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(今日のコトバ)
準備とは、
明日を生きるための地図になる。
人は生きるため準備する。
毎日が未来のための
準備といってもいい。
「明日どうしようか?」と考え、
逆算して準備をする。
今日という日が
明日への準備でできている
といっても過言ではない。
だとすれば、
準備をすることは未来への投資になる。
「いい準備をしたい」ということは、
「いい未来にしたい」にそのまま通じる。
だからこそ、
たかが準備と思わず、
一つ一つ丁寧に準備をする。
そのことが結果、
いい未来をつくることになる。
誰もが今日より素晴らしい明日を
目指して生きている。
その素晴らしい明日をつくるために
準備がある。
準備ほど人生にとって
貴重なものはない。
そう信じていいと思う。
(今日のコトバ)
器は小さくても
あふれそうな幸せがある。
器は大きくても
ほとんど幸せではない。
どっちがいい?
ほんとうは自分サイズの
幸せがあればいい。
仮に、見に余る幸せがあっても、
使い切れなければ、
どこかで幸せを捨てるしかない。
欲張って幸せを抱えても、
転んでしまうかもしれない。
反対に、小さな幸せでも、
自分が持てる大きさなら、
長く持ち続けることもできる。
小さな幸せでも長く続くもの方が、
大きな幸せが一瞬届くより、
ほんとうの意味で幸せだ。
ただ、人は目の前にした幸せに
飛びつこうとする。
自分の身の丈に合わない幸せでも
奪おうとする。
そんなことにならないために、
幸せに基準をつくってはどうだろう。
長く自分を
幸せにしてくれたものは何だ?
あたりまえのようだけど、
確実な幸せは何だ?
その答えを出しておけば、
大きな幸せと対峙しても
間違わなくてすむ。
身の丈に合った幸せと共に、
ほんとうに幸せな人生を
過ごせるはずた。
(今日のコトバ)
勝利は輝きを授けてくれる。
敗北は磨きをかけてくれる。
勝負には、勝ち負けがある。
心情的には、勝ちたい、と思う。
ほとんどの場合、
勝った方が自分にとって
メリットのあることが多い。
だが、年齢を重ねると、
負けることも多くの財産を
授けてくれることに気づく。
むしろ、
負けた方がその後の人生にとって、
有益なものを与えてくれる。
やるべきこと、
やってはいけないことを明快にしてくれ、
どう生きればいいか理解できる。
負けることによって、
足りないものがわかる。
さらには、生きることに
タフになることもある。
だからこそ、
勝負の結果は、
勝っても、負けても、
財産になると信じて生きる。
勝利は輝きを授けてくれ、
敗北は磨きをかけてくれる。
どちらも生きるために
大切なものなのだ。
(今日のコトバ)
人生は、未完成という名の完成品。
人生に完成はない。
しいていえば、
命が果てた時かもしれないが、
それでも完成とはいい難い。
いのちが終わるその瞬間より、
絶好調で頂点を極めた時の方が
完成に近い気もする。
しかし、それも完成ではない。
結局、人生は未完成。
どこかで完成を目指しながら、
未完成のまま終わる。
言葉を変えると永遠の未完成。
それもワルくない。
いつも未完成の気持ちを持ちながら、
完成を目指す人生。
だからこそ、
夢や目標ができる。
そこへ向かって切磋琢磨できる。
人生を素晴らしいものにするために
未完成という言葉は、
羅針盤になるのだ。
(今日のコトバ)
決断は、未来を自分のものにすること。
何事も決意、
何事も決断が必要。
腹の括りがないと、
あきらめがすぐにやってくる。
「もう辞めよう」という気持ちが
割と簡単にわいてくる。
反対に、決断すれば
決めた道を進むしかない。
ということは、
意志を未来にたくすということでもある。
決断は未来を決める。
そう考えると、
これからの人生を決める時、
意識して決断していくことは、
自分の方向性を
ブレることなく生きることになる。
もし、いま、
人生の大一番と呼べる目標があるなら、
決断することは有効。
意志を持って臨む。
意志を持って辞める。
意志の決定事項である決断は、
人生の未来に光をあててくれる。
人生に強い意志を持って
生きていけるはずだ。
(今日のコトバ)
世界で一つしかない才能と、
地球で一度しか刻まない時間が
交差するところに、「あなた」がいる。
いま、あなたが生きていることは
すべてが奇跡。
もう生きているだけで運があり、
生きているだけで、
最高の環境に与えられている。
最近、そんなことを思う。
自分一人で生きていくなんて、
絶対にできない。
何かをすれば、
何かに支えられる、
何かに助けてもらう。
その何かが、日々変わり、
手を差し伸べてくれる。
有史以来、人間が進化する上で、
加速度的に人を支える機能を生み出した。
その結果が現在という奇跡の時代を
つくっている。
いま、自分の生きる状況が良くないと
思っている人は、
自分の現状を見つめ直してみよう。
どれだけ支えられているか。
どれだけ恵まれているか。
その状況を理解できたら、
自分は奇跡の中で
生きていると思える。
そんな気がするのだ。
(今日のコトバ)
積極性は、幸せ育ち。
気持ちが積極的になる。
何か問題を抱えていたり、
辛い思いをしていては、
積極的にはならない。
夢や目標があったり、
挑戦すべきテーマがあったりすると
積極的になれる。
ただ、そんな気持ちになるには、
前提となる条件がある。
それは、いまの自分が
幸せな環境にあること。
夢や目標を追える、
挑戦できる環境とは、
自分が成長できる環境。
幸せが整っていなければ、
生まれない環境でもある。
もちろん、環境が最低だからこそ、
夢や目標を追うこともある。
ただ、それでも夢や目標を追えるのは、
どこかに幸せがあるから。
まったく、幸せでない状況で
夢や目標は追えない。
だとすれば、
自分が積極的になれる環境を
つくれれば、
幸せになれるともいえる。
「積極的」
そんな気持ちを持てる自分になる。
人生において大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
尊敬できる敵をつくれ。
やがて、夢へ導く人となり、
目標へ導く人なり、親友になる。
友達にもいろいなタイプがいる。
気があって仲良くなる友達。
同じような経験をした友達。
ひとつのゴールを目指した仲の友達、、。
それらと別に特別な友達がいる。
それは、ライバルと呼べる友達。
いつも敵であり、敵チームであって、
競い合う間柄。
本来は、戦うために弱点を突き、
痛い思いをさせ、
勝ち抜かなければいけない相手。
だが、そのライバルも長く続くと、
勝負を越えて、
何か共感するものが生まれる。
具体的にいうと、
同じ苦しみを
共有する者同士ということ。
同じ戦いの場にいて、
同じゴールを目指す。
ひとつ勝負のために切磋琢磨する。
きっと、戦いに関係ない人では
わからないことを、
二人ならわかってしまう。
戦いを通じて同じ気持ちになる。
友達や親友になる要素は
たくさんあるのだ。
だからこそ、
自分のカテゴリーで
ライバルと呼べる人がいたら
踏み込んで友達になってみよう。
意外と自分の悩み答えを知ってたり、
相手の傷の治し方を知ってたり、
真の友達というにふさわしい
人であることがわかる。
自分に友達がいないと思ったら、
ライバルと呼べる人を捜せ。
その人は友達になる、
親友になる可能性大だ。
(今日のコトバ)
優しさをもらったということは、
あの人の人生をもらったということ。
大切にしなければいけない。
誰かに優しくしてもらう。
長い人生のうち、
誰にでも経験のあることだ。
人によっては、
日々、優しくしてもらって、
ありがたさを感じない人もいるだろう。
また、あまり優しくされたことがなくて、
ありがたいと思わない人もいるだろう。
ただ、どんな人も優しさは
人の人生から提供されたものと
考えたらどうだろう。
誰かの人生の一部をもらっている。
そう思うと、
優しさの価値が大きく上がる気がする。
そして、たしかに誰かは、
人生のあらゆるものを使って、
優しさを届けてくれている。
だからこそ、
優しくしてくれた人は
大切にしなければいけない。
この広い世界で自分に
優しくしてくれる人が
どれだけいるだろう。
優しくしてくれたすべての人に
感謝してもいい。
人生で優しくしてくれた人を
大切にしよう。
(今日のコトバ)
自分の人生に似合う言葉を見つけよう。
その人のよく使う言葉が
その人を現わしている。
その人の人柄をいう時、
言葉の節々から想像して人柄を決める。
口癖だったり、
イントネーションだったり、
口数だったり、、。
結局、自分の頭にあることを
伝えるために最適な言葉を使う。
だから、
言葉から人を判断するのは、
それほど間違っていないと思う。
もろちん、
言葉が汚いけどあたたかい人や
口数が少ないけど気の利く人など、
言葉だけでは判断できない人もいる。
ただ、たいていの人は、
言葉がその人を現わしている。
そう考えると、
自分に一番似合う言葉は何か?
似合う言葉を使っているか?
で、自分の気持ちを探る。
まわりに聞いてもいい。
自分を現わす言葉を知って、
人生の羅針盤にする。
人生を快適な方向へ
進めていく上で、
とても大切なことだと思う。
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