恵まれた環境

(今日のコトバ)

 

こんなものかと思う自分にも、

ついてきてくれるあの人がいる。

 

 

 

 

自分がどれだけのものか、

自分がいちばんよくわかっている。

それほどたいしたことがないことも、

それほど優れていないことも。

ただ、そんな自分にも、

恋人、仲間がついてきてくれる。

人生がイケてないと、人生が忙しいと、

人生が辛いと、

時々、この人との恵まれた環境を忘れてしまう。

完璧ではない。

スーパーマンでもない。

そんな自分を選んでくれている人がいる。

さらには、この広い世界で、

たった一人の自分を選んでくれている。

そのまわりの人の気持ちを忘れてはいけない。

人は自分にとってメリットのある方へ動くもの。

もしかすると、恋人、仲間に対してメリットが

ある存在かもしれない。

ただ、それ以上に自分は助けられている、

支えられている。

そう思うと、世の中もわるくない。

生きる気持ちが強くなる。

もちろん、凄い能力がある人もいて、

自負している人もいるだろう。

それでも、人に助けられている、

支えられているには変わりない。

そのことを心の中で意識すれば、

人生は素敵なものに思えるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

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去年の苦しみは忘れている

(今日のコトバ)

 

去年の苦しみは、今年のどこにも残っていない。

 

 

 

 

生きていれば苦しいことは、

いくらでもある。

人は、少なくとも、

何かしらの苦しみを抱えている。

ただ、その苦しみを真正面から受け止めて、

すべて抱えていたら身が持たない。

乗り越えられるものは、乗り越えればいい。

解決できるものは、解決すればいい。

それでも、残ってしまう苦しみがある。

それが問題だ。

だが、考えてみると、

苦しみも時間と共に消えていくこともある。

例えば、一年前に苦しんでいたことを

今年も苦しんでいるだろうか。

ほとんどの苦しみは、乗り越えるか、解決するか、

忘れるかしているのではないだろうか。

もちろん、何年も苦しむこともあるが

ほとんどの苦しみは長続きしない。

どこかで消えていく。

そう思うと、いまの自分の苦しみも、

時間がある程度解決してくれる。

自分で解決できる苦しみと

時間が解決してくれる苦しみで、

ほとんどの苦しみは消えていく。

だから、いまある苦しみも消えていくと信じ、

距離感を考えながら生きていこう。

解決できるものはいち早く、

そうでないものは時間に任せる。

二つの方法があれば、

苦しみが訪れても、

少しだけ気がラクに生きていけるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

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時間の無駄遣いは、自分の無駄遣い

(今日のコトバ)

 

時間は、自分を無駄遣いしていることを教えてくれる。

 

 

 

 

時間は、大切。

そんなことはわかっている。

ただ、人間は、どこか怠け者にできている。

気をゆるめれば、どこまでも

時間を無駄に遣ってしまう。

仮に、余りあるお金があって、

働かなくても充分生きていけるとしたら、

どれほど人は真剣に働くだろう。

どれほど人は時間を大切にするだろう。

もちろん、お金があっても猛烈に働く人もいるだろうし、

時間を無駄にしない人もいる。

また、趣味などを充実させて、

時間をエンジョイする人もいる。

だが、何もしなくても生きていけると人と、

働かなくては生きていけない人の時間の遣い方は

あきらかに違うはずだ。

そして、怖いのは時間を無駄遣いするということは、

自分を無駄遣いするに等しいということ。

どちらが、いいわるいの話ではないのだが、

できれば自分を無駄遣いしたくない。

そう思うなら、時間を無駄にしないことが

いちばん大切になる。

人生は、短い。否、長いと思う人もいるだろう。

時間の遣い方は、

自分の遣い方になる。

忘れてはいけないことだ。

 

 

 

 

 

 

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ハングリーになれ

(今日のコトバ)

 

飢えているから、明日がどうしても欲しくなるんだ。

 

 

 

 

欲望に対して、

ピュアになるのはどういった時だろう。

真剣に欲しくなる気持ちが生まれるのは、

どういった時だろう。

それは、まぎれもなくハングリーな時。

欲しくてたまらないという気持ちが、

止められなく時だろう。

この欲望を目標と置き換えると、

ハングリーが目標達成に最大の武器になることがわかる。

ハングリーは、目標にピュアで、真剣な気持ちになれる。

達成に向かって、一目散に走り続けられる。

生きることは、目標達成をして有意義になる。

そう考えると、ハングリーになることは、

人生を面白くすることの一つといっていい。

もちろん、食べるものなく

飢えているということではなく、

精神的に枯渇しているということ。

その状態になれば、

欲望という目標は、いち早く達成できる。

だからこそ、人生の目標にハングリーであれ。

ハングリーは、

人生を躍動されるエンジンになるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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積み上げられた失敗は、人生の防波堤になる

(今日のコトバ)

 

失敗は遺産にならない。

すべて財産になるのだ。

 

 

 

 

人生は、自分にとって

何が財産になるかわからない。

その中で失敗と呼ばれるものも数多くある。

無駄だとか、負の遺産だとか思いがちになる

失敗も、本当は、すべて財産になると

いっていいほど人生の糧になっている。

仮に、失敗をデータだとすれば、

どうすれば成功できないか理解できる。

仮に、失敗で痛い目にあえば、

もう痛い目にあわないように注意できる。

仮に、失敗が経験とすれば、

同じような失敗をしても、

どう復活すればいいかわかる。

その先の人生を支えるために、

すべての失敗は役立ってくる。

もちろん、取返しのつかない失敗もある。

ただ、その失敗も長い人生でどうにもならないものは、

ほんの一握りの失敗しかないはずだ。

いま、もし、自分が失敗したと落ち込んでいる人がいたら、

この先、財産になると思ってしっかり学習しよう。

人生で積み上げられた失敗が、

人生の防波堤になる。

さらには、人生の成功への礎になる。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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恐怖は体験が小さくする幻想だ

(今日のコトバ)

 

恐怖は、どんな子猫も怪物にしてしまう。

 

 

 

 

実態より大きなものにしてしまう。

実物より強いものにしてしまう。

恐怖を感じると、

人の心は途轍もない幻想をいだく。

だが、考えてみると、

体験をしてしまえば、

実は、それほどたいしたことがなかったり、

それほど怖くないことがほとんどだ。

長い人生をやっていると、

恐怖におののいても、

実際に自分にふりかかることは、

それほどのことはないことが多い。

もちろん、恐怖通りなこともある。

ただ、むしろ恐怖通りは例外。

だからこそ、自分が遭遇すれば、

恐怖はすぐに小さくなる、

すぐに消え去る、

そう思って体験してみる。

恐怖がまったくなくなることはないが、

体験がじょじょに小さいものにはできる。

そのことを忘れなければ、

少しだけ余裕をもって生きていける。

恐怖は体験が小さくする幻想だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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思うようにならない自由

(今日のコトバ)

 

人生は、思うようにならない自由である。

 

 

 

 

自由である、と思う。

意思のある方向へ生きていけるし、

束縛されてがんじがらめになってる訳ではない。

ただ、その自由が無制限の自由かというと、

そうともいえない。

不自由ではないのは確かなのだが、

すべてが思うようになる訳ではない。

どこかで何か見えないものにとらわれて、

どこか息苦しかったりする。

もちろん、仕事のように自分だけでは

どうにもならないこともある。

だが、そういうものとは別に、

何かにとらわれている気がする。

実は、それが人生だったりする。

人生には、見えないことが

たくさんうごめいている。

夢、希望、愛、、、、。

絶望、苦しみ、嫉妬、、、、。

いろいろな思いが人生を

思いもよらない方向へ導いていく。

それでも、自由がある。

だからこそ、人生は面白い。

毎日が違って、

明日が新しくて、

生きていくのに値する。

人生は、思うようにならない自由なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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才能を披露せよ!

(今日のコトバ)

 

どんな才能だって、

ほめられなければわかりません。

 

 

 

 

自分にどんな才能があるか。

日々、生きていて、

他の人より秀でているものがある。

他の人に負けないものがある。

そんなことが自信になって、

才能を認識するのではないか。

ある有名なデザイナーが、

子供の時に「絵が誰よりも上手い!」と

ほめられていたということを聞く。

プロ野球選手が

小学校の頃、80mを超える遠投ができて

驚かれたと聞く。

もう最初から違って、

自分は別次元だと認識するから、

才能があると思うのだ。

だが、こういう話もある。

「中学までは天才といわれたが、

高校へ入ったら、凄い奴だらけで、

自分なんてたいしたことなかった」と。

結果、その才能があると思った道を

断念してしまうこともある。

つまりは、才能とはまわりと比較して

理解するもの。

だからこそ、自分ができると思ったものは、

どんどん人々に披露してみる。

まわりの人の反応を見てみる。

そこで、ほめられたり、驚かれたら、

才能があるかもしれない。

自分で磨くべき才能を

知ることができるかもしれない。

人の前で才能を披露するのは、

自分の目指すべき道を

知ることができるかもしれない。

才能を披露することは、

人生にとって大切なことなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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みんな今日の新人

(今日のコトバ)

 

 

人生は踏み出した足にしかわからない。

足は命の代走者なのだ。

 

 

 

 

今日のことは、わからない。

どんなに考えても、必ず、誤差が生まれて、

何か新しい体験がある。

ただ、とにかく一歩を踏み出すことで、

人生の今日という日がはじまる。

ある意味、毎日、出たとこ勝負でもある。

もちろん、日々のプレッシャーが、

大きい人、小さい人いるだろう。

大きいことでも気にならない人、

小さいことでも気になる人いるだろう。

だが、今日というまったく新しい日がはじまる。

考え方のよっては、どうにでも色づけられる。

反対に、何もしないで時間を過ごすこともできる。

どちらも、今日という一日の使い方だ。

出たとこ勝負、即興、臨機応変、、、、。

自分の持っている昨日までの能力で

今日を乗り越える。

そう思うと、これからはじまることを、

細かく考えすぎても仕方ない。

みんな今日という日の新人なのだから、

とにかく一歩踏み出せばいい。

そう思うと、少しだけ今日がワクワクしてくる。

今日を楽しんでしまえばいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人は前向きにできている

(今日のコトバ)

 

つま先は、いつも前だけ見ている。

 

 

 

 

もうどうしようもないことだが、

人の体は前方だけ見ている。

どんなに後向きな時も、

どんなに落ちこんでいる時も、

どんなに苦しい時も、

前方だけ見ている。

つま先から一歩踏み出せば前進することになる。

ただの人間の機能といってしまえば

それまでだが、

人間は前進するようにできていると考えれば、

これほどわかりやすいものはない。

体全体が前を向いて、

とにかく前進するようにできている。

そう思うと、

前向きに物事を捉える生きものともいえる。

時に、後向きになったり、落ちこんだり、

苦しんだりすることもあるけれど、

人間は前向きに戻る。必ず戻る。

そういう機能にできていると自分で設定しまえば、

何か自分が停滞している時に、

気持ちをリセットすることができる。

少しだけかもしれない。

すべての停滞感を払拭はできないかもしれない。

だが、自分が前向きにできていると思うと、

少しだけ前向きに生きられる。

一歩踏み出す気持ちになれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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