距離、そして時間

(今日のコトバ)

 

憎しみは、自分という人間の人柄を悪くする。

 

 

 

 

人は、人との関係のなかで、

愛したり、好きになったり、

憎んだり、嫌いになったり、

いろいろな気持ちが生まれる。

それは、利害も含めて関係が築かれているのだから、

しかたないことかもしれない。

ただ、その気持ちの中で、

憎しみは、ちょっとやっかいだ。

あまりにも自分に不利益なことばかりする人と

関係すると、嫌いを通り越して、憎しみが生まれる。

見るのも、会うのも、話すのも、いやになる。

度を超すと復讐心のような気持ちも芽生える。

そして、その気持ちは、すぐにはおさまらない。

相手が痛い目にあうまで、

怒りがおさまらない場合もある。

一生、憎しみを引きずる場合もある。

体と心に憎しみが充満して、

自分の気持ちはおろか、

性格まで変貌させてしまうような気もする。

問題は相手にもあるが、

憎んでる自分にもネガティブな変化をもたらすという

問題も起こる。

まわりを見渡していても、

憎しみばかりで生きている人は、

顔や人柄に出てきてしまう。

いいことではない。

わかっている。

だとしたら、どう解消するか。

それは個人の気持ちの問題だから、

簡単には解消できない。

それこそ、憎しみの度合いにもよるだろう。

ただ、憎しみは人の関係で生まれるのなら、

その人と距離をおくことで、

憎しみを消していくことはできる。

いつも前にいて距離などおけない人もいるかもしれない。

それでも、できるだけ距離をおく。

人は忘れていく生き物でもある。

あえて、距離をおいていく。

さらには、時間が気持ちをなだめてくれる。

そこまで、距離と時間をつくる。

一つの解消方法だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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壁を超えれば、もっと凄い自分になる

(今日のコトバ)

 

目に見えない壁は、一度越えてしまえば形を消してしまう。

 

 

 

 

人は、何かに挑む時、

見えない壁が立ちふさがる。

勝利だったり、記録だったり、発想だったり、

自分の求めた成果を出すために、

挑む心の中に、大きな壁ができる。

形は見えない。高さもわからない。想像さえつかない。

ただ、そこには確実に存在する気がする。

時にプレッシャーとか、魔物とか、

名前を変えて出現することもある。

壁。

その壁は、自分の求めた成果を出した時、

アッという間に姿を消してしまう。

何に苦しんでいたのかさえわらなくなってしまう。

心にある幻想といっていいかもしれない。

つまり、立ちふさがる壁は、

自分の求めた成果によって、

退治できる幻想。

挑むからこそ、進化を求めるからこそ、

あらわれる壁という幻想は、

自分を高めるために、

努力目標としてあらわれるものかもしれない。

だから、この壁は、

自分を高めるために必要不可欠なもの。

この壁さえ超えれば、

進化した自分に会える。

もっと、凄い自分に会える。

壁を超える。そして、壁が消える。

それは、もっと凄い自分になることなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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うまくいかないのは進歩の前兆

(今日のコトバ)

 

 

遠まわりした脚は、走行距離だけ強くなるのが人間だ。

 

 

 

うまくいかない。何度もころぶ。

近道はあるのに、あきらかに遠まわりしている。

反省、後悔、自問自答しながら、

それでも前へ進もうとする。

その時、人は自分がもがいていて、

結果がでないことに苦しんでいる。

ただ、時間が経過するとわかる、

その時間こそが、大きく成長している時間であることを。

うまくいかないから、うまくいくように考える。

ころんでしまうから、ころばないように考える。

近道できなかったから、近道を考える。

できないから、できなるように考える。

そして、その答えを苦しみながらでも出していく。

人生は、その繰り返しで成長する。

最初から、誰でも簡単にできることを、

できたところで、たいした進歩はない。

できないことを、できるようにする。

言葉にするほど簡単ではないが、

そこに進歩の鍵がある。

もし、うまくいっていないで、

苦しんでいる人がいたら、

それは進歩の前兆。

あせらず、あきらめず、

何度も挑もう。

その間に進歩していることを

忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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がんばるということは、目標に近づくこと

(今日のコトバ)

 

 

達成する目標を見失ってしまっては、

未来は永遠に未来のままだ。

 

 

 

 

がんばっている。

ただ、自分が思うほど報われない。

結果もついてきていない。

なぜだろう?

そこに足りないのは、

目標という設定が明解ではないのだろうか。

何がしたい、どうなりたい、が、明解でない。

漠然と思っているだけ。

憧れているに近い気持ちで生きている。

それでも、人よりがんばっていると思っている。

だが、がんばているとか、努力しているとかの評価基準は、

自分でつくるものではない。

自分のがんばっているは、

他人からみたら、全然、

たいしたことがないことかもしれない。

中途半端な頑張りは、中途半端な結果しか導けない。

だから、もし、何かに向かってがんばるなら、

目標を明解にして、

到達するまで何をすればいいか設定する。

そこへ向けて着実に前進していく。

がんばっているということは、

目標に向けて自他共に近づいていくこと。

そのことを意識していけば、

がんばることは、もっと報われていく。

目標達成という成果にも近づいていけるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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発想し続ける

(今日のコトバ)

 

絵空事でいいから絵を描こう。

本物だったら時代が息を吹きこむから。

 

 

 

まず、発想しよう。

とにかく、発想しよう。

そして、考えたものを具体的に描く。

何かを発想することは、一つの思いつき。

その思いつきをどこまで整地できるかが、

実現への鍵になる。

実現するには、

大変な作業であることはわかっている。

ただ、その前の発想がなければ、

実現することもない。

と考えると、

どんどん思いつきでいいから発想して発表する。

その結果、本物だったら、

それは実現し、時代に必要とされれば、

大きなムーブメントを起こす。

発想が必要な場面は、

世の中、たくさんある。

個人で発想を発表するツールもたくさんある。

その発想の一つ一つを、

大切に実現に向かわせる。

自分の人生を、

自分の世界をおもしろくするには、

必要なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分が何をしてきたかが大切

(今日のコトバ)

 

 

倒れた先に、情が落ちていた。

 

 

 

 

人生は、転ぶこともある。

倒れてうずくまることもある。

一人では立てないぐらい辛い時もある。

そんな時、どうやって立ち上がるか。

何かにつかまりながら立つこともある。

ただ、心身ともに立ち上がるには、

人の手を借りなければ立ち上がれないことが多い。

人の手は、力を貸してくれることはもとより、

人の心が伝わることもある。

人の心、この場合は情とでもいうべきものかもしれない。

その情が伝わると、倒れてから復活するまでの時間が

大きく短縮される。

さらには、あたたかい情に触れたことで、

自分の心もあたたかくなる。

人は、一人では生きていけない。

誰かの手を借りて生きている。

その時のために、自分が何をしてきたか。

不義理や恩知らずを繰り返してきては、

情がわくこともない。

転んでも、倒れてもいいように、

日頃の行いは大切。

自分が何をしてきたかが大切。

誠実に生きることが大切なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分しか歩けない道

(今日のコトバ)

 

星に導かれて歩いてきたんだ。

この道は誰も歩いてこれなかった。

生きてこれなかった道なんだ。

 

 

 

生まれた以上、

宿命を持っている。

親は変えられないし、

生きる場所も子供のうちは

自分で選択できない。

体が大きくなりたくても、

遺伝的なものでならないこともあるし、

自分の持っている性格も、

遺伝的に受け継いでいるものがある。

どうしても選択できなくて、

歩いていく道がある。

ただ、自我が芽生えて、

人生を自分で決断するようになると、

新しい道、別の道、ゆるやかな道、茨の道等を

歩くようになる。

そこからは、自分オリジナル。

人に左右されている部分があるにしても、

決めたのは自分。

歩いてきた道は、歩いていく道は、

自分しか歩けない道なのだ。

だから、いままで生きてきたこと、

いままで歩いてきたことに自信を持っていい。

この道は、自分の人生の道。

誰も同じようには歩けなかった道。

誰にも負けない道なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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人生の時にベストを

(今日のコトバ)

 

いつ要求されてもいいように、

ベスト・オブ・ジブンをつくっておくのだ。

 

 

 

 

人生は、即興芝居だ。

いつ、どんな要求をされるかわからない。

その時、できないとチャンスは他の人にまわる。

いい仕事、自分がやりたいことが、

別の人に持っていかれる。

こんな悔しいことはない。

こんな寂しいことはない。

では、自分としては何をすればいいか。

答えは一つ、準備をしておくことだ。

どんな時も自分の能力を発揮できる。

スタンバイ、OKの状況をつくる。

「いつ、何時、誰の挑戦でも受ける」

というアントニオ猪木の名言のように

強い気持ちを持ち続ける。

人生のチャンスは、

到着の予定時間を教えてくれない。

突然やってくることもあれば、

即興で対応しなければならない時もある。

いつか来る、人生の時。

そこで、自分の能力を発揮できるように、

ベストの自分を準備しておく。

そう意識を持つことが大切だ。

 

 

 

 

 

 

 

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言葉が心に根づく

(今日のコトバ)

 

言葉は、心にうまって、

いい心をつくる土になる。

 

 

 

 

心に届く言葉がある。

師の言葉。同僚の言葉。友人の言葉。

メールの言葉。本の言葉。テレビの言葉等。

一日のうちで大量の言葉と出会う。

その言葉の中で、一生を左右する言葉がある。

大切なことに気づく言葉がある。

胸に突き刺さる言葉もある。

それらの忘れられない言葉達。

その言葉は、深く心に根づいていく。

ずっと忘れられず、

人生の岐路に立った時に思い出す。

人生を支える言葉になることもある。

たかが、言葉。されど、言葉。

他の人には何でもない言葉でも、

自分には大切な言葉が、

誰にでもあるはずだ。

その言葉がしっかり心に根づいていれば、

人生が危ない方向へいくことを

回避することもできる。

生きていくために、

着実に人生を前進させるために、

言葉は大切な機能を果たすのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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関係の中で痛みが生まれる

(今日のコトバ)

 

痛いところをつかれて、

痛くないフリをするのも、

強さの証明である。

 

 

 

人は、精一杯のフリをして生きている。

中でも、痛みをかかえているのに、

まったく痛くないフリは、

誰もしているフリの一つだ。

身体的な痛みはもちろん、

心の痛みは、ほぼすべての人がかかえている問題。

大なり小なり、痛みの伴う出来事が日々起こる。

人間関係があれば、上下関係があれば、

恋愛関係があれば、人と人との関係が出来れば、

どこかで痛みも生まれる。

その痛みをすべて痛いといい出したらきりがない。

すべてをいってまっては、終わってしまう関係もある。

そこで、人は痛くても痛くないフリをする。

さらにいえば、その痛みが激しくなれば、

やっぱり痛いと根を上げる人が増えてくる。

だが、それでも痛いといわない人もいる。

その人はほんとうに強い人といえるかもしれない。

痛いといわないのがいいというわけではない。

ただ、痛いといわない人が

強さの証明の一つであることは確かなこと。

生きるために、

人は痛みと様々な対応をする生き物なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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