支え合いで生きている

 

(今日のコトバ)

 

何度、

「そばにいるよ」と

いわれただろう。

何度、

「そばにいるよ」と

いっただろう。

いわれた数だけ強くなり、

いった数だけ優しくなった。

 

 

 

どれだけ人に

支えてもらっただろう。

人生が困難な時、

いろいろな人に支えてもらった。

家族、恋人、友人、先生、先輩、

同僚、後輩、、。

その人がいるから、

いまの自分があると

思うこともある。

反対に、数は少なくても、

誰かが困った時、

自分が支えたことも

あったと思う。

その人のためにと

力を発揮した。

人間社会とは、

支え合いでできている。

自分の欠けたところを

誰かに補ってもらう。

誰かの欠けたところを

自分が補う。

そのことを忘れずに

生きていけば、

人間として強くなり、

人間として優しくなれる。

人間社会で

役立つことができるのだ。

 

 

目覚めたら幸せ

 

(今日のコトバ)

 

目覚めて今日になっていたら、

朝一番の幸せを

もらったことになる。

 

 

目覚めた。

今日一日が始まる。

また、今日一日、

人生を楽しめるのだ。

能天気のように書いているが、

結構本気で書いている。

昨日までをリセットして、

今日に取り組める。

人生は一日という時間をくれた。

この一日は、幸せや楽しいことを

更新してくれる。

生きることが

素晴らしいことだと思える。

もちろん、

嫌なことや不幸だと

思うこともある。

それでも、生きていけることは

人生にプラスが多い。

だからこそ、

朝、目覚めたら幸せをもらったと

喜んで起きてみよう。

一日を機嫌よく

スタートできるはずだ。

 

人生に「もしも」を

 

(今日のコトバ)

 

「もしも」という言葉は、

希望でできている。

 

 

 

いろいろな言葉がある。

その中で

いちばん未来を予感させる言葉は

何だろう。

思いつくのが

「もしも」

「もしも何々だったら?」

そう思うと想像が膨らむ。

継続性の気持ちも伝わる。

生きていく毎日の中に

「もしも」があったら、

何と未来志向なのかとも思う。

振り返って、

自分の人生に「もしも」はあるか。

もしあるなら、

自分はいま未来に

動いているといっていい。

反対に、「もしも」がなければ

人生が停滞している

可能性がある。

だからこそ、

「もしも」がある人生を

送っていきたい。

「もしも」と思うことがあれば

自分は未来志向にある。

前向きに生きていると

いっていいのだ。

誰かの本当のつらさをわかってあげる

 

(今日のコトバ)

 

「大丈夫!」の言葉の裏で、

悲鳴が右往左往している。

 

 

いつもニコニコしている。

いつも明るくしてくれる。

「大丈夫!大丈夫!」と

笑っている。

ただ、そんな人でも、

実生活になれば、

辛いこと、

悲しいこともあるはず。

決して顔では見せないが、

「しんどいな」と

思っていることもあるはず。

もし、

自分に優しさがあるとしたら、

その裏の顔というか、

本音のところをすくってあげて、

相手を思いやることも大切だ。

生きている人で、

しんどいことのない人などいない。

そのしんどさを

少しでも分かちあってあげれば

救いなることもある。

「誰かの本当のつらさを

わかってあげる」

自分だけで

生きていけない世の中で

大切なことだと思う。

 

才能は人間の特権

 

(今日のコトバ)

 

一秒、一分、一時間、

一週、一年、そして、

一生を生きていくと、

同じ生きものの人間が、

まったく違う

生きものになっていく。

 

 

 

一生とは凄いものだ。

人間が同じように生きても、

まったく違う人間として

進化する。

同じような学歴、

同じような仕事、

同じような環境、、。

なのにまったく異なる

生きものになる人間。

遺伝もあるだろう。

環境は同じでも

出会った経験が

違うこともあるだろう。

もちろん、性格もある。

だが、人間は

まったく異なる生きものに

なっていく。

不思議だ。

知能が発達した生きものだからか、

世の中という舞台で、

人間の数だけ

異なった配役が用意される。

どうしてかはわからない。

ただ、異なるということは、

人と違った部分があるということ。

違った部分には才能が宿っている。

その才能を活かして生けるのは

人間の特権。

その特権を有効に使って

生きていきたいものだ。

悔しさという本能を生む敗北

 

(今日のコトバ)

 

悔しが本能を目覚めさせたら、

敗北もまた成功である。

 

 

負けた時の悔しさは、

人生の悔しさのベストを

選ぶ時、必ず入ってくる。

誰の人生でも

目標を設定したら、

勝負という戦いが待っている。

その戦いで負けたら、

最高の悔しさを感じる。

その時ほど

気落ちすることもないが、

本能として勝ちたいと

思うこともない。

この本能を感じることは、

生きていてそうそうない。

勝ったり、成功したりしても、

本能を感じることは

あまりない。

悔しさの中にある本能を

感じるには敗北が一番だ。

そして、悔しいと思って

本能が動き出して、

勝ちたい、

成功したいと思ったら、

その人間の人生として

素晴らしいことではないか。

悔しさという本能を生む敗北。

それは人生の宝物。

そう思って生きれば、

敗北も自分の武器になる。

 

エネルギーの源泉にマイナスの状況がある

 

(今日のコトバ)

 

マイナスの状況は、

プラスの情熱を発電しやすい。

 

 

毎日生きていると、

マイナスの状況に陥る日もある。

どんなに前向きな考え方の

持ち主でも、

状況は厳しいと思う。

そんな時、

ふと思うのが

マイナス状況の時ほど、

自分のエネルギーを使う。

言葉を選べば、

プラスのエネルギーで

挑んでいるともいえる。

だからこそ、

マイナスの状況を

マイナスに捉えるのではなく、

プラスのエネルギーを発電するには

いいチャンスと考える。

追い込まれた時、

自分がどんな力を発揮するか。

そのエネルギーの源泉に

マイナスの状況がある。

そう思って

生きてもいいと思う。

約束が信じられる生き方

 

(今日のコトバ)

 

約束は、

いちばんあたたかい

未来をつくる。

 

 

約束。

口約束。

何も契約書を交わすわけでもなく、

ただ、言葉だけの決め事。

言葉が通じていれば、

この人はやってくれる、、。

裏切らない、、。

信頼できる、、。

簡単な言葉だけど、

何とあたたかい言葉だろう。

「彼と約束したんだ」

というからには

信じる気持ちがそこにある。

もちろん、約束しても

裏切られることもある。

酷い目に会うこともある。

ただ、それでも約束は、

血の通った、気持ちのある

言葉だ。

その約束という言葉を

信じて生きていけたら、

素晴らしい人生になる。

だからこそ、

約束を大切にして

生きていきたいと思う。

 

 

続編になればなるほど素敵になるもの

 

(今日のコトバ)

 

夢は、続編も傑作になる。

 

 

 

「続編に傑作なし」

映画などでよく語られる言葉だ。

確かに、「続・〇〇」や

「〇〇〇〇バート2」という作品で、

最初の作品を超えたものは

あまり記憶にない。

最初の作品が良いと、

続編には期待値も上がる。

必然的に厳しい目も向けられ、

作品の出来不出来以上の

プレッシャーがかかってしまう。

続編といわれるものには、

大なり小なりしんどい状況になる。

ただ、夢はどうだろう。

夢が叶って成功しても、

夢破れて失敗しても、

意志があれば続編はつくれる。

その夢の続編に対して、

最初の夢より

素晴らしい夢にならないと

思うだろうか。

本人は思わないだろうし、

まわりの人も思わない。

もっというと、

夢から夢へ前進すると、

新しい夢の方が

素晴らしいことが多い。

続編になればなるほど

素晴らしくなる

といってもいい。

たった一度の人生、

そう信じて生きるのも

素敵なことだ。

 

欠点をメリットに

 

(今日のコトバ)

 

欠点は生まれつき

欠けているから、

そこに自分の視野が生まれ、

そこに自分の形が生まれる。

 

 

欠点がある。

生まれつきといっていい。

治しようのない自分の癖。

一生物といってもいい。

ただ、

それは社会の仕組みから

考えると欠点というだけであって、

見方を変えれば、

自分の強みにもなる。

例えば、鈍感。

仕事の中で

敏感に感じてくれないと

困る場面はあるが、

あまり理解できない。

仕事では困るかもしれない。

ただ、生きるためには

鈍感だから

神経がすり減らずに済むことは

多々ある。

気にしないと

ふてぶてしく生きていける。

メンタルが強い要因にもなる。

一例だがそれだけではない

欠点の強みはたくさんある。

自分が生きていく道に合わせて

欠点がいかに有効になるか。

確かめながら生きるのも

ワルくないと思う。