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(今日のコトバ)
努力は、
夢をつかむための握力となる。
成就する努力もある。
が、成就しない努力もある。
一生懸命頑張っても、
自分の求めた結果には
ならなかった。
そんな時、
今までの時間は
何だったんだろうと
思ったりする。
人生で何度も
感じることかもしれない。
もちろん、
努力すればほぼ確実に
目標を成就する人もいるだろう。
反対に、努力しても
ほとんど目標が成就できない人も
いるかもしれない。
では、努力をどう考えたら
いいのだろう。
もしかすると、
夢をぎゅっと握る握力づくり、
目標に手をかけるための
握力づくり、、。
あらゆる成就のための
握力づくりだと思えば、
少し納得できる。
成就しない結果を
努力のせいにするのではなく、
努力も一つの手段として考える。
それだけで、
努力の役目もはっきりして
努力の仕方が明快になる。
努力は夢をつかむための
握力づくり。
そう思って生きていこう。
(今日のコトバ)
足りないものは
いっぱいあるけど、
幸せだって
いっぱいあるのが人生だ。
いつも何か足りないと
思っている。
その足りない何かを
埋めるために、
今日があるといってもいい。
何かを得るために、
今日という日を生きる。
そして、
何かを得るために
生きることの中で、
幸せはたくさん生まれる。
感動、成功、勝利、
奇跡、、。
たくさんの幸せの要因が
生まれる。
だからこそ、人生は面白い。
足りないものを
埋めていく。
それこそが、
人生を面白くする
最高のアイテムであることを
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
うまい話には、
キレイに不幸がもられている。
まわりにも一人ぐらいいる。
何かとおいしそうな話を
持ってくる人。
だが、たいていの場合、
偽りだったり、誇張だったりで、
おいしい話でも何でもない。
むしろ、
その話に乗ってしまうと、
とんでもないことに
なることが多い。
詐欺師、ペテン師、嘘つき、、。
呼び方はいろいろあるが、
それらの人は、
おいしそうな話を持ってくる。
持ってくるというより、
盛ってくるというべきか。
だからこそ、
おいしい話には
自分も慎重になっていい。
おいしい話には
裏がある。
疑うぐらいでちょうどいい。
半信半疑でいい。
後悔しないために
肝に銘じて生きていこう。
(今日のコトバ)
上しか見ていない人も、
下しか見ていない人も、
「人間」をちゃんと
見ることはできない。
ちゃんと見る人は、
前を見ている。
例えば、会社によくいる
上ばかり見ている人。
上の人だけの話に耳を傾け、
下の人を小ばかにする。
上昇志向の塊かもしれないが、
ちょっと近くにいると
お付き合いしたくないと思う。
反対に、
ネガティブな発言が多く
クヨクヨばかりしている人で、
明るい話の腰を折ったりもする。
こちらまで暗くなる人も
距離を置きたい。
上ばかり見ている人も、
下ばかり見ている人も、
ちゃんと付き合っていくのは厳しい。
では、どういう人と付き合うべきか。
それは、いつも前を向いている人。
何事も肯定的に捉え、
すぐに行動する人。
そんな人といると、
こちらまで前向きになれる。
前向きが
伝染するといってもいい。
だからこそ、できる限り
前を向く人と付き合っていく。
それだけで、
人生を明るい気持ちで
生きていけるはずだ。
(今日のコトバ)
嘘つきは、
「みんな」という枕詞を使う。
「みんながいっている」
「みんなやっている」
「みんな信じている」など。
「みんな」という言葉を
枕詞にして、
自分の主張を肯定させようとする。
「みんな」で
あるはずはないけれど、
主張に力を持たせるために、
みんなといってしまう。
正確にいえば、
「みんなが、、」といった時点で
ほぼ間違っているのだが、
気をつけていないと、
自分でも「みんな」を使ってしまう。
そして、嘘を平気でつく連中は、
結構な確率で「みんな」を使う。
何も悪気があって
使うことばかりではないだろうが、
「みんな」という言葉を
いいように使う。
だとしたら、
自を正しく理解されたい、
嘘つきと思われたくない時は、
「みんな」という言葉を使わないと
決める。
それだけで、自分の信用度は上がる。
「みんな」を連発する人より、
信用がおける。
「みんな」という言葉に
注意して生きよう。
(今日のコトバ)
人生は長く履ける靴がいい。
ちょっと歩いて
かかとの皮がむけてしまう革靴より、
二駅だって軽く歩ける
スニーカーがいい。
長く安心して生きるコツ。
それは、無理をしないで
普段のペースで生きること。
緊張し過ぎたり、
気を使い過ぎたり、
怒り過ぎたり、
悲し過ぎたり、、。
「し過ぎる」という無理を
し過ぎない。
これが長く安心して生きるコツ。
他にもいい方法はあると思うが、
誰にでも簡単にできるコツは、
「し過ぎない」ことでは
ないだろうか。
人生は無理をすれば、
その無理が
いつか人生の負荷になる。
その負荷を回避するためにも、
「し過ぎない」ことは大切。
「し過ぎない」ことを
意識して生きていこう。
(今日のコトバ)
自分に帰ってきて欲しい言葉を、
自分から送り出そう。
どんな言葉を使って、
自分の意思を伝えるか。
それはまぎれもなく、
自分の気持ちをストレートに
伝わる言葉を使う。
そのためにベストか
ベターかの言葉を選ぶ。
本来は、
自分が欲しい言葉に
近いものを、
自分から送り出している。
送り出す言葉のポイントはそこ。
自分が欲しい言葉を送ること。
ただ、人は言葉を
いいかげんに使ったり、
感情が高ぶると、
意思とは違う言葉を使ってしまう。
それでは、自分の気持ちは
伝わらない。
だとすれすれば、
自分に帰ってきて
欲しい言葉かを
確認して言葉を送り出す。
それだけで、
自分が生きやすい環境が
つくれる。
もっと有意義に生きることが
できる。
たかが言葉、されど言葉。
言葉は自分のためにあるのだ。
(今日のコトバ)
悲しんだり、苦しんだり、
落ち込んだりしてみないと、
自分の心のどこが強いかわからない。
生きていれば、
悲しいこと、苦しいことなど、
心がしんどくなることがある。
できれば、
避けてしまいたいと思うが、
避けては通れない。
そして、考えてみると、
しんどいことも心にとって
大切なことではないかと
感じるのだ。
悲しいことに心が
どれだけ耐えられる?
苦しいことに心が
どれだけ耐えられる?
それ以外のしんどい状況に
どれだけ心が耐えられる?
知っていないと、
長い人生は生きていけない。
自分の心は、生きるために
どれだけ心の耐性があるのか?
それを知るために、
悲しいことも、
苦しいことも必要。
場合によっては、
心の強化にもつながる。
長い人生を生き抜く
心をつくるために、
人生のしんどい状況も大切なのだ。
(今日のコトバ)
敗れても人生は終わりじゃない。
その先の人生で、また、
手を差しのべてくれる人が
待っていてくれる。
負けてしまって
絶望することがある。
喪失感で
無気力になることもある。
人生のつらい節目が
きてしまったと思うことさえある。
だが、人生を振り返ると、
そこで終わってしまうことなどない。
終わったと同時に、
また、生きるためのテーマが
生まれ、希望が生まれる。
延長線の世界だったり、
まったく別の世界に
なるかもしれないが、
何かしらの明かりが灯る。
それが希望になる。
もちろん、絶望することが続いて、
立ち上がれなくなる時もある。
だが、それでも、人間は
自分の中にある一筋の光明を
探している。
生きている以上、
必ず明日につながる
希望があるはず。
否、必ず明日につながる
希望があるのだ。
(今日のコトバ)
浪費も必要経費である。
お金を使う。
もしかすると
大切なお金の使い方では
ないかもしれない。
浪費といってもいいかもしれない。
この浪費、
時々、人生を落ち着けるために
役立っているのではないかと
思う時がある。
使ったからスカッとする。
使ったから嬉しい。
使ったから癒される。
使うことで人生に効果があるのだ。
ただ、浪費も過ぎれば
金欠になって、
自分の生活の首を絞める。
そこさえわきまえて
お金を使えば、
浪費も人生の必要経費になる。
使う時は使って、
人生を安定させる。
浪費も人生に大切な
お金の使い方の一つなのだ。
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