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(今日のコトバ)
「愛しあってる」は、
「話しあってる」でできている。
コロナ禍になって、
無くなってしまうと
こんなに辛いことなのかと
思うことが一つあった。
それは「話すこと」。
話す相手がいないで
一日誰とも話さないと、
本当に気が滅入る。
予想もしていなかったほど、
孤独感を感じ辛くなる。
平凡な毎日では、
話す相手がいると、
うるさいと思うことはあっても、
必要以上に話したいと思うことは、
それほどなかった。
だが、コロナ禍になって、
話せる相手がいることが
どれだけ大切か、
よくわかったのだ。
もっというと、
話せる相手は大なり小なり
愛を感じている人。
もちろん、仕事関係で
愛がなくても話さなければ
ならない人はいる。
だが、あたりまえの生活の中で、
話せる人がいなくなることは、
生きる上で致命的なダメージを
与えるものなのだ。
だからこそ、
自分のまわりにいる人を
大切にしよう。
その人のどこかに愛を感じている。
生きるために大切な人なのだ。
(今日のコトバ)
失敗は、
人生のふるさとになる。
「失敗」
物事をやりそこなうこと。
うまくいかなかったこと。
しくじること。
成功の反対、、。
結果までたどり着かなかったけど、
心のどこかに傷として、
あるいは痛みとして残っている。
最初からうまくいくことは、
ほぼない。
必ず失敗する。
もっというと、
成功と失敗はセットだ。
そして、この失敗を
上手な教訓にできた人から
成功を手にできる。
つまり、失敗は心の故郷、
もしくは、心の道標のようなもの。
だからこそ、
失敗を財産にして進化したい。
失敗には、
必ずどこかに結果を出すための
ヒントがある。
そのヒントを使えば
次は失敗しなくなる。
人生を進化させるために
失敗はあるのだ。
がんばれ!日本代表。
もっと進化して
世界一強いチームになってくれ。
(今日のコトバ)
空気を吸う人、
空気を読む人いるけれど、
できれば、
空気をキレイにする人と
一緒にいたい。
「その場の空気」
見えないものなのに、
さも状況を支配しているかのような
言葉を誰もが認識している。
たしかに、
目に見えないのに
自分でもその場の空気は
理解できることが多い。
ただ、どうせその場の空気なら、
汚い空気だったり、
不穏な空気だったり、
読めない空気より、
キレイな空気であってほしい。
その場にいることが
快適な空気であってほしい。
快適な空気というのは、
関係のいい人が
集っている場であるということ。
決して、不愉快にならず、
楽しい気持ちでいられる。
幸せを感じられる場。
そんな雰囲気がつくられていると、
そこで生きていきたいと思う。
人生は一度きり。
できるだけ、自分にとって
素晴らしい環境で過ごしたい。
そのために、
快適な空気が流れている環境で
生きることを意識したいと思う。
(今日のコトバ)
勇気は、
キャリアのない者の
必殺技になる。
勇気とか、
無謀とか。
まだ未熟、
まだ未完成の状態で
戦う者にとっては、
とっておきの飛び道具だ。
実績のある者には、
敗北の確率が高くなる。
だが、勇気や無謀に実績は関係ない。
レベルにもよるが、
そこそこ差があっても、
勇気ある挑戦、無謀な戦いを
全力でできる者は、
千載一遇であっても
チャンスは生まれる。
だからこそ、
自分の懐に勇気や無謀を
忍ばせておきたい。
いつ、何時、
チャンスが訪れるかわからない。
その時、完璧な実力があるとは
限らない。
だからといって、
チャンスをみすみす逃すのは、
人生においてもったいない。
チャンスは数少ない。
いつ来るかわからない
チャンスのために、
勇気と無謀も懐に持っている。
そんな生き方も大切だと思う。
(今日のコトバ)
それでも、
胸の奥の奥に一番はやく届くのは、
あたたかい言葉でした。
心が寒い。
心が痛い。
心が折れる等、、。
どうしてもネガティブに
なってしまう時がある。
何とかして心を正常な状態に
戻したいと思う。
そんな時、
どんな方法があるか。
人それぞれ、
いろいろな方法があると思う。
ただ、一番はやく
心を癒してくれるのは
言葉ではないだろうか。
あたたかい言葉で
心が癒されれば、
再び前向きになれる。
元気になることもできる。
あたたかい言葉。
偉そうな言葉でなくていい。
名言でなくてもいい。
いまの自分が一番欲しい言葉を
伝えてくれる。
もっというと、
その言葉を伝えてくれる人が大事。
平凡な言葉でも、
あの人にいわれると心にしみる。
納得する。元気になれる。
あの人の言葉ならの、あの人。
そんなあの人がいると、
人生のしんどい時も
乗り越えられる。
長い人生を生きていく上で、
そんなあの人がいることが大切だ。
(今日のコトバ)
まわり道したけど、
たどり着いた場所には
絶景が待っていました。
今朝の日本対スペイン。
世紀のジャイアントキリング。
日本代表の選手はもとより、
日本国民は歓喜に湧いた。
まさに、見たことない景色を
日本人が見たといっていい。
コロナ禍などで閉塞して
暗くなりがちな状況を、
サッカーという競技の
たった一試合で変えてしまう。
素晴らしい。
とても気持ち良くなると同時に、
日本人として誇りを持つと同時に、
自分でも何かできるのではないか
という気持ちにもなる。
「新しい景色を2022」というのが
日本代表のスローガンだった。
その景色とは、歓喜の先にある
自分でも何かできるという気持ち
なのかもしれないと思う。
ただ、能書きはともかく、
ワールドカップでドイツ、
スペインを倒したのは
非常に気持ちがいい。
ありがとう、日本代表!!
(今日のコトバ)
大好きで走らないと、
大嫌いに追いかけられる。
自分の好きなことで生きる。
それは理想かもしない。
ただ、好きなことで生きていかないと、
人生はしんどいことになる。
いちばんわかりやすいのは、仕事。
自分が好きな世界、
得意な環境で生きている人は
イキイキして
楽しそうに仕事ができている。
だが、あまり得意としない世界で
仕事をしている人はどうだろう。
いつもストレスをかかえて、
人生を楽しんでいるようには思えない。
命を削っているように
見える人もいる。
それが毎日ではしんどい。
だからこそ、
人生は好きなこと、
あるいは得意なことで
生きていけるよう行動する。
安易になんとかなるなんて
考えていると、
大怪我をすることもある。
人生、できるだけ好きの範囲、
得意の範囲で力を発揮する。
有意義な人生をおくるために
必須の条件かもしれない。
(今日のコトバ)
重いなら一緒に背負ってあげる。
怖いなら一緒に逃走してあげる。
悲しいなら一緒に泣いてあげる。
一緒にいてくれる人がいれば、
越えられる壁もある。
一人ではないことが、
どれだけ心強いか。
人生が長くなればなるほど、
一緒にいてくれる人の力を
知ることになる。
海外の人たちが、
震災などの被災した国へ
「あなたと共にいます」という
メッセージをおくるのも頷ける。
共にいる。
つまりに一緒にいてくれる。
それが、どれだけ力になるか
計り知れないが、
人がネガティブになっている時、
大きな力になることは間違いない。
復活へのアシストになるのも間違いない。
だからこそ、
自分がしんどい時に
一緒にいてくれる人を
大切にしよう。
その人がいてくれることで、
自分に計り知れない力を
与えてくれる。
人生の困難に遭遇した時、
この力をほど
大切なものはないはずだ。
(今日のコトバ)
希望はいつも人生の前を
走っていて、
追いついてこいと
エールを送ってくる。
おそらく、
人生の終わるその日まで
希望はある。
希望はあり続ける。
自分の人生を振り返っても、
絶望、失望あっても、
その隣りにはいつも希望があった。
何とか生きようとする限り、
目の前にあらわれて、
行くべき道を照らすようでもあった。
まわりの人を見ていても感じる。
どんな状況に陥っても、
どこかに希望を持っている。
いい希望だけではない。
ワルい希望?かもしれない。
ただ、生きていく以上、
道を照らしてくれる希望はある。
そう思うと、
人生にはいつも希望あると
いっていい。
もしかすると希望の役目は、
人の人生を引っ張っていくことに
あるのかもしれない。
だから、
希望を信じていいのだ。
(今日のコトバ)
傷となって残る真実より、
カサブタとなって
消える嘘がいい。
嘘より真実がいいに決まっている。
ただ、真実があまりに重く、
本人が知らなくていいものは、
あえて伝えなくてもいい。
もっというと、
嘘をついて知らせないことが
あってもいいと思う。
優しい嘘というものかもしれない。
昔、がん患者には、
医師も家族も嘘をついて
真実を伝えなかった。
不治の病なら真実を伝えないで
希望をもって生きてもらう。
人としての優しい嘘だ。
例えば、
あきらかに真実を伝えたら
不幸になる場合、
そして、嘘をついても
人が傷つかないなら、
上手な嘘をつく。
誰も裁けない嘘をつく。
真実によって
大きく傷つくよりは、
嘘であっても
人を傷つけないですむなら、
それもいい。
人生、重すぎる荷物を
かつがなくていい。
そう思うのだ。
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