前向きに、前向き

(今日のコトバ)

 

前向きは、後向きも引きずっているから筋力がつく。

 

 

 

 

全力で前を向く。

とにかく前を向く。

とりあえず前を向く。

人が前を向く時には、

いろいろな前向きがある。

上昇気分で前を向く場合もあれば、

停滞気分だからこそ前を向くこともある。

ただ、前を向く以上、

自分の持っているあらゆるものを牽引する力が必要だ。

その中には、ネガティブだったり、

後向きだったりする気持ちもある。

前を向いて走ることは、

その時点の人生の荷物を持って、

前進すること。

つまりは、人生が前へ引っ張られていくこと。

だからこそ、前向きは人生にメリットが多い。

前向きだからこそ、

いいことが起こる可能性が高くなる。

前向きに生きることは大切なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ふつうが、幸せ

(今日のコトバ)

 

ふつうが幸せになれば、

なにも恐れることはありません。

 

 

 

 

なんでもない日を生きている。

多少の波風があっても、

それがふつうで、辛いことではない。

どちらかといえば、幸せの部類に入る。

そう思って生きていける人は、

幸せなだけでなく、

なにも恐れることのない人生を

送っていると思う。

「ふつうが、幸せ」

人の価値観や目標、考え方で、

ふつうの基準も違う。

幸せの基準も違う。

とても抽象的だが、

いつも、あたりまえのように流れる時間が、

幸せなら、人生は基準を超えている。

毎日が基準を超えていると思えるなら、

それは素晴らしい人生だ。

あまり後悔もない人生になる。

生きることが

それほど間違っていないといっていい。

自分の人生を振り返って、

「ふつうが、幸せ」といえるか。

いえるとしたら、

人生は素晴らしいものなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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本音は、弱音

(今日のコトバ)

 

本音は、弱音がメイクした気持ちです。

 

 

 

 

怒った時や酔っぱらった時、

本音は時々顔を出す。

「本音をいわせてもらえば、、、、」

本音というと本心の言葉が出てしまう。

ただ、本音として、希望があって、

前向きな言葉を発する人を

あまり見ることがない。

もっといえば、ネガティブな言葉だったり、

弱音だったりする。

つまり、本音といえばカッコがつくが、

実は、弱音がその正体のケースがたくさんある。

反対にいえば、

弱音を正論のようにメイクしたのが本音。

つまり、人の本音は弱音でできている。

そのことを理解すると、

本音の伝え方は変わる。

「弱音をいわせてもらえば、、、、」

といえるのは中々の状況だ。

普通の状況では、言いづらい言葉でもある。

だとすれば、本音とカッコつけていってもいい。

ただ、できるだけ本音の話を

しないような状況に自分をおく。

本音といった瞬間、

自分は追い込まれていると判断する。

そのひとつの基準になる。

だからこそ、

できるだけ本音とは距離をおいて生きるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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生きものの能力を大切にしよう

(今日のコトバ)

 

SNSの進化は、以心伝心の退化につながっている。

 

 

 

ケータイ、パソコンの進化は、著しい。

特に、SNSが普及してからは、

情報の伝達速度、事実の伝達が、

指先だけで簡単にできるようになった。

昔、先生が「正しいことを、正しく伝えよう」と

授業でいっていたような気がするが、

いまは、データを送れば難しいことではない。

物事を伝えることは、確かに、

速く、正しく行えるようになった。

ただ、その分、

フェイス・トゥ・フェイスでの

やりとりが激減した。

一言も口をきかず、

物事が進んでいくことも激増した。

そこで感じるのが、

なんとなく空気を読むとか、

人の気持ちを汲むとか、

以心伝心の気持ちの交流だとかが、

衰えてきてしまったような気もする。

もっとも、空気を読むぐらいなら、

メールで終わらせてしまえばいいと

思っている人もいるし、

人の気持ちは

LINEでわかっているという人もいるだろう。

だが、人と人とは、そう簡単ではない。

ちゃんと見つめなければ

わからない間のようなものもある。

さらにいえば、以心伝心のようなことは、

なかなか感じなくなっていると思う。

どちらがいい、

どちらがわるいではないのだが、

人の中に埋蔵されている能力が、

退化しているのは少し寂しい気がする。

人は機械ではない。

生きものだ。

そこに情があって、

見えないものを見つける能力もある。

その部分を大切にしながら、

進化していく時代と共存できると、

もっといい環境になると思う。

難しいことかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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動きながら、探る

(今日のコトバ)

 

明るい兆しは、

自分が明るくなるから感じるんだ。

 

 

 

動きもせず、

そこに立っているだけで、

状況が明るくなることはない。

できるだけ頭を使って、

どんどん動いて、

正解の道を探る。

その状況の中で、

動いている中で、

明るい兆しが見えてくる。

そして、その時、

自分自身も必ず明るくなっている。

気持ちが何かをつかんで、

いい方向へ進んでいることを確認する。

確認できると、

明るい兆しから状況は好転し、

正解がわかっていく。

人生、挑戦すればするほど、

煮つまったり、暗かったりする状況が訪れる。

その状況を打開しながら、

人は成長し、明るくなる。

だからこそ、

まず自分が動く。

正解を探りながら、

動き続ける。

その繰り返しが明るい状況を生み出すのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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探して、探して、探してみる、自分の才能

(今日のコトバ)

 

どこに天才が隠れているかわからない。

隅から隅まで探してみるんだ、自分を。

 

 

 

 

人の才能は、なんとなくわかる。

だが、自分の才能は、

自分が意外とわかっていないことが多い。

好きなものはわかっているのだが、

自分の武器となる才能は、

中途半端にしか理解していない。

理解していないから、

それほど磨かないで人生を過ごしてしまう。

それをいちばん感じるのが、

学生が就職する時だ。

プロ野球選手やJリーガーのように

プロとして才能を発揮できる人は別にして、

就職の時、どれだけ自分の才能を

発揮できる場を選んでいるだろうか。

高校時代、大学時代に、

自分の才能の解答を見つけただろうか。

なにとなく流されて、

働かなければならないから、

「とりあえず就職した」

なんていう人がたくさんいるのではないか。

もっといえば、口下手で、

人とコミュニケーションをとるのが嫌いな人が

営業職は向かないと思うのだが、

募集が多いから就職してしまう。

ほんとうはものづくりがしたかったけれど、

枠がないから挑戦しない等。

結局、自分の能力より、

世の中にたくさんある職種を選んでしまう。

それは、自分にとって、人生にとって、

とても、もったいないことだ。

自分の才能がいちばん生きるもの、

突き詰めれば、自分しかできないものを探す。

もちろん、自分の才能が誰よりも秀でているとは限らない。

だが、自分の才能が生きる場があれば、

人生は躍動してくる。楽しくもなってくる。

そう思うと、

自分の才能が何に秀でているのか

本気で考えていい。

時間をかけて考えていい。

好きなもの、やってみたら簡単にできるもの、

何時間やっても楽しんでいられるもの、、、、。

探して、考えてみる。

それをするかしないかで、

人生は大きく変わる。

まったく自分の人生のやりがいは変わってくるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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人の温かさに触れる

(今日のコトバ)

 

寂しさは、

人の心に触れると息を殺してしまう。

 

 

 

人の寂しさは、

孤立したところからはじまる。

自ら孤立する場合、

まわりから孤立させられる場合とがある。

自らの場合は、

ある程度、原因がはっきりしているので、

寂しさを解消することも自分の意思で

できることもある。

寂しくて苦しむというよりは、

自分の気持ちを冷却させたいという時もある。

反対に、まわりから孤立させられる場合は

寂しさから立ち直るのに時間がかかる。

まず、どうして孤立しているか

わからない場合がある。

集団から無視されたりするイジメなど、

何が原因かわからない場合がある。

わかったところで、

どうしていいかわからない場合もある。

また、まわりの人が何かをしたわけではないのだが、

自分が孤立感を感じてしまうこともある。

ただ、どの寂しさも最高最良の解決策は、一つ。

人の温かさに触れること。

自分から孤立している場合は、

自分から人に触れていくようにすればいい。

まわりから孤立していたら、

そことは違う人に助けを求めればいい。

とにかく、人に寄り添っていくこと。

寂しさとは、人から遠ざかることから起こること。

自分の気持ちを理解してくれる人がいれば、

寂しさは自然に消滅していくはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

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肯定的な人の先に、幸せ

(今日のコトバ)

 

肯定できる人は、幸せとつながっている。

 

 

 

 

正確なデータではないが、

自分のまわりの人を見て思うことがある。

肯定的に物事に取り組む人は

幸せである、と。

困難な出来事も嬉しそうに取り組む。

他人がやりたがないことを、

いの一番でやりはじめる。

特に、みんなが嫌がることを、前向きに、

平気でやってしまう人のまわりには、

何か幸せのオーラのようなものがある。

たくさん人がいるわけではない。

一つの組織に一人いるかぐらいだ。

ただ、その幸せのオーラは伝播する。

その肯定的に考えてくれる人がいる組織は、

組織として強い。

たった一人でも、

肯定的な気持ちの人が持つ雰囲気が、

組織のムードをいい方に高める。

結果、強い組織、勝つ組織につながる。

人は嫌な事に肯定的に取り組むことは難しい。

だが、もし、その先に幸せがあると思えれば、

肯定的な気持ちになる価値はあるはず。

いまからでいい。

自分からでいい。

目の前の物事に、

より肯定的に取り組んでみよう。

幸せはその先につながっている。

そう信じて。

 

 

 

 

 

 

 

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あの人の信号をキャッチしてあげよう

(今日のコトバ)

 

やさしい無関心でいてあげよう。

 

 

 

 

人の気持ち、人の言葉が恋しい時がある。

寂しい時、悲しい時、

人が寄り添ってくれると

気持ちが落ち着いて、

生きることを立て直すことができる。

だが、反対もある。

人から距離を置きたい。

人からそっとしておいて欲しい時。

その時、信号を出すのも難しいが、

その信号をまわりの人が

キャッチするのも難しかったりする。

ただ、間違いなく距離が必要な時がある。

そういう人が自分のまわりにいたら、

やっぱり静かにしてあげるべきだ。

いつも通りでいいのだが、

必要以上に心に入り込まない。

人には、いろいろな時期がある。

笑いたい時、泣きたい時、

起りたい時、騒ぎたい時、

そして、静かにしたい時等。

その時々の気持ちがある。

自分の身近な人間には、

できるだけその時の気持ちを感じてあげる。

それが、やさしさの一つだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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偽りの強さは臆病者の遠吠え

(今日のコトバ)

 

弱い者ばかり相手にしているのは、

勝者でもなく、敗者でもなく、

ただの臆病者なのだ。

 

 

 

たいがいにおいて、

人は自分より弱い者を相手にして、

自分の位置を保っている。

いじめだけでなく、

社会の仕組みも弱い者を下層において、

強がる組織もある。

強がっている者が、

能力があるかどうかは関係ない。

能力がない者が、

強がって、威張って、上に立ってしまうと、

とんでもなく酷い組織ができあがる。

間違った方向に組織は進むし、

ただのパワハラでまわりに

ストレスをまき散らすだけに終わる。

仮に能力があっても、

圧制の中、まわりの人々は、

苦痛にさいなまれる。

組織を前進するために、

統率力は必要だ。

その統率力も力技だけでは、

破たんしてしまう。

強さ。

本当の強さは、

弱き者のために使うもの。

本当の優しさとなるべきもの。

誰かをつぶすことではないことを、

理解しなければならない。

そこを忘れると、

強さはまったく意味のないものになる。

そして、偽りの強さは、

臆病者の遠吠えであることも忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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