幸運を数えて

(今日のコトバ)

 

いいことばかりじゃない。

じゃあ、いいこと数えたことある?

 

 

 

 

不満ばかりを並べて、成功した人ばかりをみて、

うらやましがっている。

自分は本当についていない、と。

でも、ついていないって言いきれるだろうか。

幸運や幸福がまったくなかったのだろうか。

たぶん忘れてしまっているだけだ。

人には、悪いことや不運もあるけれど、

同じように幸運もある。

ただ、不運や他人の幸せがあまりにもインパクトが強いので、

自分のちょっとばかりの幸運を忘れてしまう。

数えてみよう。一年の、一ヶ月の、一日の幸運を。

きっと、大小あれど、

幸運はたくさん数えられるのではないか。

そして、幸運を数えて生きる方がよっぽど楽しい。

嘘だと思ったら、一日一日、幸運を、いいことを数えて生きてみよう。

素晴らしい人生をおくっている自分を確認できるはずだ。

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

不便も大切

(今日のコトバ)

 

バーチャルな世界が発展すると、

リアルな世界が途上する。

 

 

 

人は不便をなくそうとして、

技術を進歩させた。

結果、人は便利になった。

ある意味、理想的な世界になったといってもいい。

でも、と思う。

便利になった人は、当然のごとく不便を嫌う。

便利なものへ、便利なものへシフトしていく。

その行く末は、デスクやベッドから一歩も動かず、

すべてが完了してしまう世界なのかもしれない。

とすると、実際に動いていない人は、

体験などできるはずもなく、

バーチャルな世界へと迷い込んでいく。

造られた世界なら、リアルな世界が存在しなくても、

疑似体験できてしまう。

体験しなくてはわからない、

苦しさ、痛み、かゆみ、暑さ、寒さ、筋肉痛、

すべて人の本能から忘れ去られてしまう。

それでは、人の機能は退化するばかりだ。

バーチャルな世界が進化するのはいい。

ただ、リアルは残さなければ、

人は生き続けられない。

だから、リアルを維持するためにも、

不便を大切にしよう。

不便であることが人の機能にどれだけ役立っているかを

考え、必要な不便を受け入れながら生きて行こう。

人に喜怒哀楽あるのも、この不便があるからこそ生まれているのだから。

明るさを伝播する

(今日のコトバ)

 

世の中が暗い明るい関係ない。

自分の明るさで世の中を照らすのだ。

 

 

 

景気、情勢不安、感染病の流行などで、

世の中が暗い時がある。

人間のあらゆる努力で状況を立て直そうとするが、

なかなか解決しない。

そんな時は、人間のもつ明るさで、

街を、国を、照らすことが大切だ。

人間の明るさは、感染病に負けずに伝播する。

明るい仲間のところに身をおくと自然に楽しくなる。

環境が明るい話題を提供しないなら、

人間が明るい環境をつくるのだ。

厳しい世の中では厳しさを要求されてるが、

それと人間の明るさは関係ない。

否、関係させてはいけない。

人間は生きるために人間の明るさを捨ててはいけない。

悲惨を知りパワーをつくる

(今日のコトバ)

 

勇気がなくなった時、

自分より悲惨な人を思い浮かべろ。

 

 

 

どうしてもがんばれない。どうしても勇気をもてない。

弱った時、人は強く一歩前へ踏み出そうとする力が発揮できない。

どうやってモチベーションをあげ、明日に向かうのか。

ベストの選択とはいいがたいが、

いまの自分より悲惨で苦しんでいる人を

思い浮かべるのもひとつの方法だ。

不思議なもので自分より弱っている人をみると、

自分の中に何かをしなければいけないという力が湧くことがある。

その力を利用して、後ろ向きになった気持ちを

前向きにチェンジする。

人生は、いろいろなバランスで成り立っている。

つまり、悲惨な人を知ることで、

自分の現状がいかに恵まれているかを確認している。

ネガティブなメッセージも

ポジティブなパワーをつくる源になりうるのだ。

赤信号を知らせよう

(今日のコトバ)

 

危険信号は、誇大広告でいい。

 

 

 

いっぱいいっぱいになった時、

あぶなくなった時、

声に出して危険領域にいることを発信できればいいが、

存在を隠し殻にとじこもって、

危険信号を点滅できない人がいる。

世間は、他人は、よほど身に迫らなければ、

危険信号を察知しない。

なんでもかんでもいい。

自分が赤信号だということを伝えよう。

誰かが赤信号を知ることで、

救う方法を教えてくれるかもしれない。

失ったものを回復するための

アドバイスをしてくれるかもしれない。

とにかく、自分の信号を送ろう。

そこから様々なものが解決していくはずだ。

集中して心を読む

(今日のコトバ)

 

目と目があう回数が、

心と心があう回数だ。

 

 

 

特に人を好きになっていく過程で、

視線と視線があうと何かが通じ合っている気がする。

試合中にアイコンタクトをして、次のプレイを

展開するときも何かが通じていいプレイにつながる。

その何かこそ、心なのだと思う。

揺れ動きやすい心が、一点を見つめる。

集中して心を読む。

そのことによって、

意志疎通がスムーズになり、

お互いの生き方が同じ方向に向かう。

いま、同じ方向に生きていきたい人がいるなら、

目と目をあわす回数を増やし、

心と心を通じ合わせることだ。

きっと、ひとつの目的に向かって

良い方向に動き出せるはずだ。

失踪した心を捜してくれるのは言葉

(今日のコトバ)

 

胸にポカッとあいた穴は、人間にしか埋められない。

 

 

 

寂しかったり、悲しかったり、虚無感だったり。

なにもできずにボーッとして

毎日が過ぎていってしまう。

原因はいろいろあるけれど、ほとんどの場合、

何かを失ったしまったことに始まっている。

死、別れ、失敗、裏切り、、、、。

失ったことで心の位置が定まらない。

心ごとどこかへ行ってしまった。

そして、心がどうしていいかわからない日々が続いていく。

処方箋はないのか。

ある。

それは人間の心からの言葉だ。

回復には多少時間がかかる。

たが、人間の輪から離れてはいけない。

人間の言葉のたき火にあたることを忘れてはいけない。

真摯に考えて言葉をかけてくれる人を大切にする。

なにげなく普通に話してくれる人の言葉に聞き耳をたてる。

それらが失踪した心を捜してくれ、

それらが心の位置を元に戻してくれる。

自分から人間に、人間の言葉に、近づいていこう。

きっと、胸にむあいた穴は、言葉たちが埋めてくれる。

まっすぐ生きる

(今日のコトバ)

 

保身というやつは、いつの間にか身につく。

 

 

 

利権をもつ位になると、人は利権を守るために生きていく。

既得権益ともよばれるが、利益を確保できる立場になると、

それまでの純粋な向上心や目標達成への意欲とは異なる、

保身という項目を生きるための時間割に組み込んでしまう。

それが、意識的にやっている人もいるだろうが、たいがいは、

知らず知らずのうちに身についてしまい、突然、自分の行動や

仲間からの批判などで気づく場合も多い。

顔つきが悪くなることで、他人の目にも明らかになってしまうことがある。

一度手に入れた地位を拒否したり、おいしい思いができる肩書きを

捨てることなんてできない。

否、捨てないために高い目標を掲げ追求するのは悪いことではない。

ただ、地位確保のために後から来る人間にもぐら叩きをしたり、

弱い立場の人間を不当に利用したりしてしまうのは、

人の道から外れる行為であるはずだ。

その道に外れないように自分でガイドラインをつくり、

まっすぐに生きる。簡単ではないが、肝に銘じる必要があるのではないか。

保身ばっかり考えてしまった国家が、勤勉な国民たちに多大な借金を

押し付けているどっかの国のようにならない。

せめて、個々人はまっすぐ生きていく、そうありたいものだ。

 

マンション耐震強度偽造問題で、登場する建築した側の人々の顔、顔、顔、、、、、

保身が顔に書いてあるようだ。ほんとうは住む人のためより利権ばかりを

考えいたのではないだろうか。購入した住民の人たちのために、安全と安心を

早く確保してあげてほしいと思う。

夢を意識せよ

(今日のコトバ)

 

 

夢が始まった後も、夢は続く。

夢が終った後も、夢は続く。

夢は人生のペースメーカーだ。

 

 

 

生きてると、希望と失望の連続だ。

そのポジティブ領域とネガティブ領域のはざまに、

人生の悲喜劇がある。

その人生がすがりつくのが、夢だ。

大きい夢、小さい夢あれど、

人の心には夢が生きていて、

走るためのエンジンとなる。

ならば、その夢を人生の中で、

もっと意識して生きたら、

スピードを速めた生き方ができるのではないか。

生き急ぐのではなく、

夢へ近づくためにスピードをあげるのだ。

そう、自分が描いた理想を

短い時間で実現するために。

夢を意識することは、

人生を素晴らしくするためのステップだ。

見識という勘

(今日のコトバ)

 

逃げるのではない。よけるだけだ。

 

 

 

逃げてしまうと、カッコ悪いし、

後ろ指をさされたりして、

自分自身にも嫌な気持ちが残る。

限りなく負けに近い気分になる。

でも、人生ではどうしても、

真正面からぶちあたれないこともある。

そんな時は、よけたり、かわしたりするのも

生きるための術だと思う。

危ない場面を想定したら、

その場所にいない。

その場所にいて、何かされて逃げるより、

いなければ痛い目にあわずにすむ。

つまり、あらゆる危険な事態に遭遇しないのも、

見識という勘が働くことなのだ。

生きていくために、

よけるという見識をもとう。