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(今日のコトバ)
あなたが負けた時、
誰かが勝ってる。
あなたが損した時、
誰かが得してる。
あなたが失敗した時、
誰かが成功してる。
そんなあなただから、
誰かの役に立ってる。
誰かの役に立つ。
それは何も凄いことを
するばかりではない。
例えば、負けることであっても
敵が勝者になれば、
敵の喜びのためになることもある。
広い意味で
敵の役に立っているかもしれない。
勝者に歓喜の気持ちや幸せを
与えたのは敗者の存在だ。
そう考えると、
人の役に立つことはあまりに多い。
助ける、救う、導く、教えるなど、
役に立つこともあるが、
負ける、損する、失敗するなど、
役に立たないようなことも、
場合によっては役立ってる。
だからこそ、
「自分が誰の役にも立っていない」
などと思わないで生きていこう。
人と人が交われば、
どこかで役立つ。
どこかで補完しあっている。
生きていることは、
それだけで誰かの役に
立っているのだ。
(今日のコトバ)
時間を宝の山にするか。
時間をゴミの山にするか。
自分次第で
時間という山の景色は変えられる。
生きることは、
時間とどう付き合うか
ということ。
上手に使えば、
時間は人生に
素晴らしいギフトをくれる。
反対に、
惰性に流れてしまうと、
何の役にも立たないものに
なってしまう。
本当に自分次第。
もっというと、
どういう人生を
送りたいかから逆算して、
時間をどう機能させるかが大事。
あまりにも何も考えずに
生きると損をしてしまう。
時間は生きものであるということを
意識していく。
人生を有意義にしていくために
大切なことだ。
(今日のコトバ)
あふれる涙は、
心に残した「優しさ」でした。
嬉しいこと。
悲しいこと。
悔しいこと。
感動すること。
感激すること、、。
感情が高ぶった場面で、
人は涙を流す。
その涙の成分って、
何だろうと時々考える。
答えは一つではないし、
人によっての違いもあるだろう。
ただ、
こうはいえないだろうか。
心に残った優しさが涙になる、と。
人に対する優しさ、
自分に対する優しさの
二つの心に残った優しさが
涙の素になる。
嬉しさや感動は、
人と共有できる優しさあふれること。
悲しさや悔しさは、
自分の気持ちから
優しさが生まれること。
そう思うと、
涙を流すこともワルくない。
我慢して泣かないことが
強い人間とも思わない。
涙は自分の優しさの確認だ
と思って生きるてみる。
自分の中に不純物を溜めないで
生きる方法だと思う。
(今日のコトバ)
時の速さに合わせて、
自分が走るのではない。
自分の速さに合わせて、
時を走らせるのだ。
時間をどう使うか?
人生を自分の思いのままに
するためには、
一番大切なことだと思う。
だとしたら、
時間とどう対峙するかを
考えるべき。
そのために、
時間が自分の意志に反して
決められないように
生きることが必要。
あくまでも、自分の意志で
時間を管理する。
そこがポイント。
自分の意志で管理できれば、
時間を有意義に使える。
働く。学ぶ。遊ぶ。休む、、。
生活のあれやこれやを
他人の意志の下で動かされ、
自分の知らないところで
行動を決められては、
ストレスを生む原因に
なってしまう。
だからこそ、
時間は自分で管理する。
自分で管理すれば、
その中で
自分のパフォーマンスができる。
そこが、
人生を思いのままにしていく秘訣。
時間を自分のものにすることを
大切にしよう。
(今日のコトバ)
どんなに遅くてもいい。
どんなに離れてもいい。
どんなにかっこワルくてもいい。
目的地にたどり着いた人は
人生を誇っていい。
人生はゴールのないマラソン。
そう例える人がいる。
その考え方が
正しいか正しくないかは
さておき、
長い距離を歩き続けることは
間違いないだろう。
その中で、人生の課題を
簡単にクリアできるものと
そうでないものがある。
ただ、人生を今日まで
生きてきたということは、
なんとか
乗り越えてきたといっていい。
クリアというほど
かっこ良いものでは
ないかもしれないが、
ギリギリでも乗り越えてきた。
だとすれば、
すべての人生の課題において、
解決できてきたといっていい。
ここまで生きてきただけでも
大変な結果なのだ。
今日を生きる人は、
ここまで生きてきたという
誇りを持っていい。
誰も同じ道を歩めない人生。
その険しい道のりを
歩いてきた自分に拍手。
それぐらい自分をほめて
いいのではないだろうか。
(今日のコトバ)
涙は、
心をカタチにできる
たった一つの奇跡。
心はカタチにできない。
いくら言葉にしても、
心と完全に一致するかというと
そうとは限らない。
笑いながら怒る人もいれば、
泣きながら笑う人もいる。
言い訳している人は、
本音を隠してる。
嘘をついている人は、
心と言動を一致させていない。
ただ、涙は限りなく
心のままのような気がする。
悲しくて涙がでる。
嬉しくて涙がでる。
その二つの気持ちの前に心がある。
そして、涙はカタチになる。
心をカタチにできるものなど
他にはない。
そう思うと、
涙があふれることは、
人間にとって奇跡の瞬間なのだ。
だからこそ、
涙があふれる瞬間を
大切にしたいし、
むやみに涙を我慢することは
ないと思うのだ。
(今日のコトバ)
神様は膨大な案件を
かかえている。
すぐれた夢でなければ、
人間に手を貸してはくれない。
〇〇の神頼みという。
プラスの力を必要としていて、
神様に頼んでみる。
本当に力を貸してくれるとは
思っていないが、
神様にも力を貸して欲しいと
思うぐらい力を
必要としている時がある。
その時、何の努力もせず、
ただただ神頼みだけでは
結果は目に見えている。
神様にお願いするぐらいなら、
自分の努力を積み上げるなければ
いけない。
「ここまで頑張ったのだから、
お力をお貸しください」と
いえるぐらい頑張る。
そうでなければ、
プラスの力など働かない。
本来、プラスの力など
働かないものだが、
努力して勢いがついてくると、
プラスの力が働いた気がする。
それは、神様や天からの贈り物ではなく、
自分が導き出した力。
自力が勢いによって発揮された
タイミングなのだ。
だからこそ、
自力をつけるための努力を
忘れてはいけない。
生きる自力を強くしていこう。
(今日のコトバ)
未来の表の顔は、期待。
未来の裏の顔は、不安。
期待も、不安も、同じ未来なんだ。
これから先のことを考えると、
期待と不安の二つの気持ちに
収束されていく。
たとえば、WBCの先発大谷翔平には、
いちファンとしては期待しかない。
だが、その試合に挑む選手は、
期待もあれば
不安も大きいものだと思う。
特出したアスリート軍団だから、
メンタルも強い人が多いはずだが
国の威信を懸けた戦いは、
ポジティブばかりでは
いられないはずだ。
ましてや、僕らのような普通の人間が
生きてく上で、
期待だけでなく不安もたくさんある。
ただ、こうは考えられないだろうか。
期待も、不安も、未来のことであると。
少なくても今ではない。
だから、考えすぎても
あまり意味がない。
未来は今になってから
考えればいい。
未来は、今、解決はできない。
ここで解決できないものに
時間を割くなら、
今できることをやる。
それぐらいシンプルに生きて
いいと思う。
(今日のコトバ)
進むか、
さもなければ、
逃げる。
止まっていては
的になるばかりだ。
ここから少しでも行動する。
止まっていては何も解決しない。
生きれば生きるほど、
行動することが
最善の解決だということを知る。
「行動する」
ただ行動するだけでもいい。
目的をもって行動できれば
もっといい。
とにかく行動することが、
すべての解決策につながる。
頭で考えてばかりいたり、
立ち止まって落ち込んでいても。
解決できない
だが、行動すると解決できる。
正確にいうと、
行動すると解決策が
わかってくるとでもいおうか。
行動とは進むばかりでなく、
逃げることも、横へズレることも、
隠れることも、去ることも、
一歩踏み出せばすべて行動。
一歩踏み出すということは、
前へ踏み出すということ。
それらすべてが行動につながる。
「人生の解決策は行動にある」
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
友だちとは、
軽すぎず、重すぎず、
ただそこにいるだけで、
ありがたいと思うもの。
友だちに何を求めるか。
親友と呼びたいほど
深い仲になって
付き合いが長くなって、
心を許せる安心感は
計り知れないものがある。
その人間関係は
大事にしたいものだ。
ただ、まわりを見渡すと
こんなこともある。
あまりにも友だちとして
深い関係になったが故に、
「こんなヤツだとは思わなかった」
「こんな酷い目にあうとは
思わなかった」などという
言葉を聞く時がある。
深くなり過ぎたから、
「もっとこうして欲しい」
「もっとこうするべきだ」と
勝手に思ってしまう。
付き合い方の加減が
わからないから、
もしかすると正しいかもしれないが、
本来は、所詮他人。
相手がどう対応してくれるかなど、
期待し過ぎてはいけない。
普通の対応をしてくれれば
良しとするしかない。
そのことを、友だちとか、
親友という言葉で
定義づけると忘れてしまう。
自分以外の他人は、
いくら友だちでも、
いくら親友でも、
別人格の他人。
普通の関係が成立していればいい。
もう少し丁寧にいうと、
普通の関係が成立して、
自分のことを
良く知ってくれている人と
考えればいい。
友だちや親友という言葉に
あまりにも依存すると、
人生のどこかで
関係が崩壊することもある。
そのことを忘れてはいけない。
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