誤解と誤解の公約数

 

(今日のコトバ)

 

理解とは、

誤解と誤解の公約数である。

 

 

「理解した」というけれど、

ほんとうに理解するのは難しい。

理解にも誤差はあるし、

人によって理解度も違う。

さらに、人を理解するとなると、

本当に難しい。

いい人。

わるい奴。

切れ者。

地頭がいい。

気分屋。

しつこい。

怠け者等々。

現わす言葉はたくさんあるし、

人を勝手に理解した気でいる。

だが、

ほんとうに理解しているだろうか。

いい人と思う人が、

ほかの誰かが見ると、

「結構、計算高くて嫌な奴」と

いわれたりする。

わるい奴と思った人も、

かわいいわるい奴から、

本格的に悪党まで

グラデーションがある。

結局は、理解するといっても、

どこかに誤解の部分が残っている。

自分も、相手も、どこか誤解している。

そして、誤解と誤解の公約数で、

人を判断している。

そう考えると、

あまり大声で理解といわず、

誤解しながら生きていること

意識することが大切。

心のどこかに誤解があることを

忘れずにいよう。

引き分けは勝ち点1

 

(今日のコトバ)

 

人生だって、

引き分けにできれば

勝ち点1。

 

 

サッカーの試合では、

引き分けになれば勝ち点1になる。

これはいいルールだと思う。

勝ってはいない。しかし、

負けてもいない。

結果としては引き分け。

その引き分けに勝ち点を与える。

つまり、引き分けは勝ちの枠組みに

入るということ。

人生においても、

引き分けを勝ち点とできれば

しっくりくることが多い。

特に、一生懸命がんばって

引き分けたら、

それは限りなく勝ちに近いと思える。

少なくても、負けと同じで

失うものしかないと思ったら、

かなりめげる。

だからこそ、

自分の人生においても、

引き分けという結果になったら、

心のなかで勝ち点1を記録しよう。

それだけで心が前向きになれる。

次こそ絶対勝とうという

気持ちになる。

引き分けは勝ち点1。

勝ちに属するのだ。

口だけでは渡り切れない人生

 

(今日のコトバ)

 

知識は、経験の前に沈黙する。

 

 

どれだけ知識があっても、

行動につなげられなければ

武器にはならない。

「口で講釈をたれるが、

何もしない」といわれる人もいる。

誰でも少しは当てはまると

思うはずだ。

人はどこかで引っ込み思案。

どこかで遠慮がち。

だから行動しない人も

いるかもしれない。

ただ、結局、行動しないと、

その人の真価は問えない。

知識が豊富で

楽しい話ができる人も

人生を有意義にする。

ただ、本来は知識だけでなく、

その先で行動して、

世の中の役に立てることが望ましい。

人生は口だけでは渡り切れない。

だからこそ、

知識を行動に活かすことが大切。

つまり、経験すること。

それこそが、

生きていく上で

大切なことなのだ。

仕事は、人生を構築していく基盤

 

(今日のコトバ)

 

人間の誇りは、

ほとんど仕事で

つくられている。

 

 

仕事。

大変だったり、

面白かったり、

つまらなかったり、、。

感情はいろいろあると思う。

ただ、一言いえるのは、

人の誇りは仕事のまわりできている

といっていい。

何かを評価されるのは、

大人になればどうしても仕事になるし、

仕事で稼いだお金で、

人生を構築していく。

そこがポイント。

人生を構築していく基盤に

仕事がある。

だからこそ、

仕事に根づいたものが

誇りになる。

誇れる気持ちがあると、

人生は素晴らしいものになる。

だからこそ、

仕事を大切にする。

とてもあたりまえだが、

基本中の基本。

そのことを忘れないで生きていこう。

「いま」には、痛みがある

 

(今日のコトバ)

 

「いま」から「いま」へ。

綱渡りしているのが命である。

 

 

人は、

「いま」しか生きていない。

過去には生きられないし、

未来にも生きられない。

わかってはいるのだが、

時間軸の中で「いま」は、

あまり大事にされていない。

過去の思い出にふけったり、

未来に夢を抱いたりするが、

「いま」は大事にされていない気がする。

なぜか。

それは、

過去にも、未来にもないものを

「いま」が背負っているからかもしれない。

つまりは、痛み。

「いま」には痛みがある。

記憶や想像ではない

現実だけの痛みがある。

そこに、

意識を逸らしたい部分があるのだ。

「いま」の持つ力は無限大。

痛みがあっても尊い。

だからこそ、

過去も、未来も大切だが、

「いま」というもっとも大切な

人生の時間を見つめよう。

「いま」を大切にすることで、

人生は充実した方向に進むはずだ。

 

 

リハーサルで怖れを消せ

 

(今日のコトバ)

 

恐怖は、

正面から体当たりされるのを

怖れている。

 

 

誰もが恐怖に襲われることがある。

何もお化けに追いかけられることではなく、

大きな舞台に挑まなければならない時、

途轍もない恐怖に襲われる。

明日、その舞台があるなら、

「明日が来るのが怖い」と思うこともある。

では、その恐怖からどう逃れればいいか。

答えからいうと、劇的特効薬はなし。

ただ、一つ正攻法だが

恐怖を抑えられることはできる。

それは、恐怖に真正面から対峙すること。

真摯に恐怖を考え、

どこが怖いのかを理解し、

その対峙方法を行う。

例えば、恐怖の対象が一人の相手なら、

その人の弱みを理解する。

または、あえてコミュニケーションをとる。

近づいて距離をつめておく。

疑似体験できるなら、

何度もやってしまう。

演劇・音楽でいえば、

リハーサルをやる。

王道だが恐怖を退散させるためには

いい方法。

意識して行動していいと思う。

聞く耳

 

(今日のコトバ)

 

知恵のある人は、

「聞く耳」を持たない。

 

 

生きることに賢い人と、

そうでない人は何が違うのだろう。

考えてみると、

一つの答えにたどり着く。

それは、聞く耳を持っているか否か。

どんな人の声も、

しっかり聞いている。

聞き逃すまいとするように

聞いている。

特に、自分が必要とする人の声は

理解しようと聞き、

わかない時は調べたり

質問もしている。

つまり、賢い人とは

聞く耳を持ち、

正しく理解しようとする人だと思う。

そう考えると、

誰もが賢い人に

なることができるといえる。

とにかく、聞く耳を持ち

アンテナを張っていく。

そこで、理解すべきものを

理解していく。

それができるだけで

賢い人の仲間入りできる。

大切なのは聞く耳なのだと思う。

言葉で判断できる関係を築く

 

(今日のコトバ)

 

人間は言葉という

心の翻訳機があるのに、

察するとか、空気を読むとか、

翻訳不可能なものを大切にする。

 

 

言葉は心からの使者。

頭で考えたことを具体的に

相手に説明するために

高い能力を誇る。

人によっては言葉足らずで、

何をいっているかわからな人もいるが、

それでも、言葉は自分の心が思ったことを

ダイレクトに伝えてくれる。

だが、人という生きものは、

言葉だけでは信用しない。

察するとか、

空気を読むとか、

言葉にしない部分の心の状態を

信用したりする。

もちろん、言葉は万能ではない。

あえて、人を騙そうとして、

言葉を信用してはいけないこともある。

ただ、それでも言葉は心の一番の使者。

心の状態を明解にできる。

あまり、察するとか、空気を読むとかに

重きを置くと、

人間関係は上手くいかない。

言葉を正しく伝えて、

言葉で判断できる関係を築く。

人生を乗りきるために

大切なことだ。

 

ここぞの言葉力

 

(今日のコトバ)

 

どんなものをくれる人より、

欲しい言葉をくれる人に

身も心も捧げてしまう。

 

 

岐路に立った時、

落ち込んだ時、

苦しい時、、、、。

誰かの支えが欲しくなる。

物質的に支えてくれるのも

ありがたいが、

もっと必要とするものがある。

それは、言葉の支え。

励ましてくれる様々な言葉に

力づけられる。

ただ、人によって欲しい言葉は違う。

例えば、「がんばれ」と

いわれて嬉しい人と、

「がんばらなくていい」と

いわれて安心する人がいる。

言葉は真逆のメッセージになる。

人によって違うのだ。

そして、その言葉が、

その時の自分の状況にピッタリはまると、

人はプラスの方向へ動き出す。

リスタートして歩き出すこともできる。

そのきっかけが言葉だったりする。

だからこそ、

救いを求めている人へは

言葉を大事にして伝えよう。

ちゃんと伝われば、

言葉を心の支えにして、

未来へ進むことができる人が生まれる。

ここぞという時の

言葉の力を大切にしよう。

理不尽で鍛えられた強さ

 

(今日のコトバ)

 

理不尽に足をつかまれ、

不条理に手をつかまれ、

それでも前へ進むのが人間の強さです。

 

 

辻褄が合わないことに右往左往。

矛盾に疑問を持つこと数多く。

正解は肩書き高い者が決め、

事実がゆがめられる。

世の中、そんなことばかりだ。

だが、人は理不尽を

受け入れて生きていく。

その一つ一つが生きるための

血肉になって人は成長していく。

つまり生きるための強さを

身に着けさせてくれる。

人生という大河を渡るには

一筋縄ではいかない。

その時、

理不尽で鍛えられた強さが

力になる。

本当は理不尽など

ない方がいいに決まっている。

ただ、理不尽も生きるための

強さを養ってくれていると思うと、

少し気持ちが救われる。

生きる強さをつくるために

不条理も大切なトレーニング

機関なのだ。