発表しよう。

ドンキホーテがたくさんいる社会だったら、

おもしろいじゃないか。

すこし騒がしいかもしれないが、

日々刺激があってわくわくするじゃないか。

人間よ、もっともっと想像しよう。

そして、もっともっとおもしろい21世紀にしよう。

 

「コトバザウルス」は本日、満一周年を迎えました。

読んでいただいた皆様、ありがとうございます。

これからも、どんどん遊びに来てください。

人をほめる大切さ

(今日のコトバ)

 

人をほめてあげよう。

自分をほめるのは後でいい。

 

 

 

人をほめるには、能力がいる。

口先だけで、いいことをいっても相手には届かない。

よいしょするために、言葉を並べててもかっこ悪い。

ほんとうにほめてあげる相手のいいところを見つけて、

評価してあげることが大切だ。

自分でも気づかないところをほめられると、

心の底から喜べる。

新しい自分の能力に自身をもてる。

新鮮で、いい気持ちになれる。

まわりにる人にも、この気持ちを満喫させてあげよう。

いい気持ちをもらった人は、いい気持ちをくれた人に

悪い感情をもたない。

むしろ、気持ちと気持ちで結びつき友好が深まるはずだ。

自分をほめるより、よっぽど様々ものを得られると思う。

もっといえば、人をほめることで、自分をほめることと

限りなく近い状態になるといえる。

だからこそ、ちゃんとまわりの人を見て、

正しくほめてあげよう。

眼の仕業

(今日のコトバ)

 

人間を変えてしまうのは、

人間の眼だ。

 

 

 

自信をもつのは大切なことだ。

自ら実力を身につけプライドをもつ。

生きるための支柱にする。

当然のことだ。

ただ、もう一方に外的要因として、

人間の眼があると思う。

自己の力を発揮し注目を浴びる。

その視線を受けて自分からオーラを出す。

最初に実力ありきだが、顔がいいだけでも

脚光を浴びオーラを放つ人間もいる。

他人からの眼の力で、

自分の中にある何かを発しているのだ。

反対に蔑視の視線にさらされ、

人の輪から疎外されると、

自信を失った気持ちからみすぼらしくなり、

弱々しく、おどおどした人格にみられる。

これもまた、他人の眼の仕業である。

とすれば、この眼を利用しない手はない。

自分の自信に、他人の眼の力をプラスし、

人間の中から発する力を大きく燃え上がらせよう。

人間は、そのオーラに引きつけられる。

人間は、そのオーラを尊敬する。

そのオーラを激しく、大きく発した者が、

夢を叶えやすいポジションにつき、

時代を築いてしまうのだ。

 

堀江貴文が94日ぶりに保釈された。

彼は人間の「眼」でどう変わったのだろうか。

そして、どう変わるのだろうか。